第十章•王と守護神㊁
馬車が、ゆっくりと止まるーー。
外から、なにか声が聞こえてくると、まもなく、大きな扉が開かれる、重低音が響き渡ったーーー
「……格納庫へ、入ります……」
ぴったりとカーテンが閉じられ、息を潜めた車内に、サザが囁く。
紅のごくりと唾をのみ込む音が、くっきりと響いた……。
馬車が再び動き出しーー天窓から光が消える。薄暗くなった車内と共に、まわりを包んでいたあらゆる音が消え去りーーすっと、温度が下がる。
後方で、扉の閉められる反響に、そこはかなり広い空間であることがわかった。ーー現に、陽光が失われた天窓を見上げれば、高い天井が映るのだった。
「これも計画通りで」
青が静かに、口を開く。
「はい。 修理の必要になった馬車を、街外れの整備場へだし、受け取りもどってきたーーという筋書きです」
表情を引き締め、まるで気配に神経をそばだてるようにしたサザが、潜めた声に、答えるのだった。
「そこの人にも、協力を……?」
緊張に手足が冷たくしびれ、心臓のたてるせわしさを紛らわすように、紅が掠れた声に聞く……。
視線の先に映る、王の第二側近は、すぐには答えず、気を張り詰めた身に、御者のセンセとユーツが、『問題なしに!』ーーと、それぞれ勇ましく声を放ち、大空間に響き渡るのを確認したのち、ふっと肩の位置が下がり、固く結ばれていた口を解くのだった。
「失礼をいたしました。 先ほどのご質問ですが、オッロ•ユカルは、この計画に関わってはおりません。 彼は腕も確かに、人のよい職人です。 オッロ家は代々、〈城〉の馬車を修理し、整備してきた家系であり、王家との付き合いは古く、初代王のヨーラ花さまが、新天地を求める旅に、優れた技術をもつオッロ家を随伴させ、彼らもこの地へやってきました。 真っすぐな高志を継承してきた彼らを、決して巻き込んではならないと、ナリ花王のお強い思いでございました。 今の代を担うユカルとその息子たちはなにも知らず、彼らは通常通りに、破損箇所の修理をし、納めたまでです」
蹄の音が途絶えーー馬車が止まる。御者が降りる振動が伝わり、まもなく、扉が開かれた。
「ユーツ、ご苦労だった」
収納式の階段を引き出し用意した若者に、王の第二側近が、労いの言葉をかける。
黒灰色の髪ーー小柄だが鍛え抜かれた体躯に、凛然とした若者は、纏う深緑色の兵衣の左胸に輝く、〈白の剣の記章〉へ右手をあてーー額ーー〈記章〉へとーー〈スーザラン〉の敬礼をみせた。
紅たちが馬車を降りるとき、前に止まったもう一台の馬車からも、渦、鼓、宿たちが、丈高いセンセの手をかりて、降りてくるのだった。
「おぉぉ……」
渦の声に、みなも振り返るーーー
「すごい……」
宿が感動の声を、もらすのだった。
広々とした格納庫には、同じ深緑色の馬車が三台ずつーー(よく見れば、みな色と〈紋章〉のすがたは同じに、その列ごとに、窓の形や装飾が、絶妙にちがっているのだった)ーー縦横共に、十分にゆとりをもって、それらは見事に同じ間隔に止められ、さながら展覧会のごとく、壮観なさまに列を組み、合計四列あるうちの四列目に、馬たちの繋がれた二台の馬車は到着した。
列に加わり並んだ馬車の横には、上へと伸びた、大きすぎずも、華麗に白い大理石の階段があった。階段には、まるで芸術作品のような、目を惹きつけられる、美しい欄干がつけられーー青緑色の蔦に、軽やかに飛び交う、黄色のハチドリたちのすがたが、いとも巧緻な彫り細工に、ほどこされていた。
その階段の先にある扉が、ゆっくりと開かれたーーー
一瞬の緊張が走った……みなの見上げる先ーー灰緑色の衣を纏いーー(サザと色味の違う身なりである)ーー銀髪に、いかにも老練な風貌の男が、現れるのだった。
老齢な男は、〈5の守護神〉のすがたに、それは長年に培われた習慣に、よほどのことがない限り、変化をみせることのない厳しい面を、一瞬間目に見えて、はっと崩した。
男の第一印象ともいえる、眼光ある一対の目に、光るものが映る。
深長な間が、流れるのだった……。
「ハスギ師……ラング•サザ、ただいまもどりました」
込み上げる思いーー微かに震えた弟子の声に、師の顔が、さっともとへ引き締まる。
ハスギはサザを見据えーー大きく頷いた。
そして、王の第一側近は、〈5の守護神〉へ、深くその身を下げるのだった。
「高いところから、ご無礼をなにとぞお許しください。 第一側近を務めます、ニドーレ•ハスギでございます。 もう間もなく、馬の世話係がこちらへ参ります。 ご案内いたします。 どうぞこちらへーー」
ハスギの先導に、いよいよ〈城〉のなかへ足を踏み入れた紅たちは、大きな窓に明るい陽が差し込む、広くのびた表の廊下を進むことなく、それは驚くべき隠し扉からーー(渦は大興奮に、声をあげるたび、防音だと聞いてはいても、紅はしっー!と立てた指を口に、ハラハラするのだった)ーーさながら迷路のように思われる、裏に張り巡らされた通路を、進んでいくのだった。
