第52話 裏切り
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村に、異変はなかった。
危惧は現実に、必ずしもならないと安心する。
一瞬脳裏をよぎった聖樹が折れて倒れるシーン、燃え上がるシーン、折れた木の芯がスポンジに腐って落ちる肌を粟立たせるような不気味……。
それらは、現実にはならず、夜半の民の夢は守られていた。
「とりあえず問題は無いようじゃな」
戦士団と長老院の生き残りは、警戒しつつ、ほっと胸をなでおろしていた。
ビレアの森と村を隔てる境界にも瑕疵は見当たらなかった。人間らは誰も攻撃を加えていないということである。
「ひとまず、私たちが村の警護をする。村に残った長老院の数と合わせれば、20強ね。心許ないけれど」
村外で敵を追い立てている生物らはそのままでいいらしかった。彼らを放っておくことは出来ないが、そちらに回せる民の戦力はない。生物らが完全に敵を追っ払ってくれるなら幸いだし、村に現れたものは、数少ない民の戦力で叩こうということだった。とにかく余裕がないのだった。
この場にいる戦士団と長老院の皆は、すでにかなりの消耗をしていることは目に見えていた。腕には、サンの予備バッテリーたる腕輪がはまっていなかった。院長の大きな錠前のような腕輪も、メルセスさんのツタのように細く優雅なバックルも、他の皆の個性豊かな装飾のそれは、使用されてしまったのか、もうそこになく、手首が寂しく晒されていた。
「誰が心もとないって? 我ら長老院は一騎当千の兵ぞろいじゃ。すべては筋肉のなせる業。お主には荷が勝ちすぎているかもしれんがの」
「はあ……? 誰が細腕ですって? 言っとくけど、私が求める戦士団の強みは連携の巧によるものよ。そんな単調さの塊なんてお笑い種ね」
「その連携の強みも今は無いものじゃろうて。おぬしら数人で何ができる。それならば、10人を超える個々の強みのほうが圧倒的じゃの」
「だから、その暴れ鉄砲どもの司令塔に私らがなってやれば、万事解決じゃない。力だけの長老院が思慮深い戦士団の下につけばこの難局も乗り切れるわね」
「ああ? お主ごときがわし等を扱いきれるかい」
彼らは互いを鼓舞しあう域を超えて、だんだん普段の不満をぶつけ合うようになっていく。
僕は聖草の近くにいた一人の、髪の長い戦士団の男に近づいて(聖草に近づけてもらって)、こっそり尋ねる。
「いつもああなんですか?」
「普段は話すらしませんよ……」
「ああ、ここぞってばかりに?」
「おそらく。村の管理の問題で意見があちらと衝突したとき、いつも団長は長老院の愚痴を零します。それを平団員が諫めるのが予てからの倣いですから」
とそこに聞き耳立てていたもう一人が加わる。
「何言ってんだよ。お前はいつも部下に厄介ごとをなすりつけてんじゃねえか」
もう一人は髪が刈り上げられていた。美容院のお兄さんが刈り上げたのだろうか。
「部下に任せるのも上司の辛い仕事なんだよ」
「俺は優しいから、部下の模範になるよう自分で団長に意見してるんだがこの臆病者め」
「ただ部下のしつけが出来ないだけだろう」
「うっせ」
なんだか誰もがけんかっ早い感じがする。それくらいの気性じゃないと務まらないのだろうか。
「お二方とも、部下を持つ立場なんですね」と僕が聞く。
「ああ、だが、もうほぼ部下も逝っちまったが」
と刈り上げが言う。
「こんなことは蕾の時期に見た大軍相手の戦争ですら無かったことですよ……」
とは丁寧な長髪の弁。
「あんときは、戦士団配属になったばっかりだったな。甘く見た人間どもに鼻っ柱を折られた苦い思い出だけど、不思議と死者はいなかった。英雄たちが頑張ったからかねえ。その頃のテスェドさんより年取ったって思うと、感慨深いような恥ずかしいような感じだぜ」
二人は少し目を閉じる。回想しているようだった。
僕は周囲を見渡す。月が雲間から顔を出し、月光は木々の輪郭をあらわにし、僕の心をざわつかせるように、木々は葉を擦り、悲し気な音色を立てている。
