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SIDE ジーナ


「ジーナちゃん!こっちにもエールを頼むよ!」

「はーい!」


王都の城下町にある大衆酒場、ヤドリギ屋。

いかつい店主が作る安くて旨い料理と、美人の看板娘が評判のお店だ。


そんな『美人の看板娘』として評判な18歳の私こと、ジーナ。

私がまだ8歳の頃に両親は魔物に襲われて亡くなり、ヤドリギ屋を営む叔父ガルドに引き取られた。


「いやあ、美人に注いでもらうと2倍は美味しく感じるねえ」

「残念でした、注いだのはガルド叔父さんよ。私は運んだだけ」


ほろ酔いで頬を火照らせた鍛冶屋のおじさんたちにそう言うと、サービスのピクルスをテーブルに置いた。

王都の酒場とは言え、大通りから3本も外れた通りに店を構えるヤドリギ屋にやってくる客は、そのほとんどが近所に住む顔馴染みばかりだ。

たまに旅人なんかがやってきてナンパされることもあるけれど、その度に熊のようにいかついガルド叔父さんが厨房から出てきて追い払ってくれる。


「最近ますます綺麗になったんじゃないか?あのロックウェル商会の坊ちゃんに見初められたってのは本当かい?」

「やあね、そんなに褒めてもツケはチャラにしてあげないわよ?」

「がはは!こりゃ手厳しいな!」


常連さんはみんな親戚のようなものだ。ジーナがまだ小さかった頃から、その成長を見守ってくれている。

幼くして両親を亡くしたジーナがあまり寂しさを感じることなく暮らしてこれたのも、みんなのおかげだ。

おじさんたちに混じって笑い合っていると、後ろから聞き慣れた低い声が割って入った。


「まったく酔っ払い爺が。こんなガサツな女が、そんな良いとこの坊ちゃんに気に入られるわけないだろ?」

「おお、キリルか!お前もこっちで飲めよ!」


隣を見上げると、思った通りに背の高い男がジーナを見下ろしていた。

チョコレート色をした暗めの茶髪に、海の底のような深い青の瞳。

精悍で男らしいその顔立ちは、一見すると素敵な騎士様のイメージそのままといった容貌だろう。

でもジーナは、この男がそんな紳士ではないことを知っている。

おじさんたちに手招かれて同じテーブルの席についたその男を、じろりと睨んだ。


「ずいぶんと失礼なこと言ってくれるじゃない。レディーの扱いも知らない半人前の騎士のくせに」

「はっ、どこにレディーがいるのか教えてほしいもんだな」

「無礼な男に出すエールはありません。他の店にでも行ったら?」


キリルとジーナは幼馴染で、小さい頃からずっとこの調子だ。

また始まったとでも言いたげに、おじさんたちは飲み始める。


ジーナより2歳上のキリルは、ヤドリギ屋の近くにある宿屋の次男だった。

元々体格の良かった彼は、16歳になると騎士の入団試験を受けて見事合格し、晴れて国民の憧れである王国騎士様になった。


国の誇りでもある騎士には、強さだけでなく品格も求められる。

王族や貴族を警備することもあるから、女性のエスコートなども出来なくてはいけないらしい。

口を開けば粗雑な言葉しか吐かないキリルが、ちゃんと騎士として働けているのかジーナは甚だ疑問だった。


それでも以前遠目に見かけた仕事中のキリルは、外国の要人にジーナが見たこともないような紳士的な微笑みを向けていたし、そんな騎士様を見た女性たちが黄色い声を上げているのを知っている。

