1-1 初陣
眠らない街と言われていても、中心から外れてしまえば夜の暗がりが訪れる。そんな場所では世間の目を向けられない事が起こることは、由々しきながら有り得ること。
「……やめ…て…」
悲痛で消えそうな声で抵抗するか細い女性の声。感情取り巻く東京の歓楽街にて、事件が起きたのだった。
働き詰めのサラリーマンが横行する昼の東京。見渡せば木々が生い茂るが如くビルが立ち並び、燦々と照る太陽を反射させながら、昼休憩の飯処を探し彷徨う戦士たちを見守っている。
どんな都会でも、人の密度が高い場所でも、クーラーの効かない窓も曇り放題の薄汚いラーメン屋が人のオアシスになるのだ。
店内もあちらこちらに注文や配膳で大忙し。客もラーメンをすすりながら新聞を読んだりスマホを覗いたり次の取引先への書類を確認したり、サラリーマン達は忙しなく昼休憩を過ごしていた。
『お昼のニュースです。昨日未明、○○町で女性の遺体が発見されました。被害者の身元は現在調査中との事です。犯人は未だ見つかっておらず』
台上のテレビでは近くで殺人事件があったと報じている。そのニュースを片耳に、日本刀を背中に携えてラーメンをすすっている若い男と、猫舌なのか10回くらいふーふーして至極ゆっくり食べているサングラスをかけた若い男の2人。
「殺人だってぇ…怖いねぇ」
「何を呑気にそんな事……早く食べて下さいよ」
急かされても尚マイペースにゆっくりと食べ続けて、チャーシューを頬張り熱さで重大なダメージを受けている男、名を遠野聖という。そして、それを呆れてもう注意すまいと自分の麺が伸びる前に食べてしまおうとノーダメージですすっているのが因幡ハクトだ。
2人は東京警視庁管轄の人間で、バディを組んだコンビなのだ。
これからテレビでもあった捜査に出向く予定なのだが、因幡が食べ終わってからいつまで経っても遠野が完食しない。ましてや……。
「大将!チャーハン追加ぁ!」「あいよぉ!」
「遠野さん!!」
この始末である。どこまで行ってもマイペースで自分の時間を邪魔されたくないのも分かるが、分別のある大人になって欲しいものだ。これでも公務員だし。
追加があって40分。ようやく完食して店を後にすることが出来た。本来はこの1時間前に出れたはずだったが、因幡は遠野の機嫌を損ねたくないので言わないことを選択。
途中でクレープ屋台を見つけ寄り道しようとする遠野を引き摺りながらも、目的である捜査現場までやってきた。
昼過ぎの今では人もポツポツ歩いている場所に遺体があったなんてにわかには信じ難い所だったが、ブルーシートを外界からの視線を遮るカーテンとして、結界を張るが如く黄色と黒の立入禁止帯が敷かれているのを見ると頷かざるを得ない。
帯の前に警察官が2名見張りをしていたが、そんな事お構い無しに突っ切ろうとするマイペースバカ(遠野)を止めにかかって来た。当たり前が過ぎる。
しかし自分のペースを邪魔されるのが嫌いな遠野も黙ってるわけがなく、鬼の形相で睨み返していた。
「あー!すみません!私たちこういうものなんです!」
因幡が危険を察知し、急いで中に割入って身分を証明する手帳を見せた。
手帳には警視庁妖人対策課D級捜査官とあった。
妖人対策課とは、言葉の通り妖人による事件を扱う国から認められた機関。
この世には、出処不明、出年不明、詳細もさほど改名されていない異形な存在、妖人が存在する。
平たく言ってしまえば、妖人はほぼ妖怪。昼には活動せず、日の差さない夜にのみ確認できる怪異のようなもの。
元はごく普通の人間なのだが、夜になり眠りにふけると、その人間の身体に何かが入り込み、妖人と化する。
して、厄介な点としては朝になり日が差すと、ひとたび姿を消し、人間の姿へと戻ってしまう。
