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漆 羽化~夜の蝶は死のカオリ~



「ヒ、ヒ……! 青梅(あおめ)様、いくら貴方様とて困ります! 今扇子屋は休業中なのですから……!」


「ええい、うるさい! まだここには人間の娘がいると聞いたぞ! その人間の娘を出せ! この間はせっかく楽しみにしておったのに、太夫を満足に味わえなんだ! 今度こそ美味い人間の娘を味わわせろ~っっ!!!」


「…………ゲス」



 休館中にも関わらずいきなり尋ねてきて玄関先でドスドスと喚き散らす〝青梅サマ〟を廊下からこっそりと伺い、浮かんだ感想はそれしかなかった。

 同じくわたしの後ろで楼主と青梅のやり取りを伺っていた遊女や禿(かむろ)達も、わたしに同意するようにうんうんと頷いている。



「それにしても青梅サマって、イボガエルだったんだ……」



 シャタが大臣と言うからどんな立派な妖怪かと思ったが、外見は現世にいるイボガエルを巨大にした姿そのもので、肥え太った体に着物の帯が悲鳴を上げている。

 そしてゲロゲロと聞こえてきそうな巨大な口からは、嗚咽するような悪臭がここまで漂ってきて、思わず甚平の袖で鼻を覆った。



「娘ーっ!! 人間の娘を早く出せーっっ!!!」



 聞き分けのない駄々っ子のように暴れるイボガエルもとい、青梅サマ。

 本当にこんな醜悪な奴に月乃さんの命が散らされたのかと思うと、心底腹立たしい。



「……楼主様、どうするんだろ?」 


「……うん。このままお引き取り願うのが一番だけど、あの様子じゃテコでも動かないよ」



 ヒソヒソと背後で遊女達が不安そうに囁き合う。

 背中にいくつもの視線が突き刺さるのは気のせいじゃないだろう。

 それにわたしはそっと振り返り、彼女達を見た。



「楼主に伝えて。青梅サマの望み通りわたしが出るって」


「!? えっ! あんた、まさか……!?」


「うん、遊女として(・・・・・)青梅サマの前に出る。着替えは……わたしは全然着付けとか分かんないから、みんなに頼みたいんだけど」



 キッパリと告げると、遊女や禿達は一様にポカンと驚き固まる。



「そ、それはもちろん朝飯前だけど……。けど遊女として青梅様の前に出るって、意味分かってんの!? 青梅様にあんたの色を買われるってことなんだよ!! 月乃太夫を殺した男相手に怖くないのかい!?」



