第53話 とどのつまり、僕は語り部を首にされた。
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さあて。選手交代ね。
面食らってどうしたのかしら? おかしいって? ああ、別にユキが心から女になったわけじゃないわよ。
「まるで神の領域だな」とテスェドが相槌を打つ。
「これが神だっていうなら、ユキこそ神の素質をもった巫女だったわけね」
私は、ユキの意識に居候させてもらっているうちに、彼の能力を真似た。私の能力は他人の意識に入り込む能力だ。大昔は、自分の身体をほっぽらかして意識だけ誰かの下に飛んでいたのだけれど、とある時期を機に、身体を捨てて意識だけ彷徨う存在になってしまったんだ。だから、私は幽霊みたいなもの。でも、この状態のメリットは、人の脳内で思考や感覚を盗み見しながら、サンの扱いや開花を真似られることだ。私はそうして、長い年月を彷徨う間に、多くの民の感覚に同調して、彼らの開花をサンの技量で真似ることが出来るようになった。
「ユキの、無から有を造り出す力。彼はまだサン自体の技量が足りなくて思い入れのある特定のモノしか作れなかったけれど。私の生きた年数がそれを克服した。だから、今、私は彼のために新たな肉体をつくってあげたわけよ」
「……単に巫女の身体を乗っ取って、邪魔者を追い出しただけだろう」
「人聞きが悪いわね。このユキはずっと男になりたかったのよ」
それに、巫女の運命から解放してあげたの。
「だから、それに叶う肉体を用意してやったって?」
「ええ。性器は私が見たことないから再現できなかったけれど」
「それは……だめだろう」
彼はひどくかわいそうな視線を、眠っている少年のような中性的なユキに向ける。
今私たちは、聖樹から少し離れた、民家の集まっている通りに身を潜めていた。ユキは道の拓けたところに寝転がっていた。
「そういえば、テスェドはこの子が男だったって聞いて驚かないのね」
「ん? ああ、ユキはユキとして見ていたからな。性別など些細なことだよ」
「言ってろ。娘の影を重ねていた癖に」
「ふ……。ならなおさら、彼がどういう内面をしているかなど関係ないことだろう」
「うわ、開き直ったよ。ユキかわいそー。テスェドのことを慕っていたのに」
「彼のことを無視していたつもりはないよ。もちろん最初はエロデの影ありきだったけれど、事実彼と過ごした日々は、エロデと過ごした日々とはまた違う日々だと感じて、それに満足していたさ」
「エロデ……ね」
この独白を見ている者に言っておくけれど、彼がいうエロデは私のことではないわ。私が名を授けた方のエロデね。後で説明するから黙っていて。
「ユキがもともと男だったってことで、私は以前から思っていた疑問を再考したんだけど、なんで聖樹のはしためである巫女は、皆女なのよ」
「ん……?」
「だからさ、この村で男女差なんてほぼないじゃない。どうしてわざわざ巫女を女にする必要があったのかしらね」
「私は生まれたときから巫女は先代様のイメージがあるからねえ。そんなこと考えもしなかったよ。君は私よりも長く生きてきたんだろう。理由がわかっているんじゃないのかね」
「そう。拍子抜けね。興味ないことにはわからないという。知ったかぶるよりましかしら」
「それは高い評価をどうも」
恋愛が存在せず、女が子どもを産まず、戦場に出るものと内で作業するものに男女の差が無いこの村において、どうして巫女だけが女に限定されていたのか、ひどく謎だった。
3千年ほど彷徨ってきたけれど、私は未だにそれの秘密はわからない。
「一つ考えがあるとしたら、といってもこれはひどく偏見に満ちた意見だけれど、それは女の方がサンの開花が、精神的なモノが発現しやすいということかしら。私しかり、メルセス然り、ユージェ然り」
もちろんこれは経験則だ。女性が物理的な開花を引き起こさないとは言っていない。例えばミネは空間に干渉するものだったし、乾燥係のおばさんは水分を吸い取っていた。
だから、ひどく根拠に欠ける類推でしかなかった。
「まあ、それは違うだろうねえ、だったらこう考えた方が自然だろう、大昔この森に人間の村があり神を信奉する巫女職があった、それを村の社会ごと聖樹が取り込んでサンによって強化したことで、神の位置に聖樹が来て、その聖樹の使いとなる巫女に女性がなるのが慣習化した、とかね」私の納得しない顔を見たのか、テスェドはやんわり否定した。
