第1章 星に願う夜(後半)
――星と心の距離――
それからというもの、夜の丘にはいつも二人の姿があった。
千紗がノートに観測記録をつける横で、翔は双眼鏡を覗きながら、
子どものように空を見つめていた。
「見て、あの星! さっきより光が強くなってない?」
「気のせいですよ。大気の揺らぎでそう見えるんです」
「夢がないなあ、千紗は」
「科学者だから」
笑い合う声が、夜の静寂に弾ける。
千紗はそんな時間が好きだった。
誰にも邪魔されず、ただ星と、翔と、風の音だけがある。
ある夜、翔がふと真剣な声で言った。
「千紗は、どうして星を研究してるの?」
「……小さい頃、母が言ってたんです。“人は死んだら星になる”って。だから夜空を見ると、どこかに母がいるような気がして」
「……そうなんだ」
「くだらないでしょう?」
「全然。俺も、そう信じたいな」
翔は空を仰いだ。
風が頬を撫で、髪を揺らした。
彼の横顔が、星明かりの下でとても静かに見えた。
「俺はさ、何かを残したいんです」
「残す?」
「うん。たとえば、自分の生きた証。誰かが夜空を見上げたとき、“あの星、翔っていうんだよ”って言ってもらえるような。それだけでいい」
その言葉が胸に刺さった。
なぜか千紗は、涙が出そうになった。
「……見つけましょう、翔の星」
翔は笑った。
いつもの、少年みたいな笑顔だった。
「じゃあ、約束。見つけたら、名前は君がつけて」
「いいの?」
「うん。俺は千紗がいいと思うなら、それが一番うれしい」
そのやりとりのあと、二人は空を見上げた。
流れ星が一筋、夜空を横切る。
瞬きのように消える光。
「願い事、した?」と翔が聞いた。
「願う前に消えちゃいました」
「じゃあ、もう一度流れたら、今度は一緒に願おう」
千紗は笑って頷いた。
心の奥が温かく満たされていく。
翔と過ごす夜は、どんな研究よりも鮮やかだった。
彼の笑い声、息づかい、目に映る星の輝き。
すべてが、ひとつの星座のように繋がっていく。
いつしか千紗は、空だけでなく翔を見るようになっていた。
望遠鏡の先よりも、すぐ隣にある温もりの方を。
夜が明け、二人はいつも別れ際に同じ言葉を交わした。
「また、明日もここで」
「うん、必ず」
そうして笑い合う彼の瞳に、千紗はもう、ただの星ではない“光”を見ていた。
――それが恋だと気づくのは、もう少し先のことだった。
その頃の千紗にとって、
星は「遠くにある光」ではなかった。
それは隣で笑う人の眼差しであり、
彼の夢そのものだった。
けれど――
光は、いつか消える。
その儚さを、彼女はまだ知らなかった。