木々の喧騒を背景に、民はこそこそと会話をする。その様子に僕は前世の町の喧騒を思いだす。街路樹を吹きすさぶ突風と車がアスファルトを踏みしめる摩擦音、人の歩みと声が揺らす空気。その多重奏は、この村に比べて酷く耳に障るものだったと思う。ここは静かだ。夜半だからということもあるが、民たちの足音はどたどたとしておらず、洗練されているし、街路樹を突き抜ける風は、ここではあちこちの木々に遮られ、それほどに森をさざめかさない。ただ、虫らの鳴き声が耳朶に残るはずだが――。
「ああ、僕が戦いに出したまま」
生命の多くは、僕が村から引き離してしまった。もちろん、サンに十分に強化されない生物たちは、まだ村の周囲にいる。合唱を奏でているけれど数は少ないようで、どこか遠くの気配でしかなかった。
僕は耳を澄ませている。そうしてい過ぎて、耳鳴りがするようだ。きーん、と何か一定の違和感が音として鼓膜を揺らしていると錯覚し、僕は周囲を見回して、何もないことを悟る。ああ、耳鳴りか。ならば、少し経ては良くなるか、と思いつつ何か違和感を抱えたまま、僕は周囲を落ち着きなく探っている。
「巫女さまよ、どうかしたのかい」
「気分が悪いんですか?」
先ほどまで回想していた二人も僕の異変に気付いて、気を遣ってくれる。
「いえ……、少し変な音が聞こえるような気がして」
「音? 何も聞こえないですが」
「慣れない戦闘を経験したんでしょう。それに爆弾も盛大に使いましたしね。あれ、見てましたかい? 奴らの煙幕を吹き飛ばすあれ」
「おい、さすがにあの場に巫女様がいたら、気づくだろう。察知でもどこにもおられなかったじゃあないか」
「え? でも巫女様、大分手練れっすよね?」と後から会話に入ってきた方の男が僕に目くばせする。
「いや、そんなことはないだろう。巫女さまと言えど、今の振る舞いからはサンの技量は
我々を越えない程度だ。あ、失礼」と長髪はズバッと評価をする。
まあ、僕自身はすごくないけど、エロデが何とでもしてくれてたからなあ。
「ええ、あの爆弾はすごかったですね。あの一瞬耳が聞こえなくなったかと思いましたよ」
そういうと、僕に酷評をくれた男はギョッとし、僕を買いかぶる男は得意げに話を続ける。
「やっぱりね。そん時に、気づかないほどにダメージがあって、疲れちまったんですよ。だから体を休めなきゃいけないですぜ」
「ああ……、こいつの言うこともたまには的を射ているようですから、お身体は大切になさってください」
なんだと? たまにはってなんだ――っ! とまた喧嘩が始まる。
「ああ、ありがとうございます」
僕は彼らの騒ぎを尻目に、少し休みたいと思って、聖樹の根元にいつもの通り座り込むことにする。聖草は、僕を根元に下ろして、聖樹の周りを歩いてはしゃいでいるようだった。
どっしり、と思い腰を木の根に腰かけて、ふうっと息をはいて目を瞑る。疲れが瞼の裏に滲むのがわかった。真っ暗の中、瞼の裏に飛び回る神経の薄明かりのみが僕の意識を照らしていた。
少しして、誰かの声がした。
「大丈夫かい、これでも飲んで休みなよ」
「あ、ありがとうございます――っ?」
僕は彼から、木のコップに入った水をもらおうとした。そのコップはひどく見覚えのあるコップだった。
どこだ? どこで見た?
しかし、興味は、コップ以上に、その人物の足元から、頭のてっぺんまでの服装に移っていた。
戦士団の膝丈でもなかった。長老院の足先までの丈でもなく、更には、キトンのようなワンピース状の衣類でもない。
それは。
その服装は、人間の兵が来ているはずの、防護服だった。
その人物から、人間特有の気配がしない。人間の気配を察するというのは、森の中で戦っていた時に、サンであふれた世界に虫食いのような人影の動きを判断しているといったが、もちろん人間は察知する際に気配がないのではない。サンを基準とした気配察知に引っかからないだけで、人間特有の気配は、否が応にも察していたのだった。
それが、今全く感知できない。目の前の人型は、人間に、非ず……?