異形な存在となり、闇夜を彷徨う最中の記憶は人間に戻った瞬間消えてしまうため、誰がどうなったかを特定することは不可能。ただ人を殺し、世に憎まれる存在になったと言う事実だけが残るのだ。
そんな妖人に対して駆逐を行うのが妖人対策課の人間。
駆逐と言うには言葉が悪いかも知れないが、妖人に対する対策はただ1つ、中の人間ごと殺すしか無いのだ。
放れば夜に幾数人の死人が出るし、対策を行えば最低でも1人の死人で終わる。鬼のような命の天秤にかけ、倫理観狂った行いでも、世はそちらを選んだのだ。
また、この妖人と言うのは日本のみならず世界中でも確認されており、一説には最初の発生場所はイタリアとされている。
そこで発生源の有力箇所であるイタリアを中心に、国ごとで形は異なれど、妖人に対する駆逐を専門とする機関を設けている。本部は首都ローマにあり、各主要各国の首都に支部を設置。そこから各地域の警察部隊に妖人対策課として配属される形だ。
海外では悪魔祓いとも言われ、元々聖職者だけの機関だったが、時代が進み、次第に聖職者の他に霊媒師や呪術師、超能力者、高等身体能力者など、多様性を見せている。
日本でも伝統的な呪術師家系からであったり、霊媒師家系から、神社や寺院から、そして国立の警察の課としてではなく、個人で活動するタイプの駆逐家もいる。
そう言った者たちを、対妖人であることと、妖人は日の光が苦手という点を掛け合わせて、日本では総じて『太陽人』と言われている。毎年数百人と希望者があり、数百人と殉職者が出る。闇の深い職業なのだ。
そんな職業でも世界規模であり、違う血統戦術でも同じ太陽人である。したがって分かりやすく優劣を決めるために、ランク付けを施されている。
1番下の階級が、先程因幡の手帳にあった様な、Dランク、D級とされている。そこから、DD、C、CCと上がって行き、最上級はAAとされる。
ちなみに、AAのさらに上がAGと言う階級があるが、ここまで来ると1つの国に十数名というレベル。本部に出向という出世街道を望めるランクだけあって精鋭中の精鋭が集まる。ちなみに最上級はPで、パラディンを指す文字だ。
話を戻そう。
手帳を見張り2人に見せるや否や、物凄い早さで掌を返し、敬礼しつつ大声で謝る。この界隈において妖人対策課と言うネームバリューが大きい事が伺える瞬間だ。
その直後にカーテンのように幕引かれたブルーシートがめくられて中から一際体格の大きい少し歳を食った人が出てきた。
「何じゃ何じゃなんの騒ぎや?」
当然の疑問を投げ掛けながら出てきたのは、これまた妖人対策課の人間で、遠野と因幡の先輩に当たる人物、名を野間裕次郎と言う。階級はBランクだ。
そんな野間と、ダルそう&眠そうな遠野の目が合った。その瞬間、周囲の空気が一気に変わり、2人の間に見えそうなくらい激しい電撃が走っていた。
「おぅおぅ遠野ぉ……後輩連れて随分のんびりしとんのぉ。ほないじゃけ問題児じゃと言われるんとちゃうんか?」
野間からの先制攻撃!関西方面出身のため、言葉に威圧感満載で遠野を威嚇している。この2人はいつ目が合ってもこの調子なのだ。
「堅いことなしっすよ野間さん。それだから後輩の僕に階級抜かされるんすよ?」
お互い見下すように相手を見ていて、まるで若干上に傾斜したモアイが喋り合ってるように見えてしまう。そして顔面だけは般若というべきか、なまはげと言うべきか。兎にも角にも、とても睨み合っているのだ。
「あぁ? あれは譲っちゃったんやろが。先輩より後輩が優れんとアカンやろ」
2人が言うように遠野より野間の方が歴が長く、経験も豊富だ。同僚からの信頼も厚く、少し強面でバディになりたての相手は非常に怖がると専らの噂だが、初陣を飾った後は必ず野間の後しか着いていかないそう。最も、そのバディは今は世にいないのだが。
放っておくとずっといがみ合っていて、野間もヒートアップしてきたのか、能力である火種を右手に灯し始めていた。
