僕の異世界転生物語は、序章が終わったばかりだ。
本日これまで。
意識が揺蕩いて、この世に別れを告げられなかった僅かばかりの後悔を、自分自身に突き付けられているように、未だ完全に死滅できない現実を見せられている。
私は、まだ、このビレアの森に意識を残している。
ああ、死ねなかった?
いや、死んだ。テスェドも私を殺した後に、植物のツタに首を吊って死んだはずだ。
聖樹にとらわれていたころには無かった、意識が消えていく、夢に落ちる感覚が、すぐそこまで足音を鳴らして来ている。
私は、多分ユキがきちんと門出を出立できるか、心配なのだろう。だから一思いに死者になることが出来ないのだ。
だから、少しだけ覗き見させてほしい。手のかかる弟のような存在なのだ。
「ユキ、起きろ」
「うぅん……」
アルファリオは、最後にユキを揺り起こした。もう朝になっていた。
ユージェの弟は、三人がいる場所がどこか、村ではない見慣れぬ土地に興奮と戸惑いを隠しきれずにいた。
「……おはよう?」
「ああ、おはよう」
「おはよ」
三人ともに挨拶して、現状を確認することになった。
ユキは自分の身体がおかしいことと、私がいなくなっていることに疑問を抱いたようだけれど、二人に何を言っていいかわからず、疑問を棚上げしたみたいだった。
アルファリオはぼうっとしているし、弟は元気いっぱいで、お腹へったーと騒いでいた。
あれ、ユージェはどうしたのだろう、とユキは弟を見て思う。そんなユキを見つめて、アルファリオが首を横に振った。ユキは地面にへたり込んで、立ち上がれなくなってしまった。
「おい、ユキ大丈夫か?」
「――君は、大丈夫なのか?」
「質問に質問で返すなよ。何がだ?」
「ユージェのことだ」
その問いに弟は少し逡巡したように目線を揺らめかせ、最後にユキを見据えて次のように述べた。
「ああ、ねえちゃんか――いつかこうなることも覚悟していた。でもねえちゃんはやりたいようにやれたと信じているし、その証拠におれが生きている。いっつもねえちゃんはたんじゅんたんじゅん言うてたけど、それ以上におれのことを考えてくれていたからな」
彼は溌溂という。それは聖樹信仰とか、そう思わされているとかではなく、彼の芯からの言葉だった。彼は、彼女がいるから今の自分があることを知っているし、彼女のことを理解しているからこそ、彼女がやりたいようにやれたのだと信じて、悲しみを表に見せない。
「そう――か」
ユキは次のように思っただろうと、推測できる。
――僕は弟の誇り高さが信じられなかったし、自分の情けなさが露呈してすごく恥ずかしくなった。深呼吸したら、腰を抜かした自分にばかばかしくなって、少しして立てるようになっていた。
深夜の村から日が上がるまでに、アルファリオはユキと弟を担いで、村の外まで来ていた。その道中に、さすがに荷物だったのかメルセスのことは、森の外れに拠点に匿ってきたことを私は確認している。
今彼らがいるのは、ビレアの森を抜けて、隣国の領土に入るか入らないかという所。気温は下がり、熱帯雨林にいたのがウソのように、涼しい気候に二人は体を震わせる。
「あそこは、聖樹がサンを集めていたから」
「サンって暑いものなの?」とアルファリオに対しユキが聞く。
「ああ、だってテスェドもいっていただろう、太陽のようにそれ自体が力を持つものだって」
ユキはその言葉を聞いて少し悲しげに、そっか、とだけ返事した。
「なー、あの家の集まりってなんだ?」
弟は、隣国の領土の方を指さし、興奮している。何やらレンガ造りで数階建ての建物の群れが珍しいらしい。村は木造の建物しかなかったから、固そうな建造物が不思議でたまらないのだろう。
アルファリオは丁寧なそぶりで、そしてぶっきらぼうに、言葉少なに質問に答えていく。
ユージェの弟は、街に近づけば近づくほど、わくわくとして、落ち着かない様子だった。
ユキはどこか悄然とした様子で、弟のはしゃぎようを眺めては、悲しく笑う。
関所において、アルファリオは何やら巻物を取り出し、広げて、役人に見せた。役人はユキと弟を一瞥して、通れ、と一言いうだけで、特に何も言わなかった。