そういえば、ユキはユージェの能力をあまり把握できずにいたのではないのかと思った。一応ここで説明しておけば、彼女は耳打ちした者に催眠をかけるという能力をもっていた。だから、彼女は耳元で囁くいたずらをするのがクセだった。
ただそれだけだ。強力な力だと思うかもしれないが、それだけ規制が多いものだったのだろう。彼女は強いて能力について語らない印象があった。一定条件下で催眠に掛からない、などの欠点があったのかもしれないと私は推測している。
テスェドはおそらく彼女に協力してもらい、村はずれの隔離施設で死亡確認する医者の認識を歪めて、死んだことにしてもらったのだろう。催眠に掛けられた医者はそれを自覚できないのかと思うだろうけど、出来ないのだろうとしかわからない。実際に見ていないから。ユキは耳元で囁かれたことがあったけど、多分巫女だったから抵抗で来たんだと私は考える。巫女はサンにかかわるあらゆる生物の思考に干渉する能力(お願い)を持つため、ただの村人であるユージェ(限定的な干渉能力)より、位階が高い存在だと仮定できる。位階の低いものが高いものに指図する権限が無い、というようなイメージで彼女の能力は巫女の立場にかき消されてしまったのだろう。
「まあ、私もユキに影響されて、どうして巫女になってしまったのか、悩む気持ちを数千年ぶりにおもいだしたのだけどね」
「巫女……だと」
テスェドは私を怪訝そうに見る。
「そうよ。私はユキと同様に生えてきて巫女になった過去を持っている」
「何世代前の話だ」
「先代の巫女だったのよ。私は」
「……冗談はよせ。先代はこの間死んだんだ。それに彼女は治癒術だ。お前の能力と異なるだろう」
「見てみなさい」
私は、落ちていた木の枝を腕に突き立てた。血が流れる。
しかし次の瞬間血が止まり傷口は無かったかのようにまっさらな肌が再生した。
「お前……」
テスェドの殺気が高まった。
治癒の力を見て、そのサンの質を察知したことで、私の発言の真実を悟ったのだろう。ただまあ、私自身が彼の言うところの先代ではない。彼女とは別人である。であるが、私も先代巫女であった。
ちなみに先代巫女は材料なしに治癒は出来なかったけれど、今の巫女たる私は、ユキの力の応用で、サンの消費のみで治癒術が使える。驚くべき超回復能力。なんでもできる気がする。
「ふふ……。私の名前を当ててみなさいよ。ホープは偽名ってわかっているでしょう?」
「……アコンの民は偽名を好まないんだけどな」
「どの口が言うの?」
「まあな、エロデ……か。だが先代の巫女は違う名だった」
「違う名だったはずだ、と言いながら、エロデと言い当てている。どうしてかしら?」
「私の子供と同じ名前が、先代巫女の敬愛する名前として広まっていた。ただその事実から勘でいったまで。先代巫女の本名というわけでもあるまい。彼女は名を隠すほど聖樹に反発はしていなかっただろうし、自分で自分のことを敬愛するというのもあほくさい」
「ふふ……でもね、先代巫女の本名っていうのは、案外近いわね。だって、私が巫女として生まれ、先代と呼ばれるお人よしと意識を入れ替えたのよ。今回ユキと入れ替わったところから私の能力でそれが可能なのはわかるでしょう? 彼女と私はあるとき入れ替わったってわけ。大体1500年くらい前だったかしらね。今の院長も私が巫女だったころは知らないわよ。というわけで、あなたの知る、先代を演じていた意識の本名はエロデなの」
私の名前は、もう忘れたわ。私になついていたお人よしが代わりに使おうとしたけれど、前世の苗字アリの名前なんて、この村になじまなくて、結局巫女様、今では先代、としてしか呼ばれなくなったものね。
「わかりにくいな」
「はいはい。私がエロデを名乗っているの。一方で先代は、私のかつての名を名乗っていたけどいつしか巫女としか自称しなくなってしまったのよ」
お人よしは、治癒術がぴか一の聖樹信奉者だった。私の巫女としての席と交換してあげたら、泣いて喜んでいたっけ。彼女は多分ずっと聖樹に近い存在の巫女でいたくて長生きしていたんじゃないのかな。信奉者の癖に死んで聖樹と一緒になる、なんて嘘だって理解していたんだろう。
