大国様が本気で義父を攻略するようです・八
注意:このお話は、男性同士の恋愛表現が含まれます。閲覧の際はご注意ください。
やっぱりあなたは変わりません。
あなたが初めて私に触れてくれたときとずっと同じ。
どうしてこんなに愛しいんでしょうね。
そんな無意識に優しくされては、ますます入れ込んでしまいます。
でもあなたは、惚れてもらうとか点数かせぎとか、そんな下心なんてないんでしょうね。だから愛しいんです。
~大国様が本気で義父を攻略するようです・八~
真夏の昼下がりというのは、ある意味地獄だ。俺――建速素左之男は身をもって実感している。
縁側から容赦なくさしてくる日光がじりじり肌を焼く。端っこがぼろくなった団扇で風を起こしても熱風を送るだけだ。
俺が嫁のクシナダともども居候させてもらってる出雲の屋敷は、冷房が完備されてるから、その一室へ避難すればいいのだが、その部屋にはすべての元凶(元凶についてはのちほど詳しく)たる女っタラシがいる。そいつと同じ部屋にいるのは何だか癪だからこうして蒸し風呂のような自室でひとり我慢比べをしているという。
だけどそれももう限界のようで、玉のような汗がばたばたと畳に落ちる。これ以上は我慢できない。水浴びでもするか、大人しく涼しい部屋へ行くか。
俺が決めたのはそのどちらでもない。すっと立ち上がって、部屋をあとにする。
廊下でクシナダとすれ違った。
「あら、旦那様? わわ、すごい汗……! お風呂に入られては?」
「いい。ちょっと兄貴のとこに行ってくる」
「義兄さまの? それは構いませんけど、いいんですか? 大国主様が心配しておられましたわよ」
「む……。わりーけど、クシナダから伝えてもらえないか?」
「そういうことはご自分で仰って。わたしは伝書鳩じゃないんだからね!」
クシナダはぷーっと頬を膨らませる。お前年いくつだよ、と言いたくなったがぐっとこらえる。そんなことをこぼした日には、夕食が米だけになる。しかも生米。炊いてもくれない。
俺はクシナダと一旦別れて、大国の部屋にさっさと向かう。その部屋はとても広く、二十柱くらい大人を詰め込んでもまだ余裕があるくらいだ。
その一室は冷房ががんがんにきいていて少し肌寒い。
そこにいるのは大国――大国主と女神二柱。ヌナカワとカムヤタテ……建御名方の母と事代主の母だ。
「おや、お義父さん」
「……よう節操なし」
隠さず堂々とここまで女神といちゃついてると怒りや嫉妬を通り越してあきれてくる。
「子供たちは」
「木俣と一緒に、信濃まで遊びに行っております。建御名方に会いたいと言っておりまして」
「あっそ。俺もしばらく留守にするからな」
「どちらへお出かけで?」
「兄貴んとこ。帰るころには連絡する」
そう言って俺はその部屋をさっさと出た。
すべての元凶――大国との奇妙な関係が始まったのは、およそ数月前。
その日、大国は俺に向かって告げた。
『お義父さん、私と子作りしてください!!』
女タラシが度を越えて一周するとこんなになるんか、と割と本気で心配したのは内緒である。
確認しておくが、俺は男神である。女神ではない。そして大国も男だ。それを知らない義理の息子ではない。つまり大国の言葉は、そういうことなのである。
大国は縁結びの神であり、出雲を中心に中つ国をまとめる強い神である。人間にとっても神々にとっても、とても頼もしい男だ。
だけどその実、地上の女神という女神をひっかけては子作りひっかけては子作りというどうしようもないタラシだ。俺が知ってるだけでも妻と呼んでいる女神は六柱。そのうちひとりはうちの娘――スセリ姫。
俺をからかって反応見て楽しんでんじゃねーの? と最初はそう思っていた。
だけれど落ち着いてそいつの言葉を聞いていると、どうも冗談なんか微塵もなかったらしく。
本気で俺と結ばれたいと、そう願ってやまなかった。
どんな美しい女神よりも、どんな気高い人間の娘よりも、どんな艶やかな妖怪を前にしても、俺の前では霞んでしまうとかなんとか。
あいつの口説き文句は心臓に悪い。あれをいつも聞き続けている女神たちの心臓はいかほどのタフさを備えているんだろう。
奴は女にだらしないが、同時に誠実でもある。一度でも関係を持った女神のことは最後の最期までずっと面倒を見る。その慈しみ深さは飾りでも上っ面でも何でもない。心からのやさしさなのだ。きっとそのやさしさは息子――特に建御名方に受け継がれているのかもしれない。