全然納得していないけれど、みんなこの一見爽やかな見た目に騙されているのだと思う。


「おーい!そこの綺麗な姉ちゃん!こっちに来て酌でもしてくれよ!」


むっとしてキリルのことを考えていると、少し離れたテーブルにいる若い男性客が大きな声を出した。

ガハハハと頬を真っ赤にして笑う彼らの前には空になったジョッキが並んでいて、見るからに酔っ払いだ。

はぁっと小さく溜息を吐くと、よく通る凛とした声でジーナは返事をした。


「そういうサービスをお望みなら、裏通りのお店に行ってちょうだい」

「ちっ、なんだよお高くとまりやがって!いいからこっちに来いって言ってんだろうが!」


酔っ払いの1人が立ち上がりかけると、いつの間に移動したのか、その肩を上から押さえつけるようにしてキリルが座らせた。

突然のことに驚いた酔っ払いは「なっ…!?」と小さく声を上げて肩の痛みに呻く。

冷めた視線で男を見下ろすと、キリルは後ろからその耳元で囁いた。


「…あんたら、王都は初めてか?ヤドリギ屋のジーナに手を出したらどうなるか、知らないらしいな」

「いっ…痛っ…!わ、わかった、悪かったから離してくれっ!!」


掴まれた肩を抑え、男が情けない声を上げる。

他の酔っ払いもその様子に怖気づいたのか、皆口を噤んで静かになった。

仕上げとでもいうようにぎろりと冷たい一瞥を落とし、キリルはこちらに戻って来た。


助けてくれたのだろうが、素直にお礼を言うのはなんとなく気恥ずかしく、ジーナは視線を逸らして呟いた。


「……あんな 酔っ払いくらい、私1人で何とでもできたわ」

「はいはい、そうかよ。ったくお前は、調子に乗って無暗に煽るんじゃねえよ。ああいう時はすぐにガルドおじさんを呼べって言ってんだろ」

「わかってるわよ」


ガルドは元騎士で、引退した今でもそこら辺の男を秒でのせるくらいには強いのだ。

素直にありがとうを言えない代わりに、ジーナはキリルの座る前にエールを出した。


「…それ飲んだらさっさと帰りなさいよね」

「言われなくてもそうするっつの」


ジーナとキリルのそのやり取りを、鍛冶屋のおじさんたちがニヤニヤしながら眺めていた。

我ながら素直じゃないとは思うものの、長年の付き合いはそうそう簡単に変えられるものではない。


こんな日常がずっと続いていくんだと思っていたのに。

いつも通りの毎日の終わりは、本当に突然にやってきた。






「魔王の討伐軍に…?…キリルが…?」

「だから、さっきからそう言ってんだろ」


いつも通りにヤドリギ屋にやってきたキリルは、まるで天気の話でもするみたいな何でもなさで、魔王の討伐に向かうことを告げた。

100年に一度ほど現れる魔王が、辺境である東部の森で発見されたことは大きなニュースになっていた。

近々、王国によって討伐軍が編成されるだろうことも、王国騎士であるキリルがその討伐軍に選ばれるかもしれないことも知っていた。

知っていたけれど、まさか本当にそうなるとは思っていなかったのだ。

現実味のない話に理解が追い付かないまま、ジーナは必死に平静を装って問いかけた。


「……そう。いつ、行くの? 」

「3日後には王都を発つ。明日から準備のために城に泊まるから、家にいられるのは今日が最後だな」

「そんな…そんなに急に?」


出発前に会えるのは今夜が最後ということか。

”最後”という言葉が嫌な想像を搔き立てて、ジーナの顔色がさっと青くなる。


「どうしてもっと早く言ってくれなかったの」

「…そんな顔すんなよ、まだ死ぬって決まったわけじゃない」

「なっ…!何言ってんのよ!そんなっ…縁起でもないこと言わないで!」

「でも本当のことだ。…俺は、生きて帰ってこれるかわからない」


エールの入ったグラスを傾けながら、キリルはポツリとそう呟いた。

魔王の討伐は、毎回多くの死傷者を出す。100年ほど前の討伐では、戦った騎士のほとんどが犠牲になったと聞いている。

今回の魔王の強さがどれ程のものかは想像もつかないが、戦死する可能性は決して低くはないだろう。


ーーーキリルが、死ぬかもしれない。

まるで深い闇に落ちていくような底知れない恐怖が、ジーナを襲った。


「キリル……」