「逃げなさいっ」
メルセスさんの声がして、僕は、しりもちをついた体勢から、俵を担がれるように、彼女の肩に乗った。メルセスさんが、逃げていく背後で、防護服を着る人型の何かは、戦士団と長老院に袋叩きに合おうとしていた。
「全く気配が追えない……」
メルセスさんが呟く。
「そんな人間いるんですか?」
「現に目の前にいる」
ただ、その声は、言葉の意味と裏腹に、ありえないと切実に告げていた。
僕たちは、聖樹から遠ざかり、彼女は僕を、民家の陰に積まれた材木の群れに腰かけさせた。一先ずここで休んでいるように言う。
彼女は、遠くで火花を散らす戦火に身を投じる。その横顔には、何か悲壮な決意を湛えているようで――、
「まって――」
その声はかすれた。最後まで言えなかった。
なぜなら、袋叩きにしようとした戦士団と長老院の約20名、それに聖草が、吹き飛ばされて、付近の民家が倒壊した音がしたからだ。僕の声はかき消える。
何か気づいているメルセスさんを呼び止めようとする意識が、周囲に逸れてしまった。
僕は周囲の状況がわからないまま目を回した。その時声がした。
「まって」
その声は、僕の発したものが木霊したのだろうか、と思った。しかし、僕がメルセスさんに掛けようとしたものよりも、切実な声音だった。
そして、僕以上にか細く、情けない声だ。僕は、その声を誰のものか、わからないまま聞いていた。
そうして、声は木霊ではないことが次の発声にてわかる。
「まってえええええええええええええ」
哀しく、力強い調。
わかった、これはメルセスさんの声であると。
彼女は駆けながら、目の前で、人型の何かを凝視していることだろう。僕は今ようやく、その人型が、撒布装置を若い聖樹に向けているのに気づいた。
ああ、村の終わりを見届けることになりそうだ。……だが、僕はメルセスさんの叫びに、耳を疑った。
「戻ってきて――××××っ!」
はっきり解ききれなかったものの、僕は耳を疑ったのだ。
いや、聞きたくなかったのかもしれない。だから、僕の聴覚はその名を聞き取ることを拒否した。だが、現実は僕の逃避を許さず進む。
人型の何かが煙を噴出させた。黙々と立ち昇り、若い聖樹は、枯葉剤で満たされることになる。
村は崩壊へのカウントダウンを始めた。もうおしまいだ。戦士団と長老院は守り切ることは出来なかった。ここで、聖樹は途絶える運命になった――。
――何を座っているの。
僕は、メルセスさんの発した名前に興味を惹かれすぎて、エロデに付け入る隙を与えた。彼女はニタニタして僕を眺めていることだろう。彼女の表情は見えないけれど、それはわかる。
僕は本心からあの場、あの男の顔を見たいと思っている。だが、僕ではあそこにたどり着くことは出来ないのだということは、骨身にしみてわかっていることだ。僕は誰かに、自己の悲哀を曝け出し、頼み込むしかなかった。この場では特に、見返りを用意することは出来ないだろう。いや、……エロデに、命じる。僕が巫女として、聖樹の寿命が尽きるまでに、出来ることはやってやる。だから、僕をあの場まで連れていけ。交渉はこうしろと、エロデ、お前が言っただろう。
「ああ、了解したわ。巫女様」
僕は、僕自身が信じられないほどに、気配と音を消して、景色を置き去りにする速度で駆けた。気づけば、メルセスさんを追い抜いた。彼女は、力なく、地に膝をついている。
エロデは、人型の何かに話しかける。
「数日ぶりじゃない?」
「ほう……」
くぐもった声だった。
「その気配……、テントに来たアレキサンダー・ホープか」
「ご名答。で、あなたはウィルモラ……ね。顔を見せてあげないの?」
「……。そうか、そうだったな」
そういって、彼は、防護服の頭を外した。
僕は、意識の助手席で愕然としていた。涙が出てくる。この涙は、墓の前で流したものとは異なる、混乱の涙であり、感情の容量を超えた精神のSOSサインであった。
「ふふ……身体が悲鳴を上げている」
エロデはサディスティックに嘲笑う。
「ユキ、髪を切ったんだね。似合っているよ」
もうだいぶ前のことなのに……。その時から出会っていなかったなんて。あのユージェについて社会見学した時、美容院の男に切ってもらった髪型から、数センチほど伸び、少し気の抜けた髪型にはなっていたけれど、僕は彼の誉め言葉にうれしさを自覚する。
そうだ、人型の何かの正体は、テスェドさんだったのだ。
先ほど、差し出された木のコップが、テスェドさんの作っていた数々の腕輪のイメージと重なり、実はあの時、僕は懐かしみを覚えていたことに気づいた。
まて、この男は本当にテスェドさんなのだろうか。彼はすでに死んだのに。
「なぜ、なぜですか……っ。なぜ、あなたは生きている」
エロデから主導権を奪い返していた。強い衝動がそうさせた。
「少々、手伝ってくれる民がいてね。死亡の確認を誤魔化せたんだよ」
彼は目を細めながら言う。僕は凝視されていることを悟る。
彼の顔は、僕に歴史の授業をして、昔を懐かしんで喜び悲しみながら、満足している時の顔と同じものだった。僕はその表情にやられて、警戒を解いてしまいそうになる。
「少し、お話をしようか」
そういって、彼は聖樹に向けて散布し続けていた薬剤を、僕と彼を包み込むように、ドーム状に撒いた。
「ユキに取り付く、ホープとやら、私の真似をできるかね」
そういって、彼は恐ろしいほどに存在感を薄くした擬態を発揮した。
「ふうん。それが、人間たちに紛れて生活してた秘密なのね……モンデリゴの技に近いわね」
エロデに取って代わられた。彼女も彼ほどではないけれど、擬態の精度を驚くほどに高める。
それに対してテスェドさんは驚くようなそぶりを見せる。
「すごいな。一度切り替えのタイミングを見せるだけで、正体に近いものを看破するとは。私が500年かけたものを一瞬か」
「別に、1000年生きた程度で私に匹敵し得る技量に到達し得たあなたの方が驚嘆だけれどね」
そういって彼女は、彼と同様に擬態を発揮した。僕は、闇夜にサンの察知にて外界を捉えていたから、自分自身の身体を見失いそうになってしまった。
しかしその擬態の真価は、存在感を限りなく透明にするだけではなかった。それは、舞い降りてきた煙に触れても、そこが朽ち果てない……という結果を生んだ。
テスェドさんは、煩わしい防護服を脱いだ。彼もまた枯葉剤の煙を浴びて、ぴんぴんしている。
どうして?
