2.樹海へ
簡単な薬草採取や獣狩りの依頼をこなしつつ、情報収集をする生活を始めて一ヵ月が経った。生活リズムも出来上がりつつあり、組合には街で最も安い宿の名前を伝え、野宿を続けていたため少しではあるが小金も貯まった。恵は宿の暖かいベッドを羨んだが、結局は目先の小金を優先した。
「多少の路銀もできたしそろそろ次の拠点でも探そうかな?」
この街に逗留する以前、『訓練』中に何度かこの街に訪れている頃から薄々気が付いていたが、この街には恵の探しているものはないようだ。ならば街を出て他の場所に拠点を移す必要がある。
「しっかし『会えば分かるんじゃないか?』ってじいちゃんは言ってたけど怪しいなぁ。このままじゃこの世界で寿命が来るまで延々とさまよい続けることになるぞ。」
少しの危機感を感じながら恵はぼやく。
恵はある日突然この世界にやってきた。平和で科学文明の恩恵を潤沢に受けて育った恵は、ある日全く違う世界に移動させられ大いに驚き困惑した。しかも恵の頭にはいつの間にインプットされたのか二つの情報が入っていた。すなわち『使命』と『期限は200年間』というものである。その『使命』とやらが『ある部族の悲願を叶える』という非常に抽象的ものであるから恵はほとほと困り果てた。なぜかこの世界にいた祖父に保護されたのは恵にとって人生最高の幸運だった。
「じいちゃんに会えたのはよかったけどあのわけわからん訓練は一体なんだったんだろ…。じいちゃん曰く俺は結構な落ちこぼれみたいだし…」
祖父に奇妙かつ様々な『訓練』を施された恵は、同時にこの世界に来た意味も多少教えられた。
「俺の他にもこの世界に連れてこられた人っているのかなぁ…。『能力』ってどんなもんなんだろ?魔法とは違うのかな?」
祖父曰く、恵のいた世界からこの世界に移動した人間には一つだけ超能力のような特殊な技能が与えられるらしい。しかし恵の能力については…
「全くの無能力ってなんだよほんと……まぁ地球の知識だけでも相当なアドバンテージにはなりそうなんだけどさ。こう、わかりやすくスーパーマンになれるような能力が欲しいよ…。」
恵はその与えられるべき『能力』が全くなかった。やっとの思いで就職し、研修期間も終えていざ社会人として働こうという時に突然全く知らない世界に移動し生活する羽目になってしまったのだ。しかもその上得られるべき『能力』すらなく、恵は自分の将来が不安でたまらなかった。
「じいちゃんの教えも結構役に立ちそうだし魔法もまぁそこそこ使えるようになったし、何とか生きていく上では困らなさそうだけどな。『使命』は果たせそうにないけど…。」
しかし恵の本能は『使命』を果たせと喚き散らしている。恵は結局それに逆らえずにまずはその『部族』とやらを探すことから始めなければならなかった。
「『部族』っていうくらいだから人間じゃないのかな?亜人?とにかく普人種じゃなさそうだな。とりあえず文明から離れたとこから探せばいいのかな?もし会えたとしても協力できるよう交渉とかしなきゃならんだろうし『悲願』とやらの内容もわからんしでマジでお先真っ暗だな……。」
この世界には人間のほかに亜人と呼ばれる人種が存在する。この世界では普人種と亜人種を合わせて人類と呼ばれている。多くの亜人は人間たる普人種と共生しているが、中には世間から全く隔絶された環境で生活している種もあるらしい。恵はとりあえず街の近郊に広がる大樹海を捜索するつもりであった。
「あの森魔物多すぎて冒険者以外誰も入らないらしいし正直行きたくないんだよなぁ。でもとにかく探してかなきゃならないし、じいちゃんの教えに沿ってなんとかやるしかないか。」
樹海は途方もなく広く、国境たる山脈の麓を覆い尽くすように広がっている。生息する魔物を避けつつ調査するのは非常に危険かつ苦労しそうだ。
恵の臆病な性格からしてそのような危険な場所に足を踏み入れるのは、普段の恵ならまずありえない。しかし無意識下で『使命』が樹海を調べろと命じていることを恵は自覚していた。