焦った因幡はすぐさま2人を止めて、現場の状況を求めると2人とも我に返ったかのように争いをやめた。
「そうやった。こんなバカを相手しとるんとちゃうんやった。すまんな新人」
ちゃんと非を認め謝罪するところは、遠野とは大違いな場所。大違いな遠野はもう別の事に気を散らしている。胃に穴が空くのも時間の問題か。
さて、落ち着きを取り戻し、冷静に状況を説明して貰えた。
状況としては、まず遺体の状態が普通では無い。
手首足首の欠損、そして首から上も欠損。あるのは胴体と先っぽのない手足だけと言う、所謂惨殺体となっていた。そのため、個人の特定に時間がかかるのだそう。被害者のバッグもズタボロになっていて、中の物が原型を留めてないので、そこからも特定出来ず終い。鑑識が血液やDNAを用いて特定する方法に限られる。
着用している服に乱れが無いことと、取っ組み合いになった様な手形や締め後も無いことから争った形跡は見られない。が、身体中に無数の切り傷のような跡がある為、無抵抗で多量の斬撃を浴びたと考察できる。
また、からの首という首が切り落とされ、その断面も切れ味が凄まじい刃物でスパッと切った様な、とても人間の力で成された物では無い。周囲に凶器もなく、血痕の飛び散り方も、飛び散ったと言うより、綺麗に切れて垂れてきたと言う方がしっくり来る。
十中八九、妖人による犯行だろう。
遺体の状況から、犯人像は朧気ながら浮かんできたので、妖人対策課の仕事は一旦終了。現場の処理に関しては、本来の警察の仕事だ。
因幡が情報をまとめて、メモに起こして撤収しようと遠野を探す。どこに行ったかと思えば、不幸にも妖人の被害に遭ったご遺体に手を合わせていた。こう言うところはプロなのだと感心。
夜の帳が下ろされ、街は再び輝き始める。金と欲望と、絡み合う憎悪が目を瞑ることを許さない。
妖人が活動を始める日の届かない時間こそ、太陽人のしごとの時。今朝の事件の犯人を突き止めるため、2人は夜の街に足を運ぶ。
さすがの経験値で、多種多様な人々に臆する事なく聞き込みを進める遠野を、子供みたいに何とかついて行く因幡だったが、集まった情報からはとても特定出来る材料が揃わなかった。
犯人は人間では無いことも明らかで、被害者の身元が不明な中で、核心を突いた聞き込みなど出来るはずもなく、時間だけが無情に流れていた。
「なかなか前に進めませんね……なんか……こう…こういう人知ってますか?みたいな事聞けたら良いんですけど」
弱気なことをポロリと零してしまう因幡だったが、一方気にしても埒が明かないし、同じ所をぐるぐる廻ったところで答えが見つかるわけが無いことを知っている横の男は懲りもせず無料案内所に駆け込んでいた。
もう最早止めまいと言う気持ちと、これで長く対策課やって来てるんだと自分に言い聞かせて案内されるがまま着いて行くことを決心した。ガールズバーに。
2人はキャバクラとまではいかないが、女性の接待を受けれる尚且つ、キャスト側もガチガチに話術を極めている訳では無いので柔和に会話を楽しめると言う理由でガールズバーへとやって来た。2人では無いな……1人の要望である。
案内所の人間が話を通していたため、店側にも2人が行く情報が既に届いていた。
中で待機していたキャストが出てきて、2人遠野へ、1人が因幡の元へ。
一応これでも2人は勤務中なので、酒を飲むことはしない。あくまでキャスト達に有益な情報の提供を促すのが目的。決して捜査が前に進まないから自棄になって飲み散らかす訳では無い。決して。
ある程度話が盛り上がった頃合で、サシで話している因幡がキャストからある質問を投げ掛けられる。
「お兄さんスラッとしててカッコイイですね!なんのお仕事されてるんですか?」
それを聞いて頬を赤らめながら、後頭部をポリポリ書きながら鼻下伸ばして照れていた。仕事しろ。
