第七章•ーー〈出発〉㊁
紅の足が、ピタリと止まる……。
先を導く、〈赤い光の玉〉を追って、紅は真夜中の公園に、やってきていた。
〈光の玉〉が、迷うことなく公園に、入っていった瞬間から、その向かっている先が、〈双子桜〉のもとであろうと、紅は直観的に、わかっていた。
あたりまえに、がらんと人けのない、広い公園内には、常夜灯として、いくつものガス灯が、やわらかく高古な灯りを点していた。
噴水の横で足を止め、先に佇む〈双子桜〉を見つめている紅は、同じ体験を再び繰り返しているような……現実と、非現実との狭間に、自分が立ち存在しているような……いとも不思議な感覚に、襲われ浸るのだった……。
(人がいる……)
それも、一人や二人ではないーーー
そしてーーあの光………
急いできたために、ただでさえせわしく打つ心臓が、ドクンっ……と、鋭く身を貫いた……。
「まさか……」
〈光の玉〉は、止まることなく、人影の見える〈双子桜〉のもとへーー宙に浮いた、〈四色の光の玉〉のもとへーースイーっと、なめらかに飛び進んでいくーーー
水量は同じだろうに、いつもより大きく聞こえる、噴水の音を横に、まだ少し距離のある前方から、「ひゃっ」と、小さな叫び声が、聞こえてくるのだった。
次いで、それを面白がるような、笑い声が聞こえてくる。
夜気に響いた、そのどちらの声にも、紅ははっきりと、聞き覚えがあった。
それもそのはずーー最後に聞いてから、まだ一日と、経っていないのだから……。
〈赤い光輝を孕んだ、光の玉〉が、紅よりも先に、仲間のもとへ無事着くと、美麗な夜桜のもとに集まっていた人影が、みな噴水のあるほうへ、振り返るのだった。
紅は、ゴクリっ……と、乾いた喉を鳴らす……。
力の抜けたような、頼りない足を、ゆっくりと……前へ……踏み出した………
ぼんやりしていた人影が、見えてくるーーー
紅は、〈双子桜〉のもとまでくると、他の四人と同じように、ここまで導いてきた、自分の〈光の玉〉が浮いている傍へ、黙って立つのだった。
「やっぱり紅だったね!」
それは見間違えようのない、金色の髪を高く結んだ、岸呂渦が、いつもの鼻に皺を寄せた笑顔で言う。
ーー紅の格好が、上は紫色の星柄パジャマ、下は灰色のジャージすがたなのに対して、渦は上下揃いの、鮮やかな緑色にオレンジのラインが入った、オシャレなジャージすがただった。
「紅の〈赤い玉〉が飛んできたとき、宿がまだ驚いてるから、笑っちゃった。 だってさ、自分も今さっき、〈茶色の玉〉連れて、ここへ来たのに」
「すみません……」
渦の横にいた、山璃宿が、恥ずかしそうに俯いた。
ーー宿の格好は、紅とほとんど同じに、上下とも、いかにも宿らしい、淡いピンク色の、可愛らしい花柄パジャマだった。長めの上着を羽織っているものの、やはり寒そうで、髪も寝ていたときのままに、いつものおさげすがたではなく、印象が少しちがって見えるーー(結んでいないほうが、いくらか大人びて見える)ーー下ろしたままのすがただった。
「塔野さんも、〈夢〉を見たんでしょ」
並びの中央にいる紅を挟んで、二人とは反対側にいた、岩底青が、相変わらず冷徹に言う。頭上に浮いた、〈青い光輝を孕んだ、光の玉〉を、じっと観察しながら、細く長い指でつついていた。
ーー青はやはり、パジャマすがたではなく、渦のように、上下揃いの、灰色のジャージすがただった。背が高く、スタイルの良い青が着ると、大体において野暮ったくなるこの格好も、不思議と垢抜けて、見えるのだった。
紅は戸惑いながらも……小さく頷く……。
静まり返った夜の公園に、渦の真剣な声が響いた。
「ってことは、みんな同じ〈夢〉を見たわけだ。 いかにも意味ありげな、〈でっかい鹿〉と〈粋なおじさん〉の。ーー鼓も、そうでしょ?」
青の横に、みんなとは少し離れて、ひとり立っていた、門鼓が、ビクリとした。
「いつまでそうしてるの」
