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陸 訃報~おわりのはじまり~



 月乃太夫(つきのたゆう)が死んだ。



 その訃報が届いたのは、月乃さんに呼びつけられた次の日。

 いつものように朝食を部屋でシャタと一緒にとった後、館内の清掃に他の下働き達と共に励んでいた時だった。



『月乃太夫が』


『まさか』


『えー』



 館内はどこもかしこもその話題で持ちきり。町でもかなり大きな噂になっているらしく、楼主によって扇子屋(おうぎや)はしばらく休館することが決まった。

 そしてわたしはというと――……。



「カオリ、夕飯を持って来たよ」



 トントンと襖を叩かれる音がする。

 しかしそれに何も返事を返すことが出来ずにいると、痺れを切らしたのかシャタが部屋の中へと入って来る足音がした。



「カオリ、食べなきゃきみまで倒れてしまうよ?」


「…………」



 目の前に膳が置かれた音がするが、顔を上げる気力も湧かない。

 部屋の隅で三角座りをしたままどれくらいの時間(とき)が経ったのだろう?


 確か月乃さんのことを聞いて、気がついたら部屋にいた。

 どうやって戻ったのか、途中の記憶はぷっつりと途絶えていて何も無い。


 まだわたしの耳には、月乃さんの歌声がしっかりと残っている。

 なのに当の彼女がもうこの世にいないなんて、そんなの……。


 ……考えられない。……考えたくない。


 何も――――。



「――ごめん、カオリ」


「えっ……? ――っうむ!?」



 急に耳元で謝られて、ビクリと震える。すると次の瞬間には強い力で腕を引っ張られて、思わず顔を上げれば、シャタの顔が間近にあった。

 しかしそれに驚く間もなく、シャタはわたしの口にかぶりついたのだ。



「!? ……っ、んっ……! んうぅっ……!!」



 いきなりのことに息が苦しくて逃れようと藻掻くが、わたしとほとんど変わらない背格好の体のどこにそんな力があるのか、強く体を押さえつけられていて動けない。



「~~~~っ、はぁっ!!」



 そしてわたしの意識が霞み始めたところで、ようやく唇を解放された。

 わたしの口から荒い息が漏れる。



「は……はぁ、はぁ……。ど、どういうつもり……?」



 真っ赤になって睨みつければ、シャタは存外真剣な表情でこちらを見ていた。



「僕の妖力をカオリに分けたんだよ。どう? 食事をしてなくても、身体が満たされてない?」


「え……」



 思ってもみなかったことを告げられ目を丸くする。

 そして自分の身体を見分すれば、確かにポカポカとお腹の奥底から活力が(みなぎ)ってくるような心地がした。



「妖力を貰うと、身体が元気になるの?」


「妖怪にとって人間が滋養に良いと言われるのの逆だよ。人間だって妖怪の身に宿るものを取り込めば、活力になる」


「そ、そうなんだ……」


「けどさすがにこればっかりって訳にはいかないけどね。今のは応急処置(・・・・)。ちゃんと食事をしないと、いつかは倒れてしまう」


「…………」



 ではさっきの行為(・・・・・・)は純粋にわたしを心配したからで。

 わたしは心臓が未だに壊れそうなほどにバクバクと音を立てているけど、シャタにとっては必要に迫られただけのことなんだ……。


 ……わたしは、初めてのキスだったのに。


 ショック……というほどでもないが、なんとなく悲しくなってわたしは黙り込む。

 するとそんなわたしの様子をどう受け取ったのか、シャタが困ったような顔をして言った。



「そんなに月乃が死んだことがショック?」


「当たり前だよっ!!!」



 淡々とした口振りがさっきの〝応急処置〟と言ったシャタの表情と重なって、ついカッとなって怒鳴りつけてしまう。



「あ……」



 しかしすぐに我に返って、わたしは身を縮こませた。



「……ごめん。シャタに当たったって、しょうがないのに」


「いや、僕も無神経だったね。……ごめん。ただ月乃はカオリを目の敵にしていたし、カオリも月乃に対してあまりいい印象は持っていないように思っていたから、そんなに落ち込んでいることに驚いたんだ」


「ん……、わたしだってこんなに落ち込むなんて思わなかったよ。でも……」



『我ながら単純だけど、そのシャタの言葉が私の生きる理由になった。それでなくたって化け物みたいな見た目の妖怪達の中にあんな美少年が一人。恋焦がれたって、仕方ないでしょ?』



