9 フェルディナンド・ロンバルディ、そしてバルコニーにて
「…勇者の一族にもろくでなしが生まれるんだな」
我に帰って混乱している場をおさめ、わたしの召喚からの一連の流れをフェルディナンドに二人で補足し合いながら説明した。
深く息を吐き出し述べた感想は、現在王位についているウィルの叔父への侮蔑の言葉だった。
彼は話の最中は前傾姿勢で顔をわたしたちに向けていたが、段々と眉間に縦縞が寄っていき、聞き終わると額を右手で覆いうなだれてしまった。
「聖女猊下への恐喝、強要、侮辱罪の上に勇者の殺人未遂? 目眩がする…」
「僕の殺人未遂はまだ発生していないよ。…時間の問題だっただろうけれど」
「お前とんでもない案件持ち込んでくれたな… 世界存亡の危機を救う聖女と勇者の英雄譚は子どもから老人まで子守り唄から聖書までありとあらゆる形で世界中の人間が知ってる。なのによりによって勇者の国の一族の王が魔王も引くほどの外道で罰当たりっぷり。オレの心が耐えられん…」
なにやらわたしの想像よりはるかにショックを受けてしまっている。
呻きを聞くにこの世界の常識として聖女と勇者は英雄視されていて、神様なり聖人のような格のようだ。
そうか、普通の感覚はこうなのか。
わたしは本当にひどい扱いを受けていたんだな。
祀る対象に奴隷契約はまともではない。
「聖女猊下、ご安心ください。私も、このロンバルディ王国も、決して猊下に無礼な行いを致しません。命に変えても御身をお守りします」
フェルディナンド氏、いや殿下にまた跪かれた。
見回したら室内の全員が跪ずいていた。
フェルディナンド殿下の護衛の騎士二人もやってるけどやめて!
いや、女好きなチャラそうなタメ口な王子様はどこいった。
ちゃんとしてるな。
あと猊下って宗教の偉い人につける尊称じゃなかった?
扱いが急に変わって落ち着かない。
「いえっ、あの普通に話してくださいっ」
「しかし、尊きお方にそのような無礼は」
「いいのでやめてくださいっ 落ち着かないので座って普通に話しましょうっ」
しぶしぶといった感じでフェルディナンド殿下とはソファーに座り直し、護衛たちはもとの直立不動で扉前に戻った。
「…では先程の亡命のお話ですが、もちろんお二人ともお受けします。もし反対されても押し通します。しかし心配はいらないかと。我が国の国王陛下はウィリアムを前々から支持しておりましたから喜んで協力したしましょう」
「君のお父上が僕を支持していたとはどういうことだい?」
「父上はお前の父上、先代エルグラン王を盟友だとおっしゃっていた。国民を想い、家族を愛し、勇者一族としての気高さも持つ敬意や尊敬すら抱く王だと。王子の身分だった頃から交流があり、お互い王太子だということもあり親近感もあったそうだ。その息子であるお前も父王と同じく名君となる器だと確信していたそうだ」
「親しかったとは知らなかったな。しかしそうか、光栄だ」
「おれも学園でのお前のこと伝えてたし、父上はお前が王になるの大歓迎なのさ。それが叔父である現国王から殺人未遂だ。これは父上は見過ごさないだろう」
「ありがたい。それにフェルディナンド、突然の訪問にも関わらず協力してくれて感謝する」
「よせよ。お前には学園で散々助けてもらったからな。その借りを返してるだけだ」
「君を助けたのは毎回女性関係の揉め事の仲裁だったが…懲りていないようだね…」
学園のときからとはこれ反省してないな。
「あ、聖女様、貴方様にも父と会っていただきたいのでウィリアムと共に王都に行っていただきたいのですがよろしいでしょうか?」
「は、はい。わかりました」
とりあえずは彼らと共に王都か、保護してくれそうで助かる。
ウィルの味方をしてくれそうだしこの王子様や護衛騎士たちを見るにわたしも大事にしてくれそうだ。
しばらくの拠点は確保できそうだけどこれからどう動こう。
帰る方法を調べたいけどどうやればいいだろう。
「それから、聖女様の望む『異世界に帰る手段の情報』も王都に行けば手に入る可能性があります」
「え!?」
「『聖女アスカの日記』という400年前の聖女が書いた日記を王家が保管しています。異世界の言語で書かれているので我々には内容がわからないのですが、聖女様には読めるかと。そのなかに手がかりがあるかもしれません」
花が咲くような笑顔で喜びの声を上げて感謝の言葉を口にした聖女様を、侍女に客室に案内するよう指示し見送った。
隣で共に立ち上がり見送った旧友の顔色は悪く、疲労の色が濃い。目の下にうっすら隈もある。
どちらかといえば体力的なものより精神的なものだろう。
「お疲れ、ウィル。よく生きて戻った! 安心して頼れ、そんで今日はゆっくり休め」
「ああ、ありがとうフェルディナンド。世話になる」
力無い声に聞いたもろもろの出来事が浮かぶが話し合いの前よりも気落ちしている様を見て察する。
「嬉しそうに笑ってたな、聖女様。よっぽど帰りたいんだな。まあ、無理もない。俺たちが言うなってやつだろうが」
縋りついて、頭を下げて、謝りたおして「助けてください」と言って引き留めたい。
どんなに無様だろうが世界を救う為に聖女である彼女の助力は喉から手が出るほど欲しい。
けど、それはあまりにも調子の良すぎる話だ。
一連の彼女の扱いはもっての外だが、異世界人に頼るのがおかしいという点が鈍器で頭を殴られたらこうなるのだろうという衝撃を受けた。
考えたことがなかった。
そして考えもせず聖女様と称えて丸投げしていたこの世界と自分を含めた人々が情けない。
王宮に戻ったら自分も色々調べなければと考えを巡らせているとウィルがポツリとこぼした。
「…僕はあんなに嬉しそうなリンカの笑顔を初めて見た…」
*
薄暗い森の中を必死に走る。
とっくに息は切れ、心臓は早鐘を打ち、脚は重い。
でも立ち止まってはダメだ。絶対に。
追いつかれてしまう。
逃げ切らなければ終わる。
あいつとの距離はどのくらいだろう。
少しは引き離せただろうか。
もしかしたら巻けたかもしれない。
脚は止めずに首を動かし後ろを振り返る。
あいつはいない。
あるのは真っ暗の森だけ…森は真っ暗だったか。
視線を上に上げれば紅いものが宙に浮いている。
いやちがう、あれは一対の血のような真紅の瞳だ。
間近から犬のうなり声が聞こえた。
その発生場所は今まさに徐々に凶悪な犬歯をのぞかせてきている犬の口。その喉奥。
噛み殺される!
