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SIDE キリル


ーーー目が覚めると、俺は魔王を倒した英雄になっていた。

いつも通りに騎士として城で働き、ヤドリギ屋でジーナに注いでもらった美味いエールを飲んで、家に帰る。

俺の記憶はそんな日常で終わっているというのに。


「キリル。信じられないかもしれないが、お前が魔王を倒したんだ。魔王との決戦で負った怪我のせいで、お前は3週間も意識を失っていた」


そう言って、記憶の中でも同僚であり友達のイーゴリが、俺の知らない3年間を説明してくれた。

東の森に出現した魔王によって魔物が大量発生し、国が混乱に陥ったこと。

騎士団の精鋭によって討伐軍が編成され、その中の1人に選ばれた俺とイーゴリは、死を覚悟して東方へ向かったこと。

そして3週間前、俺が魔王にとどめを刺してやっと戦いが終わったこと。


「し…信じられないな…」

「噓みたいでも本当のことだ。お前は国の英雄になったんだよ」


まるでお伽話でも聞いているみたいだ。

たしかに騎士団の中でも、それなりの強さだという自負はある。それでもまさか自分が魔王を倒したなんて、とても信じられない。


「この3年間、お前は俺から見ても壮絶な戦いと鍛錬を積んできたからな。絶対に生きてジーナの元に帰るんだって、血気迫る様子だったよ」

「…っそうだ、ジーナは!?あいつは 無事なのか!?」


魔物が大量に発生したということは、市民にも被害が出たに違いない。

もしもジーナに何かあったらと思うと、背筋に冷たいものが走った。


「安心しろ。王都に魔物の被害が出たという知らせはない。ジーナも無事だろうよ」

「そうか…!よかった…!」


安堵でほっと息を吐く。

無事でいるなら、ジーナにも俺の知らない3年の時間が流れたということだ。

彼女は元気にしているだろうか。相変わらずあの店で、笑っているのだろうか。


「…その…ジーナは、変わりないだろうか。彼女も21歳になっているんだろう?もしかして、恋人とか…」


先ほどイーゴリは、俺が生きてジーナの元に帰るため強くなったと言っていた。

もしかして、もしかすると、俺たちは恋人同士にでもなっているんじゃないだろうかー…?

淡い期待に胸をソワソワさせながら、でもそれをイーゴリには悟られないよう視線を逸らして尋ねる。


「ああ、お前それも覚えてないのか。キリルお前、出征前にジーナに告白したんだよ」

「…!!そ、それで…ジーナは頷いてくれたのか…!?」


ついに言ったのか俺…!!

死を覚悟しての出征となれば、普段素直になれない自分でも、さすがにその行動に出るだろうとは思っていた。

ゴクリと、イーゴリの返事を待つ。


「いや、どうやら保留にされたらしい。お前が無事に帰って来て、それまでに好きな男が出来なければ考えてもいいと」


その言葉にがっくりと項垂れる。

……まあ、予想はしていた。しっかり者のジーナが、すぐ死ぬかもしれない男に口先だけで愛の言葉をかけるなんてしないだろうことは。


「でも、おかげでお前はすごいやる気になってたよ。ジーナが他の男に誑かされる前に、1日でも早く王都に帰るんだって」


その反応も納得すぎて、恥ずかしさからぐっと言葉に詰まる。

はっと、俺は重要なことに気が付いた。


「待て。…ってことは、俺は今すぐにでもジーナに会いに行かなきゃならないんじゃ…!?」

「まあ一応無事に帰ってこれたわけだし、ジーナに好きな男でも出来ていなけりゃ、付き合ってもらえるかもな」

「すぐに行く!! !!」

「待て待て待て。お前、自分が満身創痍だってわかってる?」


そうして怪我が完治するまでは城のベッドに押し付けられ、ようやくジーナに会いに行けると思った頃には、凱旋パレードに駆り出された。

その後も王への謁見やら褒章の相談やらで引き止められ、結局俺が城下町に帰れたのは、魔王を倒して2ヶ月が経とうとする頃だった。




「ーー…ジーナ!」


逸る思いのまま開店前のヤドリギ屋のドアを開けると、カウンターの向こうのキッチンに、夢にまで見た愛しい女の子が立っていた。


俺の記憶の中の彼女より少しだけ大人びて、肩あたりまでだった髪も腰まで伸びている。

少し瘦せたのかより一層華奢になり、何の変哲もないただのエプロン姿だというのに何とも色っぽい。

木漏れ日に煌めく若葉のような緑色の瞳は変わらず、吸い込まれそうな美しさだった。


「キリル…!」


驚いた様子の彼女が、ドアを開けて現れた俺を見て固まった。

そして俺も21歳になったジーナのあまりの美しさに、ドアを開けた恰好のまま固まってしまった。


ーー何か言わねえと……!

