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第3話 Cherish

 ハンドルに手を掛けたまま、聡子は人差し指の先でそこをトントンと叩いて溜め息をついた。

 朝のこの時間帯なのに、どうしてこんなに渋滞しているのかと、焦りと各方面への申し訳なさで、蒼ざめながらハンドルを握っている。いつもは明るく和やかな車内なのに、助手席と後部座席の三人は、それぞれ顔を見合わせて緊張の色を隠さない。


「……はい、はい。もうじき新宿なんですけど、代々木で事故があったらしくてすごい渋滞で……。あと二時間くらいかかっちゃうかもしれません。あっ、ちょっと待ってください」


 自分の真後ろの席で通話をしているゆかりの腕をとんとんと叩くと、聡子は顔を近づけてきたゆかりの頭を困り顔で撫でた。そして、電話の相手に聴こえないよう、通話口を押さえるように手振りで指示する。


「メイクさんやスタイリストさん、ケツカッチンじゃないか訊いて」

「……あ、もしもし、えっと、メイクさんとか、次の仕事が入ってたりは……あ! 大丈夫ですか。よかったです。はい、全員サトコさんの車に乗ってます。じゃあまた、後ほど連絡します。はい、すみません。失礼します」


 通話を終えたゆかりが、スマホを聡子のバッグに戻す。張りつめていた全員の気がようやく緩み、聡子はシートに背中を預けると、ゆかりの方に首だけ回して片手を立てた。


「ありがとう。ごめんね、ユリちゃん。本当なら私が電話しなきゃいけないのに謝らせちゃって」

「サトコさんは運転中なんだから、しょうがないの。ていうか動かないからってよそ見しちゃダメだよ!」

「してないしてない! ユリちゃんこそ、ちゃんとシートベルトしてるよね。あ、みんなお腹空いてるでしょ。こんなのでよかったら……」


 バッグの中から手探りで取り出したコンビニ袋には、小学生が喜びそうな細かいお菓子が入っている。それを託されたゆかりは、他のメンバーに見せる前から、わぁっと歓声をあげ、ずっと同じ姿勢で渋滞に耐える聡子の腕に抱き付いた。


「このグミ、食べたかったんだぁ! うーん、おいしいっ!」

「よかったー。ピーチ味ってハズレないかなと思って」

「サトコさんも食べて、食べて」

「サトコさん、よく時間ありましたね」


 ゆかりが差し出した袋からグミを一粒つまみ出し、綾が聡子に一礼する。歳はゆかりと一つしか違わないというのに、リーダーの自覚を持って仕事に臨む綾は、どんな時でもしっかりしていて頼もしい。


「実はねぇ、それは昨日買った私のおやつなんだけど、みんなを空腹のまま働かせるわけにはいかないし、いいの! ていうか、そもそも足しになるのかどうか……」

「これだけ遅れたら、ちょうどメイクしてる頃にお弁当が来ますから、これで充分です。大事にいただきますね」

「チョコは疲れにいいんだよ。最近急に忙しくなって、サトコさんのスケジュール帳がすごいことになってるもんね。はい、チロルを大胆にひと口で~」


 グミの次はチロルチョコ。コンビニに並んでいると違和感を覚えてしまう、やや高級志向のパウンドケーキやクッキーなど、ゆかりは魔法の袋を持っているように次々に取り出しては、「あ~ん」と言って聡子にそれらを食べさせる。


 そんな中、手渡されたお菓子を膝に置いたまま、スマホを見て固まっている麻里亜を横目で確認した聡子は、その様子が気になって元気な声で話しかける。


「マリルちゃん? どうかした?」

「あ……、すみません。いつもの人なんですけど、DMがしつこくて。一切無視するわけにもいかないし、ずっと未読のままにしておくのもと思って、どうしよう……」

「あの人ねぇ。ほどほどにスルーして、と言いたいところだけど、ライブや握手会で直接会うから、それも難しいよね。もっと膨大な量のコメントが届くなら、『全部読ませていただいています』で通せるけど、現状ではそれほど多くはないしねぇ……。うーむ」

「事務所宛てに届くプレゼントも、どんどん高価なものになっていて、握手会でそれを身に着けていないと、指摘されるんです。わたしなんかでも他にもファンはいるし、出来るだけ公平に、平和に解決できる方法はないでしょうか」


 アイドルという特殊な職業の性質上、ファン同士は競争させてナンボという部分がある。CDやグッズをライバルより多く持っている方が本人に近い位置にいると錯覚させ、ファン、いわゆるドルヲタの所有欲、独占欲を刺激するという寸法だ。それはいつ、どの時代のアイドルにも共通して言えることで、その購入層が男性でも女性でも、基本的な「売り方」は変わらない。


 だが、女性アイドルを応援する男性は、コンプレックスを持ちながらもプライドが非常に高く、特にプレゼントという名目で自己をアピールしてくる者が少なからずいる。そういったタイプには注意が必要なのだ。


 まだ駆け出しのアイドルの三人は、ファンを離れさせてはいけないし、あまりに傾倒されては、麻里亜の負担になるのは言うまでもない。聡子はゆかりと視線を交わし、どうしたものかとハンドルに頬杖をついて唸りづける。


