後日談 ――数十年後の空――
歳月は、意外にも静かに過ぎていった。
千紗はすでに還暦を迎えていたが、腰はまっすぐ、歩く姿には若い頃の鋭さも残っている。
天文学者としてのキャリアは長く、世界各地の天文台を巡り、数々の星の発見にも携わってきた。
だが、彼女の心にずっと残っていたのは、あの日見た“小さな光”、Soarだった。
ある春の夕暮れ、千紗は故郷の丘へ向かった。
足元の道には、子どもたちの声が遠くで弾んでいる。
丘の頂上には、昔と変わらぬ夜空が広がっていた。
街の灯りも、今は昔より柔らかく、星がよく見える。
望遠鏡を組み立てながら、千紗は静かに微笑む。
手元には、翔からもらった指輪の形を変えたペンダントがあり、胸元で光を反射している。
「翔……見てる?」
小さく呼びかけると、風が頬を撫で、木々がざわめいた。
彼はもういないけれど、空に残した光は変わらない。
何十年経っても、Soarは確かにそこにある。
千紗は望遠鏡を覗き、星の位置を確認する。
観測データはすでにコンピューターに蓄積されているが、肉眼でその光を確かめるのは別の喜びがある。
光は、時空を超えて、彼女に届いている。
ふと、丘の縁に座っている小さな少年が声をかけてきた。
「お姉さん、あの星、なんて名前?」
千紗は優しく微笑み、星を指さす。
「Soar。『翔ける』って意味よ。ずっと遠くの空で、誰かを見守る星なの」
少年の目が輝き、歓声をあげた。
千紗はその様子を見て、胸がじんわり温かくなる。
翔の夢は、自分だけでなく、未来の世代の中にも生き続けているのだ。
丘の上に腰を下ろし、千紗は深呼吸をする。
風に混じる夜の匂い、草のざわめき、遠くで鳴く虫の声――
すべてが、あの日の空と繋がっている。
「ありがとう、翔……」
そう呟いた時、空に一筋の光が流れた。
流れ星はほんの一瞬だったけれど、千紗にははっきり分かった。
あれは、彼が微笑みながら言った、無言の言葉のように感じられた。
生きて、見続けていてくれてありがとう。
その光は、私の夢を超えて、君の未来にも届く。
千紗は小さく笑った。
涙が頬を伝うけれど、それは悲しみの涙ではない。
温かさと安堵、そして彼への愛の証。
夜が深まる。
丘の上で、彼女はしばらく空を見上げ続けた。
Soarは、あの日と変わらず輝いている。
そして、千紗もまた、空を翔ける星と共に生きている。
誰かの記憶に残る光は、永遠に消えない。
彼女の胸に生きる想いも、
星の光に溶けて、永遠に空を翔け続けるのだ。
失ったものは戻らない。
でも、残された光を信じる限り、
愛も夢も、永遠に生き続ける。
数十年経った今も、彼女は空を見上げる。
そこには、“翔ける光”があり、
そして、心の奥に生きる人がいる。
その名は――Soar。