そこは裏という言葉にふさわしく、扉の近くには、まだ壁に明かりの存在があったが、あとはまったくの暗がりに、壁のくぼみに用意された、丸形の手提げランプのわずかな灯りだけを頼りに、歩みを進めていくのだった。 途中、いくつもある扉ーー階段を上っては、また下りるというようなことを繰り返してーーそのあまりの複雑さに、万が一にもはぐれてしまったら最後と、宿などは怯え、こちらもびくびくとした鼓の腕を片時も離さずに、二人はぴったりとくっついていた。
高貴な紫の絨毯の上を、一人の例外をのぞいて、みな黙々と足を進めーーやがて、真っすぐにのびた通路の先に、壁の明かりに照らされた、〈紋章〉の光り輝く扉が現れた。
両開きの煌びやかな扉の少し手前で、ハスギが足を止める。 しんがりを務めていたサザが、「失礼いたします」とーーすっと前へ出てきた。
「こちらで今しばらく、お待ちください」
王の第一側近が、太く芯のある低い声を放ち、〈5の守護神〉へ一礼する。 そして、一人扉のもとへ向かいーーしばしの時、背を向けなにかを確認するように、動きを止めていたが、やがて、施錠が解かれる小さな金属音が響くとーー小さく片側の扉を開けて、するりと外へ出ていった。
「覗き穴も鍵も、どっかに隠されてるんだろうね」
渦が興奮湛えた目に、ニヤリとしてつぶやく。
紅は疲れたため息を、つくのだった。
少女の盛り上がりとは裏腹に、押し包む緊張の空気のなかーーさほど待つことなく、再び扉が小さく開かれた。
もどってきたハスギが、待機していたサザへ頷くーー。
第二側近は、反対側の扉のもとへ進み、やはりこちらに背を向けたかと思うと、先ほどと同じ、施錠の解かれる、小さな金属音が響いた。
二人の側近は、左右にわかれーーそれぞれ扉の横へ、つくのだった。
「お待たせいたしました」
第一側近の深い声が響き、〈紋章〉の輝く豪華な扉が、開け放たれたーーー
「眩しいっ……」
思わず目を閉じもらした渦の声に、紅や宿、鼓にさすがの青も、それぞれの方法に、目を守るのだった。
側近の二人は、そこにいたっても、日々修練を積んでいるのか、はたまたなにかコツがあるのか、眩しさに目を細めることもなく、その引き締められた面に変化はなかった。
そうして、5人の少女たちはゆっくりと、徐々に目を慣らしていった………
「すてき……」
鼓の息をのむ声が、もれるのだった……。
そこは、見上げる高いガラス屋根の、燦々と陽の降りそそぐ、明るく広々としたホールだった。
「美術館……みたい……」
まるい目を見開き、口を半開きに、宿がつぶやく……。
「美術館っていうか、やっぱお城だよね」
目を爛々とさせた渦が、しみじみと言う。
仰ぎ見る紅は、声が出ない代わり、何度も頷くのだった……。
青は黙したまま、あたりを静かに観察していた。
〈5の守護神〉はハスギのあとに続いて、広いホールを進み、反対側にそびえた、一際大きく絢爛な扉の前へくる。
もはや説明がなくとも、例の高貴な紫に、眩い金を高尚に飾った大扉が、〈城の主の部屋〉であることは、誰の目にも明らかだった。
「サザ、取り次ぎを」
ハスギの低い声に、みなの後ろにいた第二側近の黒い目が、大きく見開かれる。
「ですが……」
第一側近は目顔に頷くと、わきへ退くのだった。
深重な沈黙が流れーーサザが緊張した歩みに、大扉の前へやってくる。
己の心を落ち着けるよう、一つ深く息を吸い……ゆっくりと、まるい飾り枠のなかへ、手を伸ばすのだった。
コンっ、コンっ、コンっーーー
広いホールへ、扉をたたく心地よい音が、響き渡る………
長いようでーー短いようなーー不思議な時が、流れるのだった………
そして、ついに、大扉が開かれるーー固唾をのんだ視線の先ーーナリ花王のすがたが、現れたーーー
美しく鮮やかな紫の衣ーー明るい栗色の髪と髭ーー端整な顔立ちに、澄んだ琥珀色の瞳がーー第二側近を捉える。
「ラング•サザ、ただいまもどりました」
深く身を下げた第二側近の肩に、王の震えた手が置かれる。
「サザ、ご苦労だった……本当に……よくぞ帰った……」
湧き上がる感情に、王の声は掠れ震えていた。
琥珀色の瞳がーー〈5の守護神〉へ向くーーー
その瞬間の、王の表情は、まさに、ハスギのときと同じであった。
固く引き締められた面が、はっと崩れる……。
吸い込まれるような瞳から、光るものが、伝い落ちた……。
長い時ーーそれは言葉に尽くせぬ思いの時がーー両者を包み、流れるのだった………
「……ナリ花さま」
ハスギの静かな声に、王ははっと我にかえる。長い指ですばやく頬を拭い、再び面を引き締めた。
深くーー呼吸をする……。
「遠くはるばる、ご来臨賜り、至極恐縮の思いーーまことにありがたき幸せにございます。 今亡きホールキン•マル花にかわり、息子のホールキン•ナリ花が、みなさまをお迎えさせていただきます。 〈5の守護神さま〉、どうぞなかのほうへ、お入りください」




