第九章•凛緑山(りんりょくざん)㊁
………っつ!………
鬱蒼とした緑を抜けて、突然開けた景色に、5人の少女たちは息をのむ。
眩しく、あたたかな陽光が、満ち満ちた視界にーー心奪われる、〈集落〉のすがたが、広がっていた。
それはいつか本のなかに見た、昔のどこかの国にある、昔の人々の郷里のすがたーーー
なつかしい……という、心震えるような思いが、不思議に、湧き上がるのだった……。
みな同じ茅葺き屋根の、大きな合掌造りの木造家屋が、これまた同じ方角を向いて、あちらこちらに建っていた。
崇高な伝統美を感じさせる、立派な家々の周りには、清らかな小川が縫うように流れ、みずみずしいたくさんの葉を伸ばした、畑のすがたが見えた。
見渡す遠くには、山の濃緑の斜面に沿って、石垣の組まれた、見事な棚田のすがたも広がっていた。
そしてーーこの壮観な〈集落〉のなかで、一番大きな建物が、その前に設けられた広場と共にーーおそらく、ここで暮らす〈スーレン族〉の総勢ーーみな、ワコクたちと同じ、美しい秘色の民族衣装に身を包み、亜麻色の髪を、女は三つ編みに後ろの低い位置でまとめ、男たちは頭のてっぺんに、団子でまとめているーーが集まり、それは圧巻なさまに、迎えるのだった。
束の間止まっていた時は、大気と〈山〉に震えこだました音で、再び動き出すーーー
「太鼓だ!」
鼓が嬉しそうに叫ぶ!
一行が木立からすがたを現すと、そのときをじっと待ち構えていたように、力強い太鼓の音が、轟き渡るのだった。
ドンっドンっドンっドンっドンっドンっドンっドンっーーー
タッタッタッタッタッタッタッタッーーー
ドンっドンっドンっドンっドンっドンっドンっドンっーーー
タッタッタッタッタッタッタッタッーーー
ドンっドンっドンっーーー
タッタッタッーーー
ドンっドンっドンっーーー
タッタッタッーーー
ドンっドンっドンっドンっドンっーーー
タッタッタッタッタッーーー
ドンっタッ!ーーー………
「これって……」
身体中に打ち響いた、太鼓の音の余韻が尾を引くなかーー紅がつぶやく……。
「〈835(はっさご)〉……」
鼓が、信じられないというように、目を見開き、戦慄く声に言う……。
「夏祭りの最初に、鼓ちゃんたちが、披露していたやつだよね……?」
宿がビクビクと、まるで怪奇現象を目の当たりにしたように囁く……。
鼓は乾いた喉を飲み下し、頷いた……。
「〈835(はっさご)〉は、昔から〈マーチェの街〉に伝わる、伝統的な祝いの音……」
興奮と恐ろしさとが、入り交じるような面持ちに、鼓は大きく開いた目に、瞬きを繰り返す。
「ここまできたら、決まりだね」
大勢の〈スーレン族〉が迎え待つ、〈集落〉の入口ーーさながら門のようにそびえ立つ、片方には大太鼓ーーもう片方には小太鼓をそなえた、一対の櫓を交互に見上げて、渦が静かな声を放つ。
「決まりって……」
今や一種の恐怖が伝播したように、怖々と……紅がもらす……。
「根玄櫂はこの世界へきて、〈スーレン族〉と出会ったーー」
常は抑揚の欠いた青の声が、わずかに、興味の色を帯びて響くのだった。
「まさかそれって……行方不明になったとき……」
強張る紅の声にーー長く真っすぐな黒い髪が揺れ、細い目が見据える。
「今、ねげんかいと、おっしゃられましたでしょうか……」
聞こえた声にーー少女たちの目が向くーーー
驚きの表情をした、ワコクのすがたが、映るのだった。
「〈ウーリコシャーラン•カイの唄〉……」
はじめて、ワコクの娘が、口を開いた。
やはりその声も、母親の血を継いで、繊細でありながら、どこまでも奥深い響きがあるのだった。
「キリン!」
母であり、そして長である、ワコクの鋭く咎める声に、娘ははっと我に返り、頭を下げ謝辞を述べた。
「教えてください!……」
大きな声に、自分でも驚きながらも、紅は真っすぐに、ワコクを見つめる。
そのアーモンドを思わせる、惹きつけられる目に、強い光を孕んだ黒い瞳が、〈火の守護神〉を見つめ返すーーー
「〈儀式〉がとどこおりなく終わりましたのち、必ず、お話しいたします。 みなが長い年月、このときーーこの瞬間を、待ちわびておりました。 〈5の守護神さま〉を、我ら〈スーレン族〉の〈オッカ•ハーヤ〉へ、心より、お迎えさせていただきます」
〈オッカ•ハーヤ〉ーーその意味は、〈オッカ〉ーー(心、魂)ーー。〈ハーヤ〉ーー(ふるさと、かえる場所)ーー。なのだと、ワコクが教えてくれた。
大勢の人々に迎えられ、〈スーレン族〉の〈郷〉へ足を踏み入れた紅たちは、まず、二番目に大きな合掌造りの建物へ、案内されるのだった。