「では、お前が、先代に敬愛されていたというエロデか」
「そうよ」
「私の子供と同じ名なのは、偶然か?」
「私が、あなたの子供の先生だったから」大体800年前のことだ。テスェドが200に満たないころ。
そういった途端、テスェドの目が細くなった。
「先生が名を授ける……もしや、聖樹から与えられる名前を隠して、自分と同じ名前を付けたというのか」
「ご名答」
「なぜ」
「面白そうだったから。あなた、あの子にサンの形跡を仕込んだんでしょう。バレバレだったわよ。もう少しで聖樹の自浄作用で、養育施設内で排除されるところだった。それについてはあなたも知っているでしょう」
「聖樹が村の社会に反抗しそうなものを子供の時分に間引くのは知っている」
「だから、あなたのいたずらは、その子供が、聖樹にとっての反乱分子になりうると目をつけるのに十分だったってことよ。だから、私がうまくカモフラージュして育てたってわけ。名づけは、その駄賃だと思ってちょうだいな。私も子育てなんて、初めてで愛着がわいたんだから」
「お前の勝手に付き合わされていたのか……あの子は」
「それを言うならあんたの勝手が始まりでしょうに……で、あの子には私の思想を浸していった。あなたはあの子の天才性から学んだと思っているでしょうけれど、実は私の痕跡なのよ? どうしてかしら?光栄でしょ」
「……お前を殺したいくらい憎んでいるよ」
テスェドは、細長い木のステッキをいつの間にやら、手に持っていた。
「あら、聖樹は殺して、あの子の敵を取って満足なんじゃない?」
「知ったような口を聞くな。あの子を殺した原因は全て除くと誓ったのだよ」
「なら、あなたはあなた自身を殺すわけね」
「そんなものは500年前に定めている……よっ」
テスェドはエロデに肉薄し、ステッキを叩きつける。残像が木の棒をしならせて見えるほどに、彼の棒さばきは滑らかであった。
私は抵抗せずに、強かに打たれる。ただ特に被害は無く、すぐに治癒が完了した。
それを何度も繰り返す。
私は、あえて抵抗をしない。抵抗しても無駄だからだ。サンは聖樹が結実しているせいか、ひどく充実していた。本来サンを空気中から取り込むことは効率が悪く、いかに熟練者とはいえやらないのだが、今の結実の光が舞う現状、巫女として聖樹と太くパスをつないでいる状態が、聖樹が大地から吸い上げるサンをそのまま受け取っているようだった。
「ちっ……」
テスェドは、無意味だと悟り、ステッキを捨てた。私は一条の傷跡も無かった。
「くそが、化け物め」
「それだけ動いて、サンを漏らすこともないあなたもなかなかだと思うわよ」
彼は、ほぼサンの漏出を見せなかった。無駄がない。エネルギー効率が良すぎる。多分私が本気で近接戦闘しても、赤子のようにひねられるだろう。私はサンの察知などの技術は得意だけれど、組手などの身体能力に依存するところは苦手だった。もうほとんど覚えていないけれど、確か前世のころから運動神経は良くない。ユキは驚いていたけれど、サンの技術で、身体の無理を効かせてごまかしているだけだ。
「あなたの子供のエロデは、養育施設を出るまでは私が守ってあげられた。そして外に出てからは、あなたが守ってあげた。それでいいじゃない。まあ、あなたが目を離した隙に聖樹に処理されてしまったのだろうけどね」
ここまで聞いてきて、わかっただろう。この村の理不尽の黒幕は聖樹だ。いや彼にとっての敵というべきか。
聖樹が私たちにサンという蜜を与えて、私たちは聖樹を守る役割を押し付けられている。一見ギブアンドテイクだけれど、その実は片務的な、不平等契約だ。聖樹の命令は絶対であり、私たちは社会を動かす歯車として、生まれたときから管理されている。規格を外れた民は排除されてしまうのだ。
管理は、サンに犯された生物の性欲やそれにまつわる情動を一部規制して、サンの発現のためのリソースにすることで行われた。
生物らは性交渉を経験することなく、世代を紡ぐ。聖樹というフィルターを介して、彼らは聖樹に都合の良い、サンの循環する社会を構築していく。もし生物種が家族という血のつながりを強く意識していたならば、聖樹の下での社会よりも最小単位の連帯を形成し、全体に対しての反抗の糸口……自らの価値観を形成して、それに介入する聖樹に疎ましく思うことだろう。現に前世の国民国家、村を基盤とする現代社会に生きていたユキは聖樹を狂信する態度に疑問を持っていた。