「ユキ。君は、この薬品について、どこまで聞いている?」
エロデが通訳をしてくれていた。僕は体内で思考を飛ばす。
僕が知っているのは、アリを殺す殺虫剤の煙が、サンを操る生物の、脳の松果腺という部位に到達すると、そこを破壊して、サンが使えなくなる効果と共に、朽ち果ててしまう、ということです。
「ふむ。概ね正しいね。長老院も頑張っているということか。しかし、粗い。より正確なものを言おうか」
彼は、息を吐いて、空中に漂う煙を吹き飛ばす。
「この薬剤は、脳の一部を破壊することではないよ。これはね、サンを分解するものだ」
「サンを分解? サンが枯渇するということですか」
「まあ、そうだね。薬に含まれる物質――ここではMと呼称しようか――が、サンを構成するエネルギー物質――Eと呼ぶ――に結び付いて、分解していく。細かいところは、私は知らないよ。隣国の研究者たちがよくやってくれた。私は彼らに方向性と検体を提供しただけさ」
そういって、防護服の一部をちぎって、それを木に変換した。サンの形跡も見えない卓越した技術だった。
「この薬剤は、このように木という物質に変換されたものに対しては、効果を発揮しづらい。これは、サンが開花という技術を経て、単なるサンとは異なる強固な結びつきによって構成された物質になっているからだ。だからMはサンとは異なる構成の木とは結合しない」
それは、院長などが物質化した能力を身にまとうことで、煙を除けていたことで知っていた。
「しかし、サンで作られた物質を壊す、とEが漏れ出る。EはE同士(E-Eという構造)で結びつき合ってサンを作っていたが、MはE同士が結びつくよりも強い力をもっているため、E-Mの構造を生み出し、Eの連鎖を断ち切ってしまう」
僕の頭には、Eという顔をした子供たちが、お互い楽しくおしゃべりして集団を作っていたが、新しく流行り出したMというゲームの誘因によって、一人一人がMのゲームに没頭して、E同士で集まらなくなってしまったイメージが生まれた。
テスェドさんが折った木は、断面から白い靄が立ち昇ったかと思うと、枯葉剤の煙に呑まれて分解されて、果てには木が、糸を解かれたセーターのように元の形を失っていった。
「そうしてEは集まってサンを作りだすことが出来なくなり、アコンの民含めて、サンを扱う生物たちは、サンを失うんだ。ただ、ここで問題なのが、Mが結びついたEには、しっぽのように、他のEが結びついているということだ(M-E-E-E-E……)。だから、一度でも薬剤のMに侵され始めると、Eは根こそぎMの集まる場に引っ張り出されて、伝播するように、サンは個別のEに分解され続けてしまう。これが、恐ろしいところだろうね」
この森の生物にとっては。そう漏らす。
アコンの民が、枯葉剤から身を守る時に、浸食され始めたサンの周囲を丸ごと切り離して命を守るという、燃費の悪い方法を最初取っていたことを思い出した。
でも、それでは松果腺が壊されることまで理屈が付かない。
「松果腺はね、もともと僕たちに備わっていた部分と、サンによって形成され肥大化した部分があると、わかった。薬剤が効果を発揮するのは、その肥大化部を取り除く事であり、そうされることで、私たちはサンを扱うことが出来なくなる」
脳の一部に、サンがほぼ物質化した部位があり、それによってサンを操っている……?
