第5章•《ザロンゴル》の哄笑
漂う空気は、鼻腔が疼く毒気とーー不穏な生臭さを孕んでいる。
黒煙を、そのまま薄めたような霧が、息苦しく立ち込めていた。
緑の欠片ーー精気、生命の片鱗すら見当たらず、あるものといえば、どこもギザギザと鋭い歯を剥き出した、黒々とした岩たちだけーー。
光の閉ざされたこの地で、否応なしに捕らえられるのは、圧倒的な剣幕を放ち突出した、巨大な黒い塊だった。
もはや刺し貫くように、鋭利に尖った岩肌が、上へ上へとーーそれはおぞましいすがたに、天を覆う分厚い暗雲へ、伸び突き刺しているーー
この巨大な岩山ーー〈黒山〉に、〈バーズ城〉は聳えていた。
なまあたたかく、臭気を孕んだむっとする風に、〈城〉の高きに刺さる、〈けばけばしい紫の大きな旗〉が、不気味になびいている………
中央にある、忌まわしい〈一つの目〉ーー〈赤〉と〈黒〉ーー〈二つの目玉〉が、ぎょろりと睨み据えるーー
睥睨する二色の眼の周りには、〈亡霊のような黒い手〉が、円を描くように、気味悪く包んでいたーー
〈黒山〉と、一体化したかたちにーー〈城〉の内部は、外からの見た目以上に、下へ深くーー奥に広いのであった。
迷路のように入り組んだ、その複雑さは、一度でもここへ捕らえられたのなら、二度と光のもとへ帰ることは叶わないーー深淵の絶望を意味し、待っているものといえば、単純な死よりもはるかに残酷な、ぞっとする〈魔物たち〉の歓迎であった。
今ーー〈城〉の高い露台に、〈主〉のすがたはあった。
骨と皮ーーまるでこの二つしか存在せぬような、恐ろしいまでに、痩せこけたすがたーー
幽鬼のように青白い体を、纏う闇より黒い長衣が、いっそう不気味に、際立たせていた。
常に大きな頭巾に覆われ、守られた、剥き出しになった男の頭には、〈真っ赤な毛髪〉がーーではなく、〈真っ赤な文字〉が、刻まれているのだったーーー
我ーー闇を統べる者
我ーー恐怖を支配する者
我ーー影の地、ザロンゴルの王なり
見るからにおぞましく……心の内にも唱えれば、そのまま〈死〉を意味する……〈闇の文字〉ーー〈ギューイ〉ーー
〈人〉ーー〈魔物〉ーーそのちょうど間に存在するような男が、満足げに、声をもらすのだった。
「まこと、よい眺めだ……」
残忍な、薄い唇にーーにんまりと笑みを浮かべる。
男の笑うすがたは、骨の髄まで粟立つさまに、限りなく、〈悪魔〉に近かった……。
〈赤〉と〈黒〉ーー左右で異なる二色の眼を、遠く、眼下に見える、〈岩場にぱっくりと開いた、巨大な裂け目〉へ、向けていた。
そこにはーー戦慄の走る光景が、広がっているのだった………
〈冷ノ谷〉の、恐ろしく深い闇底から、さながら蛆虫がわきだす如くーー千万無量の〈魔物たち〉が、次々にうまれ、這い出してきていた……。
毒々しい紫の長い髪ーーギラギラ光る真っ赤な目ーーねばねばした涎を垂らし、信じられぬほど大きな口には、鋭い二本の牙と、二股に分かれた青い舌が、チロチロと動いている……。
みな同じ、ぞっとする醜悪なすがたにーー冥冥たる闇黒からうまれ出た〈冷邪〉たちは、〈主〉のいる〈城〉を目指して、ぞろぞろと向かい、進んでいたーー
ガラガラガラ………と、〈冷邪〉たちが喉を鳴らす、耳を塞ぎたくなる大音声が、あらゆるものを震わせて……重く息苦しい空気に、響き渡っていた……。
《順調だな……》
《声》がしたーーー
おどろおどろしい……〈邪悪〉という言葉を、そのまま音にしたような……血の凍る《声》………
「はい、じきにすべてが整います」
〈大冷〉は、他にすがたのないなかーーまるで見えぬ相手に、言うように、その冷酷無情な声を放った。
《さすがは、ワタシの見込んだ男だ……》
身の毛のよだつ《声》がするたび、〈大冷〉の頭部に刻まれた〈ギューイ〉が、脈打つように……赤々と燃え光る………
「マグーン様の、お力添えあってこそです」
畏怖の念を滲ませ、〈大冷〉が言う。
〈ギューイ〉が一際赤く燃え立ち、《哄笑》が轟く………
《愉快……愉快じゃ……! 我らが〈岸〉を打ち破った暁には、おまえは〈兄〉を……ワタシはあの怨めしい〈獣〉と〈魚〉の首を、存分に刎ねてやろうぞっ……!》