だが、アコンの民を含めて、サンを尊ぶ生物はそれを知らない。聖樹を第一に考えてしまう。それを幸いと聖樹は絶対君主となってふるまう。
聖樹は長く生きるために、村の民を消費しさえする。
「……ああ、その通りだとも。なぜ目を離したのかわからない。そして当時は、エロデが死んだことも、村の中で当然のことだと私は思いこまされてしまったんだよ。エロデの死因は、サンが供給されなくなり、村はじきにされた上での飢え死にだ。私は、なぜかエロデの処遇を仕方ないものだと思っていた。あそこまで守って育てていたはずだったのに。数週間前ユキが流行り病の病原菌だと見なされて、村中で無視されていたように、現状を見ずに流れに身を任せてしまっていたんだ。でも、それが聖樹の仕業と気づいた500年前の戦争で、私は聖樹に復讐を決意した」
「その戦争で、聖樹の身体に、あなたの木を埋め込み、聖樹の権限の一部を奪ったのね。その上、途中で気づいたモンデリゴを、あなたが殺した。あなたのことを命を懸けて助けたのではなく、ね」
「その通りだ。私は聖樹の声に導かれて、その損害を、開花の能力で埋め合わせしようと思った。だが、その時に、声に導かれる感覚を大昔受けたことに気づいたんだ。いや、それよりも前からうすうす何か違和感に気づいていたかもしれないな。その気づきをもたらしてくれたのは、エロデと過ごし彼女の純粋性と天才性に触れたからだ。ともかくはっきり意識して聖樹への復讐を誓ったのが500年前の戦争時であり、その際にリフレインしたのが、エロデを見殺しにしたときのことだった。戦争に紛れて枯らそうと思ったけれど、モンデリゴが邪魔だった。彼を下したうえで、聖樹の声をレジストしながら、聖樹にとどめを刺すのは、当時のサンの総量において不可能だと判断した。だから、声に逆らわずに聖樹を回復させることにした。ただ、私の能力を聖樹の根幹――人間の松果腺にあたるサンを操る部分――に交じらせて、今後一切声をレジスト出来る立場である聖樹を起点とする社会での位階を手に入れ、そうして、この腕輪を作った」
そういって腕を見せる。
「ふうん。あなたの作った腕輪は、あなたのやさしさ……いえ、甘さが象徴されるものよね」
「甘いことなど自覚しているさ。民たちの希望である聖樹を滅ぼすことを決意しながら、民たちが生きるのに役立つ情けを掛けるなんてね」
「私の察知でわかる範囲でいえば、この腕輪でサンが保持されて、今回の人間との闘い、そして聖樹の声の催眠を生き延びさえすれば、数年は人間として生きていけるように設計されている……」
「別に私は民の為に作ったわけではないよ。腕輪を使うことで、年長者ほどサンをため込んで置ける。聖樹の好むであろうサンが循環する社会によどみを発生させ、サンの保有量に格差を作り、階級差を助長させようとした。そうすれば民にも不満が出てきて、聖樹の社会がぐちゃぐちゃになるような革命の兆しでも起きないかと思ったわけだけど、平和すぎたね――」
「と見せかけて、あなた、装着者が聖樹の声に対して抵抗力を持つ効果を込めているわね」
「……それは、聖樹が自滅覚悟で全村民を人間ではなく私に襲い掛からせることで私の復讐が成り立たないというリスクを回避するためだ」
「ふうん。でも、民が自死して自らを聖樹延命の道具にすることを嫌った風にも解釈できる。そんな面倒なリスクまでケアしようと無駄なことをして、あなたはあまいわ。……まあ、それほどの情が無くちゃ、リスクを負って聖樹を滅ぼすことなどしないか」
彼が、かつてユキに見せた長老院への怒り、流行り病での民の命の消費への愚痴は、民への愚痴でこそなかったものの、本当の恨みつらみであり、聖樹への愚痴であったのだ。だから、ユキに打ち明けた感情というのは、彼の本心で間違いない。ただ、ユキには誤解を与える言い方であったのは確かで、騙したことには変わらなかった。なぜ素直に言わなかったのか、だって? 巫女であれ、聖樹に恨みを持っているならば、排除されかねないから。彼のように聖樹の権限に浸食するような例外でなければ、子供のエロデのようにつまはじきに合うだろうから。
「……」
彼は押し黙ったまま、戦場の方をちらと見た。ほとんど人間の声はしなくなっていて、民たちも死んだのか力尽きたのか、わからないけれど多くが倒れていた。