俺はあいつのそういうところが嫌いじゃない。きっと、今まで面倒を見て来た女神と同じように、俺のことにもきっちり責任持つんだろう。字面が何か嫌だ。
それを分かっていて、俺は大国の求愛をずっと拒んでいる。
だって、どうせ愛されるなら一番じゃなきゃ嫌だから。あいつには妻子が山のようにいる。そんな中の一番になれるわけがない。
あいつと結ばれたところで、俺なんて数ある女神たちと同じになるんだろう。
とんだワガママなガキだ、と自覚はしてる。結局怖いだけだ。情けないよなあ。
さて、俺は現在、夜にならなければ現れないというお屋敷にお邪魔している。屋敷の主人は兄の月読だ。
日本の夜を管理している月の神たる兄は完全に夜型なので、太陽が出ている間は外に出たがらない。屋敷が夜にならないと見えないのも、訪問客を避けるためである。
現在は昼下がりをもう少し過ぎたころ。まだ太陽が出ているこの間、本来なら兄の屋敷は視えない。でも俺は特別だからと、兄の屋敷は俺が近づくと、ふいに現れる。俺の訪問なら早朝でも昼でも歓迎するという兄の好意が見えて来る。ありがとう兄貴。
屋敷は中つ国のどこかにあるというが、その場所はいまいちはっきりしない。中つ国の夜であればどこにでもあるし、昼ならどこにも存在しない。日向の方にあったり出雲にあったり、はては陸奥に現れるなんてこともある。今日は出雲の屋敷からちょっと離れたところだ。だからすぐに見つかる。
兄の屋敷は、いつでも俺を迎え入れてくれた。
「スサ、よく来たな」
戸を開けた兄は、嬉しそうに笑って俺を屋敷に入れてくれた。
兄の屋敷は大国の屋敷並に広い。でもそこに暮らしているのは、兄を除けば一匹の猫くらいだ。ときどき、夜にうろつきまわる物の怪や妖怪たちも遊びに来るとか。
中は冬が来たと錯覚してしまうほどに涼しかった。外の熱気がまるで嘘のようで、さっきまで暑さと戦っていた俺にはありがたい環境だ。
通された居間で、俺は兄の飼い猫と戯れる。猫の毛の色たるや、みたらし団子みたいでうまそうだ。
「お待たせ」
兄が冷たい麦茶を出してくれた。
「ありがと、兄貴」
「それで、今日はどんな嫌なことがあったんだ?」
「な、なんで嫌なこと限定なんだよっ」
「スサが私のところへ来る時はいつもそうだったじゃないか。それとも今日は違うか?」
「ぐ……。いや、今日もその通りだけどさ」
「やっぱりな。スサのことはだいたいわかるよ」
卓に頬杖ついて、猫を膝の上で遊ばせる兄は、得意げにそういう。兄には隠し事ができないのだ。隠し事ができない代わりに、何でも話せてしまう。居心地がいいから、辛いことがあったりうだうだしてると、いつも自然と此処にきてしまうのだ。
「兄貴、俺って欲張りなのかな」
「うん? 欲しいものができたのか」
「……たぶん」
卓に突っ伏する。猫が心配そうに、肉球で俺の頭をぺすぺす叩く。
「欲しいものを自覚したから欲張りじゃないかと疑ったんじゃないのか?」
「いや、欲しいのかどうか微妙なとこ。っつか物体じゃないし」
「へえ。私でよければ聞かせてくれないか」
「俺、説明へただけど」
「知ってる」
兄の微笑は、大国の完璧な微笑とはまた違ったよさがある。
何だか、今日は兄に聞いて欲しかった。
「俺さ、甘えん坊っつうかわがままなんだよな」
「うん」
「暴れん坊で馬鹿で、誰かを困らせることばっかやって……そのくせそういう面倒なとこ全部ひっくるめて俺のこと好きでいてくれる誰かがいて欲しくてさ」
「ああ。高天原にいた時は相当暴れたんだよな」
「そうそう。っつかそれわざとだけどな」
そのときの俺は、ちょうど父親に切れられ拒絶されていたころだった。高天原を追放されたので一度姉に挨拶に行ったところ邪心があると勘違いされて誓約を行った。身の潔白が証明されたから高天原にいっとき住まわせてもらっていたのだが、姉がやたらと着物を贈っては俺に着せ織っては与えを繰り返し(その着物と言うのが全部女物だったからさすがの俺も我慢できんかった。後悔と反省の必要はないと信じている)。その時あえて嫌われるようなことをして、高天原から去って行った。
「ふふ、姉さんのアプローチが少し強烈だったんだよな」
