それが、彼のため 前編
こちらは前編となっております。
『晩ご飯できましたよ』
メモ帳と一緒に運ばれてきたのは、おぼんに乗せられた晩ご飯。
美味しそうな湯気を立てて、俺の食欲をより一層そそる。
「ありがとリンちゃん。それじゃ、いただきます!」
机を挟んだ向こう側に、エプロンと猫耳カチューシャが浮いている。
脳内で裸エプロンを想像する事すら容易だ。
二人の間を流れるテレビの音。
箸を止めて、その内容に少し耳を傾けた。
俺達にとってその内容は、とても興味深いものだった。
「実録! 幽霊は実在した!? だってさ」
この手のテレビ番組なんて腐るほどあったが、今改めて見るとお腹が痛くなりそうなくらい面白い。
存在しないとするなら、目の前にいるリンちゃんはいったい何なのか。
見えてもいなければ声も聞こえない、会話もできない。
だから怖く思えるだけで、こんなにも可愛らしい幽霊なら、もう一人くらい欲しいくらいだ。
『…あんまり、好きじゃないです。こういうの』
ある意味、幽霊を見世物にしているのだから無理もない。
ほとんど見ないままテレビを消した。
俺はリンちゃんとの会話を楽しみながら食事をする方が重要であり、毎日の楽しみである。
「一緒にお風呂入ろっか」
『そんな冗談ばっかりダメですよ』
最近は軽くあしらわれることが多くなってきた。
完全に俺の思考や性格に順応してきている。
これはこれでなかなか良いものだ。
渋々、一人で風呂に入りながら、寝る前にどうやってイチャイチャしようかと考えた。
「行ってきます」
『行ってらっしゃい。気を付けてくださいね』
「行ってきますのキスは?」
『ふざけていると遅刻しますよ?』
うーむ…物足りない…。
もう少しくらいラブラブしたい。
猫耳から顔の位置を何となく把握して、強制的に唇を奪った。
「行ってきます!」
物を投げられない内に、貰い逃げをして学校に向かった。
だいたいだが、どこがどこら辺の部分なのか分かるようになってきた。
まぁ、初めて会ってから一年も過ごせばそうなるか。
教室に着いて早々、友人のやつが俺の席のとこまで駆け寄ってきた。
「昨日のテレビ見たか!? 幽霊だってよ、幽霊!」
あぁ…なんだか面倒な事に巻き込まれそうな予感がする。
「お前の家、確か訳あり物件だったよな? いるんじゃねぇの」
いないと言えば面倒事は回避できる気もした。
だけどそれは、リンちゃんの存在を否定することになる。
たとえそれが嘘であっても。
だとすれば俺の回答は一つだけ。
「いるかもな。もしかしたら、とびっきり可愛い幽霊が」
冗談はその場だけで終わると思っていた。
いつの間にか友人が女友達に話して、その女友達と一緒に話を聞いていた女友達にまで広がった。
そして今、俺を含めた四人が自宅前に集結している。
「ちょっと中を綺麗にしてくるから…」
「大丈夫だって。エロ本くらい見つかったって気にしねぇからよ!」
そうじゃない。
そうじゃないんだ。
学校での話の流れ上、こいつらにリンちゃんが見つかるのは良くない。
先に家に入って、事情を説明して隠れていてもらわないといけないのに。
「いや、でもさ、ほら、汚いからさ…」
「平気だって! なんなら私がお供してあげようか~?」
「だ、だめだよ。初めては私と、って言ったのに」
勝手に百合ワールドが展開されているが、それどころではない。
このまま入っていけば、お帰りのキスをするためにリンちゃんが現れる。
メモ帳と猫耳カチューシャが同時にポルターガイストだ。
そんなもの見られたら、こいつらが何を仕出かすか。
「お邪魔しまーす」
考えているうちに友人が勝手に玄関の戸を開けていた。
頭の中の処理は、どうやってリンちゃんとのエンカウントを回避させるかに切り替わっていた。
しかし、俺が想定していた場面とは全く違っていた。
「何してんだ? お前の家だろ。入らないのか?」
玄関の前で話していたから会話が聞こえていたのか。
俺が帰ってきた時のセリフと声が違ったからなのか。
どういう訳かは分からないが、ポルターガイストは起きなかった。
「あ、あぁ…」
肩透かしを食らったかのようになったが、とにかく最悪の事態は回避できた。
あとでちゃんと頭をなでなでしてあげよう。
何かプレゼントを買ってあげよう。
とりあえず今だけは我慢をしてもらうしかない。
罪悪感に苛まれながらも、自分の自宅にお邪魔していった。
自宅なのに全く落ち着かない、というのも貴重な体験かもしれない。
「なんだ~、普通にきれいじゃん」
「そ、そうか?」
「目標はベッドの下に存在する! さがせぇ!」
「無いから。そういうの無いから、マジで」
「やめてあげなよ。かわいそうだよ」
それはどういう意味の「かわいそう」なのか。
聞きようによっては全くフォローになっていないのだが。
ああもう、早く帰ってくれないだろうか。
家を漁られたくないというのもそうだが、それよりもリンちゃんに怒られるのが嫌だ。
次の俺の頭の処理は、邪魔者をどうやって追い払うかに切り替わった。
無理に追い出すと何かを疑われるだろうし、あらぬ噂を流されるのも困る。
適当な理由を作って、仕方なく帰ってもらう方法が一番だろうか。
では、その適当な理由は…?