「気配消しの訓練はアホかと思うほどやったし、逃げ足ならそこそこの自信がある。生存自活の訓練もずっとやってきた。行くしかないぞ、頑張れ俺。頑張れ俺。」
いつの間にかすっかり身についてしまった独り言の癖を出しつつ、恵は街と樹海の中間あたりに張った質素なベースキャンプから出て行った。
約一ヶ月に亘って情報を集め、恵自身が実地調査をした結果、歩いて一日程度の範囲には危険な生物は存在しないことが分かっている。逆にその範囲より奥地からは危険が跳ね上がるということであり、歩いて一日の範囲が人間と魔物の緩衝地帯ともなっていた。
「聞いた範囲だと奥地には魔猿や虎蜘蛛、山脈には龍種なんてのもいるのか。とりあえずは俺でもなんとかなりそうな赤コブ熊のナワバリ…のちょい手前を目標にしようかな。」
全く正確ではないが、恵は一応地図を入手していた。河川や危険な魔物の目撃例が載っているだけの等高線すらない地図ではあったが、大まかな森の広さが分かるのは大いに助かる。その情報から類推し、手足が二つずつあり二足歩行してそうな生物が生息できそうな場所を恵は数か所ピックアップしていた。まずはその地点をしらみつぶしに調査し、それと並行して地図の精度を上げ、更に調査を進めていく予定だ。
「何年くらいかかんだろこれ…下手したらこの樹海の完全踏破マップとか作れちゃうんじゃないか?」
益体もないことを呟きつつ森を進む。山刀は使わず、できるだけ足跡が残らないような足場を歩く。最初に注目したのは殆どが細い川の近くなので、まずはその川を目標地点にした。このまま進めばあと数時間で到着するだろう、今日の目標はまずはそこで簡易拠点を作ることだ。
(…疲れてきたな)
歩いて一日とはいっても深い森であり平地と比べて歩行の速度が大きく落ちる。祖父の『訓練』のおかげで方向感覚を失うようなことはなかったが歩き始めて数時間、疲労が溜まってきた。恵は『訓練』の成果か腕のいい冒険者や狩人よりも遥かに速い速度で初めての森を歩いていた。
(そろそろ川が見えてきてもいい頃合いだけどな…川の匂いはするんだが…あ!)
様々な蔓や葉の向こうに、細い水の流れが見えてきた。
早速川の近くに野営を張る。川から歩いて2時間ほどの場所に程よい場所があったのでそこに決めた。まずはその地点から半径70mほどの円を描くように警戒用の罠を張る。一定以上の大きさの生物が野営地に接近すると野営地に小さく音が鳴る仕組みのものだ。しかし野営地の全周を網羅する資材はないので効率よく点を繋いで線にするように、更に木の上にも立体的に設置していく。
(周りの木々に傷をつけ無いように…っと。じいちゃんの教えは役に立つなぁ。まぁそれが活かせるようにするのが重要なんだけど。)
次に野営予定場所に膝丈ほどの穴を恵の身体が入るほどの広さに掘る。
(はいキャンプ完成っと。雨は降らなさそうだしこれでいいよな。夕飯は干し肉と水と木の実でいいか、ってそれしかないんだけど。)
明るいうちに火を焚き、布や腐葉土で作った簡易濾過装置に川の水を入れ、小さな鍋でお湯を沸かす。
(出来るだけ魔法は使わずに…っと、沸騰したな。この白湯が疲れた体に沁みるんだ。いただきまーす。)
原始的な濾過装置で作った水なので、もちろんありえないほどに白湯は不味かった。できるだけ音を出さないよう気を付けていた恵だが少し悲鳴を上げてしまうほどだった。
(…うっへぇ、やっぱマジでクッソ不味い。でも水持って来ると進行速度が半分くらいになるししょうがない。俺は間違ってない。俺は間違ってない。)
口直しに渋みの強い木の実を口に入れ、干し肉を頬張りさっさと食事を終らせる。魔物にとって火は興味の対象となる場合もある。よって恵は暗くなる前に火を消し、薄い毛布に身を包み掘った穴に潜り込んだ。やることがないので寝るしかない。
風呂も入ってないし替えの衣類とかもあんまないので恵くん不潔です
くさい