自分の〈光の玉〉を見つめている青が、冷ややかに放つ。
巻き毛の少女の暗い顔が、夜陰に負けぬ暗さで、俯かれるのだった。
ーー上は、青色に恐竜柄のパジャマ、下は黒いジャージのズボン。紅と同じに、上着では隠せない下だけは着替えて、ここまでやってきた、という格好だった。
「まぁまぁ」
渦の声がなだめる。
「鼓、たしかに気まずいかもしれない。 でもさ、過ぎたことは過ぎたことだよ。 大切なのは、今とこれから。 だって、過去はどうしたって変えられないけど、今から先は、自分の行動次第で、気持ちひとつで、どんなにもよくなっていくんだから!」
響いた声にーーたしかに同い年であるはずの、視線の先にいる、一見派手なすがたをした少女の、どこまでも真摯な言葉にーー紅と宿、そして、鼓はーー瞳をまじまじと……それは冷えた心に深く……染み込んでいくものを……言霊の力とその存在を……改めて感ずるのだった……。
「大いにふつう」
つぶやいた青だけは、表情一つ、変わらずだった。
青の瞳が、〈光の玉〉を離れる。ーーみなのいるもとへやってきた、鼓と〈黄色の光輝を孕んだ、光の玉〉へ、向けられた。
鼓は青の横へくると、真っすぐに、髪を下ろしたすがたの少女を見る。
「……山璃さん、ごめんなさい……。 運動着のことも……〈めでたい屋〉で怒鳴ってしまったことも……本当に私……最低で……家に帰ってからもずっと……謝りたくて……後悔してて……ごめんなさい……」
頭を下げた鼓に、宿が慌てて首を振る。
「ぜんぜん……そんな……私のほうこそ、ごめんなさい……」
二人は互いに、深々と頭を下げるのだった。
パンっ!と、手を打ち合わせた音が響く!ーー二人は驚いてーー(紅もビクリとして)ーー顔を上げた。
「じゃ! この話はきれいさっぱり、もうおしまい!」
渦が笑顔に、明るい声を放つ。
その豪快に、開けっ広げな笑みには、周りのものたちもつられてしまうような力があり、鼓と宿ーーどちらの顔にも、ほっとした表情と、笑みが浮かんだ。
短い間があきーー巻き毛の少女は、決心したように、固く握っていた拳を、ゆっくりと開く……両の掌を、みなに見せるのだった。
「おぉぉ……!」
夜のしじまに、渦の感嘆の声が響く。
青は黙って見つめ、紅と宿はそろって息をのんだ……。
「〈稲妻〉……」
鼓の掌にはーー〈ギザギザと閃く、鋭い稲妻の模様〉が、黄色に浮き輝いていた。
「〈雷〉を……操れるの……?」
目を見開いたまま、怯えたように、宿が聞く。
鼓の顔に一瞬、不安がよぎったが、大きく息を吸い込むと、静かに頷いた……。
「宿は〈雷〉苦手そう」
渦がからかうように言い、意地悪い笑みをみせる。
「〈雷〉を好きな人って、いないと思うけど」
暗く俯かれた顔にーー紅が向けた非難の視線を、黒髪の少女は、そらさず受け見据えた。そして、黒い瞳を、宙に浮く〈黄色の光の玉〉へ、向けるのだった。
「水晶玉の色と髪を見れば、わかりきったことでしょ」
しかし宿は、ぽかんとしていた。
呆れたように短く息を吐いた、青に代わって、してやったりと、ニヤリとした渦が口を開く。
「ほら、鼓はきれいな巻き毛でしょ。 雷の神様って、くるくるの頭に、太鼓をもってるイメージじゃん」
「鬼の絵、見たことあるでしょ」
青の余計な一言に、今度は紅と渦とが、同時に相手を睨むのだった。
宿が、こくこくと頷く……。
「そっか……私はてっきり、パーマをかけてるんだと、思ってました」
渦がぷっと、吹き出した。
紅は慌てて、口元を手で隠す。青は冷ややかな眼差しで見据え、鼓は俯いていた顔をきょとんと、相手へ向けていた。
「いやいや……やっぱり宿はすごいわ! こりゃ間違いなく大物だ! よし! じゃあ今度はうちの番ね!」
渦は勢いづいたかのように、意気揚々と言うと、微塵の躊躇もなく、みなに両の掌を広げ見せた。
渦の掌にはーー〈見事な旋風の模様〉が、緑色に浮き輝いていた。