「一日一回って決めたらどう? それをホームページに掲載してもらえばファンはみんな見るから。ライブの本数が増えたり、雑誌に載ったりと、私たちの活動が波に乗ってきてるのは向こうもわかってるはず。それで新規のファンが増えるのにはやきもきするだろうけど、初期から支えてるっていうマウントも取れるし、さすがにそれくらいの分別はつくでしょ。マリルが生き生きしてるのがいちばん。ほら、まずはそれを食べちゃいなさい」

「アヤちゃん、私よりずっと頼りになる……」


 麻里亜が困った顔をしている時、ゆかりがしょんぼりと肩を落としている時、本来なら一回りも年上の、マネージャーである自分が励ますべきだと自覚してはいるが、聡子には咄嗟に出てくる言葉が少ない。その点、綾は高校を中退して芸能界で生きてゆくと、家族にも宣言しただけの覚悟がある。

 だから綾はCherishのリーダー兼、聡子以上の敏腕マネージャーでもあるのだ。


 聡子は、綾がはきはきと意見を述べるたびに自信をなくしかけ、そもそもアラサーオタクが、この子たちと人生を共にしていいのだろうかと思う。

 だが、たった半年間売れなかっただけで辞めていった、前マネージャーの男を見返してやろうと、四人で誓った「目指せ東京ドーム公演」に嘘はなく、聡子も成長しよう、メンバーに認められたいと一生懸命なのは確かだ。


「そうだね。不安や苛立ちに支配されたら、アヤちゃんとユリちゃんの足を引っ張っちゃう。ドルヲタなんかよりずっと、わたしの方がCherishを愛してるもん。要は気の持ちよう、だね。ありがとう、アヤちゃん。アヤちゃんには、そういう困ったファンはいない?」

「私のファンは、比較的大人かな。もちろん同年代の人もいるけど、推しと自分の生活は切り離して考えてる人が多いと思う。マリルは引っ込み思案なのに、やさしくて真面目すぎるの。私とユリを見てごらん。ファンとの距離を適度に保って、活動に支障が出ないようにしなきゃね」


 右手でゆかりを抱き寄せ、左手で麻里亜の頭を撫で、綾は二人の間でリーダーらしく、誇らしげだ。

 麻里亜は綾を見上げて頷き、グミやチョコレートをどんどん口に入れたかと思うと、あっという間に完食して笑った。


「あのね、マリルちゃん。さっきのアヤちゃんのアドバイスに補足すると、ヤバそうな奴ほど特別扱いしちゃだめ。いい方にも悪い方にも勘違いしやすい人種だと思うから、些細なことでも、何か気づいたら相談してね」


 隣に座っているゆかりが言うと、綾は少し驚いた。


「え、どしたの、ユリ。ユリは楽しくかわいくアイドルしていたい子でしょ?」 


 新しいステージ衣装を着ては喜び、トレンドのコスメに敏感で、ゆかりはアイドルという青春を謳歌する達人だと、綾は思っていた。グループ結成当時から、自分にもスタッフたちにもよく懐き、ゆかりもどちらと言えば麻里亜同様、守られる側の女の子だったはずだ。


「私だっていちおう芸能人なんだよ! そりゃあ、アヤちゃんに比べればひよっこだけど、メンバーを想う気持ちは負けてない。アヤちゃんの言うとおり、マリルちゃんはファンと正面から向き合いすぎちゃうんだよね。それはマリルちゃんの個性で、その真面目な対応が好かれるんだけど、でも、誰がどう見たってあの人は危険だよ。私たちの大事なマリルちゃんに、これ以上のめり込まれたらこわい。だからマリルちゃん、一人で悩まないでね」


 綾の隣にぴったりとくっついていたゆかりが、身を乗り出して助手席にいる麻里亜の腕をやさしくさする。


「う、うん。ユリちゃんもアヤちゃんも、サトコさんも、わたしのためにありがとう。まずは今日の撮影、楽しもうね」

「たはー、マネージャーいらずだね、こりゃ。うん、私が一番がんばらなきゃな」

「サトコさんが仕事を選んでくれるから、私たちはのびのび活動できるんですよ」


 誰からともなく三人で手を重ね合い、それが聡子の膝に置かれる。左を向くと、やる気に満ちたみんなの瞳がきらめいて、聡子は思わず涙ぐむ。


「やーん、みんな。なんていい子たちなの。あっ、ちょっと動いてきたんじゃない?」


 前方を見ると、心なしか車の動きがスムーズになったようだ。


「よかったぁ! じゃあ私、もう一度電話しておきますね!」

「おお、ユリちゃん、気が利くぅ。うん、あと二十分くらいって言っといて」

「了解です!」


 再び聡子のバッグからスマホを取り出し、ゆかりが編集者の番号を呼び出す。

 仲間にやさしく励まされ、麻里亜も落ち着いたようだ。


 車内には焼き菓子やチョコレートの甘い香りが漂い、聡子は空腹でへこんだ腹をよしよしと宥める。

 やっと動き始めた明治通りを直進し、スタジオへと急ぐ聡子は、少女たちと一緒に秋の新曲を口ずさんだ。

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