夫が妹を妊娠させ、両親は祝福しています。では、全員まとめて破滅してください。
「おめでとう、エミリア! これで我が家にも孫ができる!」
父が満面の笑みで杯を掲げた。
「本当によかったわ。身体を大切にするのよ」
母は妹の手を握り、涙ぐんでいる。
「ありがとう、お父様、お母様」
妹のエミリアは幸せそうに微笑んだ。その隣には、私の夫が座っていた。
「これからは私がエミリアと子供を守ります」
夫のロベルトが誇らしげに宣言した。
私は紅茶をこぼしかけた。
「……待ってください。エミリアのお腹にいる子供の父親は、ロベルトなのですか?」
「そうよ、お姉様。もう三か月になるの。私たち、本当に愛し合っているのよ」
「……ロベルト、本当なの?」
「ああ」
「いつから?」
「君と結婚する前からだ」
四年前、私はロベルトと結婚した。
彼の商会を支え、いつか二人で事業を大きくしようと思っていた。
その夫が、結婚前から私の妹と関係を持っていた。
「どうして私と結婚したの?」
「当時の商会には資金が必要だった。君との結婚は、経営上どうしても必要だったんだ」
「つまり、私のお金が必要だったから?」
「そんな言い方をするな!」
父が不機嫌そうに口を挟んだ。
「過去のことを蒸し返してどうする。今日は新しい命を祝福する場だぞ」
母も頷いた。
「そうよ、クラリス。エミリアは昔から身体が弱かったの。ようやく幸せをつかんだのだから、喜んであげなさい」
「お姉様なら、きっとわかってくれると思っていたわ」
エミリアが微笑む。
私は四人を見た。
誰一人として、謝ろうとしなかった。
「……私には、何をしてほしいのですか?」
父が当然のように答えた。
「ロベルトと離縁してもらう。エミリアと正式に結婚させるのだ」
「私の気持ちは?」
「姉なのだから、妹の幸せを優先するべきだろう」
その瞬間、胸の奥に残っていた何かが切れた。
この人たちにとって、私は家族ではなかったらしい。
「……わかりました。離縁いたしましょう」
四人の表情が明るくなった。
「そうか! わかってくれたか!」
「ええ。愛し合う二人を引き裂くわけにはいきませんものね」
私は微笑んだ。
「ただし、財産の清算は契約どおりにお願いします」
ロベルトの笑顔が消えた。
「……財産の清算?」
「あなたの商会にお貸しした金貨八千枚。半年後が返済期限ですね」
「なっ……!」
私は父に顔を向けた。
「それから、お父様。伯爵家にお貸しした金貨五千枚も、同じく半年後が期限です」
父の手から杯が滑り落ちた。
「ま、待て! クラリス! そんな大金を一度に返せるわけがないだろう!」
「四年間の猶予がありましたよね?」
「それは……!」
ロベルトが立ち上がった。
「クラリス! 君は私の商会がどうなるかわかっているのか!」
「返済できなければ、担保を処分することになりますね」
「そんなことをすれば商会が潰れる!」
「そうですね」
父も叫んだ。
「伯爵家だって破産するぞ!」
「ええ。そうなるでしょうね」
「お前は家族を見捨てるのか!」
「いいえ。皆さんには愛があるのでしょう?」
「……何?」
「愛する人と一緒になれるのですもの。お金の問題など、きっと乗り越えられますわ」
エミリアの顔から笑みが消えた。
◇
離縁は十日後に成立した。
私は祖母から相続した個人財産を持ち、王都に所有する建物へ移り住んだ。
そして、社交界の友人たちに離縁を報告した。
「まあ、クラリス様。突然どうなさったの?」
「夫と妹が四年前から愛し合っていたそうなの。今は二人の間に子供もできて、とても幸せそうよ」
「……四年前?」
「ええ。私が結婚する前からですって」
友人は絶句した。
「ご両親は、何と?」
「大喜びでしたわ。妹の幸せのために、私に離縁するよう勧めてくださったの」
その日のうちに、話は社交界へ広まった。
数日後、父が私のもとへ怒鳴り込んできた。
「クラリス! お前は何を考えている!」
「何のことでしょう?」
「ロベルトとエミリアのことだ! なぜ社交界に言いふらした!」
