表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/7

第4話 秋色の恋

「お待たせして申し訳ありません! ただいまCherish到着しました」


 綾、ゆかり、麻里亜のあとに続き、聡子が大声で謝りながらスタジオに入る。


 予定より二時間半も遅れたため、現場で待つしかないスタッフたちは、さぞ疲れているだろうと思ったが、そこはみんなプロだ。タレントに気を遣わせるようでは良い作品は撮れない。


「おっはよぅー。明治通りで事故だって? タクシーとバイクの正面衝突ってニュースやってたけど、バイクの人も無事だったらしいね。渋滞に巻き込まれると焦るよね」


 喫煙所から戻ってきた編集者の竹本が、笑顔を見せてくれた。


「竹本さん、本当にすみませんでした。撮影が始まる前からお疲れではないですか?」


 もっと不機嫌な対応をされると覚悟していたが、スタジオの空気は明るく和やかで、聡子は内心で胸を撫で下ろす。


「ははは、大丈夫だよ。先にたっぷり休憩取らせてもらったと思ってるよ。今月は巻頭だからね、杏里と恭子も張り切ってるよ」

「わぁ、楽しみです。よろしくお願いします」


 竹本に頭を下げると、聡子はカメラマンとその助手にも挨拶に回った。


「杏里ちゃん、おはよう! 待ちくたびれたでしょ? ごめんねぇ。今日もよろしくお願いします。今日のテーマは『秋色の恋』だったよね。えーと、恭子ちゃんはあっちにいる?」


 ヘアメイクの杏里は、壁に貼られた大きな鏡の前に道具を広げていた。ガラス瓶に入った各色のファンデ―ション、様々な色のたくさんのパレット、布製のポケットに入れられたブラシ類……。


 流行のメイクなどしたこともない聡子には、どうやって使うのかさえ不明なものもある。だが、それらを見ているだけで魔法にかかったように気持ちがウキウキするのはなぜだろう。

 杏里が手にしたこの道具たちは、聡子の大切なCherishの三人を、魔法のように美しく変えてくれるのだ。


「恭子ちゃん、おはようございますー」


 メイクルームとはパーテーションで仕切られた、衣裳部屋の中を覗きながら声をかける。


「聡子さん、おはようございます。大変でしたね。衣装はこれなんですけど、何か要望はありますか? あたしのプランはですね……」


 スタイリストの恭子は、杏里よりも一年ほどあとにこの業界に入ったらしい。現場で一緒になることの多い杏里は、恭子にとって良き先輩なのだ。


 この日の衣装は「秋色」がテーマの、タータンチェックのスカートだ。アヴァンギャルド&エレガントを売りにしているブランドの新作で、三人が穿くスカートの色合いは絶妙に変えてあった。


「わぁ、素敵! 早く着替えたみんなを見たいよぅ」


 恭子が示したコーディネートは、綾にはブラウンとネイビーのタイトなシルエット、ゆかりは赤とダークグリーンを基調にした大きなプリーツ、麻里亜は落ち着いたピンクと臙脂の細かいプリーツのもの。どれも三人の綺麗な脚がより美しく映えるようなミニスカートだ。


「これに、上はジャケットやニットで違いを出そうと思ってます」


 自信ありそうに微笑む恭子は、三人にそれぞれの衣装を身体の前で持たせている。綾も、ゆかりも麻里亜も、三人ともとてもよく似合っていた。


「うん、さすが恭子ちゃん。センス抜群! じゃ、あっちで待ってるね」

「はい!」


 パーテーションの横をすり抜けようとした聡子の耳に、恭子に甘えるような三人の声が聞こえる。きゃっきゃと楽しそうに服を選ぶ声は、アイドルというよりも普通の高校生そのものだった。


 メイクルームに戻ると、杏里が手の甲にブラウンのグラデーションを作っていた。


「聡子さん、見てください。ディオールの新作アイシャドウ、昨日買ったばかりなんです。ベースカラーはファンデに近い肌色にして、そこにダークブラウンを重ねると、柔らかくて大人っぽい雰囲気になるから、アヤちゃんにはぴったりですよ。眉をヘプバーンみたいに太く描いたらぜったい似合ますね。ユリちゃんの瞼には絶対ラメを入れなきゃ。マリルんは守ってあげたくなるような感じに……。うん、最高!」


 本人たちはまだ着替えの最中だが、杏里はうっとりと目を閉じて、自分が想像したメイクの仕上がりに興奮しているのか、腰をくねらせて楽しそうだ。


 杏里は、モデルや俳優にメイクをしながらでも、その背後で腰をくねらせて踊るように動く。その独特のアクションと同様、流行りを確実に取り入れながらも、個性的な色使いとラインを描く杏里のメイクは、業界でも注目されつつある。雑誌のグラビア撮影ではたびたび杏里がメイクに入ってくれるので、Cherishの知名度も相乗効果的に認知されてきた。