そう思うのに、声が出ない。

必死に言葉を探して視線を泳がせていると、ジーナの右手でキラリと輝く宝石に目が留まった。

一目見て高価だとわかる青い宝石が、銀の台座の上で輝いている。

そしてそれは何度見ても、彼女の右手の薬指にはまっているようだった。


ーーー右手の薬指に、宝石のついた指輪。


その意味がわからないほど、俺は無骨な男ではない。

さーっと頭から血が引いて、まるで水面に立っているかのように、足元がぐらつく心地がした。


「おかえり!帰ってきたのね」

「………あ、ああ」


カウンターから出て俺の前に来てくれたジーナが、花が咲くような笑顔を浮かべた。

それを嬉しく思うのに、頭の中は絶望と混乱が渦巻いていて、擦れた声で返事をするのが精一杯だった。


「ジ、ジーナ…その指輪……」


左手の薬指につけるのは結婚指輪、そして右手の薬指につけるのは婚約指輪だ。

この国の誰もが知っているその指輪の意味を、どうしても認めたくなくて頭が拒否する。


お願いだから、違うと言ってくれ。

他の男と婚約なんかしていないと、そう言ってくれ。

祈るような気持ちで問いかけた俺の声は、情けなく震えていた。


「…何よ、何か文句でもあるの」


拗ねるように頬を染めたジーナが、大事そうに指輪に触れる。

その瞳には間違いようもない恋慕が滲んで見える。


ーーー…嘘だ。

いったいどこの誰と。どうして。嘘だろう。

声にならない叫びの中で湧き上がってきたのは、ジーナにそんな顔をさせる指輪の贈り主に対する、黒い嫉妬の炎だった。


ーーー…俺は一体、何を期待していたんだろう。

目が覚めて、突然お前は英雄になったと言われて。もしかして今の自分なら、ジーナに好きになってもらえるのでは、なんて期待した。彼女が俺を、待っていてくれているんじゃないかって。