これまた立派な建物は、広場につながる一番大きな建物ーー〈集会場〉の近くにあり、女族長ワコクと、夫のトータナ、一人娘であり、次の族長となるキリン、その婿のミューノと、幼い三人の子どもたちーー長女のネネエ、二女のアヤン、長男のサーンーーとで、一つ屋根の下、住み暮らしていた。
ワコクとトータナのあいだには、キリンのほかに、四人の息子たちがいた。
長男のヤーコン、二男のカーヌ、三男のメーロア、四男のヒーエが、紹介された。
〈スーレン族〉では代々、女が族長を務めるという決まりがあった。そのため、男兄弟たちは、姉か妹である長をーー婿を迎えたならば、夫となった男と共に、重役を担う長をそばに支える役目に、つくのだという。
実際に、ワコクとキリンと共に、〈湖〉まで迎えにきた5人のうちには、ワコクの夫であるトータナと、ワコクの兄のケセーレ、弟のリトームとがいた。
また、キリンの娘たちのように、姉妹の場合には、死去することがないかぎり、先に生まれた姉のほうが族長につき、妹は長に続いて二番目に高い位に、その片腕として、ニノ長になるのだそう。
そのほかにも、〈スーレン族〉には、なんとも興味深い決まりごとがあるのだった。
着いて早々、次々に紹介された人物たちを通して、その名にある共通点があることがわかった。
それをワコクに聞いてみればーー(こういう類いが得意に、いち早く気づいた渦が、すかさず聞くのだった)ーーやはり、男たちの名には必ず〈ー のばし〉が入り、女たちの名は三音であること。そして男女ともに、濁点は禁物だという、決まりごとであった。
女族長の家で、一通りの流れが終わるや、これまで行動を共にしてきたサザを含め、男たちは全員、建物の外へ出るよう、ワコクに言われるのだった。
男たちが退室したのち、5人の少女たちは、かなりの広さがある、建物の奥の部屋へと導かれ、季節の草花が風雅に描かれた、年代物の襖が左右へ開かれるとーーなんとそこには、大勢の女性たちが、待機していた。
5人の少女たちは、おのおのの性分にそって驚き、それぞれの程度で戸惑いながらも、ワコクに言われた通りに、そこに用意されていた、美しい〈衣装〉を、着付けてもらうのだった。
広々とした部屋に気配を消していた、〈スーレン族〉の女性たちは、一人ひとり異なる体形に合わせ、それはまこと手際よく、熟練の手さばきに、〈衣装〉を縫い仕上げていった。
そしてーー完成したすがたに、鏡を見ればーー5人の少女たちはみな、しばしの時……言葉を失った……。
鏡に映るすがたがーー自分であるとは……にわかに信じられなかった………
純白の、艶やかな絹のドレスーーいとも軽やかな、三枚の羽が合わさったような長い袖が、高雅に飾っているーーー
上品に広がる、足首まであるスカートのなかには、これまた絹でできた、至妙に美しく透き通るようなズボンをはきーー(学舎の制服の、キュロットスカートも、その丈こそ違えど、やはり同じスタイルであった)ーー足下には薄く丁寧になめされた、繊細な革の靴をはく。
めいめい華やかに整えられた髪ーー(赤毛の髪を下ろしていた宿は、再び三つ編みに、いつものおさげすがたではなく、小さな頭をぐるりと巻くような形に)ーーその頭には、先がクルンっとカールした、見覚えのある細い葉に、小さな釣鐘形の白い花をたくさんにつけた、神聖な冠が、のっていたーーー
『この日のために、一同心を込めて、お作りさせていただきました』ーーー
身を打つ強い感銘に、微かに震えたワコクの声が、響き渡る。
今や、パジャマ、ジャージすがたから、あたかも壮麗な神殿に降り立つ、〈女神〉そのもののすがたとなった、〈5の守護神〉の心に、それは深々と……こだますのだった……。
捧げられた、〈特別な衣装〉を身に纏い、建物を出ると、澄明な大気ーー蒼天に降り注ぐ陽光が、まるで祝福するように、一際眩しく輝き渡るーーー
外に待っていたサザたちが、言葉通り息をのみ、畏怖の念に、深く身を下げた。
「どう、似合ってる?」
渦が少し照れながら言い、王の側近の前に、くるりとまわってみせる。
「大変に、お美しいおすがたでございます」
サザが、厳かな声に答える。
その嬉しそうな、いかにも乙女のようなすがたを見て、どこか心悲しく緩んだ紅の目が横を見れば、見違えるようなすがたとなった鼓は、きょろきょろと、誰かを探していた。
ほどなく、ワコクを先頭に、キリン、〈5の守護神〉は、人々の待つ〈集会場〉へーー荘厳に、歩みを進めていった。




