跡取り息子
ミルドレッド。
あなたに出会ったとき、
私はまだ少年と言っていい年だった。
あなたはあの老侯爵の邸宅でのパーティーで、
たくさんの正装した男に囲まれて、
まるでチェスの女王のように背筋を伸ばして、
あでやかに笑んでいた。
あなたの喪服は、
少し前に夫の伯爵に先立たれたからだった。
仲むつまじかったと聞く。
あなたは暗い金の巻き毛を、
頭の高い位置で一部束ねていて、
耳の後ろから残りを垂らしていた。
あなたの存在からは
フルーツの香りが漂う。
あなたは、無垢で狡猾。
ミルドレッド。
事は計画通りに進んでいるかい?
あなたは探していた。
お眼鏡にかなったのが僕だ。
僕は年若い子爵。
「アルバ-ト。あなたがいいわ。
送ってくださる?」
男たちの囲いを抜けて、
あなたが微笑みを浮かべて近づいてきたとき、
私はあまりに驚いて、
ただ、喜んで、と言うのが精一杯だった。
あのときあなたは、私を選んだのだ。
共犯者に。
事は計画通りに進んでいるかい?
私はそれから有頂天だった。
目に見えるもの全てが彩度を上げた。
私を胡散臭そうに見ていたのが、
あなたの義理の兄だ。
あなたの夫が死んだ今、
彼が伯爵の位を継いでいた。
生来の道楽者だったため
あなたの夫である弟が
家督を継いでいたのだが、
彼が亡くなったため、
伯爵となった。
他に適当な男子がいなかったのだ。
自由に財産を食いつぶしていると
もっぱらの噂だった。
あなたはといえば、
私をすっかり夢中にさせた後で、
告白した。
お腹に、亡き夫の子がいると。
私は了解した。
夫を愛していたというあなたが
喪服姿ながらも
あんなにパーティーに出没していたのは、
一緒に義理の兄と戦う相手がほしかったのだ。
「アルバ-ト。
この子の父親になってくださる?」
あなたは無垢で狡猾。
それほど夫を愛していたあなたが、
その子の父親に私を選ぶのであれば、
光栄です。
喜んでお受けしましょう。
「ありがとう、アルバ-ト」
あなたは婉然と笑う。
そして子供が生まれた。
あなたはその子に、
父親と同じ名前、クリストファーとつけた。
それは義兄に対するアピ-ルかもしれない。
世間が私の寛容さに好奇の目を向けようと、
私には何の問題もない。
子供はかわいく、不思議な生き物だ。
大人たちの静かな戦いをよそに、
クリスはすくすくと育った。
ミルドレッド。あなたは少し早く生き過ぎたね。
親族会議で、クリスが伯爵に決定した瞬間を、
見せてあげたかったものだよ。
クリスは利発な12歳だった。
私も頑張った。
伯爵の後見人にふさわしい人物に見えるよう、
若いなりに頑張った。
私はそのときまだ29だった。
ミルドレッド。あなたはほんとに、
若造を選んだものだったね。
うまくいったからいいものの。
全て計画通りに進んでいるかい?
クリスはいま17だ。
私があなたに出会った年。
私がクリスの父親になる運命が決まった年。
クリスはひどくやせているよ。
時に痛々しく見えるくらい。
目は大きくて、眼差しは鋭いよ。
上品な黒いス-ツがよく似合うよ。
この前のことだ。
私たちは一緒にランチをしていたんだ。
仕事が忙しい私には珍しいことだけどね。
そうそう。私は相変わらず仕事人間だよ。
子爵様がそんなに働く必要はないのに、と、
よく言われるよ。
それはね、お金を稼ぐ必要はないけれど、
社会的に一目置かれ、
有用な人脈を作るためには、
有閑貴族とのんびり
ゴルフをしている場合では
ないということなんだ。
クリスのためだよ。
褒めてくれるかい?
さて、そのランチだが、
白いテ-ブルクロスをかけた丸テーブルを、
庭に向けて開け放った窓際に置いて、
ランチはコックが作ってくれた
とてもおいしいものだったんだけど、
クリスはテ-ブルに向かって斜めに腰掛けて、
つまらなそうに足を組んで
ぼんやりしていたんだ。
私にはそんなクリスが微笑ましかったね。
子馬や子鹿を見ている気分だ。
クリスは、庭の方に顔を向けていたが、
庭を見るでもなく、
思わず口から出たかのようにつぶやいたよ。
「あんたが憎いよ、アルバ-ト」
そう言ってしまってから、
ついに言ってしまったことに、
自分で観念して、
私の方をじっと見据えながら、
もう一度つぶやいた。
「あんたが憎いよ。アルバ-ト」
憎いと言いながら、
涼しい目をしている。
私の口元は、なぜか悠然と
微笑みを浮かべていた。
仕事のライバルに向かって
牽制している気分だ。
ミルドレッド。あなたの子は、
上出来だよ。
私をここまで困らせている。
「憎いよ、アルバ-ト。」
憎いというよりむしろ、
どうしよう、と
問い掛けられているような気になる。
白いテ-ブルクロスに
黒いス-ツの片膝ついて、
クリスは身を乗り出す。
なんて行儀が悪いんだろうね。
真正面に落ち着いて
微笑んで座っている
私のネクタイの根元をつかんで、
「ねえ、アルバ-ト」
と言う。
私はずるいよ。
逃げなかったんだから。
あなたの「娘」は、
実はあなたに似ているのかもしれない。
無垢で狡猾だ。
あなたと私は共犯だ。
娘を息子と偽り、
義兄から伯爵の位を奪った。
あでやかな花のようなあなたと違って、
花開くことを止められて、
神経質で痛々しい娘。
彼女が私の首根っこをつかんでいる。
私は運命に身をまかせて、目を閉じた。
ねえミルドレッド。
これも全てあなたの
計画通りなのかい?
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
2015.7.21 跡取り息子≪後書き≫を、別の短編として投稿しました。
本編の解説と、簡単な執筆経緯を書いていますので、
興味のある方はぜひご覧になってください。
よろしくお願いします。