走って逃げたいのに脚は全く動かず、それどころか全身どこも動かせない。
誰か助けて!! 誰か!!
助けを呼びたいのに声も出せない。
犬が、オルトロスがその口を開けてーーー
「!!」
暗闇に天蓋から垂れる白いレースカーテンがうっすら見える。
視線を巡らせれば白一色の上掛けにシーツに枕。
宿のベッドだ。
視線を巡らせば昨日案内された客間だった。
安堵の息を吐き出す。
いま何時だろうと枕元を探るが目当てのスマホは取り上げられて手元にないのを思い出した。
心臓が全力疾走した時のように忙しない。それに暑い。
肌触りのいいおそらく絹のネグリジェが汗で張り付いて気持ちが悪い。
上掛けを掛けすぎたかと思いながら重さをまるで感じない羽毛布団を剥ぎ、ベッドに腰掛け、ベッド脇のサイドテーブルに置いてある水差しからガラスのグラスに注いだ水を一杯飲んだ。
しかし常温の水だけではまだ暑く、汗も引かない。
ふとバルコニーに出られる大きな窓があったと思い出し、風に当たって涼もうとスプリングの効いた上質のベッドから上質のふみ心地の絨毯に足を下ろす。
上質のスリッパに足をつっこもうをするが暑い気がしてやめた。
お行儀は悪いがいまは裸足で歩きたい。
そしてバルコニーのひんやりとした床に足の裏をつけたい。
引かれていた舞台の緞帳のようなビロードのカーテンを開け、バルコニーに通じる両開きの窓の金色の取っ手を掴み、全開にした。
そよ風が吹いている。
外は静かで街灯はなく、月は雲に隠れているようで見えないが星の明かりだけが輝いて見えた。
バルコニーに足を踏み出し、手摺りにもたれかかり息をゆっくり吐いた。
魔王討伐の旅のときにも今夜のような夢は見た。
戦いで死にそうな目にあったら大体見た。
とくにまだ戦いに慣れてない旅の始まりの頃は毎日のように見てろくに寝られない日々だった。
しばらく風に当たって気持ちを落ち着けて乗り切ったものだった。
最後の方は慣れたのか感覚が麻痺したのか、あるいは怖がるのに疲れたのか、しっかり寝ていた。
気が抜けたから久しぶりに恐怖心が蘇って悪夢を見たのかもしれない。
フェルディナンドには良くしてもらった。
客室に案内されるとあまりの高級さに驚いた。
彼は5階建てホテル最上階のワンフロアを貸し切っているそうで王宮の王族の部屋に匹敵する質だと侍女さんから聞いた。
あとさっき話し合いの場でお茶を用意してくれたのはメイドではなく侍女の方だそうだ。
メイドさんとは掃除・洗濯・食事の用意などの家事をする仕事人のことだそうで、旅の間は宿がそれをやるから必要ないから連れていないのだとか。
侍女さんは貴人の身の回りのお世話をするそうで、わたしにもつけてくれた。
すぐにお風呂の用意をしてくれ手伝いを申し出てくれたが断りゆっくり湯船に浸かった。
お風呂から出たら部屋着が用意されていて、ディナーはこの部屋で好きな時間に食べて好きな時間に寝て休んでほしいと伝えられた。
正直、この世界にきてもっとも良くしてもらった。
労って気遣ってくれている、その気持ちがうれしくもとまどう。
いや、もとはといえば勝手ばっかり言ってるエルグラン国王とかくされ神官と魔導士とかが悪いんだけど。
でも親切な人やちゃんと感謝して大事にしてくれる人もいるんだよね。…ウィルみたいに守ってくれたり、ね。
忙しくしていれば考えごとをしなくて済むと聞くけど、忙しくなくなったらあれこれ考えちゃうっていうのは本当みたいだ。
やめよう。
気分転換しようとしてるんだからよけいな事は考えないで無の境地にならないとー
「いつまで夜風にあたる気だ、風邪をひくぞ」
左後方から話しかけられて動けなくなる。
さっきまで誰もいなかった。
でもそれよりもっと重大なことがある。
この声、聞き覚えがある。
低音でどこか色気があり凄みのある聞いたものを畏怖させる声。
汗が夜風で冷え、ただでさえ肌寒さを感じ始めていたというのにその存在に冷や汗が出てくる。
どうして魔王がここに居るの。
お読みいただきありがとうございます。
聖女アスカの日記を200年前から400年前に変更しました。