 事務所からは、そろそろキャパ二百人のライブハウスではなく、ホールで開催してはどうかと提案されているが、「会いに行ける」地下アイドルだからこそ応援してくれるファンも多いはずなので、そのタイミングは難しかった。


 日本一とは言わないまでも、それに近い存在として輝きたいという目標は、聡子をはじめとした四人の共通認識だ。とはいえ、売れない時代を支えてくれたファンたちの想いを裏切るようなことはしたくない。 


「サトコさん、見て見て! 二次元アイドルの学校の制服みたい!」

「わぁ、ユリちゃん、かわいい! 二次元アイドルよりもずっとかわいいよ~!」


 顔の前でぱちぱちと手を叩き、聡子は衣装に着替えたゆかりを抱きしめたい衝動に駆られている。


 三人とも少しずつ色とデザインの違うタータンチェックのスカートは、メンバーの魅力をさらに惹き出し、雑誌の巻頭で輝くことは間違いないだろう。


「じゃあユリちゃんから、ここに座って。聡子さん、ユリちゃんの髪は下ろしますか?」

「うん、そのへんも全部お任せする~。杏里ちゃんと恭子ちゃんのペアは最強だもん」

「了解です~。じゃあユリちゃん、何か希望はある?」


 眩しく光るLEDライトが、鏡の周囲を囲むように点いている。その明かりに照らされたゆかりは、目の前の台の上に並んだアクセサリーを一通り眺めた。


「このヘアブローチかわいいなぁ。右側? それとも左? にこれ着けてみたいです。あとね、ディオールのアイシャドウ!」

「OK。昨日発売の新作だから、ユリちゃんが一番乗りだよ。ユリちゃんの目は大きくて形もいいから、メイク映えしてくれて嬉しいなぁ。目尻のラインをいつもより上向きにしようか。ブラウンの上に控えめにラメピンクを載せて、アヤちゃんとマリルんとの違いも出したいよね」


 衣裳が汚れないよう、白いケープを被せられたゆかりは、興味津々といった顔で台の上のメイク道具を見ている。

 雑誌の撮影は過去に何十回とこなしてきているのに、いつまでも子どものような好奇心が旺盛なゆかりは、ときどきそっと手を伸ばして杏里の仕事道具であるそれらに触れた。


「なぁに? ユリちゃん。こっちのシャネルも使ってみたい?」

「あっ、なんだか目移りしちゃいますね。動いちゃってごめんなさい」


 ぺろっと舌をだしたゆかりは、鏡の中の自分を見ている杏里と目を合わせる。


「そのくらいは大丈夫だよ~。ところでユリちゃん、なんか急に綺麗になってない? この前会ったのって、一週間くらい前だよね」

「やだー、杏里さん。一週間くらいで変わるわけないじゃないですか。うーん、でも、徐々にっていうんだったら、あるかもですね」


 自分の右側から腕を伸ばし、リキッドタイプのファンデーションをゆかりの顔に塗っている杏里の横顔を見ながら、ゆかりが思わせぶりな言い方をした。


 ゆかりの後ろに立って会話を聴いていた聡子が、まさか、と胸をドキドキさせながら続きに耳を澄ませていると、パーテーションの向こうから、衣装に着替えた綾と麻里亜、続いて恭子も出てくる。


「きゃー、ふたりとも可愛すぎるぅ」


 ブラウン系のタイトなスカートを穿いた綾は、オフホワイトのペプラムジャケットを着ていた。ピンク系で細かいプリーツスカートの麻里亜は、ダークグレーのふんわりしたカーディガンを羽織っている。


 スマホを構え、インスタ用にふたりの写真を撮った聡子は、ふたたびゆかりと杏里の会話を聞こうと耳をそちらに向けた。


「恭子ちゃーん、ちょっと手伝ってもらっちゃっていいかな?」

「はい、杏里さん。なんでもやりますよ」

「じゃあね、アヤちゃんとマリルんの髪に、先にブラシ入れといて」


 杏里のボックスからヘアブラシを取り出した恭子は、綾と麻里亜を並んで座らせ、まず綾の髪にローションを吹きつける。


「女の子が綺麗になる……。それってもしかして、恋なのでしょうか?」


 眉を描きながら、ゆかりに訊いたというよりも自問するように杏里が言う。


「えへへー、そうかもしれません」

「えっ、ほんとに? ユリちゃん、いま恋してるんんだ?」

「はい。恋って不思議です。心が満たされたり、胸がきゅうーって苦しくなったり、彼のことを想うと自分が自分でなくなってしまうような……。苦しいけど幸せなような」


 いやいや、冗談じゃない。現場でいきなり何を言い出すのだと、聡子は気が気ではない。気心の知れたスタッフだからと、ゆかりは杏里に心を許しているのだろうが、マネージャーの自分でさえ聞いたことのない話をスタジオで始めるなんて、常識的に考えておかしいと、聡子はハラハラしてしまう。