「ほら、見てごらん……、聖樹が倒れだす……、そしてサンによって強化された生物は、聖樹を失うことで異変をきたすようになるよ」
彼がそういったとき、背後にある、若い聖樹の幹が、軋んだ。乾いた音が幾数回はしる。
「聖樹と呼ばれる木も、本来はここまで高くそびえることが無いアコンと呼ばれる木だったらしい。だが、サンが生物の身体を強化させるように、木の繊維を強化した。その結果、通常より大きく育つことが出来た。若いとはいえ、その補助がなくなれば、自重に耐えきれないよ」
叫び声が聞こえた。いや、叫んでいたのは、僕だった。いつの間にやら、エロデは僕の中に引っ込んでいて、僕は、聖樹とのパスが明滅するテレビのように消えかけていることに、不安感と欠乏感をあおられて、耐えられないと声を上げる。
僕の他に、皆の声が聞こえる。テスェドさんが吹き飛ばした戦士団と長老院、膝をつくメルセスさん、院長……そして、村中に、夢と共に微睡んでいた民草の声が。
誰もが、声にならぬ悲鳴を上げ、阿鼻叫喚だった。村の外に出ていない生物らの鳴き声も姦しく聞こえる。
「ああ……。騒がしい。みんなサンが消えていくのが怖いんだろうね。中毒さ。さもありなんというべきか。私も一歩間違えればそちら側だった」
以前古い聖樹が朽ち折れた時は、一瞬で若い聖樹がパスをつなぎ直したのか、人々の醜態はそれほどでもなかったけれど、もう聖樹のスペアはなく、埋まることのない喪失感が村を覆い、民は絶望するのだ。
ただ、村において叫ばないのは、おそらくサンを発現していない蕾の子供と、そして目の前のテスェドさんだけだった。
なぜサンを発現していない子供たちが叫んでいないとわかるかといえば、たった今、民家から、失われた聖樹を悼むかのように、子供たちがわらわら出てきたからである。彼らはおしなべて丈が短かった。戦士団は皆地に伏せて声を枯らしているとわかっているから、子供たちに違いない。
彼らは、ユラユラと幽鬼のように手足をだらんとさせて、地面をすり足で歩いて来た。
「子供たちは、サンを発現できていない。だから、パスが切れようと、もともと持っていないものには欠乏を覚えないわけだ。しかし、聖樹が死に際に発したSOSに従って、無力な彼らのみが唯一、木を守ろうと集まってくる」
子どもたちは、テスェドさんを敵と認識して、彼を排除しようとする。
しかし、そこで、村の境界に亀裂が走った。もともと聖樹が倒れたときに、消えてしまってもおかしくなかった境界だが、薄く維持されていた。それが、いま、崩壊する。
敵の援軍だ。
人間の群れが、村に侵入して来ようとしている……。
まだ、完全に敵が入ってきている様子はない。しかし、早すぎる。聖樹が倒れてから、少ししかたっていないのに。
ということは、僕の采配で向かわせた生物たちが、途中から劣勢になってしまっていたということだ。そして、彼らは村に勢力を押し返していたのだろう。
そうして、聖樹とのパスが切れ、戦闘不能になった彼らを突破し、一気に人間はなだれ込んでくる。
子どもたちは、結界を壊されたことで、襲撃対象をテスェドさんから、人間に替えた。聖樹のSOSは、明確に誰を襲え、と決められたものではないのだろう。向きを変えた子供たちが、村の外に向けて、歩き出していた。その中に、背の低く髪の長い子を見かけた。見覚えのある……。
僕は、気づけば、声を上げるのを止め、耐えることが出来るようになっていた。サンが失われる欠乏感、焦燥感は、僕にとって一時的であり、それほど尾を引くものではなかった。
だが、戦士団や長老院の面々を見ると、悲鳴は絶えない。
「我慢できるようになったか。君はまだ、この世界に来て、サンに慣れて間もないからね。パスが太いとはいえ、被害も一時的であろう。でも、数百年以上生きる者たちは、立ち上がることさえ困難だ。さっきも言った脳の一部から、身体を補強するのに多くのサンを用いてそれが当然となっている。聖樹の不在は、それを不安定にさせ、サンの消失の恐怖感を掻き立てる」
思い出すのは、ユージェとの社会見学の時、とある占い師の女が、村の中で信頼を失い、サンの供給権を取り上げられた場面だ。彼女はひどく取り乱していた。あれは、不誠実な彼女だから、精神も弱いのだろう、というような偏見を持っていた。見下していたのかもしれない。だが、サンを奪われる恐怖感というのは、アコンの民たちに本質的に備わるものだった。
「ユキ。今ならまだ、聖樹の声を伝える巫女の力が使えるはずだ。君に残された力。それを使って、人間たちを食い止めることもできる。やりようによっては」
エロデの声もする。
――あなたは、ユージェに何を期待していたの?