「あ、そ、そうだ。俺今から―――」
「ねぇ、幽霊の存在ってどうやって確認するの?」
「そりゃあ……アレでしょ? 心霊現象を…」
「じゃあ写真でも撮ってみるか」
俺を完全に無視して、心霊写真でも撮るつもりらしい。
そういえばリンちゃんと写真を撮った事ないけど、写るのだろうか。
今は隠れてもらっているはずだから写らないとは思うけど…。
友人が携帯を取り出して、女友達二人を写真に収めた。
さらに、別の方向を向いて数枚。
そのまま寝室の方にも入っていこうとしている。
さすがにそれはマズい。
「いや、ほら、ここはあれじゃん」
「どこにいるのか分からないんだから、全部撮らないとダメだろ?」
「いやいや、でも寝室だしさ、ほら、ね」
「なによー。見られたら困る物でもあるの?」
「親しき仲にも礼儀あり、という言葉がありますし、やめたほうが…」
さすが、分ってらっしゃる。
ただの百合要員かと思えば、かなりしっかりした奴で助かった。
その言葉を聞いた友人たちも、寝室への侵入はやめてくれたみたいだ。
っていうか、家主の俺の言葉は聞かないで、女友達の言葉は聞くってどういうことだ。
普通、逆じゃないか。
友人たちは、さっそく撮った写真のチェックをしている。
十中八九写ってはいないだろうが、なぜか胸が騒ぎ出した。
リンちゃん以外にも、他の幽霊とかいないよな…?
そうでもしたら、ハーレム状態に立ってしまうぞ?
などと、若干変な期待もしつつ反応を見たが、特に変わったものは映ってなかったらしい。
当然といったら当然のことだ。
「さ、もう満足だろ?」
とても満足した顔には見えなかったが、とりあえず聞いてみた。
嫌な予感しかしない。
「晩飯も食べてくわ。まだ分からないじゃん、いるかどうか」
「ちゃんと鍋の具材も準備してあるから。料理なら任せといて!」
「私も手伝うね」
……。
もう何も言えない。
脳が呆れ返って、口に出す言葉を探してくれない。
誰が、いつ、どこで、鍋パーティをやると言いましたか。
さっきしっかりした奴とか言ったが、やっぱりただの百合要員でしかなかった。
やがて運ばれてくる、良い香りを放つ鍋。
お前に罪があるわけではないが、今回ばかりは味を楽しむことは出来そうにない。
なるべく早く食べられて、こいつらと共に消え去ってくれ。
「いただきます!」
「いただきまーす」
「いただきます」
「……」
三者三様の反応。
四人いるから四者四様といったところか。
だいたい、冬でもないのに鍋パーティってどうなってんだ。
「食わないのか?」
「いや、食うよ…」
「ほら、あーんして」
「だ、だめだよ! 私にもしてよ!」
女友達の方から、俺の口元へと伸ばされている腕。
そして「あーん」という声。
少しの間状況がつかめずフリーズしていた。
「……いや! それはダメだって! ほんとに!」
「なに拒否してんだ!」
いきなり後ろから羽交い絞めにされ逃げ場を失った。
口だけは何とか開けないようにするが、まるでどこかのリアクション芸みたいな構図になっている。
「ほら~、遠慮するな~」
「後で私も…!」
なおも拒み続けるが、あまり騒ぎすぎると近所迷惑にもなる。
かといって、こればっかりは食べるわけにもいかない。
もう何度目なのか分からないほど頭を使い、この状況を打破できる抜け道を探り出そうとする。
変な汗すら流れ出そうになった頃、扉の向こうから何かが落ちる物音が聞こえた。
「何の音だ?」
「なんか怖いね…」
「だ、大丈夫だよ…ね?」
友人が俺よりも先に音のなった方へ行こうとするので、慌てていることを悟られないように止めに行った。
見えないからバレる可能性は少ないが、それでもリスクは回避するべきだろう。
「俺が見て来るよ。ちょっと待ってて」
部屋の中に入り、友人たちから見えないように扉を閉めた。
途端に部屋は真っ暗になり、何も見えなくなってしまった。
そんな暗闇の中で、何かが足元に当たった。
とりあえずそれを拾い上げて、部屋の電気を点けた。
さっそく拾った物を見ると、それは何も書かれていないメモ帳の切れ端。
さらにその数歩先には猫耳のカチューシャ。
空中に浮いているものは何もない。
「リ…」
呼びかけようとして思い止まった。
今リンちゃんを呼んだら、俺はいったい誰に話しかけていることになるのだろうか。
一人で空に話しかける俺を見て、正常だと思われることはないだろう。
心が痛いが、ここは変な事を口走るわけにはいかない。
今日はもう友人たちには帰ってもらおう。
騒ぐ気にはならないし。
電気を消して部屋から出ると、他の三人が俺が出てくるのを待っていたようだ。
「それで? 何だったんだ?」
「大したことじゃないよ。机の上に置いてあったシャーペンが落ちただけ」
「風で落ちたわけでもないし、そうなると…」
「こ、怖い事言わないでよ…」
「分かんないぞ。そういう家だからな、ここは」
「とにかく、もうパーティは終わりにしよ。明日も学校だろ?」
ちょっと無理があったかもしれないが、俺の言い方が雰囲気出てたのか、パーティはお開きになった。
…片付けくらいはさせてもよかったかもな。
友人たちが出て行った玄関の鍵を閉め、リビングの机を見てから若干後悔した。
「…リンちゃん?」
部屋の扉を開けないまま、部屋の中のリンちゃんへと話しかけた。
少しすると、扉の僅かな隙間からメモ帳の紙が出てきた。
細く、やや震えたような文字で書かれていた。
『ごめんなさい』
どう返していいのか分からない。
笑って茶化すような雰囲気ではない事は明らかだが。
結局、何も言う事ができず、お互いに沈黙したままだった。
思ったより長くなってしまいそうなので、2つに分けることにしました。
後編はまだ書き始めてないので、いつになるか分かりません。
近いうち(年内)に完成させたいと思っています。