「離縁の理由を尋ねられたので、正直に答えただけですが」
「おかげで伯爵家は笑いものだ! 取引先の貴族からも距離を置かれている!」
「まあ」
私は首を傾げた。
「愛し合う二人が結ばれたのですもの。おめでたい話でしょう?」
「不倫だぞ! しかも姉の夫を妹が奪ったのだ!」
「お父様は祝福していらしたではありませんか」
父は口を閉じた。
「ご自分で祝福した結婚を、今さら恥だとおっしゃるのですか?」
「……家族の恥をさらすなと言っている!」
「では、最初から私に謝ってくださればよかったのでは?」
父は顔を真っ赤にした。
「お前は父親に逆らうのか!」
「もう伯爵家から独立しています。私の発言に、お父様の許可は必要ありません」
私は扉を示した。
「お話が終わったなら、お帰りください」
◇
次に、ロベルトの商会から連絡が来た。
「クラリス様! ロベルト様が、すぐにお会いしたいと!」
私は代理人に確認した。
「私の保証は、すべて終了していますね?」
「はい。離縁に伴い、契約で定められた保証の終了手続きを済ませました」
「では、問題ありません」
ロベルトの商会は、私の信用を利用して取引を広げていた。
私が紹介した取引先も多い。
ただし、離縁後も私が商会の信用を保証し続ける理由はなかった。
私は取引先に、今後はロベルトの商会の債務を保証しないと正式に通知した。
取引を続けるかどうかは、各社の判断に任せた。
結果は早かった。
それまで後払いで商品を仕入れていた商会は、前払いを要求されるようになった。
信用取引を打ち切る商会も現れた。
ロベルトが私の仕事場へ押しかけてきたのは、その三日後だった。
「クラリス! 君のせいで仕入れができなくなった!」
「私のせい?」
「君が保証をやめたからだ!」
「離縁したのですから、当然でしょう?」
「今までどおり保証してくれればいいだけだ!」
「私には何の利益があるのですか?」
「元夫を助けるのに、利益など必要ないだろう!」
私は少し考えた。
「ロベルト。あなたは、私と結婚する前からエミリアを愛していたのですよね?」
「ああ。それがどうした!」
「では、商会が苦しいときも、彼女が支えてくださるでしょう」
「エミリアに商売のことなどわかるわけがない!」
「でも、愛があるのでしょう?」
ロベルトは黙った。
「愛し合う二人なら、きっと力を合わせて乗り越えられますわ」
「……君は本当に、冷たい女だな」
「そうですか。では、温かいエミリアのところへお帰りください」
◇
さらに一か月後。
商会の帳簿を調べていた代理人から、報告が届いた。
「クラリス様。ロベルト様がエミリア様に贈られた別邸と宝飾品ですが、購入資金は商会から支出されています」
「商会名義の財産ですか?」
「別邸は商会名義です。宝飾品についても、贈与ではなく商会の備品として処理されています」
「つまり、エミリア個人の所有物ではないのですね」
「はい。商会の資産です」
私は頷いた。
「では、担保の確認に必要な財産として、正式に調査を進めてください」
商会は返済期限まで半年しかない。
その間に、資産が勝手に処分されては困る。
私は代理人を通じ、契約で認められた範囲で財産の保全を求めた。
数日後、エミリアが泣きながらやってきた。
「お姉様! ひどいわ!」
「どうしたの?」
「別邸を取り上げられるなんて! あれはロベルト様が私に贈ってくださった愛の証なのよ!」
「でも、商会の所有物なのでしょう?」
「そんなの関係ないわ!」
「関係あるわよ。商会のお金で買ったものなのだから」
「お姉様にはお金があるじゃない!」
「ええ。だからこそ、自分のお金と他人のお金は区別しているの」
エミリアは唇を噛んだ。
「宝石まで返せなんて、あんまりよ!」
「商会の資産なら、返して当然でしょう?」
「愛の証なのよ!」
私は微笑んだ。
「愛の証を手放しても、愛そのものは残るでしょう?」
「……!」
「ロベルトはあなたを愛しているのでしょう? 宝石がなくても、幸せになれるわ」
エミリアは何も言えなくなった。
