9話 乾杯
9.
「エディ・キールの名で予約されておるはずじゃ。人数が一人増えておるが、問題ないかの?」
カナンは寄ってきた店員の女性にそう告げると、後ろに店の外で立つ俺たちを手振りで示す。
店員は見るからに高貴な身分のカナンにも動揺することなく、恭しく腰を折った。
「お待ちしておりました、お客様。三名から四名への人数変更も問題ございません」
「そうかそうか、悪いの。では、席へ案内するのじゃ」
「かしこまりました。どうぞこちらへ」
貴族らしい振る舞いが板についているカナンを店員は誘導する。エディがカナンの後に続き、僕とフェンもその後ろから、落ち着いた店内へ足を踏み入れた。
僕は席へと向かいながら、きょろきょろと店内を観察する。大衆向けの酒場とはまるで違い、白を基調とした落ち着いた内装だ。背の低い壁や柱で区切られた区画に、いくつかのテーブルが距離を置いて配置され、すでに何人もの客が食事を楽しんでいる。
高級店など初めて訪れるフェンも、僕と似たような様子だった。
――というか、こんないいお店ならドレスコードとかあるんじゃ……?
僕は自分とフェンの格好を見下ろす。僕は街を出るときから来ている旅装、フェンも宿場町で手に入れて寝巻きから着替えた服だ。ボロボロというわけではないが、やはり旅をするための格好なので、この店に相応しいかと言われれば首を傾げざるを得ない。
しかし、何も言われなかったということは問題なかったのだろうか。他の客層を見ても、明らかに場違い感は否めないが。
僕は落ち着かない心地でそわそわしてしまう。思わず前を歩くエディに「僕らこの服で大丈夫かな?」と問いかけると、呆れたような目で振り向かれる。
「もしダメなら事前にお話ししていますし、入口で店員に止められています。予約を取る際、同行者が旅を終えたばかりの服装で来ることに了承は取っているので、今回は問題ありません」
「なんだ、そうだったんだね! 安心したよ」
「……だいたい、あなたは曲がりなりにも貴族なのでしょう。文句を言える店などありません」
「いやいや、そんなしょうもないことに貴族の特権使ったりはしないさ。お金もないし、僕なんてまさに名ばかり貴族ってやつだ」
「……そうですか」
エディは僕に冷たい視線を向け、静かに前へ向き直った。何か気に障ったのだろうかと首を傾げていると、やがて先導する店員が足を止め、僕たちは席に案内される。
丸い形のテーブルにはすでにカトラリーやグラスが並べられており、コース料理のお品書きとドリンクメニューが置かれていた。よく分からないが、料理の名前もなにやら高級そうである。
「さて。ではまずは飲み物を頼もうかの」
全員が席に着いたのを確認すると、フェンと反対側で僕の隣に座ったカナンが店員に向かって告げた。
「そうじゃの……このシャンパンを人数分頼むぞ」
「いやフェンまだ未成年だから。えーっと、シャンパンは三人分で。あとフェンは……この果実水とかでいい?」
「うん」
「じゃ、それで」
「承知いたしました。クリスタル・ブリュット三つに、レモンの果実水ですね、すぐにお持ちいたします。料理も順番に運ばせていただくので少々お待ちください」
カナンの代わりに注文を伝えると、店員は恭しく礼をして去っていった。
それから適当に雑談しながら待っていると、すぐに飲み物と前菜が運ばれてくる。全員の前に行き渡ったことを確認すすると、カナンは口を開いた。
「それでは始めようかの。……おほん。では、一切わらわに会いに来なかったダイヤとの再開と、可愛らしい獣人の少女フェンとの出会いを祝して――――乾杯じゃ!」
「乾杯~」
僕たちはカナンの音頭に合わせて互いにグラスをぶつけると、泡が浮かび上がる透き通ったお酒に口を付けた。
含んだシャンパンは口の中でシュワシュワと弾け、僕の舌に果実味とコクのある複雑な味わいを伝えてくる。そして、シトラスのような香りとともにするりと喉を抜け、心地よい炭酸の刺激を残して胃袋に落ちていった。
――けっこうアルコール感じるけど、これ……。
「……めっちゃ美味しいんだけど! 高いんじゃないのこれ、恐ろしく」
「まあ、ここのワインでも最高級のものじゃからな。ちと値段は張るのう」
「なんか人の金とはいえ怖くなるな……」
「よいよい、気にするな。今回の任務で得られる報酬は莫大じゃ。こんな酒の代金などはした金に感じるくらいにな。お主だってかなりの金をもらっとるじゃろう」
「いや、報酬は全部孤児院の運営に当ててもらうよう頼んでるから。次の管理者を用意してもらって、新しい職員さんとかも追加で雇うようにお願いしてるんだ。……前菜もうまっ!」
僕はそのハイクオリティさに慄きながら食事を進める。カナンが話しかけてくるが、ぶっちゃけていえばあまり聞いていない。僕の隣のフェンも同じような様子で夢中になって料理を食べ、すぐに前菜を平らげてしまった。
僕たちは顔を見合せ、次の料理はまだかなと囁き合う。そしてそんな僕たちに、カナンは呆れた視線をよこす。
「相変わらず欲のないやつじゃ。……しかしお主ら、よっぽど腹が減っていたと見えるの。ちゃんとわらわの話を聞いてほしいところじゃが、まずは腹を満たすところからか」
そう言うとカナンはそばを歩いていた店員を呼び寄せ、「腹ぺこの者が二人おるから、全部の料理をできるだけ早く持ってくるのじゃ」と伝えてくれる。尊大なお貴族様とは思えない気遣いだ。しばらく会わなかった間に成長したのだろうか。
そうして、すぐに次の皿がやってきたと思うと、立て続けにいくつかの料理が運ばれてくる。僕とフェンは喜んでかぶりつき、カナンの声を半分くらい耳に入れながら空腹を満たすのであった。




