カオリの望み
※シャタ視点
月乃が死んだ。
少しだけ妖怪の本能を出やすくする為に、青梅の食事に薬を含ませたのがよかったらしい。
目論見通り青梅は暴走し、月乃を食いちぎった。
なかなかに可哀想な末路だったらしいが、最初にカオリに仕掛けたのは月乃なのだから仕方がない。
これで全て青梅のせいにして、邪魔な月乃を始末出来た。
予想外だったのは、カオリが想像以上に月乃の死にショックを受けていたことだろうか――。
◇
「カオリ、ご飯持って来たよ」
「…………」
二人分の膳を持っていつものようにカオリの部屋の中に入る。
しかしカオリは壁に背をつけ三角座りをしたまま動く気配はなかった。
「カオリ、食べなきゃきみまで倒れてしまうよ」
「…………」
膳を畳の上に置いて、カオリの前に片膝つく。
様子を伺えば、泣き疲れたのかぐったりと顔を伏せていた。
『カオリ、カオリ……! どうしてこんな……!』
その様子がまるであの時と重なり、〝このままではカオリは死んでしまうかも知れない〟。
そんな予感が僕の背筋をヒヤリと走る。
「……」
もっとじっくり事を進めるつもりだったけれども、仕方がない。
他ならぬカオリの為だ。
ようやく出会えたきみをを失ってしまえば、今度こそ僕は狂ってしまう。
「――ごめん、カオリ」
「えっ……? ――っうむ!?」
妖怪が人間の血肉を喰らえば強い力が得られるように、人間も妖怪の一部を分け与えられれば力となる。
故に食事をとらなくともカオリが倒れてしまわないように、死んでしまわないように、僕は自身の妖力をたっぷりと分け与えた。
……あんまりカオリの唇が甘いものだから、つい力を分け与えるという目的を忘れて夢中になってしまったのはご愛嬌だけど。
「は……はぁ、はぁ……。ど、どういうつもり……?」
涙目になってこちらを軽く睨みつけてくるカオリ。
頬が赤く上気したせいで、くっきりと浮かび上がった右頬の痣にゾクゾクする。
「そんなに月乃が死んだことがショック?」
「当たり前だよっ!!!」
だからつい、愉悦のあまり口が滑ってしまった。
「もっともっと仲良くなれるかもって昨日せっかく思えたのに! こんなのってないよ!! 酷すぎるよ……っ!!」
「今朝早々に〝青梅様〟が月乃の亡骸を抱いて部屋を出て来たのだと楼主が言っていたね。彼が言うには、『太夫は気がついたら絶命していた』……とか」
「そんなの……! 青梅って人の言い訳でしょ!? どうしてその人を普通に帰したの!? 人間は殺されても食べられても、仕方ないって言うのっ!?」
「そうじゃない。カオリ、落ち着いて」
ポロポロと涙をこぼすカオリの背をそっと撫ぜながら、己の軽率さを心の中でなじる。
てっきりカオリは、自分に辛く当たる月乃のことを良く思っていないのだと僕は思い込んでいた。
しかし考えてみれば、月乃はカオリと同じ人間。
月乃の境遇と自分を重ね合わせ、いずれ自分もこうなるのではないかとショックを受けたのかも知れない。
……そんなこと、絶対に僕がさせないのに。
『青梅……、あの男が裏切ったの……!』
……もう二度と、きみを失わない。
「――ねぇ、カオリ。青梅が憎い?」
僕の口からついて出た言葉に、伏していたカオリがふと顔を上げる。
その美しい漆黒の瞳に宿った憎悪は、あの時のカオリと同じだった。
「憎い! 憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い!!!!」
「――うん。その顔、似ているなんてもんじゃない。きみは僕のカオリそのものだ」
早く、早くきみを鬼にしてしまおう。
泣き疲れて眠ってしまったカオリを強く抱き、決意する。
恐らく僕の味を知ったことで、カオリの中に眠る鬼の本能が力を取り戻そうと、僕を求めずにはいられなくなるだろう。
このまま多量の妖力を与え続ければ、一週間もしない内にカオリは〝鬼化〟する。
ならばもう、遊廓で下働きの真似事をする必要はない。それよりも早く、カオリを迎える準備をしなければ――。
◇