震える声で名前を呼ぶと、エールに視線を落としていたキリルがジーナを見上げた。

その蒼い瞳には、恐怖も迷いも感じられない。


「…だから、後悔しないように全部言って行くことにしたんだ」


そう言って、ポケットから小さな箱を取り出す。

滑らかなベルベットに包まれたその箱をそっと開くと、深い青色をしたサファイアが輝く銀の指輪があった。

自分に差し出されたその指輪に目を見開くジーナの前で、キリルはすっと跪く。

その姿は洗練された王国騎士、そのものだった。


驚きに固まるジーナをまっすぐに見上げて、キリルは口を開いた。


「ジーナ、俺はお前が好きだ。ガキの頃からずっと、お前だけが好きだった。…もし俺が生きて帰って来られたら、俺と結婚してくれないか」

「……キ、リル…」

「もし頷いてくれるなら…約束の証に、この指輪を受け取ってほしい」


ポロリと、ジーナの瞳から涙が零れた。

驚きと、キリルを失うかもしれない恐怖で、胸の中はぐちゃぐちゃだった。

それでも何よりジーナの心に溢れていたのは、喜びだった。…ジーナだって、幼い頃からずっとキリルのことが好きだったのだから。


自分を見上げる愛しい男に今すぐにでも抱きつきたい気持ちを必死に抑えて、ジーナは零れた涙を拭った。

震えそうな声をなんとかバレないようにしながら、差し出されたその指輪をキリルの手ごと包み込む。


「…今は預かっておくわ。キリルが無事に帰って来て……その時私に好きな人がいなかったら、指に着けてあげる」


ジーナにとっての一番の望みは、キリルが無事に帰ってきてくれることだ。

そのためなら、未練でも心残りでも、なんにでもなってやろうと思った。

絶対に、今日を最後の綺麗な思い出なんかにはさせない。


「だから、早く帰って来なさいよね。私みたいないい女、すぐに売れちゃうんだから」


涙を滲ませるジーナを見て、キリルは幸せそうに微笑んだ。

きっとジーナの気持ちをわかっているのだろう。


「ああ、必ず。ジーナがよそ見する暇もないくらい、すぐに帰って来るさ」


堪えきれずに零れる涙を見られたくなくてジーナが抱きつくと、苦しいくらいの力でキリルはジーナを抱きしめ返した。

2人の抱擁を目にした常連客が笑いながら囃し立てても、キリルはしばらくジーナをその腕から離そうとしなかった。





そうしてキリルは魔王討伐軍として、東方へと旅立っていった。

王都に残されたジーナは毎日、新聞で討伐軍のニュースを探した。

戦いが激化するに連れて増えていく戦死者リストにキリルの名前がないことに、毎日ほっと胸をなでおろしていた。



ーーーそうして長い長い3年が経ち、ついに魔王は討伐された。

魔王の息の根をとめた英雄として新聞に大きく載ったのは、信じられないことにキリルの名前だった。


討伐軍に選ばれる前から、王国騎士団の中でその力が高く評価されているらしいことは風の噂で聞いていた。

それでも、まさか魔王を倒してしまえるほどだとは思わなかった。

驚きと誇らしさと、そして何よりもキリルが無事に生きていることが嬉しくて、ジーナはその新聞を読んだ後、一人で安堵の涙を流した。


ーー…キリルが帰ってくる。また会える。

そんな喜びに溢れる時間は、そう長く続かなかった。



王国は魔王を倒したキリルを英雄として讃え、爵位と褒章を与えるらしい。

そして褒章の1つとして、第三王女と結婚させる話まで上がっているらしいと、ゴシップ記事には書かれていた。

王女との結婚は定かではないが、とにかくキリルが雲の上の人になってしまったことは、間違いないようだった。


新聞によると討伐軍は1か月前に王都へ帰還しているらしいが、キリルは一向に家に帰って来なかった。

もしかして怪我で動けないのかもしれないと心配したが、先日王都で行われた凱旋パレードで、遠目に元気そうなキリルの姿を見た。

人混みがすごくて小指の先ほどの大きさでしかその姿は見えなかったけれど、ジーナが覚えているよりもずっと逞しくなっていた。

煌びやかな衣装に身を包み、民衆の声援に手を振るその姿は、まさしく物語に出てくる英雄のようだ。

下町の大衆酒場で働く自分とは、全然違う世界の人に感じた。



……キリルはもう、私のことなんて忘れてしまったのかもしれない。