「それとも、宝石がなければ愛せないの?」
「そんなことないわ!」
「よかった。それなら安心ね」
◇
半年が過ぎた。
社交界で信用を失った父は、新たな融資を断られ続けていた。
ロベルトの商会も仕入れが滞り、売上が急減していた。
別邸と宝飾品は商会の資産として整理されたが、他の借金も多く、返済資金は足りなかった。
そして、約束の日が来た。
私は代理人から報告を受けた。
「ロベルト様の商会からは、金貨八千枚の返済がありませんでした」
「伯爵家は?」
「金貨五千枚、こちらも返済されていません」
「では、契約どおりに」
代理人が頷いた。
商会の主要店舗と倉庫は、私の貸付金の担保になっていた。
伯爵家の王都の屋敷と領地の収益権も同じだ。
担保の処分によって私の貸付金は回収されたが、二人には他の債権者への借金が残った。
ロベルトは商会を失い、父は屋敷と領地の経営権を失った。
二人とも破産した。
◇
「クラリス!」
ロベルトが私の応接室へ飛び込んできた。
その後ろには、エミリアもいた。
二人とも以前とは見違えるほど質素な服装だった。
「君は本当に人の気持ちがわからない女だな!」
私は紅茶を置いた。
「あなたよりは、人の気持ちがわかるつもりですよ」
「何だと?」
「例えば、四年間も不倫していた元夫が、その不倫相手を連れて金を無心に来たときの気持ちなら、今まさによくわかっています」
ロベルトは言葉に詰まった。
「それから、エミリア。あなたの気持ちもわかるわ」
「……な、何よ」
「裕福な商会主の妻になるはずだったのに、商会は破産。実家も破産。頼れる人が誰もいなくなって、とても困っているのでしょう?」
「お姉様……!」
「でも、安心して。お金がなくても、愛があれば幸せになれる。それがあなたたちの気持ちでしょう。よくわかっているわ」
私は二人に微笑んだ。
「どうぞ、お幸せに」
ロベルトは唇を震わせた。
「……君は、本当に冷たい女だ」
「そうかもしれませんね。ですが、あなたは私より愛情深い女性を選んだのでしょう?」
ロベルトは何も言えなかった。
エミリアが泣きながら叫んだ。
「お姉様にはお金がたくさんあるじゃない! 少しくらい分けてくれてもいいでしょう!」
「そうね。十分にあるわ」
「だったら!」
「でも、あなたたちに使うお金は、もう銅貨一枚もないの」
私は立ち上がった。
「お二人とも、どうぞお帰りください」
アンナが二人を見送った。
扉が閉まる音がした。
私は窓の外を眺めた。
王都の空は、今日もよく晴れていた。
◇
半年後、ロベルトとエミリアが離婚したという噂を聞いた。
商会を失ったロベルトは仕事を転々とし、エミリアは実家へ戻ったそうだ。
だが、父と母も屋敷を失い、狭い借家で暮らしている。娘を養う余裕などないらしい。
愛があれば幸せになれると言っていた二人は、金がなくなると互いに責任を押しつけ合うようになったという。
私は少しだけ笑ってしまった。
あの人たちの愛は、ずいぶんとお金がかかるものだったらしい。
◇
「クラリス様! 新店舗の開業、おめでとうございます!」
新しい商業施設の開業を祝う宴で、従業員たちが杯を掲げた。
「ありがとう。皆さんのおかげよ」
回収した資金を使って始めた事業は、順調に成長していた。
以前ロベルトの商会で働いていた従業員も何人か雇っている。彼らは真面目で、仕事熱心だった。
「クラリス様、次の店舗の計画について、ご相談があるのですが」
経理責任者が声をかけてきた。
「もちろん。聞かせて」
アンナが隣で微笑んだ。
「クラリス様。本当に楽しそうですね」
「ええ。楽しいわ」
自分で稼いだお金を、自分で選んだ人たちのために使う。
自分の人生を、自分の意思で決める。
私は窓の向こうに広がる王都を眺めた。
夫と妹に子供ができたと聞かされたあの日、私はすべてを失ったと思った。
けれど、実際には違った。
失ったのは、私を大切にしない人たちだけ。
そして手に入れたのは、自分の人生だった。
「さあ、次はどんな商売を始めましょうか」
私は笑顔で、次の計画書を開いた。