一応、遠野からの遮りもなかったので妖人対策課で勤めていると明かすと、さらにおだてられて正に木登りしている豚と化していた。キャストが凄いのか因幡の女性免疫がミジンコなのか……。
そんな会話のあと1時間程経ったあと、因幡に着いていたキャストは少し不安気な表情で相談を持ちかけた。
なんでも、いつも帰りは1人で帰るのだが、例の事件が起こってしまい、帰りに狙われてしまうのではと言う恐怖があり、帰るに帰れなさそうだと言う。
最近では何かが後ろからつけて来ている感覚があり、次は自分では無いかと気が気じゃないとの事。
仕事柄、そう言うのは放っておけないと正義感を見せ、本当に仕事で言ってるのか、カッコつけなのか不明だが、やはり事態が事態なのもあり、女性を1人では歩かせられないと因幡は豪語し、この後一緒に帰る事となった。
遠野の方もキャスト2人と大盛り上がりを見せていたので、仕事の一環として警護するだけと言い聞かせ、踊る胸を必死に隠しながら帰り支度を待つ。いや仕事しろよ。
「ハクトくん。万が一、妖人に遭遇したとしても1人でどうにかしようとすんじゃないよ」
店を出ようとする因幡に遠野が釘を刺した。これでもバディを誓った上司なのだ。
「分かってますよ!遠野さんも早く仕事に戻ってくださいよ」
身支度が終わり、キャストが戻ってきた。
因幡も、送ってまた戻ってくるつもりだと遠野に伝えて店を後にした時、キャストの口角がニヤッと上がっていた。
あらゆるバーが建ち並ぶ街並みを外れ、少しばかりの街灯とチラホラとホテルが点在する通りまで歩いてきた。ここを歩くのが近いと言っていたが、場所があまりにも大人な為、まだ19歳である因幡からすれば大人すぎるところ。
女性も恐怖心からか体を密着させて来ており、暗くなければ顔から湯気が出そうなくらい赤い事が秒でバレる。
「…そろそろ出てくるはずなんだけど……」
女性がボソッっと小さい声で呟いた。因幡は緊張で聞こえていなかったが、キョロキョロしてる事が気になっていた。
それもそのはず、女性は美人局を企んでおり、近くにツレのチンピラを待機させていた。若くて童貞っぽそうでウブで、公務員で金もあるとなれば良いカモの逸材だ。
それを悟られまいと事件に結びつけて怖がってピュアな心に漬け込んで、何とか因幡だけ引っ張り出す為の口実という訳だ。ちなみに、後をつけられたとか、帰りが不安とかは真っ赤な嘘である。
そんなはずだったのだが、一向にチンピラは現れない。女性も少し挙動不審になって行き、当然家があるわけない方向に歩いて行っている為、だんだん言い訳も苦しくなって来る。
そんな時、後方の少し離れた所でドサッと音がした。
2人ともビクッとなりながら後ろを振り返ると、辺りが暗くても、地面に池のように血が流れており、そこにチンピラの生首が落ちている事が見えた。
途端に女性の顔が真っ青になり、因幡が前に出て刀に手をかける。よく見ると血の池の畔に何かが立っているのが確認できた。何が立っているのかは分からないが、異形な物だと分かった。赤いコートを身に纏い、首が異常な曲がり方をしている。
「何だあれは……。逃げ」
因幡の必死な正義を遮り、透明だが確かに何かが飛んできた事が分かった。その何かは因幡の横を突っ切っていた。
一瞬、風でも吹いたのかと思った。しかし、第六感が異常を訴えて仕方が無かった。
ふと振り返ると、女性は何も喋らず、ただ目を見開いて固まっていた。
「お姉さん?」
呼び掛けても反応がない。
首筋には赤い線が浮かび上がって、チョークをしていたっけかと必死に頭を回していた。…が、現実は甘くない。
因幡が反応しない女性を変に思い、肩にポンと手を置いた瞬間、ズルズルと首から上が胴体からズレて、とうとう首が落ちてしまった。
「…!!?」