「うちは見てわかる通り、〈風〉なんだ! 物心ついたときから、自由に好きに、〈風〉を操れてた! あっ、でも言っとくけど、悪いことに使ってないからね! あの〈嵐〉とも、無関係です!」
ニタリと笑みが浮かび、立てた右手の人差し指を、すっと動かすと、青の長く真っすぐな黒髪が、ふわーっと風に舞い上がった。
「すごい……」
鼓が言葉通りに、目をまんまるに見開く。
「じゃあ、次は青!」
指名された少女は、いたずらをした相手に、冷たい視線を刺すと、長い間の後ーー(紅はてっきり、断るものだと思っていた)ーー意外にもすんなりと、両の掌を見せるのだった。
青の掌にはーー〈繊細に流れ落ちる、しずく模様〉が、青色に浮き輝いていた。
「〈水〉だけど、やらないから」
先を読んだように、青がきっぱりと言い放つ。
鼓は自分が、無意識に噴水のほうを見ているのに気づいて、慌ててぱっと、目をそらすのだった。
「まだ誰も、なにも言ってないけど」
渦が苦笑する。
「まぁいいや。 じゃー次は……宿! でいい?」
小柄な少女が、緊張を映した顔で、こくりと頷いた。
みなのなかで、一番小さな手を、ゆっくりと……開いてみせる。
宿の掌にはーー〈中心にある、ゴツゴツとした石のようなものを囲んで、たくさんの小さな粒たちが、円形に密集した模様〉が、茶色に浮き輝いていた。
「これは……」
紅が眉を寄せて、つぶやく……。
「〈土〉の生成」
青が、静かに放った。
「風化した岩石から、〈土〉はうまれる。 そこに動物の死骸や植物、微生物が混ざって、〈土壌〉になる。 とっくに習ったことだけど」
「さすが青! もうとっくに忘れてたわ! つまり、宿は〈土〉ーー〈土〉に根を張る植物全般ってことだ!」
渦は目を爛々とさせ、相手が最後にチクリと刺した皮肉も、易々と返し、興奮を湛えて言った。
みなに注目されて、恥ずかしそうに顔を赤らめた、クラスメートのすがたを、紅はじっと見つめた……。
肩に、ぽんぽんっと、手があたり、紅はビクっとする。
「大丈夫?」
渦の心配そうな顔が、瞳に映るのだった。
「気分悪い?」
はっと気がつけば、今度はみなが、紅のことを見ていた。
紅は慌てて首を振る。
「……あっ……次は私……」
途端、心臓がドキドキするーー冷たく震えてきた手を、紅は胸の前で、ぎゅっと握り合わせた……。
心を落ち着かせるように、一度目を閉じて……大きく……深呼吸する………
訪れた暗闇にーーそのまま、ゆっくりと呼吸を繰り返しーー内なる自分と向き合うーーー朱色の光華な羽がひとつ、ふわりと舞い現れて、さあっと消えていったーーー乱れた心が、徐々に静まっていくーーそして、目を開けた。
両の掌を、開くのだった………
••••••••••••
海の香りを含んだ、濃密な沈黙が流れる………
「やっぱり……すごいね……」
沈黙を破ったのは、渦だった。
宿と鼓がーー息をのんだまま頷く……。
「人類が、最初に使ったといわれているのが赤色ーー人類は〈火〉と共に、大きな進化をとげたーー」
青の、静かな声が響く。
「それだけ強い存在である分、〈火〉を担う者、掌る者は、力に負けないちからが必要ーー」
冷淡な声にも、表情にも、相変わらず変化はなかったが、黒い瞳はどこまでも真っすぐに、紅を見つめていた。
紅の瞳も、青を見つめる……。
そのときーー桜の樹から近づいてきた足音に、5人の少女たちの顔が、一斉に向けられたーーー
「だれ……」
ぎょっとし、怯えた紅の声に、渦が答える。
「たぶん、〈夢〉で言ってた、〈迎えにきた人〉かな」
渦がさらりと言ったことに、紅は驚くのだった。
たしかにーー三十代とみられる、壮年な男のすがた、その格好は、黒いマントを纏ったすがたといい、まるで昔の外国の映画のなかから飛び出してきたような、明らかに突飛で、風変わりなものだった。
「ハロウィン……みたい……」