「あなたは、多くのごみとサンを費やして、腕輪を設計した。別に本来そんなことをする義理もあなたには無かったはず。腕輪の機能を充足させようとしても、つけられる機能は、サンの予備バッテリーであることと、あと何があるかしらね。一つ用途を増やすだけでも、私なんかやりたくもないほど難しい技術のはずだ。機能案としては、聖樹の声を一瞬でも防ぐ機能を盛り込むか、サンの中毒症状をわずかでも抑えるか、それらが妥当かしら。一つ私、というかユキが経験した実例がある。それは、人間の殺虫部隊の先遣隊が侵入して、古い聖樹が朽ち折れた時の事。あの時、普通なら聖樹信仰を持つ民たちはひどくパニックになってもおかしくなかったはず。でも、ジャコポを含め民たちは聖樹の危機を危機と感じず、可笑しいくらいに楽観的だった。一瞬サン消失の中毒症状が出かけても、だ。それはおそらくあなたの手引き……腕輪の抑制によるものだったんでしょう?」
反論はない。
「でも、あなたがユキを巫女として迎え入れたのは、腕輪の効力だけでは、最後まで聖樹の暴走による影響を止められるか不安だったから、かしらね。私も巫女だからわかるわよ。巫女は聖樹の声を民に伝える役割がある。つまりは聖樹の声をある程度捻じ曲げられるし、必要に応じて聖樹の意志と関係なく命令できるということ。だからあなたは腕輪を基本的に民の安全装置として聖樹の勝手から守ろうとし、巫女が最終の安全ネットとして復讐中と後に機能するよう狙った。民が聖樹延命のために自死しないよう、あるいは聖樹を失った衝動で中毒が取り返しのつかないほど深刻にならぬよう。民たちはサン消失の予感にさっきまでひどくわめいていたわけだけれど、ユキのお願いによって、子供たちを守るために人間と相対するという大義名分を頂いて、見苦しい姿をさらさなくてすんで感謝しているはずよ。これもあなたの計算のうちってわけね。また、今回は起きなかったけれど、かつての戦争中に起きた、聖樹の声による自死の選択を防ぐことも織り込み済みだった」
テスェドは目をつむったまま返事をしない。
「あなたは復讐に余計な民の命を散らさないように、ユキに教育していた。ユキが聖樹の声の方向を狭めてくれることを期待して。彼の行動に、村の民の命を粗末にしないような認識を植え付けた。そうして彼はあなたの期待通り、人間を迎え撃つ方向に民を誘導した。予想通りあなたは、民らに中毒症状を抑える役割を腕輪につけておけばよかった。民の中で聖樹の狂信者をのぞけば、聖樹と決別して生きる道を選択してくれるものが多いだろうと踏んでいたから」
「推測で話さないでもらえるかな」
「いいわよ。別にあなたがそうじゃないといっても。私がそう見えているだけだから。私は私の信じたいものを見る。ユキと一緒だもの」
「はあ。仮にお前の推測が正しいとして、だから何だ。私はエロデを殺した者、システムを許さない。だからお前を殺すことには変わらないぞ」
「こうやって話に付き合ってくれるだけ大分優しいって言われない?」
「どうだかな」
彼は大きく息を吐きだした。
「まあ、いいわよ。後であなたに殺されてあげるわ。でも――」
そのとき、気配が新たに現れた。
アルファリオが、何かを担いで着地したのだった。
「ようやく来たわね、私の護衛さん」
「お前のではないぞ。ユキの護衛だ」
「巫女の護衛じゃなかったの? 巫女は私なんだけれど」
「いや、泣き虫でへっぴり腰の護衛でしかないよ」
「あら、そう。泣き虫でもへっぴり腰でもないから、残念ね」
アルファリオは、担いでいた物を地面に下ろす。それは、メルセスと、ユージェの弟だった。
「姉の方は、いないの?」
「手遅れだった。これしかな」
そういって、花模様の腕輪を私に渡す。
「そう……」
私は、私の感情ではなく、ユキの感情を思ってため息をつく。少し同情的になっても罰は当たらないだろう。ただ、彼がこの事実を知ってどう思うかは想像もつかない。
彼女は私を少なからず慕ってくれてはいた。ただ、再会した時のことを思うとそれほど仲良くなれなかったんじゃないかなと思う。彼女は私に遠慮するだろうし、私もあの子に対してどうふるまうべきかわからない。意地悪ならいくらでもという感じだが、あの子は一方的に揶揄われ続けるのは苦手だろう。それだけは感じ取れる。