「そうそう。……実はさ、中つ国に降りてからも、クシナダと出会うまでのあいだはずっと馬鹿やってた」
「そっか」
「うん。変だよな。嫌われて当然のことしてるのに、いざ嫌われると怖くなるんだ。でも甘えたりするのが何かだめでさ。だから大国の好意を素直に受け取れなくなって」
「大国主殿に求愛されたんだったね」
「そうなんだよ! あんなに女ったらしで妻子いっぱいいて、女神からもいっぱい好かれるあいつがだよ? よりによって俺にだよ。何で俺なんだっていつも考える」
「そんなに卑下するなよ。スサは充分愛される子だ」
兄は猫を撫でながら言ってくれる。「うん、ありがと」と俺は兄の言葉であればちゃんと素直に受け入れることができてる。
だけど、大国からの好意はなぜか拒まなければならない衝動に駆られる。そう感じる理由もちゃんと分かってる。俺はいっそ一緒になるなら誰よりも一番でないと嫌だからだ。
ふと、屋敷の外に強い神の気配を感じた。なんだか甘くていい匂いがする。でも同時に、とても弱っている気がした。
思わず立ち上がった俺を、「スサ?」と兄が不思議がる。
兄の屋敷から出る。とてつもない熱気がぶわっと押し寄せてきた。
でも熱気は大したことじゃなかった。
問題だったのは、兄の屋敷の真ん前で、大国が倒れていたからだ。
「だ、大国!!」
俺は急いで地面に倒れているそいつを抱き起こした。汗びっしょりで、奴の体が触れただけでもわかるくらい熱かった。
こいつ、こんな熱い中を出雲からここまで歩いてきてたってのか? 兄の屋敷は、今は出雲から近いけど、屋敷自体見つけられないからきっとこいつはこの辺をうろうろしてたんだ。
「なんでこんなとこまで……」
とりあえず今は涼しい場所に避難させなけりゃ。俺は大国を抱えて兄の屋敷へ転がり込んだ。
俺が大国を抱えて急いで戻ってきたのを見た兄は、大変なことだとすぐわかったんだろう。すぐに布団を敷いた。
大国をそこに寝かせ、着物を一旦脱がす。
兄がぱしっ、と手を一回叩くと、その手から氷枕やら氷嚢が現れた。それを俺に持たせてもう一度手を叩くと、冷やした布が数枚出てきた。
「スサ、それで首と脇を冷やてやりな」
「あ、うん……。水とか、飲ませた方がいいかな」
「今は気を失ってるから控えた方がいい。起きたらいくらでも飲ませてあげなさい」
「そうする……」
「出雲のお屋敷には私から連絡しておくよ。スサは彼を見ていてあげればいい」
「うん。ありがと、兄貴」
「なんてことはないさ」
兄は一旦退室した。
眠ってる大国には、まるで生気が宿ってなかった。呼吸が弱い。試しに細い右手を持ち上げてみたが、かなり重かった。
「大国……」
大国の額に手を置いてみる。顔も燃えてるんじゃないかってくらい熱かった。
外はいやってほど暑かった。砂漠に放られたみたいに、じりじり肌を焼かれるような、そんな外だった。
大国は強い神だ。国つ神をまとめるボスだ。そんな大国さえ倒れてしまったんだ。どれだけ無理をしたんだろう。どんなに長く外へいたんだろう。
「馬鹿息子……。元気にならなきゃゆるさねーかんな……」
俺は基本、娘をとっていった義理の息子が嫌いだ。つまり大国はむかつく敵みたいなもんだ。娘を取って行ったうえに別の女神をひっかけまくってるような女っタラシだからなおさらだ。
でも本気で嫌いなわけじゃない。ただ気に入らないというかむかつくだけで、憎い感情はない。こいつは娘のスセリをはじめ、関係を持った女神のことをきちんと面倒みるし、子供達のことも常に気を配っている。持っている強い力を、中つ国の平安のために使う。とても慈愛に満ちた……いや時々怖いけど、基本は優しい奴だ。俺はそれを知っている。
だからか、早く良くなってほしいと願うのだ。
ただ、これは俺が大国に対して特別な気持ちを持っているというからというわけじゃない。あくまで、あくまで! 義父として心配しているだけだ。こいつに何かあったらスセリたちが悲しむし。
「スサ」
兄が部屋へ戻ってきた。
「兄貴、どうだった?」
「スセリ殿に伝えておいた。大国主殿は、体調が回復するまでこちらで預かると言っといた」
「そっか。……なあ、兄貴」
「何だい、スサ」
「大国……死なないよな?」
俺にしては珍しく声に覇気がなかったと思う。神は死なない。世界から完全に、誰からも何からも忘れ去られてようやく死ねるんだ。逆に、誰かひとりでも存在を覚えているものがいれば生きながらえることができる。それは八百万の神々の間では常識だった。