紅と同じく、怖々とした様子で、宿がつぶやく。
「いつからここに……」
「うちが一番のりで着いたときには、もう〈双子桜〉のとこにいたんだ。 ってかさ、めっちゃイケメンじゃない! うちのどタイプなんだけど!」
再びさらりと、そして嬉々として放った渦に対し、紅は呆然とした目を、向けるのだった。
「腰に本物の剣があるけど、べつに殺されはしないでしょ」
青がいとも冷静に言う。
「それに、たぶんこの人が、〈光の玉〉を飛ばして、私たちをこの場所へ集めた」
青の言葉にーー紅の目が見開く……。
「それじゃあ……」
「ただ問題はーー」
乾いた紅の声を、青が遮るーー
美しい夜桜を背に、5人の少女たちへ向かい合った、見るからに緊張した様子の男が、意を決した表情に、口を開く………
「えっ……」
紅と宿がーー呆気にとられる……。
「お互いの言葉が、わからないの……」
鼓が不安げに、口にした。
たしかにーー(渦が好きなタイプだということも、頷ける気がする)ーー端麗な顔立ちに、手足が長く、すらりと凛々しい体躯をした男から出た声はーー全員がはじめて聞く、言葉だった。
それはどこの国の言語なのかーー軽やかに流れるような語調をもった、とても不思議な響きをしていた。
そして、男のほうはというと、再度挑戦してみたものの、この万事休すといった状況に、それは見ていた哀れなほど、狼狽えた様子をしていた。
「まぁ、当たり前っちゃ、当たり前のことなのかもだけど……」
渦が腕組みをして、考えるときの癖に、握った拳を顎にぽんぽんとあてながら、つぶやいた。
「ジェスチャーで、伝えてみるとか……」
鼓の勇気を出した提案も、向けられた青の鋭い目に、一瞬にしてしぼんだ。
「いいじゃん!」
「絶対やらない」
「青がやらなくても、うちがやればいい」
「バカ丸出し」
「バカでけっこうーコケコッコーだっ」
渦と青、二人のやりとりをぼんやり耳にーー紅はじっと、宙に浮いた〈光の玉〉を、見つめていた……。
なぜそうしたのかは……自分でも、わからなかった……が……なにか……そこからヒントをもらえるような気がしたのだ……。
(……あっ……)
辛抱強く、見つめた先ーー澄み渡った玉のなかに輝く、あたかも生きているような、赤い光の流れが、わずかに……変化した……ように思えた………
すると、次の瞬間ーー〈5の玉〉が一斉に、それぞれ少女たちの額へ溶け入った!ーーー
ーーーー壮麗な青い湖ーー深緑の立派な山ーー丘の上に建つ、蔦に飾られた白い城ーー若やかな王様ーーうら若いお妃様ーー金の枝角をした大鹿ーー二人の愛らしい王子様ーー白い光ーー黒い影ーー黒と赤の二つの目玉ーーそびえ立つ岩山ーー恐ろしい魔物たちーー七色に煌めく鱗をした大魚ーー眩い純白の玉砂利ーー男の人の叫び声ーー『アトリ……』ーーーー
それは奔流のように、一挙に流れ駆け抜けた、鮮明な光景が消える………
それまで少女たちの掌に浮かび、光り輝いていた〈模様〉も、共に消えるのだった。
5人の少女たちはみな……茫然自失と……息をしていた………
「〈5の玉〉が、消えた……」
深い沈黙を破った声にーー少女たちの顔がはっと向く………
「言葉が……」
紅の掠れた声にーー向かい合った男の顔にも、驚愕の表情が、張りつくのだった。
「〈水晶玉〉が額へ消えて、言葉がわかるようになった……」
青が考えを巡らすように、つぶやいた。
「どっちがどっちの……言葉を……使っているんだろう……」
額をさする、宿の不安げな声に、同じく不安げな顔をした鼓が、首をぶるぶるっと、大きく振った……。
「それよりも、さっき流れた光景……いくつか〈夢〉のなかで、見たことがあった……」
渦の真剣な声に、青が頷くーー
「最後の言葉は、途中でわからなかった」
紅の開かれた瞳がーー改めて、四人の少女たちを見る……。
「やっぱり、全部繋がってたんだ!」
渦の興奮した叫びが、響き渡った!