 きっとただの嫌な太夫のままだったら、こんなにショックじゃなかった。

 だけどわたしは知ってしまったのだ。


 幽世に迷い込むまでの彼女の苦悩と、その胸に抱いた恋心を。

 そしてあの美しい歌声を。



「もっともっと仲良くなれるかもって昨日せっかく思えたのに! こんなのってないよ!! 酷すぎるよ……っ!!」


「今朝早々に〝青梅(あおめ)様〟が月乃の亡骸を抱いて部屋を出て来たのだと楼主が言っていたね。彼が言うには、『太夫は気がついたら絶命していた』……とか」


「そんなの……! 青梅って人の言い訳でしょ!? どうしてその人を普通に帰したの!? 人間は殺されても食べられても、仕方ないって言うのっ!?」


「そうじゃない。カオリ、落ち着いて」



 興奮し過ぎて呼吸が上手く出来ず、息を荒げたわたしの背をシャタが優しく撫でる。



「楼主を始め、みんなこの件について憤っているよ。妖怪人間関係なく、〝太夫〟が殺されたんだ。怒らない訳がない」


「ならなんで……」


「現世には現世の秩序があるように、幽世にも幽世の秩序がある。青梅は幽世の大臣だ。本人が手を下していないと否定する以上、所詮庶民(末端)僕達(遊廓)ではどうすることも出来ないんだよ」


「そんな……」



 ポロポロと涙がこぼれる。

 なんだかわたしは幽世に来てから泣いてばかりだ。

 急に心細くなって、わたしはぎゅっとシャタにすがりついた。



「よしよし、泣かないで」



 トントンと一定のリズムで優しく背中を叩かれて、シャタに妖力を与えられたものの憔悴していた身体が睡眠を欲してうつらうつらとしてくる。



「――ねぇ、カオリ。青梅が憎い?」



 すると不意にシャタがそう問いかけてきた。

 低い、仄暗い声で。



 ――憎いよ。



「じゃあ青梅が犯人と知りつつ、何も出来ない無力な遊廓の奴らは?」



 ――憎いよ。



「じゃあきみや月乃を勝手に現世に引きずり込んで、挙句に人間を食べちゃう幽世の妖怪共は?」



 憎い! 憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い!!!!



「――うん。その顔、似ているなんてもんじゃない。きみは僕の(・・・・・)カオリ(・・・)そのものだ(・・・・・)



 その顔(・・・)? あれ、わたし、今なんて言ったんだっけ……?

 狭まっていく視界の中で目に映るシャタは、今までで一番嬉しそうに笑っている。

 なんだかその顔を見れただけで、なんでもいいかと思えてきた。



「好きよ……シャタ」



 ふわふわと夢見心地で呟いて、それを最後にわたしの意識はプツンと途切れた。



 ◇



 あれから数日が過ぎたが、扇子屋の喪はまだ明けない。

 楼主の判断で一ヶ月ほどこのまま休館するそうだ。



「カオリ、ご飯持って来たよ」



 いつものように二人分の膳を持って部屋に入って来るシャタ。

 でもわたしは、膳など食べたくはない。



 食べたいのは――……。



「シャタ、シャタをちょうだい」


「ふふ、ちゃんとご飯も食べないと倒れるって何度も言ってるのに。カオリはしょうがないなぁ」



 親鳥にエサをねだる小鳥のように口を開いて催促すれば、すぐさま目当てのものは降ってくる。



「んっ……んんっ……」



 苦しくなったら離して、息を整えたらまたねだる。



「シャタ、シャタ。もっと、もっと妖力をちょうだい」


「もっと? 本当にカオリは困った子だなぁ」



 あの日味わったシャタの妖力の味が忘れられない。

 甘くて、苦くて、懐かしい。


 苦しく辛い現実から逃れるように、わたしは何度も何度も必死にシャタを求める。

 触れ合うシャタの唇はあったかくて流れ込んでくる妖力は心地よく、頭をふわふわとさせた。



「もっと、もっと……」



 ボロボロと涙を零し、子供のようにわたしはシャタに(すが)りつく。

 見た目はシャタの方が年下だというのに、なんと滑稽な姿だろう。



「あげるよ。いっぱい。……カオリが満足するまで」


「好き、シャタ」


「僕もカオリが好きだよ」



 けれどシャタは決して嫌な顔をせず、ずっと優しくて温かい。

 それがわたしがシャタの(・・・・)カオリ(・・・)に似ているからなのだとしても、もうどうでもよかった。

 だってもうわたしはシャタなしではいられないほどに、すっかり彼に依存しきっていた。



 だから――。



「ごめん、カオリ。僕は少しの間扇子屋(ここ)を離れる。やらなければならないことがあるんだ」


「え……」



 唇を離して囁かれた言葉に、意味がすぐには飲み込めず、呆然としてしまう。



「シャタ……、どこか行っちゃうの?」



 枯れ果てたはずの涙の泉がまた湧き出しそうになるが、その前にシャタに息が止まるほどに強く抱きしめられる。



「シャ……」


「本当にちょっとだけ。すぐにカオリを迎えに行く。だからどうか――」



 そこでシャタは言葉に詰まったように押し黙り、やがて絞り出すようにこう告げた。



「どうかその時は、僕を選んでほしい」



 ◇



 そして次の日の朝、宣言通りシャタは扇子屋を去った。

 不思議なのはあれだけ人気者だったはずのシャタのことを、一人残らず誰も覚えてないこと。わたしは内心首を傾げたが、まぁシャタに憧れるライバルが減ってよかったと思った。


 ……くだんの青梅が休館中にも関わらず遊女を買いたいと尋ねて来たのは、奇しくもシャタ不在のこの晩のことだった。



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