 わたしが自分から言い出すことをみんな期待していたのだろうに、いざそうなると焦った様子が不思議だ。

 目の敵にされていた原因であるシャタの存在が無いからか、月乃さんの一件の影響なのか、いつにも増して優しい態度の彼女達になんだか笑いが込み上げてくる。



「もちろん怖いよ。人間人間って執着がヤバいし、今だっていっそ逃げ出したいくらいに怖い」


「じゃあなんで」


「それは同じくらい、どうして月乃太夫が亡くなることになっか知りたい気持ちがあるの。だから青梅サマに直接真実を聞き出したい」


「香織……」



 わたしの固い決意が伝わったのか、みんなそれ以上何も言わない。

 そのままわたしが青梅の前に出る話は楼主にも伝えられた。



 そして今は――……。



「ほら、これなんか香織が着るのに最高なんじゃないかい? 金襴(きんらん)の打掛だよ」


「なら合わせるのは鼈甲(べっこう)(かんざし)だね。遊女(あたしら)にとっちゃ最高の品だろ」



 移動してここは遊女達の衣装部屋。

 こんな状況ではあるが、折角のわたしの門出なのだから遊廓の者総出でわたしを飾り立てよう。

 そんな話がまとまり、今は着付けに化粧に髪結いと、とても部屋の中が騒がしい。



「ねぇ、その右頬の痣はどうする? 化粧で消せるか試してみる?」


「あ……」



 化粧を担当していた遊女に指摘されて、ハッとする。

 そういえばわたしの右頬にある痣は、一般的にはないものだったのだ。

 現世では人目を気にしてマスクで隠していたのに、幽世では痣くらい誰も気にしないから、すっかりそのことを忘れていた。



「――ううん、このままでいい。この痣も含めて、これがわたし(・・・)だから」



 言って右頬にそっと触れる。

 いつもはシャタが撫でてくれるけど、今はいないから。



「……シャタ、わたし頑張るね」



 脳裏にシャタの姿を思い浮かべ、痣を撫でて誰にも聞こえないようにこっそりと呟いた――。



 ◇



「ふう、出来たぁ……!」


「すごい! 元々綺麗な顔立ちの娘だとは思ってだけど、本当に美人じゃん!」


「みんな、ありがとう」



 慣れない賛辞に面映くなるが、確かに姿見に映るわたしは、自分でも驚くほどに妖艶で美しかった。

 遊女らしい目を引く煌びやかな打掛に、綺麗に結い上げられた黒髪。そこに差し込まれた鼈甲(べっこう)の簪は上品な輝きを放っている。



「準備出来たんだね、香織」


「あ、楼主様」



 (ふすま)が開き、楼主がひょっこりと顔を出す。

 着物の慣れない重みを感じながらも、わたしはゆっくりと立ち上がる。



「ヒヒ。やっぱりあたしが見込んだ通り、月乃と二枚看板になり得た器量の良さ。これならば青梅様も大層ご満足されるだろう。……はぁ」


「楼主様?」



 楼主は心底ゲッソリしたように大きな溜息をつき、スッと天井を指差した。



「青梅様は最上階の部屋に案内したよ。精一杯おもてなしおし。……しかしこんなこと普段は絶対言わないけど、命の危険を感じたらすぐ声を上げな。あたしら総出で部屋に押しかけるから」


「楼主様……」



 まさかそんなことを言われるとは思わなかったので、わたしは目を見開く。

 すると楼主は気恥ずかしいのか、プイッとそっぽを向いて言う。



「遊廓の経営は慈善事業じゃない。青梅様はウチにとっちゃ上客。けど短期間に二人も遊女を亡くしたとあっちゃ、扇子屋のメンツに関わるからね。ただそれだけさ」



 言葉は分かりにくいけど、楼主もわたしを心配してくれているということだけは伝わってくる。



「――はい、心遣いありがとうございます」



 それに深く頭を下げて、わたしは一人で青梅の待つ最上階へと向かう。



「……っう」



 ギシギシと音を立てて階段を上りきれば、あの独特の嗚咽をもよおすような悪臭が辺りに充満していて、思わず顔を(しか)める。

 正直戻りたいが、そうはいかない。



「青梅サマ、香織です。失礼します」


「おおっ!! お主が噂の人間の娘か!!」



 遊女達に習った作法の通り襖の前で声を掛けると、ドスドスと大きな足音を立てて、巨大な影が目の前に現れた。

 瞬間ムワッと立ち込める泥と汗を混ぜたような嫌悪をもよおす臭いに倒れそうになるが、なんとか歯を食いしばって堪える。

 


「ん? どうした、変な顔をして」


「い、いえ! すみません。青梅サマは奥のお部屋でお待ちになっていると聞いていたので、まさか出迎えて頂けるとは思わなかったのです」


「ああそぉか、すまんすまん。ようやく人間の娘を味わえると思ったら、つい気が(はや)って待っていられなかったわい」


「そ、そうですか……」



 引き()っているだろう顔をなんとか笑顔にして取り繕う。

 当の青梅は本当に浮かれているのか、わたしの不自然な表情にまるで気づいていないようだ。



「――閣下殿。遊女が来たのなら、俺は部屋の外で待機していよう」


「!?」



 てっきり部屋には青梅しかいないものとすっかり油断していたので、まるで刃物のように鋭い声にギクリと肩を強張らせる。

 だってこの声、忘れもしない。

 ギシギシと畳を踏みしめる足音がこちらに近づき、やがて現れたのは――。



「あ」


「お前は……」


「ん? なんだお主ら、知り合いか?」



 青梅がキョロキョロと、わたしと目の前に現れた人物を交互に見る。しかしわたしはそんな様子など目にも入らない。

 何故なら目の前にいるのは、わたしが幽世に迷い込んだその日に最初に出会った妖怪――あの三つ目の男だったのだから。



「あの後どうなったのかと思ったが、まさか扇子屋で働いているとはな」


「っ」


「……まぁいい、今日の俺はあくまで閣下殿の用心棒として雇われた身。お前のことは詮索しないでおくとしよう」



 ギョロギョロと忙しなく動く三つの瞳はやはり不気味だ。

 肩を震わせて俯くわたしを見て興味が失せたのか、男はそのまま襖を開けて部屋から出て行く。



「――……」



 それにホッと息を吐き、緊張でガチガチに強張った肩の力を抜く。――と、



「ははははははは!」

 

