日記のようなもの
昔は自分文才あったんだな…
そう気づいたのは深夜、時計の針は下と上を指していた。
眠れなくてふと、
『自分は昔は卒業文集で何を書いたのだろう?
書くとき恥ずかしかったのと将来の夢について書いたのは覚えているがそれ以外は全く覚えていないな。』
と思ったのだ。
幸い卒アルはすぐそばの棚にあったのですぐに起き上がり、アルバムをめくり始めた。
友達の作文を読みながらページをめくる。
『へぇ〜〇〇こんなん書いてたんだ〜
あいつ字普段汚いのにきれいだな…頑張ったんだな
やっぱ〇〇は字きれいやなぁ
てかみんな思い出について語ってんな
なんか自分夢について語ってるの恥ずくなってきたわ…』
そうこう思いながら自分の作文を見つけた。
輝いてた。
誰よりも文章が輝いてた。
まるで文字が水滴のように跳ねる、だが光線のように一直線に
『叶えたい!なりたい!頑張らなくちゃ!あの人達に手が届くように!もっと、もーっと!頑張らなくちゃ!』
思いが伝わる、
誰よりも眩しい文章がそこにはあった。
自分の文章だからそう思うのかもしれない。
だけど確かに僕は思った
昔は自分文才あったんだな…
って。
あとがき(普段は書かない(どうした自分))
今この文を読んでいる人はこう思うだろう。
なんか、この文(作者)イキってね?と、
そうなんせこの文は深夜の1時半に書かれているのだからな!
深夜の1時でイキらない文章を書くほうが難しいというものだ。
それにしてもイキっているとは作者も思ってはいる。
何故なんだろか。