第48話 感情を焚きつけ続けるものの正体を、明らかにできないのだろうか。
2/18分はこれまで。
というわけで、今一番暇そうな院長に話しかけることにした。
「なにがというわけじゃ」
何この人、メルセスさんなの。
「無意識に喉が動いて、呼吸が音を作っているぞ。思考が駄々洩れじゃ」
ぐぬぬぬ……。
「で、では、院長さんに、質問があります」
「いや暇じゃないのだが」
「暇でしょう」
「瞑想しておる」
「365日?」
「365日?」
「ああ、一年ずっとですか?」
「一年さなあ。そうじゃ」
「そういえば、ああこれは肝心の質問じゃないんですけど、この村の一年ってどういう基準で決まるんですか」
「いや、だから暇じゃないのだが……」
「みんな何歳~とか成人の儀は100歳前後とか決まって、知っているじゃないですか。よく考えるとなぞだなと」
「話を聞け!」
「話を聞いたら僕の話も聞いてくれるんですか」
「はあ」
「……嬢ちゃん、エロデが宿っているのわかってから、強気になったの……」
「何か?」
「……いや、性格が染ってきているんじゃあないか」
おじいちゃんがひどくぶつぶつ言っている。僕に心の声が駄々洩れだといっていた人のやることじゃないな。
「ああ、はいはい。巫女様のご用件承りました。老人をこき使いおって……」
彼は向き合っていた壁とさよならをして、僕に向き合う。そして嫌そうな顔をする。しかめた顔は厳つかったけれど、盲目の瞳が何だかかわいらしく見えた。
「なんだか慣れないサンの質よの……、で何だったか、最初は」
「一年ってどうやってわかるんですか」
少しだけ寄り道。
「ああ、嬢ちゃんは、聖樹信仰する民に対しての説明と、自然現象としての説明どちらをお望みか」
「えと、じゃあまず聖樹信仰の方を聞いてから、自然現象の方を聞きたいですね」
「ふむ。よかろう。まあ、簡単に言えば、聖樹信仰なら、聖樹が教えてくれる、じゃ」
「は?」
「まあ、そうなるだろう。この村で生きて、自然と、自然の現象を肌で知り、直観として、一年がたつことを実感できるようになった民に、どうして一年がわかるようになったか、私ら長老院が、教えるのが、その感覚を聖樹がもたらしてくれた、という説明なんだ」
回りくどいな。まあ、要は、村で生活していれば、自然と一年の周期がわかるようになる。それをどうしてか説明しろという時に、聖樹がもたらしたもの(直観)、としておけば説明が楽になると……。
「そんなこと、僕に言っていいんですか?」
「だってのお。つぎから民に説明する時は、巫女としてお主がやっていく仕事じゃよ。お主が『本当は聖樹が教えてくれるんじゃないんです』って言ったとて、お主のというか、巫女としての責務が増えるだけじゃ。わしは一向にかまわんが」
「あー……聖樹のおかげにしときましょう」
というか、このジジイ、こういうの聞いとかなかったら、僕が死ぬほど説明に苦労するまで黙ってるつもりだったんかよ。
「で、自然現象としてはどうなんですか」
「まあ、数年ほど年を越せば、儂が説明せんでも、わかる様になると思うんじゃが……」
「僕は今、理解しておきたいんです」
「はあ、ずいぶん強気になり負ったの」
おじいさんはやれやれと首を振る。
「わかりやすく、一年を把握するのは、豪雨の到来よ。この村というかこの森は年中湿気て暑い。じゃが、ある季節になると、豪雨が発生して、それがある期間続く」
「確か500年前の戦争はその時期だったとか」
「ほう。テスェドに聞いとったか」
「はい」
「なら話は早いの。その豪雨が起こる頃を一年の始まりとして、考えておる」
ならかつての戦争は年明けの戦争だったのか。
「でも、なぜ豪雨が降るんですか。年中暑いなら、気候の変化もないはずでしょう」