 杏里を信じてはいるが、「Cherishのユリに恋人がいる」などと、飲み会の席ででも公表されたら、大変なことになるのだ。


「杏里ちゃん、ユリはあとどのくらいかかりますか?」

「ユリちゃんは、あとこのブローチを着けたら終わりです。次はアヤちゃんですか?」


 ゆかりの話を中断させようと、聡子は杏里に話しかけた。杏里は、ゆかりの告白をそれほど真に受けてはいないようだ。何百人ものモデルや俳優の顔に触れてきた杏里だから、そういった話題には慣れっこなのかもしれない。


「はい、次はアヤをお願いします。ユリ、すごくきれいにしてもらったね」


 鏡の中で自分を見ているゆかりに向け、聡子が親指を立てて見せると、ゆかりも同じアクションで笑顔を返してくれた。


「はい、ユリちゃんおつかれ。じゃあアヤちゃん、ここに座ってください」


 ゆかりは立ち上がり、恭子に手伝われながらケープを外した。赤とダークグリーンのチェックのスカートを穿いたゆかりは、その上に濃紺のニットを着ている。


「ユリ、とっても綺麗。さすがは杏里ちゃんね」


 聡子に褒められたゆかりは、鏡に全身を映して嬉しそうだ。


「そのままでも充分シックな雰囲気のアヤちゃん。この秋からはその路線をもっと意識したいです。前髪をいつもより多めに左に分けて、後ろは流す……どうかな?」


 細いコームで額の髪を分けながら、杏里は綾の反応をうかがう。

 綾はほとんど無表情だが、情熱的に迫ってくる杏里と鏡の中の自分を見比べて、嬉しそうに頷いた。


「ユリとマリルがかわいい系ですし、私はそういうのは似合いませんから、杏里さんにお任せします。いっそ髪ももうちょっと切った方がいいでしょうか?」

「ううん、ボブはアレンジが利くし、アヤちゃんにはとっても似合ってるから、そのままでいて。では今日は、その綺麗なアヤちゃんの魅力をもっと惹き出しましょう」


 一旦鏡の前から離れ、綾は仕上がったゆかりを見て嬉しそうに笑った。


「あぁ、メイクさんてほんとにすごいです! 早く本誌が見たいなぁ!」

「サトコさん、気が早すぎますって。まずは撮影を無事に終わらせることが大事です」

「あぅ……、さすがアヤちゃん。だってねぇ、みんなかわいくて綺麗で、最近は色んなオファーが届くし、おねえさん、ただのファンみたいになっちゃってるんだよ!」


 興奮して大きな声を出さないように、三人にオタクだとばれないように気にしながら、聡子は正直に本音を吐き出した、


 二年前、Cherishのマネージャーとして働き始めたばかりの頃は、自分がついたタレントの人気が伸び悩んだら、と不安を抱えていた聡子だったが、四人で力を合わせた甲斐あって、最近は努力に見合った結果を実感している。と同時に、忙しくなりすぎては本人たちの負担が大きくなるし、無名時代から応援してくれているファンにとっては、Cherishが離れていくようで、あまり嬉しいことではないかもしれないとも思う。


 だが聡子には、四人で交わした約束があり、誰よりそばで彼女たちを見ているからこそ、大きなステージで輝いてほしいと思うのだ。うちのユリと、アヤとマリルはこんなにすごいアイドルなんだぞ、とそのステージを想像して一人勝手に悶えている聡子の肩を、綾がそっと叩いた。そしてふたたび鏡の前に戻っていく。


「マリル」


 隣の椅子でメイクの順番を待っている麻里亜に、綾がたしなめるような声をかけた。麻里亜が顔をあげて自分の方を見ると、綾は厳しい表情を崩さずに首を振った。


「何度も見ちゃだめ。いいの、もう仕事なんだから、そっちに集中すべし」

「う、うん……、そうだね。ついタイムラインを覗くクセがついてる。今日はせっかくこんなにかわいい衣装だし、真面目にやらなきゃ」

「書きたいことがあったら、投稿していいと思うよ。ツイッターは自由に楽しく。特定のファンを過度に意識してちゃ、アイドルは務まりません」


 鏡の中で麻里亜の顔を見つめ、綾はリーダーらしく麻里亜を諭す。


「アヤちゃん、ありがとう。わたし、がんばるね」


 綾のメイクをてきぱきと済ませ、杏里が麻里亜の横についた。

 白くきめ細かい麻里亜の肌には、ピンクオークルのファンデーションが良く似合う。それはふんわりと溶けるように載せたチークの立体感を効果的に演出した。


 準備が整ったゆかりと綾を、孫を見るような目で見つめては溜め息をつく聡子だが、脳内では騒々しく、ゆかりが恋をしているのは真実なのか、だとしたら相手は誰かと、あれでもない、これでもないと考えていた。


 家族との日常、体調のこと、何でも話してくれたゆかりに、いつそんな人が出来たのか。付き合っているのかそうではないのか。この撮影が終わったら、マネージャーの責務として、可能な限り聞き出そうと思っていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