そうと決めてからは早かった。
予想通り僕の妖力を腹を空かせた小鳥のように求めるカオリに、望み通り腹いっぱい与えてやり、数日が過ぎたところで彼女に扇子屋を離れることを切り出した。
「シャタ……、どこか行っちゃうの?」
今にも泣き出さんばかりの潤んだ瞳に、僕は慌てて抱きしめた。
きみから離れるつもりは毛頭ないと、……ちゃんと伝わるように。
「本当にちょっとだけ。すぐにカオリを迎えに行く。だからどうか――」
少しだけ腕の力を緩めて、そっとカオリの表情を伺う。
すると何を言われるのだろうと、不安げにその大きな瞳が揺れていた。
僕の手にも、知らず緊張で汗が滲む。
……だってこの先に続く言葉は、僕なりの永遠の誓いだから。
「どうかその時は、僕を選んでほしい」
それはきみに強制するつもりはない、ただの僕の〝望み〟だった。
きみはカオリだけど、カオリじゃない。
鬼となれば、人間の頃のように妖怪達に喰われることを怯える必要もなくなる。
現世に戻ることはもう叶わないけど、きみが自由に幽世で生きたいと望むなら、それを否定することは僕には出来ない。
「シャタ……? 泣いているの……?」
カオリが驚いたような顔をして、僕の目元をそっと拭う。
「あれ……? 本当だ、どうしたんだろうね……?」
ボロボロと頬をつたう涙に、自分でもビックリする。
泣いたのなど、カオリを失った時以来だ。
「シャタ、辛いの? やらなければならないことって何? シャタは優しいから、本当は辛くてやりたくないことをやろうとしているんじゃないの? だったらそんなの、やらなくていいんだよ……!」
「――――……」
カオリの言葉に、一瞬だけ決意が揺れそうになる。
けど――、
「――いいや、やるよ。その〝望み〟を叶える為に、僕はカオリに生かされたんだから」
もう後戻りは出来ない。
その先に待っているのが、地獄だったとしても――。
◇
次にカオリに会う時は、既に彼女は鬼化した後だろう。
人間のカオリもとても可愛らしかったけれど、やはり思い出の中のカオリに会いたい気持ちはある。
嫌なことは全部手早く終わらせて、すぐにカオリを迎えに行こう。
「――王よ、鬼達が幽世全土に待機し終えました」
「うん。じゃあ手筈通り、一匹残らず殲滅して。妖怪共は青梅を筆頭に狂骨で狡賢い。温情をかけたらまた裏切るかも知れない」
「はっ」
カオリと別れて地獄に戻った僕は、かねてより詰めていた作戦の決行を家臣達に指示した。
元々鬼達は弱かったから地獄に追いやられた訳ではない。寧ろ他の妖怪達が束となってもそれを凌駕するだけの圧倒的な力を持っている。
それが青梅にしてやられたのは、女子どもを盾に取られたから。
本来鬼はとても温厚な性格で、争い事を何よりも嫌う。
故に妖怪達が現世から幽世に流れ込んで来た時も、戸惑いはしたものの共存していくつもりだったのだ。
――だが手酷く裏切られた。
仲良く手を取り合って生きることしか知らなかった鬼達に〝憎悪〟を教えたのは、他ならぬ妖怪達だ。
だったらこんな結末も、仕方ないだろう?
「……幽世から鬼以外すっかり誰もいなくなったことを知ったら、カオリはなんて言うかな?」
きっと最初は驚くだろうけど、最後には「しょうがないなぁ」と笑ってくれるに違いない。
『例え定められた結婚だったとしても、わたしはあなたを愛しているわ。だからわたしがあなたの元に戻ったその時は、裏切った青梅を……。幽世に溢れる妖怪を……。全て根絶やしにして、今度こそ二人一緒に添い遂げましょう』
だってこれは、きみの望み。
きみの為なら僕は真に〝鬼〟にだってなれる。
――さぁ。全てを終えて、早くカオリを地獄へ連れて行こう。
そこはどうしようもない僕達の、極楽浄土なのだから。
=答え合わせ・了=
答え合わせまで読んで頂きありがとうございました。
本当に病んでいたのはシャタとカオリ、どちらだと思われましたか?
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