「さてな。わしはあまりそういう現象に興味がないからしらんが。長老院の部下から、そういえば、豪雨が来る時期に、森に隣接する大きな湖が満潮になっていたと報告があったな」
「満潮ですか。どれくらい水位が上がったとかはわかりますか」
「それは忘れた。誰かが覚えてるかもしれんな」
そういえば紙での記録がなされないんだな。
それにしても、その部下の報告が正しければ、湖の水位が上がり、水分の蒸発量が増えて、森に豪雨をもたらす雲が流れてきたということなのか。いやでも、その季節に発生する低気圧のせいで豪雨が降るんじゃないか、それで雨が降るから水位が上がるんじゃないのかな。うん、わからない。僕の気象知識は中学生の知識どまりなので、これ以上は想像する材料もなかった。
「まあ、わかりました。一年の始まりを告げるきっかけについては」
「ほう。じゃあ本題は何かのう」
「あ、もうひとつ、一年について気になったこと聞いても良いですか」
「仕方ないの」
優しい爺さんだ。でも話をするのは嫌じゃなさそう。口角が少し上がっているような気がする。ただ話し相手があってうれしいだけかもしれない。
「なんでみんな年齢を数えていられるんですか。千年以上寿命がある人が、そんな細々とした感覚を持っているとは思えないというか。何年前のこととか、すぐ忘れそうだし、100年もたったら年齢はわからなくなりそうですけど」
「それは聖樹が教えてくれるんじゃよ」
笑顔だ。
「え?」
「それは聖樹が教えてくれるんじゃよ」
不気味な笑顔。
「え……と、自然的な説明は?」
「それは聖樹が教えてくれるんじゃよ」
不気味な……。
「……」
どうやら、禁則事項らしい。うん。まあ、いいや。そういうものだと思っておこう。
「すみません、話がそれました。本題として聞きたいことなんですけど」
「よかろう」
顔が引き締まった。
「院長は、誰かに対して、何百年と申し訳なく思ったり、愛しく思ったりした経験はありましたか?」
「何百年? はてな……。最近はもう何百年と聖樹に祈りを捧げるだけだったが。そういう意味では、聖樹への生の感謝の念を思い続けているなあ」
「はあ。確かにそれもすごいことなんですが」
でも、それは、宗教だ。宗教は、改宗ということで心変わりすることはあるだろうが、基本的に、宗教に傾倒する人は、死ぬまで信仰を続けても不思議じゃあない。そしてそこにある気持ちは、おそらくだが、僕が対人に思いたい感情の執着を考える際に参考にしづらい気がする。宗教は執着で信仰するものではないような気がするからだ。
「そうですか……」
「でも、テスェドなら、あの子……昔子供だと言い張っていた者に対して、何百年と思い続けていたような気がするな」
「テスェドさんが。そういえば以前も話してましたね」
「あやつが、なぜそこまでこだわるか、儂にはわからん。でも、それが一番お主の求めている者に近いんじゃないか」
「そう……かもしれないですね」
「とはいえ、儂の中にも、少しはあ奴に対する恨みが、今でも残っている部分はあるな」
「え、それは、結構長いものなんですか」
「ん、まあ、そうさな……。以前に決闘したのは200年前ほどじゃったか。だから200年程度の恨みとなるわけじゃな」
「という割に気楽そうな口ぶりですね」
「まあ、もう死んだ男に向けるほどの者でもなし。大人げないとは思っているからな」
「どんなものだったんで?」
「やかまし。他人の秘密に口出しするなよ」
「えー」
野次馬根性があるんですよね、僕は。
「テスェドさんが言ってたのは、引き分けだったのに、院長はテスェドさんが勝ったと思いこんでるとか」
「誰が思いこんでいるか。あれは卑怯だろうが、何だろうがあ奴が勝った話だ。それで儂は孫と宣言した嬢ちゃんを約束通り尊重してやっているのに」