そんな不安が頭をよぎるたび、ジーナはキリルからもらった指輪をぎゅっと胸に抱えた。

この3年間、何度も右手の薬指で煌めくこの蒼い輝きに励まされた。

まるでキリルの瞳のような深い青のサファイアを見るたびに、ジーナに跪いて求婚してくれたキリルを思い出すのだ。


ーー…キリルは必ず、私の所へ帰ってくる。約束してくれたもの。

そう信じて、ジーナは指輪のサファイアにそっと口づけた。





魔王が倒されてから、もうすぐ2ヶ月が経とうという頃。

ジーナがいつものようにキッチンで開店準備をしていると、大きな音を立てて店の扉が勢いよく開いた。


「ーー…ジーナ!」


何事かと驚いて目を向ければ、そこには待ち焦がれたキリルが立っていた。

3年前よりも逞しくなり、顔には知らない傷跡も増えているものの、ジーナをじっと見つめるその青い瞳は昔のままだ。

走ってきたのだろうか、厚い胸板が逸る呼吸で上下していた。


「キリル…!」


突然の再会に、驚きで言葉が出ない。

それはキリルも同じだったのか、ジーナを見つめたままドアの所で足を止めたままだった。


キリルが帰ってきた。

無事に、生きて帰ってきてくれた…!

それが何よりも嬉しくて、思わず潤みそうになる瞳を誤魔化して、ジーナは笑顔でキリルに駆け寄った。


「おかえり…!帰ってきたのね」

「………あ、ああ」


久しぶりの会話に、キリルも戸惑っているのか、歯切れの悪い返事だった。

店のドアを勢いよく開けたときは蒸気していたようにも見えたその顔は、近寄るとどこか蒼白に見えた。

表情を強張らせたキリルは、じっとジーナの右手を見つめていた。


「ジ、ジーナ…その指輪……」


キリルがくれたこの指輪を、ジーナはこの3年間毎日身につけていた。

彼がこうして無事に帰ってきた時、自分の右手にこの指輪があれば、それがあの日のプロポーズの返事になると思って。


「…何よ、何か文句でもあるの」


ずっとキリルを待っていたなんて、そんな可愛いことは恥ずかしくて言えず、言葉にはいつもの喧嘩腰が滲んでしまった。

照れくさくて視線を逸らしたものの、赤く染まった頬は隠しきれていない。


ジーナの言葉に茫然としていた様子のキリルは、しばらくして表情を隠すように額を手で覆った。

俯いたキリルをうかがうようにのぞき込むと、小さく乾いた笑い声が聞こえた。


「は、ははっ………そんな指輪なんかつけて、お前馬鹿じゃないのか」

「…………え?」


落ちてきたその言葉に耳を疑う。

はぁ、と溜息を漏らしながら視線を上げたキリルの顔からは、表情が抜け落ちていた。


「早く目を覚ませよ。誰がお前みたいなガサツな女と、本気で結婚したがるんだよ」


それはキリルがよく言っていた、ジーナへの憎まれ口。

………でもこれは、いつものじゃれ合いとは違う。

さーっと、頭から血が引いていくような心地がした。


「……なによ、それ」


嘘だと言ってほしい。照れくさくてつい言い過ぎたと、そう言ってほしい。

そんなジーナの願いは届かず、キリルは真顔のまま、それ以上何も言わなかった。


あの日の指輪を身につけて、キリルを待っていた3年間に対する返事が……これだということか。

悲しさと怒りと悔しさが溢れ、泣きたくなんてないのに涙が零れ落ちた。


「あんたが無事に帰ってくるのを、私はこの3年間ずっと待っていたのに…!」


出征する前の男の戯言を本気にして、3年間も待ち続けて。

毎日健気に渡された指輪をつけて、この男の無事を祈っていた自分が惨めで恥ずかしい。


……自分はなんて、馬鹿なんだろう。

英雄になって帰ってきたキリルが、今更酒場の女と結婚したいと思うわけないのに。


ドアの前に突っ立っていたキリルをぐいぐいと店の外に押し出すと、右手の薬指から婚約指輪を抜き取った。

ぐちゃぐちゃになった感情を全てぶつけるようにして、指輪をキリルに向かって投げつける。


「英雄様だかなんだか知らないけど、もう顔も見たくない。……二度と私の前に現れないで」


涙で震えそうになる声を何とか絞り出して、店の扉を勢いよく閉めた。



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