エピローグ ――光の在り処――
春の風が、街の並木をゆっくりと揺らしていた。
桜の花びらが舞うキャンパスの坂道を、千紗はゆっくりと歩いていた。
肩から下げた黒い鞄の中には、講演用の資料が詰め込まれている。
――今日は、“Soar星”発見から五年の記念講演。
大学の大ホールには、学生や研究者、一般の天文愛好家まで大勢が集まっていた。
舞台のスクリーンには、青白く輝く一つの星が映し出されている。
その光こそ、
彼――翔が夢見た“新しい星”だった。
マイクの前に立った千紗は、少し息を整える。胸元の小さなペンダントには、翔の指輪が形を変えて収められている。
今も、彼の言葉がそこに宿っているようだった。
「皆さん、こんにちは。本日は、私が発見した恒星“Soar”についてお話しします」
柔らかい声が、ホールの静寂に響く。
スライドには、星の座標やスペクトル分析のデータ、観測時の夜空の写真が映し出されていく。
けれど千紗の語り口は、数字や理屈だけではなかった。
「この星の名は、“Soar”。英語で『翔ける』という意味を持ちます。私は、この名前に“空へ翔ける想い”を込めました」
会場が静まり返る。
千紗の瞳はスクリーンの中の光を見つめていた。
「実は、この星の名前には、もうひとつの意味があります。――それは、かつて私と一緒に空を見上げていた人の名前でもあるんです」
ざわめく会場の中で、千紗は微笑んだ。涙ではなく、あたたかい笑みだった。
「彼は、言っていました。『新しい星を見つけたい』って。私はその言葉に出会って、空を好きになりました。彼の夢を叶えることが、今の私の生きる理由になったんです」
ホールの中で、誰もが静かに息をのむ。
スクリーンに映る“Soar”の光が、まるでそれを祝福するように瞬いた。
千紗はそっと目を閉じた。
――翔、聞こえてる?
心の中でそう呼びかける。
返事はない。
けれど、不思議と温かな風が頬を撫でた。
まるで、彼がそっと微笑んでくれているようだった。
講演が終わり、外へ出ると、空は淡い群青色に染まっていた。
キャンパスの奥にある小さな天文台の屋上。
千紗は久しぶりに望遠鏡を覗いた。
冷たい夜風の中、星々が静かに輝いている。
見慣れた星図の中で、ひときわ明るく輝く一点
それが、Soar星。
光は五年前と変わらない。
ただひたすらに、そこに在り続ける。
「ねえ、翔。今日ね、たくさんの人があなたの星を見てくれたよ」
小さく呟く。
空のどこかで、彼が笑っているような気がした。
ふと、風に乗って、懐かしい声が聞こえた気がした。
――「千紗。空、綺麗だな」
驚いて振り向く。
誰もいない。
けれど、確かに感じた。
彼の気配が、隣にあった。
千紗はそっと目を閉じて、微笑んだ。
「うん。すごく綺麗。あなたの星が、今日も輝いてる」
指先でペンダントをそっと握りしめる。
その温もりが、心の奥に広がっていく。
やがて夜空の彼方で、一筋の流星が尾を引いた。
その光は“Soar”の近くを通り過ぎて、消えていった。
まるで彼が「またな」と言っているようで――
千紗は小さく笑いながら、涙をぬぐった。
星は、生まれては消える。
でも、誰かの記憶に残った光は、
永遠に消えることはない。
彼の名は、空に刻まれた。
彼の夢は、彼女の中で生き続ける。
そして今日も、彼女は空を見上げる。
そこには、“翔ける光”がある。
その名は――Soar。