おそらくテスェドもアルファリオも彼女に対して大きな同情はしていない。弟を守り切って誇らしいだろうなという程度。同情的にはなるけれど、特別な関係性ではないのであれば、それまでだ。
「お前、ユキをどこへやった?」
アルファリオは私を少し観察してから、問うてきた。サンの質がそれほど変わったのだろうか。自分だとよくわからないけれど。
「あそこで寝ているわ。私が彼専用の新しい身体を作ったの」
「……、せめて道の端っこに寝かせてやれ」
そういえば雑に横に転がしただけで、ユキの新しい身体は道端に打ち捨てられたみたいになっていた。反省。
「アルファリオ、護衛ご苦労だった」
「ああ、依頼通りに」
テスェドとアルファリオは言葉少なに意志を交わし、特に目を合わせることはない。
「で、なぜメルセスも連れてきたの? 彼女はテスェドに反発して死ぬまで戦い抜いてやる、というタイプだと思ったけれど」
「ああ、メルセスは俺の母だからな」
「は?」思わず固まる。
「母って言っても育ての母だ。血はつながっていないぞ」
「おい、そんなことはどうでもいい、育ての母? 私はこの、アルファリオという男がこの村で育ったと記憶してないぞ?」
私は幽霊として聖樹回りに漂っていたころから、村事情には精通している自信があった。なのに、このアルファリオという男は話に全く聞かなかった。なんだこいつ。
「おいどういうことよ、テスェド」
「……っぷはは」
彼は珍しく人を馬鹿にするように笑う。
「ようやくお前より優位に立てたな。こんなに苦戦した相手ははじめてだ。たとえ実力で劣っていてもな。これくらいは笑わせてくれ」
彼は一通り満足するまで笑い転げた。どうやらひどく負けず嫌いな性格らしい。随分紳士然を猫かぶりしていたものだ。
「ああ、笑った。アルファリオはな、隣国で育った、アコンの民と人間のハーフだよ。いや、普通に人間といえばいいのか? その夫婦が産み育て、彼の母親が死んでしまったためにメルセスが後を継ぎ、彼の養育に少し携わったというわけだ」
「……? アコンの民が人間世界に避難した例なんてそうないはずよ」
だって、逃げようという気持ちがあればすぐに子供の時に処分されているし、処分されないものはサンの魔力に絡めとられて出て行く選択肢を想像すらできないからね。
「君が知らないのは、君が追う必要がないと判断した民だろう」
「……私が痕跡を追わないような民をわざわざ隣国に逃亡させたってわけ?」
「ああ、誰だと思う?」
「……わからないわ、降参よ」
私は両手を挙げる。ほんっと趣味悪い。今も無駄にニタニタ笑ってやがる。
「……ふ。彼の父親はね、モンデリゴだよ」
「は――?」
私は驚かないつもりでいたのに、さらっと言ったテスェドの一言で顎が外れるくらい驚愕した。下あごをどこかに置き忘れそうで、思わず手で口を閉じ直したほどだ。
「ふふ……。別に私は、彼を殺したとは言っていないよ。ユキに説明したことは――彼に助けられて、彼を救えなかったというのは嘘になるけど……私も彼が死んだと思ったとき、息を吹き返して驚いたもんだったよ」
テスェドはしみじみという。随分うれしそうである。それは彼の生を振り返っているからか、私を馬鹿にできたからか。
テスェドは、その後彼を何とか押さえつけて、聖樹の正体自分の復讐の計画を説得したという。それで、彼はテスェドの行動に理解を示したとか。その後モンデリゴは死んだふりをして、テスェドに隣国まで運んでもらったらしい。彼はそれ以降、聖樹とのパスを閉じたまま、テスェドやアルファリオなどの協力者による腕輪へのサンの供給のみで生き永らえている。
「君も知っての通り、彼は類まれな擬態はサンの漏出を限りなく抑える。私もそれを身に着けるようになるまで500年かかったんだから、相当な難易度だった。それをサンを使い始めて100年で使いこなすんだから……。まあ、それはともかく。彼はサンを消す擬態だけでなく、生体反応すらごまかす小細工を持っていたわけだ」
「……それで、聖樹の生死の識別すら潜り抜けた」
私がエロデと名付けた少女――テスェドの子供の世代が、モンデリゴと同じ世代だったな、と気づく。800年前といえば、それくらいだろう。もし何かしら二人が出会っていたならば、エロデの特異性は、モンデリゴの天才性に影響していたと考えたくもなる。