関所を抜ければ、そこは、ぎっしりと詰め込まれた街だった。余白が無いような気がする。町並みは、レンガの建物、石造りの門、石畳の路上、彫刻のあしらわれた橋。乾いた統一感のある光景で、村のじめっとした風景とは一線を画していた。
アルファリオは迷いなく、街の一角の家に入った。
「さっき役人に見せた紙は何だったんですか?」
「かみ? 髪?」と弟は意味が理解できないようだ。
「身分証明だ。テスェドがこの国の中央にいたときに、権力者に書いてもらった物らしい。なんでも、外国から人を連れてこれるとか」
なんだろう。すごく大雑把な説明だ。奴隷として連れてくるとか、何のために連れてくるとかはわからないのだろう。
ともかくテスェドはいろいろなところに気を配る男だった。
ユキは、それをきいて彼に対して何か思うだろうか。彼はテスェドがどうして裏切ったようにふるまったか、未だ説明を受けていない。説明するとしたらアルファリオだが、おそらくあいつは説明する気ゼロだ。これからもユキの悲しみは続いていくのかもしれなかった。
階段を上がり、二階の玄関から家の中に入る。そしてリビングに三人はいた。ユキは少し懐かしそうに内装や家具を見ている。
アルファリオがマイペースに服を着替えだし、弟は緊張せずに家を物色し、ユキだけが所在なさそうに、立ち呆けていたところ、奥の部屋から誰かが扉を開けて入ってきた。
「アルファリオ、戻ったのか」
「ただいま」とアルファリオは幼げに言った。
「おかえりなさい」
「え、とこの家のご主人ですか?」
髪はポマードで整髪され、ベストに臙脂のジャケットを着こなし、ポケットにはハンカチがちらりと見える。スラックスの足が長い整った中年の男だった。
「まあ、そんなところだ」
「あ、僕は糸田祐樹と言います。ええっと……」
「アルファリオから大体聞いとる。ユキと言うんだろう」
「ああ……」
ユキはうんざりそうな顔をした。
「私は、モンデリゴという」
「え――?」
「わあ、英雄とおんなじ名前だ、すげえ。おっちゃん」
ユキは眉間にしわを寄せ、弟は純粋にモンデリゴを賛美する。
「ふふ。多分君の考える本物だよ。恥ずかしいけれど、英雄なんて呼ばれていたっけ。今はただの老いぼれだけど」
彼はゆったりとした動作で椅子を引き、三人に掛けなさい、といった。
「亡くなっていなかったんですね」
ユキは座りながら尋ねる。
「ああ、テスェドの治癒で、実は命をつなぎとめてね。その後彼の手引きでこの国で生きている」
「テスェドさんは、何もいってくれなかった……」
「まあ、彼は別に君を嫌っていたわけではないよ。事情があったのさ」
「信じられません。僕は彼のことを信じたいけれど、事実として、裏切られたんです」
「まあ、休みなさい。君に必要なのは休息だろう」
それ以降、ユキは黙り込んだままだった。アルファリオは勝手知ったる我が家という感じで、机に座ってマドレーヌみたいな焼き菓子のおやつを食べだした。弟も彼から分けてもらって食べて満足している。
「君たち、いつまでもここにいていい。私の生きている限り」
腕を広げて、モンデリゴは二人を歓迎した。その腕には赤茶けた細身の腕輪が、サンを蓄えて煌めいていた。
ユキは少し不安そうだけど、身体のことも問題なさそうで、後は時間が解可決してくれると思う。少しずつ前向きになっていってほしい。それまで私はついていられない。
だから、また元気になったら、私みたいに無駄を嫌うだけじゃなくて、無駄なことをして笑って生きていってほしい。
そう願って、私は彼付近のテーブル上に花の文様の腕輪をそっと置いた。
「今僕にできることは、休息だけか……」
彼はルートビアを取り出して口に含む。彼自身無意識の行為だったのか、ルートビアを出す能力がまだあることに気づいていなかったのか、驚いた表情で手に持ったそれを凝視ししていた。しかし、ため息をついて、かぶりを振った。
その時、彼は私の置いた腕輪に気づいたのか、気づかずなのか、ぼそりと洩らした。
――単純ね、と。
完結です。長い間お付き合いいただきありがとうございました。
作者の活動記録にてあとがきを書くと思います。良ければ。
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