「私たちの変わった名前も! 誕生日が一日ちがいなのも! 同じ学校で、〈めでたい屋〉に集まったのも! 同じ〈夢〉をずっと見てきて、今日また同じ〈夢〉で、〈光の玉〉に導かれて、真夜中ここへやってきた! なにより全員、他の人には信じ難い、〈特殊な力〉をもってる!」
紅の手がわなわなと震え……強く……拳を握った……。
向かい合う男が、一歩前に、進み出る。
「〈5の守護神さま〉、わたくしは、第四代国王の第二側近を務めます、ラング•サザと、申します。 名乗り遅れましたこと、なにとぞお許しください」
「べつにいいって! だってしょうがないじゃん! 言葉が通じなかったんだから! それよりサザさんに、聞きたいことがあるんだけど!」
「ありがとうございます。 はい、なんなりと、お申しつけください」
「サザさんは、結婚していますか?」
渦の言葉にーー紅、宿、鼓、青の瞳が、信じられぬように、見つめるのだった。
相手も予想外のことだったのだろう、一瞬間、驚き時が止まったような表情が見えたが、またすぐに、もとの引き締めた面に、もどるのだった。
「わたくしごとで、恐縮でございますが、十年ほど前に、結婚を約束した相手を病で亡くしてからは、未だ独り身でございます」
うきうきとしていた渦の顔から、笑みが消えた。
「そっか……辛いこと聞いて、ごめん……」
「とんでもございません! どうか、お気になさらないでください。 わたくしにお答えできることであれば、なんなりと、お申しつけくださいませ」
サザが深く、頭を下げる。
四人の瞳が、金色の髪の少女を見つめるーー青が、口を開こうとしたとき、紅が厳しい眼差しを向け、それを押しとどめた。
男の頭が上がり、改めて、声を継ぐ。
「〈5の守護神さま〉、危機が差し迫り、時間がありません。 ご無礼を承知で、単刀直入に申し上げます。 今すぐに、わたくしと共に、王国へおいでください!」
サザという男は、目の前に立ち並んだ、パジャマ、ジャージすがたにーー自分よりも格段に齢も下に、誰がどう見ても、〈守護神〉と崇めるには、まだ未熟に、いろいろな意味で程遠いであろう、少女たちに対しーーその心からの敬いを隠すことなく、それどころか、そのきりりと引き締まった態度、緊張の滲む、慇懃な口調にと、どこまでも礼を尽くして、ふるまうのだった。
「ちょ……ちょっと待って……さっきから……王様……王国って……本当にそんなところ……」
青ざめ、掠れた声に、紅が言う……。
「〈神恵ノ国〉でございます。ーー神の恵みと、表します。 わたくしは王命を受け、みなさまがたをお迎えに参りました」
王の第二側近が、落ち着いたなかにも、よく通る声音で言い放つ。
「〈しんけいのくに〉……」
鼓と宿が、繰り返した……。
「……でも……じゃあ……どうやって、その王国から、ここまでやってきたんですか……」
半ば挑むような口調に、そして、祈るような目に、紅が男を見据える。
「海から参りました。 詳しくは、わたくしにも、ご説明することが難しいのですが……ある〈種〉をのみまして、〈透青湖〉という湖から、こちらの海へ、やってまいりました」
「すごっ! じゃあ、あの大きな湖が、〈とうせいこ〉ってことか! こっちの〈ラシラシ海〉と向こうの湖が繋がってたなんて!」
気持ちの切り替えが早いのか、またいつもの調子にもどった渦が、目を輝かせて言った!
そんな渦とは対照的に、紅はいまだ拭えぬ不信感に、湧き上がる焦りを滲ませて言う。
「〈種〉……?……もし、かりにそうだとしても……まったく水に濡れていないのは、変じゃないですか……」
「こちらも、ご説明することが難しいのですが……その〈種〉をのみ込みましたら、全身を覆い包む、不思議な〈膜〉が、できたのです」
「〈水膜〉か……」
青がつぶやき、瞬間、紅の驚いた目が向けられる。
「今の話、信じるの……?」
「汽水湖だって現にあるし、それなら辻褄が合う。 それにここまできたら、もうなんだって信じられるでしょ。 誰かさんみたいに、いちいち無駄にじたばたするのって、見苦しいから」
「そんな投げやりな……」
睨み合う二人に漂った、不穏な空気にーー渦の明るい声が割って通る。
「紅だって見たじゃん!」
「……でも……でも……もし本当に……そんな王国が、どこかにあっとして……私たちが行ったところで、なにをするっていうの……」
「戦いに決まってるでしょ。 人々の平和を脅かす、悪との戦い」
青がいたって冷静に、答えるのだった。
「無理です!……そんなの……私……絶対にできません……」