「そうだ。君が、私の子供への細工がバレバレだったというレベルを、鼻で笑う芸当だ。私は彼の擬態への拘りに、もう一度一生をやり直しても追い付ける気がしない」
「じゃあこのアルファリオも、相当の使い手なの?」
「相応の使い手だな。まあ、モンデリゴみたいな突き抜けたものは無いけど優秀だ。今後に期待だな」
「俺は別に戦いに身を投じているわけではないんだがな。家で……お前たちの言う隣国でエールをたらふく飲んで暮らせればそれでいい。生きていくのに十分な収入と飲むだけの余裕さえ得れば。今回もそいつが報酬をくれるというから来ただけだ」
「えっと、結構長いこと村にいなかった? ユキは結構警戒していたし」
「この村って別に入り込んでも何も言われないんだなあって感じだな」
「私が根回しいといたんだよ。院長とかな」と彼はフォローに回った。そういった後に、彼はぼそりと、私も出入りするのに困難だから、わざわざお墓を結界付近に設置して小細工したのに、と愚痴を垂れているのを私は聞き逃さなかった。
ずいぶん態度の大きい男だ。まあ、それで痛い目を見ていないのなら、実力が無いというわけではないのだろう。
「開花もしているわけ?」
「いや、まだ人間として寿命に来ていない」とテスェドが解説する。
「60歳くらいかな」
「じゃあ、かなり有能じゃない、なによ、モンデリゴと比べてそうでもないですって」
60年しか生きていないのに、巫女の護衛を任されるなど、この村の子供たちにはありえない。
「人間社会じゃ老害だよ老害。社会の移り変わりが違うんだ。この村は永遠の和の中にいるのかと、錯覚するくらい何もないんだな」
彼は、文句ばかりは流暢になる。なんでユキとしゃべる時あれほど片言だったんだろうと疑問になるほどだ。
「というか、モンデリゴと、メルセスは夫婦になったわけ?」
「いや、そういうわけではない。母と父、俺はそのように彼と彼女を呼称するが、二人は何の関係もないさ。ただ俺を育てたという共通点があるだけだ」
「ふうん」
実際に見ていないから何とも言えないけれど、複雑な家庭だろうな、と思う。それでいてメルセスはテスェドに何らかの情があって、彼の復讐を取りやめてほしそうにしていたのだから、謎だ。彼女は心が読めるのだから、テスェドが復讐することも、復讐を止めないことをわかっていたはずなのに。ユキは彼女の、常人には理解できない恋心?愛情?親友の情?に振り回された。深読みをしていたけれどあんまり正確に言い当てられていなかったんじゃないかな。私にも読めない。
私が物思いにふけっているうちに、テスェドはメルセスの顔色を見ていた。寝かされている彼女の顔と手首に触れている。
彼は何かをささやく。眠っているはずのメルセスもそれに応答するように口元が動いた気がした。テスェドは、今までの復讐にかられた決意に引き締まった顔つきから一瞬だけ、柔和なおじいさんという年相応の笑みを垣間見せた。そうして、彼は自分の腕輪を彼女の空いた手首につけてやるのだった。
「では、アルファリオ、ユキとユージェの弟を隣国に連れて行ってやってほしい。それで終いだ」
「仕方ない。請け負う」
二人は最後まで彼らの面倒を見るつもりらしい。アルファリオは、メルセスと弟、そしてユキを担いで、どこかへ去っていった。あ、ユージェの腕輪返すの忘れた。
「エロデよ、言うことが無ければ、私はお前を本当に殺すぞ」
「……まあ、いいわよ。別に。もうこの世界にも飽きていたところだし」
私は3000年前に巫女として生えてきた。前世はもうほとんど覚えていないけれど、ここに来てすぐはユキと一緒で取り乱してばかりだった。そのあと、意識の飛ばし方を覚えてからは、ほとんど巫女というより幽霊として生きてきた。1500年前には巫女になり替わりたいっていうお人よしと出会って、巫女の責務にわずらわしさを感じていた私は、喜んで彼女に席を譲った。彼女はそれから私を随分評価して、周りに言いふらしていたみたいだけれど、私はろくにエロデとして出歩かず、意識だけを飛ばして幽霊生活をしていたから、彼女の評価はろくに定着しなかったんじゃないかしら。彼女が言うことも、他の民たちは半信半疑だったろうと思う。そうした中で、私はあまりに身体に戻らなさ過ぎて、身体の方が飢え死にしてしまったみたい。気づけば本当に幽霊として、聖樹の内部に入り込み、先生の仕事をしていた。そこから私の無間地獄が始まるんだけれど、とにかく退屈だった。代わり映えのしない村で、木の中で子供たちの相手を1000年以上の間やらされ続けた。私は幽霊になった状態で外に出ることも出来なかったし、ずっと縛り付けられていた。子供たちや、たまに養育施設に入ってくる人間の意識に入り込んで情報収集しては暇をつぶしていた。