「きゃっ!?」



 急にドンっ! と背中を押され、部屋の真ん中に敷いてあった布団に倒れ込んでしまう。



「なっ!?」


「ワシを差し置いて、あ奴と随分と親しげに話していたではないか! 妬けたぞぉ~」


「……っ!?」



 倒れ込んだ背中に醜悪なイボガエルがどっしりとのしかかり、ぎゅっと体を抱き込まれる。

 そしてそのまま巨大な口から赤く長い舌が伸びてきて、ベロリとわたしの頬をひと舐めした。



「ひっ!?」


「ああいいなぁ。この珠のように瑞々しく、張りのある肌。右頬の痣が完璧な容貌に映えて、妖しげな美しさをより引き立てている。こりゃあ上玉だ……!」


「ひ……っ……!」



 間近で感じる悪臭に、でっぷりと肥え太った醜悪なカエルの見た目。全てが悪夢のように(おぞ)ましい。

 いっそ気絶してしまえたら楽だとも思うが、ここに来た目的を果たすまでは気を失うことは出来ない。



「ぬふふ、そう固くならずともよい。ワシが初めての客なのだろ? 大丈夫だ、怖がらなくともすぐに慣れる。……ああ、それにしても素晴らしい。この前の月乃太夫も亡くしたのがとても惜しいほどに誠に別嬪(べっぴん)であったが、お主ほど美しい娘は長年生きているワシでも出会ったことがないぞ」


「……っ!?」



 落ちてきた言葉にハッと目を見開き、顔を上げて青梅に見る。



「月乃太夫!? やっぱり青梅サマは月乃さんが亡くなったことに関わっているのですね!? 教えてください! あの日、何があったのですか……!?」


「う~む、そうも可愛らしい顔でねだられれば、答えぬ訳にはいかんなぁ……」



 必死に身をよじり問いかけると、青梅はそんなわたしをじっとりと見つめ、やがてその大きな口をニタリと緩めた。



「あの太夫の声は鈴を転がしたように大層美しかっただろ? だから歌わせている内についつい興が乗ってな。気がついたら喉を潰し本能のままに喰らいついていたようで、我に返った時にはもう太夫は絶命しておったのだよ」


「……っ!!!?」



 男の言葉に驚愕で目を見開く。


 喉を潰して喰らいついた……!?

 そんな……、やはりこの男が月乃さんを……。



「きょ……、興が乗ったら殺すのですか? 月乃太夫の歌声はとても綺麗だったのでしょう? どうして愛でるのではなく、殺すのですか?」


「ふふふ、お主はまだ若いから分からぬのだ。美しき花は愛でるより手折りたくなる。さすれば永遠に自分のものだろう?」


「…………っ!!」



 ニヤニヤと嗤う目の前の男の言葉が理解出来ない。狂ってる。


 こんな……こんな奴のせいで、月乃さんは――――!!



「――し」


「ん?」


「人殺しっ!!!」


「!?」



 のしかかる青梅から這い出て、わたしは(たかぶ)る気持ちのまま叫ぶ。



「人間はっ……、月乃さんはアンタの欲求を満たす道具なんかじゃないっ!! 大臣だから何!? なんでも好き勝手して許される訳じゃない!! 少なくともわたしは絶対に許さない!! 許さないんだからっ!!!」


「なんだと!? ワシに向かってなんという口の利き方だ、小娘が!!」


「きゃっ!?」



 わたしの言葉に激昂した青梅にものすごい力で引き倒され、布団に押さえつけられる。



「……っ、放して!」


「ふんっ。今回は慎重にと思っておったが、もうよい。お主は月乃太夫の時よりも酷く手折ってやろう。まずは右腕がよいか? それとも左腕か? お主がどんな声を聞かせてくれるか、楽しみだなぁ」


「ひっ!」



 着物の隙間から肌をまさぐられ、ゾッと身が震える。

 覚悟を決めたはずなのに、やっぱり怖くて怖くて仕方がない。


 嫌だ、嫌だ、嫌だ。

 誰か……誰か助けて!!



 ――――シャタ……!!



 脳裏に強くシャタの顔が浮かんだ時、突然燃えるように身体が熱くなり……。



「いやあああああああああ!!!」


「ぐああああああああああ!!!」



 わたしの悲鳴と青梅の絶叫が響いたのは、同時だった。



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