こんなにも美しいジーナを、周りの男が3年も放っておくわけがない。

死ぬかもしれない状況にならなければ愛の告白もできない情けない男を、彼女が待っていてくれるわけがないのに。

絶望でぐちゃぐちゃな俺の喉から漏れたのは、乾いた笑いだった。


「は、ははっ………そんな指輪なんかつけて、お前馬鹿じゃないのか」

「…………え?」


俺の言葉に目を見開いたジーナの顔から、すっと親しみが消える。

だめだ、やめろ。

こんなことを言いたいんじゃないのに。


「早く目を覚ませよ。誰がお前みたいなガサツな女と、本気で結婚したがるんだよ」


ーーー…嘘だ。

本当は誰よりも…俺がジーナと結婚したかった。

気持ちを伝えるチャンスは、子供の頃から腐るほどあったのに。俺はこんな時ですら、優しい言葉一つ口にできないクズだ。


「……なによ、それ」


俺の戯言を黙って聞いていたジーナが、小さい声でそう返した。

震えて聞こえたその声に顔を上げると、ジーナの美しい緑色の瞳から、ポロリと涙が零れ落ちた。


心臓が凍りついたような胸の痛みに、指先すら動かせなくなる。

強がりな彼女は大好きな両親が死んだときでさえ、人前で涙を見せることなどなかったのに。


ーー…俺は、一体なにをしているんだ。


今すぐ殺してくれと願うほどの自己嫌悪に襲われている俺を、ジーナは涙に滲んだ瞳でキッと睨み付けた。


「あんたが無事に帰ってくるのを、私はこの3年間ずっと待っていたのに…!」


無事に帰ってきた幼馴染を、笑顔で迎えてくれたジーナ。

たとえ友人に対する心配だとしても、俺の無事を祈ってくれていたことは嬉しいはずなのに。

それでも俺は「婚約おめでとう」なんて、どうしても言えなかった。


ジーナは俺をぐいぐいと店の外に押し出すと、右手の薬指から婚約指輪を抜き取った。

勢いよく左腕を振りかぶると、指輪を俺に向かって投げつける。胸のあたりにぶつかった指輪は、ころりと地面に転がって落ちた。


「英雄様だかなんだか知らないけど、もう顔も見たくない。…二度と私の前に現れないで」


涙と怒りで震えた声で、でも悲しいほどはっきりと、ジーナが俺にそう吐き捨てた。

茫然としたまま立ち尽くす俺の目の前で、店の扉がバタンと勢いよく閉まった。







「キリル、戻ってたのか 」


ジーナに二度と顔を見せるな宣告をされた後、どうやって城まで戻ったのか記憶がない。

絶望で何も考えられない頭では実家に帰る気にもなれず、俺は城にある騎士団の宿舎に戻ってきていた。

机に突っ伏したまま動かない俺を見て、イーゴリが心配そうに声を掛ける。


「どうした?……もしかしてふられたのか」

「…………………………他の男と、婚約してた」


声に出しただけなのに、その現実にまた喉の奥から絶望がせり上がってくる。

瞠目して驚いた様子のイーゴリは、数秒の躊躇いの後、俺の肩にそっと手を添えた。


「……そうか。相手は誰か聞いたのか?」

「いや………そんな勇気は、なかった」

「大した男じゃないなら、奪い取ってやればいいじゃないか。まだ結婚しちまったわけじゃないんだろ?」


俺を励ますように声をかけてくれるイーゴリに、ついさっき二度と顔も見たくない宣言をされたとは言えない。

どんな男だろうと、ジーナが指輪に触れたときのあの表情を見れば、彼女がその男を好いていることはわかる。

泣かせることしか出来ない俺よりは、間違いなく”いい男”に違いない。


ふと、彼女に投げつけられた指輪のことを思い出した。

見るからに高価そうなその指輪をそのまま道に置いておくわけにもいかず、拾って持って来てしまったのだ。

ポケットに放り込んだままだったそれを摘まんで取り出すと、灯を受けた青い宝石がキラキラと光った。

ジーナの右手の薬指に光っていたあの情景を思い出して、猛火のような嫉妬が腹の底から湧き上がってくる。


顔も名も知らないこの指輪の贈り主は、ジーナにどんな愛の言葉を囁いたのだろう。

俺がこの23年間言えなかった言葉をあっけなく告げて、彼女の心を奪ってしまったんだろうか。


指輪を掴む指先に、つい力が入る。……このまま捻り潰してしまいたい。

そう思うのに、ジーナのあの幸せそうな表情を思い出せば、そんなことは出来なかった。

婚約指輪なのだから、彼女にとって大事なものに違いない。

イーゴリにでも頼んで、ジーナに届けてもらおうか。

……それとも指輪を返すことを口実に、もう一度話すチャンスをもらえないだろうか。


ぐるぐると、そんな女々しいことを考えてしまう自分にほとほと嫌気がさす。

手のひらの上の指輪をじーっと見つめていた俺に、イーゴリが同情するようにため息を吐いた。


「指輪も突き返されたのか」

「………………突き返された…?」


その言葉に、俺は違和感を覚えて聞き返した。

きょとんとした顔のイーゴリは、俺の手にある指輪を指差して答える。


「それ、お前が渡した指輪だろ?自分の瞳と同じ色の宝石にするって言ってたし」

「………俺の、瞳…?」


イーゴリの言葉に理解が追いつかず、まじまじと指輪を見つめてしまう。

確かに言われてみれば、俺の瞳の色によく似た青い宝石だ。

絶望の中にぴちょんと落とされた一縷の望みに、思考が真っ白に染まった。




ーーー…え。

え?

待ってくれ。


「………これ……俺が、ジーナに贈ったのか?俺が?」

「そうだろ?ふられて返されたんじゃないのか?」


俺が贈った指輪?

ってことはー…!


「俺、プロポーズしてたのか…!?」

「そうだよ。言わなかったか?」

「言ってねえよ!ただ告白したってー…!」

「わ、悪い。無事に帰って来れたら結婚してくれって、指輪渡して告白したんだよ」


俺が贈った指輪を、ジーナが右手の薬指につけていた?

……もし、本当にそうなら……もしかしてあの言葉は……!



『あんたが無事に帰ってくるのを、私はこの3年間ずっと待っていたのに…!』



勢いよく立ち上がった俺に、横にいたイーゴリが「うわっ」と驚いて椅子ごとよろめいた。


「急にどうしたんだ!?どこ行くんだよ、キリル!」

「ジーナのところだ!!」


拳にぎゅっと指輪を握りしめて、俺は走りだした。

まるで魔物と対峙する時みたいに、いやそれよりも速いスピードで、一心に城下町を目指す。


…自分に都合のいい、勘違いかもしれない。

この指輪は俺じゃない青い瞳をした男が贈ったもので、ジーナは俺なんか好きじゃないかもしれない。

瞼の裏にはまだ、昼間見たジーナの泣き顔がこびりついている。

二度と顔も見たくないと言った、あれがジーナの本心で、俺はもう完全に嫌われてしまっているかもしれない。


ーー…でももう、例えそうでもいい気がした。

恥をかいても、もっと傷つくことになっても、それでもいい。

情けなくても、みっともなくても、簡単には許してもらえなくても。

ジーナが受け入れてくれるまで、額を地面に擦りつけてでも愛を請おう。


きっとこれが、神様がくれた最後のチャンスなんだと思うから。



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