92 結界と魔法陣の監視者
服の衣擦れの音がし、誰かが入室してきたのが分かった。しばらく沈黙が落ち、衣擦れの音もせず、相手はあたりを伺っているようで緊張から息がつまる。
「誰もおらぬか。確かに結界は反応したのだな?」
「はい、間違いなく。扉の結界をくぐる反応がありました。複雑な造りでそう易々とは解けぬはずなのですが…」
入室者は扉に張ってあった立ち入り不可の結界が反応したことを不審に思い確認しにきたようだ。どうやら入室したのは二人だけ、声からして一人は男性、もう一人は女性だろう。そしてこの男性の声、聞き覚えがある。
一度廊下で会った、メトセラール公爵だ。
扉の結界の管理をしているということは、扉の結界を張ったのは、公爵とその部下か。
「閣下、侵入者は床の転移の魔法陣を起動したようです!」
「何? 其奴の魔力を辿り正体を掴めるか?」
「ただ、残念ながら…魔力の残滓は綺麗に消されてしまっており辿れません。一欠片の残滓も残さず己の正体を隠し通すとはかなりの手だれです。残滓を残さない技量を持ちながら、扉の結界も転移の魔法陣も起動したことは隠さない… 侵入者はあえて使い手が気がつき動きを見せるのを狙っていたのやもしれません」
床の転移の魔法陣も知っているということは、邪神信仰者の関係者でもあるのだろうか。それとも知っているだけ? いまのところはどちらとも取れて判断できない。もっと情報や、邪神信仰者との繋がりの確たる証拠が必要だ。
それにしても魔王は、部屋に入ったことや魔法陣をバレるようにあえて起動したようだ。考えてみれば魔法の天才の魔王ならバレないように起動できるか。バレてしまってマズいと焦ったというのにこの男の手のひらの上だったわけね。事前に言ってくれればいいのに…
恨みがましく当人を見ればニヤリと笑われて面白くない。
「ふん、随分挑発してくれる。では我らの行動もどこからか観察しているのか。…案外、近いところで」
「閣下、お気をつけください。どこに潜んで閣下に襲いかかる隙を狙っているやもしれません」
声がこちらに向けられているのではないかと鼓動が跳ねた。もう、クローゼットに隠れていると気付かれているのでは…
すると、わたしを抱える腕の力が緩み、背中を優しくぽんっと叩いた。「大丈夫だ」と安心させようとしているのだろう。
そうだよね、こんなに強い人がそばにいるのだからなにも怖がることないんだ。そう思うと落ち着きを取り戻していった。
「っ! 誰だ!?」
女性の誰何の声に軽く肩が跳ねたものの、それが向けられた先はこちらではなかった。すると部屋の反対側にある寝室の扉が音を立てて開けられる音と何かがどさりと床に落ちる音がした。
「も、申し訳ありません! 掃除を仰せつかった者ですがうたた寝をしてしまい今起きた次第ですっ」
少年の必死の謝罪の声が響き、女性からため息がこぼれた。寝室にうっかり者の掃除係がいたようでその少年の立てた物音がしたようだ。
「では、眠っていて他に部屋に入った者は見ていないのだな?」
「は、はい。申し訳ありません」
「はぁ…もう良い。閣下、部屋に他に気配はなく、侵入者の特定はできそうにありません。これ以上は部屋を調べても情報は得られなそうです」
「そうだな。引き上げる。そこのお前もだ」
「は、はい」
わたしたちの気配はおそらく魔王が消して見つからなかったのだろう。メトセラール公爵、女性、少年が扉に向かい、女性が腕を扉にかざす。結界を解いて部屋を出るつもりのようだ。
するとわたしの腰をまた腕が力強く抱えた。目の前の景色がブレ、ふわりと体が浮く感覚がした後、木の太い枝の上に降りた。不安定な場所にギョッとしたけれど魔王にまたも支えられた。
場所は城のすぐ近くの木の上、扉の結界が解かれるタイミングに合わせて転移の魔法を使い部屋の外に出たようだ。その場所からは部屋から出る公爵、女性、少年の姿が窓越しに見え、廊下を歩き立ち去った。
「お前は部屋に戻れ」
「どうして? なにかあるの?」
「あの掃除係に接触する」
「あの子に? わたしも行くよ」
あの部屋に出入りしているなら情報を持っていそうだからわたしも聞きたい。それにあの少年、気弱そうだったし魔王に一対一で問い詰められたら恐怖におののくかもしれない。
「…いいだろう。行くぞ」
わたしたちは公爵たちと別れた少年を廊下で後ろから近寄り声をかけた。
振り返った少年は、短い金髪の前髪から覗く金色の瞳を見開き驚いた顔をしていた。歳の頃は10代前半といったところか幼さを感じさせる顔立ちだ。
そんな少年に魔王は近づき、顔を覗きこんだ。凄んでいるようで怖いのではなかろうか。案の定少年は戸惑い魔王とわたしに視線を行ったり来たりしている。
「おい」
「えっ、あの、なんのご用でしょう?」
「お前、部屋に誰の命で、何のために出入りしている?」
「は、はい、メトセラール公爵様の命です。使われていない部屋ですが、大事な部屋だからとお掃除をしています。あっ、まさか部屋に他に入った者というのは…」
「公爵はあの部屋には頻繁に出入りしているのか?」
「え、あ、はい、そう、ですね。時々入っておられます。部屋から出てくるお姿を何度も拝見しておりますから」
「何のために?」
「…魔法陣を監視しておられるのです。亡き王妃様の守っていた魔法陣と、もうひとつの魔法陣を」
「なぜ?」
「あのっ、僕、聞いてしまったんです。公爵様が"入り口をこじ開けるにはもっと瘴気が必要だ"って言っていたのを!」
聞き捨てならない言葉が飛び出した。瘴気に、入り口。
まさか地下神殿への入り口を瘴気を使って無理矢理開けようとしているの?
「僕が証言したって秘密にしてもらえませんか!? あなたたちがどなたかはわかりませんけれど、僕、その話を聞いてから怖くて怖くて仕方なくて! 無責任なのはわかっていますけれど、誰でもいいから吐き出してしまいたかったんです!」
それはそうだろう。詳しくはわからなくても瘴気などという単語が出ては凶悪な悪事が行われようとしていることは察せられたろうから内心恐ろしかったに違いない。
「うん、大丈夫、きみに危険が向くことにはならないよ」
わたしが約束すると、少年はほっとした顔をして嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「ありがとうございます! あ、僕はイェフといいます。お姉さんのお名前は?」
「わたしはリンカだよ」
「リンカさん、おかげで安心しました。また声をかけてください。知っていることはお話します」
そこで少年と別れるとその姿をしばらく見送り、魔王は念話を飛ばした。
"ガエル、メトセラールを獣に見張らせろ。ヴラド、奴の周辺を探れ"
"御意"
「さて、王子殿下に知らせることも、調べることも山積みだな」
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