二人が、僕に何かを期待していた。僕は、パスの消えた不快感に集中力を欠きながら、彼らの口車に乗せられて、今までの記憶をさかのぼる。
『でも、僕はユージェが聖樹のために死のうとしていたら、止めたいと思う』
『あの弟より先に死なないわよ。それにあんたがそれなりに巫女をやれるようなるまで指導係っていう仕事はほっぽりだすつもりはないわ。だから安心してね』
あの夜。養育施設を見た後の夜。僕はユージェの意志を垣間見た。
そして今、民家の中から身をよじりだし、去っていく弟に手を伸ばす、痛ましい彼女の姿を遠くに見た。皆絶叫の中地に伏せるのに、彼女は自身の感情を押し殺して弟を案じているように見える。人間に立ち向かう弟を。
僕は、お願いをすることになるのだろうか。お願いを民にするとしたら、どうなってしまうのか。
「ユキよ、そこに死にかけている長老院も、戦士団も、消費してやることが本望だろう。そして、奥の民たちも、もう命はないことを、私が知っている。ユキよ、もし、お前が子供たちを守りたいと願うならば、聖樹の声を届けろ」
僕は、この世界に来て初めて、この目前の老人を憎んだ。
この男は、なぜ、命を消費しろと、いうのか。僕に見せた長老院の命を軽んじる方針への愚痴も流行り病への悲嘆も、すべて嘘だったということなのだろうと悟る。
「テスェドさん……、今まで騙していたんですね……」
「ああ」
「あれだけ人間が枯葉剤と呼ぶ物に精通しているということは、あなたがその開発に携わっていたということなんですね……」
「ああ、さっき言った通り、協力したに過ぎないけれど。だが、人間がこの薬剤を造り出すきっかけを作ったのは私さ。君は、私から隣国のアリの害について聞いて知っただろう。そこでおかしなことを私言わなかったかね」
「おかしなこと……?」
「まあ、大分前の込み入った説明だ。覚えてなくて仕方ないか……」
彼は首をすくめて笑う。
「簡単に言えば、なぜ、ビレアの森にしかいないサンに強化された生物が、隣国の付近まで出向いて巣を作ったか、ということだ」
「それも、あなたが仕組んでいた……と?」
「そうだよ。ユキはアリがどうして餌を見つけた地点まで、仲間を教え導いているか知っているかね」
「それは、そのエサがわかった場所の地点までアリだけがわかる印をつけて、仲間に教えている……」
と僕は聞いたことがあった。ヘンゼルとグレーテルの髪の毛のようだと思っていた。
「詳しいね。その通りさ。だから、私もアリたちの印……フェロモンに似たものを、植物を作る能力で作り出して、彼らを案内したわけだ。その後は、彼らが森の外で動けるように、この腕輪のサンをためて置ける機能を応用して、森の外で活動できるように仕向けたんだよ」
事実植物の中には、アリにその種子を運ばせるものもいるしね……と彼は付け足した。
「……」
まさか、すべて彼のマッチポンプだったなんて。
「では……すべて計画通りだったあなたは、……僕を村に迎え入れたことも計算の内というわけですか……僕に巫女の力を使いこなさせないために、それでいて、この最後の瞬間に巫女の力をあなたの思い通りに発動させるためだけに、僕をこの村に迎えたんですか……!」
「ああ。その通りだとも。先代巫女は聖樹信仰が強すぎて邪魔だった。でも、君との生活は楽しかったよ」
「うるさい……っ。その声で優しそうに語るな……」
僕は、テスェドさん……テスェドの指示に逆らうことは出来ない。彼に少なからず情が残っている……。それだけでなく第一に、ユージェのことを考えて、巫女の力を使わざるを得ない。民にお願いして、強制的に人間と戦ってもらう。感覚が告げているのだが、全力で使えば、民たちは狂ったように戦い、自滅していくだろう。残されたサンを燃え散らして。
気づけば、僕はユージェのもとまで駆けつけていて、彼を介抱して、そのうめき声を聞く
「あの子が……死なせるわけには……、あたしが代わりに……」
僕は胸が詰まった。彼女を生かしたい。でも、無理だ。
戦士団も、長老院も、強い奴に向かわせればいいじゃないか、って? お願いする対象を選べば……。
「選べたら、こんなに悩んでないよ……っ」
僕は力を使いこなせない。おそらくエロデにもこの力は使えない。誰かに任せることはできない。だが、僕にとって、力を使うということは、僕の力の射程圏内にいる者を、すべて動かしてしまう。そして僕は能力を使うには全力で発揮する以外知らない。一度使えば、おそらく村全体に伝達されるのではないだろうか。
だから、この力で子供たちを救うというならば、サンを扱える民たちに、命を枯らしてサンを発露させ、敵を最速で殲滅してもらうほかない。そうして、出来る限り子供たちの被害を抑える方法しか知らない。
でも、……。
「なぜ、子供たち以外はもう命が無いことを、知っているんだ、テスェド……さん」
「ふふ……。さっき、聖樹がサンを失って、大きくなり過ぎたことによって自壊すると説明しただろう……」
「まさか」
「察しがいいね。君は授業のし甲斐がある子だったよ」
「うるさい……では、民たちもまた、サンによって補強されていたと」