だけど、俺は不安だった。強い大国が、ここまで弱ってしまうのを目の当たりにして、最悪の場合を頭によぎらせてしまう。そのたび、絶対にないと振り切る。
「大丈夫だよ、スサ。大国主殿は強い。発見が早かったから処置もすぐに行えたし、ほら、顔色も少し戻ってきている。ここでゆっくり休ませれば、元気になるさ」
「……うん」
すると、大国の手が、ふっと動いた気がした。はっとして、思わず大国をまじまじ見つめる。
大国が、うっすらと目を開いた。俺は身を乗り出す。
「大国……!」
「ん……。あれ、お義父さん……?」
ほわっと呆けた大国が、俺を見返した。まだ弱っちくはあったけど、生気が戻ってる。
「スサ、私はちょっと席を外すから、大国主殿をよろしく頼むよ」
「ぁ、うん」
兄がまた退室した。
大国はのんびり辺りを見回す。ここがどこだかもわかっていないみたいだった。
「お義父さん、ここは」
「兄貴の屋敷だよ。屋敷の前でぶっ倒れてたんだ」
「あぁ、そうでしたか……。申し訳ありません、お手を煩わせてしまいました」
「んなことはいいんだよ。それより気分は大丈夫か? 水とか飲むか?」
「できれば、頂きます……」
俺は大国を抱き起こして、置いておいた湯呑に水をそそぐ。大国が飲むのを手伝った。大国は何杯か水を飲んで落ち着いたみたいだった。ひとまず、俺は大国が元気を取り戻したのを見て、心底安心した。
ひとつだけ気になることがあった。どうしてあんなに冷房の効いた出雲の屋敷を出て、ここまで来たんだろう。こちらに使いがあるわけでもないのに。なあ、と俺は大国にその理由を聞く。大国は微笑んで答えてくれた。
「なぜでしょうね。ただ……急にお義父さんにお会いしたくなったのです。でもお義父さんは月読殿のお屋敷へ行くとおっしゃっていましたから、見つけるのに苦労しました」
「おまえ……」
「月読殿のお屋敷は、夜にならなければ現れませんし、お義父さんの御霊の匂いを頼りに歩いていたんですが、外の暑さに勝てませんでした」
「……」
「お義父さん?」
俺は無意識に、大国を抱きしめてしまった。
なあ大国。なんでこういうときだけお前はばかなんだよ。
外は殺人的に暑いのに、出ただけで死にそうになるってのに、それがわからないお前じゃないだろうに。
俺のことになるとなんで後先考えないんだよ。これじゃまるで俺がお前を弱らせたみたいで決まり悪いわ。
「お、お義父さん……?」
「ばか……。この馬鹿息子……」
「えっと……申し訳、ありません。お騒がせしてしまって」
「もういい。起きてくれたなら、もうそれでいい……。お前が元気なら、それでいいよ」
「ありがとう、ございます」
大国は珍しく戸惑っていて、しかも大人しい。思うに、こいつが控えめだと俺も少しは素直になれるわけか。何か嫌だ。
でも、素直になれるのは悪くない。いつもの仕返ししてやる。いや、仕返しなんて言い訳しない。
せめて今日くらいは、大国に優しくしてやる。
「大国、今日はここに泊まっていけ」
「いえ、しかし」
「兄貴が出雲の屋敷にはもう連絡入れたし、俺と一緒なら安心だろうからって、お前の体調戻るまでここにいていいってさ。だから、今日かぎりはもうこっから出んな。また倒れられたらたまんねー」
「さようで……。それではお言葉に甘えますが」
「……? 何だよ」
「今日のお義父さん、何だか優しいです」
言われて、思わずはっとした。
いかん。俺は奴の義父だ。あんまり優しくしたら甘やかしちまう。ここは義父として厳しく接しなければ……と思って止めた。
こいつは病み上がりだ。せめて今日くらいはもっと優しくなってやれ。
「お義父さん?」
「うっせ。今日だけ優しくしてやる。感謝しろ」
「……はい」
いつものペースでも調子を狂わされるっていうのに、逆に大人しくなってもやっぱり俺の調子は狂う。
普段なら、毒づいてつっぱねてやるとこだが、今日はほんとのほんとに特別だ。
倒れて持ち直したばかりの奴に厳しく当たるのはよくない。
いいか、今日だけだ。今日だけは、俺にしては珍しく優しくなっててやる。
だから、はやくよくなれよ、ばか息子。
暑い日が続きますね。8月過ぎたらあとは涼しくなる……筈。熱中症にはくれぐれもお気をつけ下さい。