だから、ようやくユキっていう巫女が養育施設に入ってきたときにはうれしかったわ。なぜだか巫女の彼の身体は馴染んで、ついに聖樹の中から外に出て自由に成れたんだもの。
でも、あまりうれしさは続かなかった。正直生きるのが面倒だったから、早く死にたいと思った。でも、今死んでもまた聖樹の中に幽霊として取り込まれてしまう。それではまた地獄行だ。
そこで私は、ユキの周りにいて聖樹を滅ぼしてくれるであろう人物を探した。探したというか、状況証拠的にテスェドだろうと思って、すぐに彼に会いに行ったわけだけれど。
ユキが戦の雰囲気にビビッて動けなくなった時に、私が引っ張り出したのは、テスェドに会いに行くためだった。おそらく人間の兵に交じっているだろうな、とは予想がついていたし。
とそこまで思考を巡らしていた時、聖樹の発光が消え始め、結実が終了したことが分かった。もう聖樹は本当に死を迎えるのだ。そう思い、少し離れた位置の背高くそびえる聖樹を見やると、折れかけていた天辺の枝葉から、塵となって風に舞って崩れ行く姿が見えた。もう限界何だろう。煙を浴びたアコンの民と同様の末路だ。
それと同時に、戦場の方を見渡したが、もう火花を散らしているところもなさそうだった。戦は終わったのだ。後は、どれだけ民が生き残り、大人は子供たちを保護して、聖樹の庇護なしで生きていくかだろう。それを見越してテスェドは腕輪を作ったのだろうから。
「そういえば、なんで人間はあんなに中途半端な人材と人数しか今回送ってこなかったわけ?」
彼らは百人程度の兵隊に、追加で200人程度の兵を援軍として読んだだけだ。本気で村を滅ぼすつもりならば、もっと人数がいても良かったはずだ。
「ああ、それは、私がアリを滅ぼす以上のことを、洩らさなかったから。だから敵はこの森にアリの残党が残っているのでは? 程度の認識でしかなかった。アコンの民がこれほどいるなんて思ってもいないから。アリ程度には十分すぎる慎重な采配であるとは思うよ」
確かに生物の駆除にしては、100人は多いな。まあそれだけ被害が大きかったのだろう。
「援軍の要請についても、君の助言のおかげでスムーズに200人集まっただけで、本来はそれほど多く、素早く用意は出来なかっただろうというのが私の想定だった。まあ、隣国は政治的に二大政党に分裂している部分があるから、この遠征に越させられる人材は、どちらかはめられた政党と懇意にする軍の一部かもしれないって、研究者の一人に聞いたことがある。殺虫作業の名目とはいえ、兵を進行させて手柄を立てれば、内部での立場が良くなるからね。でもまあ、現実生きて帰れなかったのだから、この場に来なかった政党の側が損害もなく不戦勝のような形になるのかも」
そこまで政治に首を突っ込んでいないから、正確なことは言えないよ、と補足した。
……。
そこで言葉は途切れ、私と彼の間には沈黙が下りた。
私は、殺されようとしている。
私は、ユキと同じだ。少し彼より長く生きただけで、何も変わらない。彼もひどく生きていることを悔いているようだが、私は、悔いていることすら飽きて、価値を見失っただけの幽霊の成損ないだ。
だから、彼と同じように、少しセンチに考える。
でも、私もまた他人……彼には生きてほしいと思うんだ。私は叶えられなかったことが一つある。あきらめてしまったこと。それは、私に、意識だけで彷徨うという能力を与えて、村に放り出した神様に復讐することだ。
私は、今テスェドに言われた通り神に似た高度な能力を身に着けた。しかし、未だ神様に復讐できる気はしない。無駄なことはやらない主義なんだ。たとえそれが私が望んでゐようと、無駄なら仕方ない。
私はそれをあきらめたんだ。でも彼なら……、神様をところてんと言って笑うユキならば、あるいは。私の不可能を可能にしてくれるかもしれない。
そう思って私は目をつぶる。
さようなら、ユキ。