「ああ、私たちは、この身体の寿命が、サンによって伸ばされていた。だから、サンがなくなれば、私たちは寿命を迎えて死ぬだろう。みな70~100歳を越えれば、寿命が来る……」
僕は目を見開く。
「70~100歳の寿命。人間……?」
もちろん、この世界の人間が前世と同じ水準の身体機能や文明を持っているとはわからないのだが。でも、彼の反応は正しいと言っていた。
「そう。私たちはもともと、人間をベースにサンで強化された生命体だよ。ああ、なんと憎むべきか。私たちが村を作り、排斥して、敵対していた人間だよ。それに……、70歳という時期に心当たりはあるかな」
「……?」
「ふふ。70歳過ぎは、擬態。100歳で開花だ。開花の前後に大体、成人の儀がやってくる」
「それは……」
「寿命が尽きると、人は死ぬだろう」
「まさか、人間としての身体の限界を迎えることが、サンを習熟することになると?」
枯葉剤の正体を知らない時、流行り病について考えていた状況をふと思い出す。あの時は病が民を老いさせていたのではないかと思っていた。
でも、病が民を老いさせるのではない。病が老いを思い出させるのだ。
「私はそう推測するね。人間として頑健な者こそ、サンの才能が無いものだ。人間として虚弱な者こそ、サンの才能がある」
僕の脳裏に体の大きなジャコポと、子供のヴァンパの姿が対照的に浮かんだ。二人もまた、苦しんでいるのだろうか。
「だから、サンという延命装置がなくなれば、サンを習熟するものはほとんど死にたえる。だから、いま彼らを前に出して、蕾を生き永らえさせなければならない」
彼の言葉にはどこか、憤りが混じっていたような気がした。僕の願望だったかもしれないが。
僕はそこで僕に巫女を辞めろとクレームを付けてきた男を思い出していた。彼は会うごとに年老いていった。会うごとに病が進行していたと言われた。つまりサンを操る松果腺にMが到達し、サンの操作に支障を来してきた事が、流行り病の症状として現れていた老化そのものだったのだ。関節の痛みや、吐き気、神経痛は急速に老化したことでの生理反応だったのかもしれない。先代巫女が開花の治療術を自身に使えなくて老衰死したけれど、皆それと同様の状況だったなんて。
「ほら、どうした?」
「だまっててくれ……」
「ユキはいつもゆったりしているね。いつもお寝坊さんだ。でもいいことだよ」
「だまっててくれっ」
優しい声をだすな……。僕は、彼に唯々諾々と従いたくてたまらず、それでいて、従うことが最良なのだろうと理解している。もちろん、彼の言うことは、僕を騙そうという甘言であるだろうけれど、それでも、前後不覚に陥っている僕がパニックになって終わるより、大分マシだろう。僕も、騙されていたんです、と言い訳が立つ。でも。
「テスェド……さん、本当に、村を滅ぼすために、行動していたんですか……?」
僕は、つい聞きたくなってしまう。彼がどうして、そこまで周囲を欺いていたのか。アリの害について僕に説明して見せ、流行り病について一緒に悩む。それでいて、裏ではそれらを操っていたなんて。
「ふふ……。私が、誰かに強制させられていた、とでも? ユキは人を信じすぎる。この世界では危ういな」
「……それは、テスェドさんが本当に優しいと思ったからですよ。僕は、……信じたいものを信じているだけだ」
「それを甘いというんだよ。この世には、信じられないことばかりあるし、信じられないことが常識という面をかぶって我が物顔で歩いている。ユキ……、わたしを憎んでいいんだよ……早く決断しなければ、その腕の娘は死ぬ」
……。そうだ。憎めはせずとも、もう彼を信じられなくなったいま、僕に残されているのは、「ユージェを死なせたくない」という思いと、「ユージェに弟を守らせてやりたい」という思いだ。
そして、彼女の腕を見やれば、そこには腕輪が、ある。
「最後に質問したい。テスェド。あんたが作った腕輪は、聖樹がなくなっても、つけている本人にサンを供給し続けるんだな?」
「ああ、保証するよ。聖樹が倒れようと、保管されたサンは消えることはない。私の総量ならば節約せずとも腕輪だけで一年以上持つ、と以前伝えたことがあっただろう。そのユージェという娘も、それなりの使い手だと私は判断できる。節約すれば数年は持つだろう」
「ああ、わかったよ」
僕に残された道は、これしかなくなった。これは高い位置にあるものがいずれ落ちてエネルギーを失うように、僕の中に選ばれんと存在感を主張するカードなのだ。僕はそれ以外の手段を見出すことを、疲れてあきらめてしまった。
「聖草、お前も加勢してくれ……」
僕はこの植物にとって鬼のような存在だろう。彼は僕を守ってくれたのに、僕は彼を使いつぶそうとしているのだから。聖草は聖樹の根元で、その枯れ木に対して悼むようにツルを巻き付けて悲しんでいた。僕はそれを無慈悲に戦場に向かわせるのだ。
「お願い――だ」
僕は、希った。哀れで、醜く、独善的で、それでいて理想に満ちていると自己を欺瞞しながら願う様子は、滑稽だった。まるで、子供が無邪気にアリの巣を水攻めする残虐性に垣間見える不気味さと純粋さのギャップに、笑えてしまうように、己の残虐性と滑稽さのギャップに乾いた笑いが漏れる。