宿が寒さに震えた身体を、その音が聞こえてきそうなほどに、ガタガタと震わせた。
「そんなことないよ! だって私たちには、それぞれ武器となる力があるじゃん!」
渦の放った言葉にーー紅の握られていた拳に、深く爪がくい込む………
「……力って、簡単に言わないでよっ!」
紅の叫び声が、満開の夜桜を揺らし、響き渡った……
「あなたが得意な騎馬戦とは、わけがちがうの! 戦ったことなんてないし!……戦いたくもない!……もし失敗したら……」
「死ぬだろうね」
青がーーあっさりと言う。
しーん……と、冷たいしじまが、訪れるのだった………
崖にあたり砕ける、波の音が、遠くこだますように、夜気に聞こえる………
「遊び感覚で、言ってるんじゃない」
渦の声が、響いたーーー
「ずっと不思議だった……自分にしかない、この力が……。 自由に風を操れることは、なんだか自分が特別な存在になったように思えて、正直、嬉しかった。 でも、その代わりに、いつも孤独だった……。 それは、ただの孤独なんかじゃない……常に気を張っていないと、のみ込まれてしまいそうな、ぞっとする、恐ろしい孤独……。 どうやっても、どれだけたくさんの人と一緒にいても、他の人たちには分からない、自分だけの感覚……。 それでも、やっぱり、今まで生きてきたなかで、どん底に落とされたときも……辛くて……苦しくて……どうしようもなくなったときも……いつも一番そばにあって、支えてくれた。 子供心に、力のことは、親にも兄弟にも、誰にも言わないほうがいいって、自分だけの秘密にするべきなんだって、絶対にひけらかしてはいけないって、そう理解していたから、今日まで力のことは、誰にも話したことはない。 だからね、みんなにも不思議な力があるって知ったときは、なんだか本当に、嬉しかった……。 言葉にできないくらいーーあの孤独から、やっと解放された気がした……。 変な言い方だけど、胸が躍った……っていうか……うちだけじゃなかったんだって……もうひとりぼっちじゃないって……安心したのかもしれない……。 それと同時にーー確信もした。 やっぱり、すべてのことに意味があった。 自分がもつこの力は、ずっと見続けてきたあの〈夢〉と繋がって、今このときのために、あったんだって」
••••••••••••
「〈5の守護神さま〉ーーどうか、〈神恵ノ国〉をお救いください!」
サザが深々と、頭を下げた。
ぎゅっと拳を握った紅の身体が、背を向けるーー一歩足が出たところで、声がしたーー
「逃げるの」
紅がぱっと振り返ると、青の瞳が、射貫くのだった。
「ずっと逃げ続けて、これからもずっと、不幸を纏って生きていくの。 力を恨んでるなら、行って終わらせればいい。 ここにいる誰よりも、怒りを振るいたいのはあなたでしょ。 それとも一生、ただただ呪い続けるつもり」
青が冷ややかに言い、突き刺していた視線を抜く。
真夜中の静寂にーー宿のくしゃみが響いた。
「……踏み出さないと……なにも変わらない……」
宿が、自分に言い聞かせるようにつぶやき……鼻をすする。
「明日の……じゃなくて……今日の学校は……」
鼓が、おずおずと言う……。
「〈守護神〉として王国へ行くので、休みますって、連絡すれば」
渦の瞳がーー青を見る。
「なに」
「いや……意外だなって。 学校休むこと」
青はなにも言わず、顔を前へ向けるのだった。
「あっ、じゃあバイトも休まなくちゃ。 げげげーだけど、仕方ないね。 うち週七で、ガソリンスタンドと居酒屋のバイト、かけもちしてるんだ!」
渦の言葉に、紅と宿の瞳がはっとする。
「喫茶店……」
紅がつぶやき……
「図書館……」
宿がつぶやく……
「この際、迷惑承知、バイトのことはすっぱりあきらめよう!」
渦が明るく言い、紅と宿は、暗くため息をつくのだった。
「……こういうのは……どうかな……」
鼓が、覚悟を決めたように、口を開く。
「もしこのまま……誰にも会わなかったら……やっぱりこれは、〈運命〉だったんだって、信じてみる……」
「なるほどね」
渦の顔に、ニヤリと笑みが浮かぶ。
「ここへ来るときも、サザを含め、全員が誰にも会わなかったから、無事集まることができた。 こんな真夜中に、こんな格好で、女学生と男が街を歩いてたら、誰が一人でも出くわせば、すぐに家に帰らされて、親にも知らされて、王国へ行く道はなくなる」
そんな……という蒼ざめた言葉を、しかし王の第二側近は、ぐっと飲み下した。
「……承知しました」
渦、宿、鼓、青ーーサザの瞳がーーベリーショートすがたの少女を、見つめた………