「敵を殲滅せよ――命を燃やして……」
お願いという名の、洗脳的命令は、切れたと思っていた聖樹とのパスを一時的によみがえらせた。穴の開いたストローを通る水のように大きなロスを伴いながら、死にかけのパスをありったけの巫女の権能とサンが共にあふれ出していく。それはまるで、乾燥した葉が水をぐんぐん吸収し葉脈を伝って細胞が生き返っているようで……生の美しささながらだった。
あるいは。
苛烈な運動後に、脈拍が急上昇して、酷使した身体に走る血管が浮き出て、気持ち悪いような、そんな生々しくて不快な情景が、僕のサンの察知に映り込んだ。
お願いの灯は導火線をたどる様に諸生命、民草、聖草、羽虫などに伝わっていき、彼らを狂わせる。全ては聖樹のため、そのような使命を胸に、すべてのサンに強化された生命は、人間を全体の敵とみなして、狂信者の暴徒となって襲い掛かる。
いまだのろのろと歩いていた子供たちを後ろから飲み込み、追い越して、敵の先端とぶつかったのだ。
命の花が散る。人間の軍隊は煙をまき散らし、それによって、多くの生命が朽ち果てていく。サンによって永らえさせられた寿命。サンによって無理に肥大化した身体。それらの無理を誤魔化していたサンというタネが、世界に暴露され、マジックは幻想のままでいられない。それは現実という無残な白日の下に曝されて、無能な民衆が真実に白い眼を向けるように、世界はサンというドーピングを使った者たちに罰を与えんと、塵にした。まるで神話だ。僕は神話に遭遇してしまったのかもしれない。
皆、聖樹が朽ち折れたときの悲しみに満ち満ちた悲鳴以上に、哀愁に満ちた喉枯れのしている怒号を発しながら、敵に突っ込んでは、消えていく。もちろん、敵も損耗しているが、今まで、身体能力の劣る人間の方が身を削りながらアコンの民を疲弊させていた事実と対照的な現実が起こっていた。
お願いへの抵抗力は、サンに熟達したものほど高いのか、戦士団と長老院の面々は疲弊しながら、僕の命令に抵抗していた。彼らも、聖草と同様に勝手な命令は嫌なのだろう。でも、それは、時間の問題で、お願いは絶対だった。彼らは地に這いつくばった状態を少しずつやめていき、本来立ち上がる余力もないはずなのに、僕の飛ばした命令が、立ち上がる様に強制し、それと共に流れ込んだサンが、それを可能にしてしまった。休むべき時に休ませない、何と鬼畜だろうか。
そうして、最後まで粘っていた聖草もまた、人間たちと衝突し、僕の周りには、テスェドしか残らない。
彼が僕を感情のない目で、それでいてほっとするようなため息をつきながら見詰めていることに気づいた。
時間が過ぎる。狂った怒声が響き続け、また人間の悲鳴も村をにぎわしていた。
僕は考えたくないように、彼の目を見続けた。特に返事はなかった。
そこで、ふと雪のような白いものが、視界の端に舞っているのを見つけた。
雪? いや……。
これは白い物体が光を反射しているのではない。それ自体がうすぼんやりと、深夜の帳の中、発光している。
僕は光を漏らした蛍のような何かに目を向けて、――言葉を失った。
朽ち折れたはずの聖樹が、残った枝葉を天にささげ、枝先に満開の花びらのような、光り輝く点々とした何かを、無数に結んでいた。
真っ暗な夜半に天を割く一条の後光。
現実に光を放っているわけではない。けれど、聖樹は命の危機に全力を振り絞ったかのように、サンを大地から吸い上げて、結実をする。僕の察知の視界には、サンがまばゆいほどの濃度で集まり、夜の昏さを侵食していた。
揺れる揺れる。風は吹いていないけれど、サンの濃度が高いためか、暑い夏に陽炎が立つように、サンの艶めかしさが現実の空間を揺らすかのようで、僕の視界にはサンが発光して、揺れながら瞬いているように見えたのだった。
「子供は……空か降ってくる」
テスェドさんが、ぼそりとつぶやいた。
僕はそれをユージェから聞いていた。
手を差し伸べて、舞い落ちる蛍火を手に受ける。
それは弱弱しい光で、まるで粉雪が手の体温で解けてなくなっていくように、僕の掌に命を落とすかのように消えてなくなっていった。
結実が今、起こっている……!
直観する。わずかにサンのまとわりついたその光。それは戦場で命を散らせ、塵となった民草が、村の大地を耕し、聖樹に吸収され、聖樹が新たな命を生み出そうとしている。
これは子供になる種だ。
ふっと、僕は世界が揺らいだような気がした。だが、揺らいだのは僕の身体であって意識であった。力が抜けていく。腹の底がぽっかりと空いてしまってエネルギーが漏れ出てしまったかのようで、力が入らない。枯れてしまったようだ。
「テスェド……さん」
僕は彼に向けて、手を伸ばして、そして倒れた。視界が闇に沈む中、聖樹の結実の様子が瞼に焼き付いていた。僕はそれに生命の輝きを思った……わけではなく、ただただ、死に際に生命を残そうとするなんて、とんだ意地汚い生物だ、なんてことを意地悪く思っていた。他人の悪口を言わなければないほど、今僕は自分のことを見つめるのが嫌だった。
嫌いになりそうだったんだ。