「え、僕が優遇されているのは、テスェドさんが約束してもらったおかげなんですか」
「あー……」
と彼は頭をかいた。つい秘密を漏らしてしまった子供の振る舞いのようだった。
「はあ。その通りじゃ。お主が孫としてあ奴から宣言されただろう。それは、テスェドが儂に、かつて『孫と宣言した子供を引き取るとき、その子については私の管理下に置き、口出しするな。私が管理を出来ない事態になっても、危害を加えず、尊重して保護しろ』
とか言っててな。あの時は何のことか、かつての子供への未練から、だれか新しく子供を引き取るつもりか、とも思ったが、お前が来た時は、仕組まれたものを感じたよ……」
「まじか……」
だから、僕は、院長の隣に寝床を構えて楽にしていられるのか……。全部巫女の特権だと思っていた。
「じゃあ、その……、院長は、その悔しさが、院長自身が持ちたいから持つモノなのか、それとも何か院長以外のモノによって、仕方なく悔しい感情にさせられていると思いますか?」
「は?」
院長は盲目のまま、まるで世界がおかしくなってしまったのか、と心配するような表情をする。
「お嬢ちゃん……、ちゃんと通じる言葉を使ってもらわんと……」
「説明下手ですみませんねっ」
僕は多くを語り、無駄を生み、余白に墨を散らすように、見栄え悪く説明を重ねる。
感情という、行動のガイドラインが、いかに生成されるか。僕たちはそれを持ちたくて持っているのか。それとも、何か大いなる陰謀が僕たちにそれを、母が子に防犯ブザーを持たせるように、持たせているのか。
僕は院長に、言葉を尽くして説明した。そしてそれを問う。
「ほお……。それは簡単なことではないのか」
「簡単?」
「簡単じゃ。答えは、持たされている」
「持たされている……、何か自分以外の他者が存在するということですか」
「ああ。そう言うておる」
「なぜ、そう言えるんですか」
「教えてくれるのじゃよ」
「誰が?」
「聖樹が」
老人はかっかっか、と笑い、部屋を見渡した。
「お嬢ちゃんは、自分よりも大きく、理解しきれず恐れ多いような、無限のような存在を
信ずるか」
「恐れ多い……無限」
「ああ、儂らは、聖樹について、何を知っておる? サンを与えてくれる? この部屋や村の結界を作る力を与えてくれる? 名をつけてくれる? 養育施設を地下に持っている? 死したら根元に埋葬され、一体になる? それですべてか?」
「いえ……、巫女として声を聴くし、民たちの意志を巫女として伝えるべき相手です」
「ああ、そうさな。あとは税を捧げなければ、サンを与えてくれることを、止めてしまうかもしれないとかな。わしらはそうやって一つ一つ、数え上げ、聖樹という存在の輪郭をなぞって、知った気になっておる。……そうじゃな?」
「はい」
「では、お主が、今、儂に感情の根源がどう思うか、聞いておるが、それを聞きたくなった気持ちは、どのような経緯か、理解しておるか?」
「経緯……」
僕は、過去に、誰かを好きでい続けることが出来なかった。この世界に来て、メルセスさんの思いの募らせ方、ジャコポの知り合いの男の、無念の堆積のありさまを聞いた。そうして、僕は、院長に聞こうと思っている。
「流れとしては、理解しています」
「そうか、で、その疑問はいつ生まれた?」
「それは……」
具体的に頭に浮かんだのは、ジャコポとの会話の後だ。
「でも、原因はそれよりも以前から、ある……そう考えているな」
「はい……」
そもそも、僕はその疑問について、ずっと以前から、身に染みて思っていた。しかし、言葉にして、はっきり誰かに質問しようとできるように、思考がまとまったタイミングが、あの時だった。
「細かい原因が重なってようやく意識することが出来る手掛かりを得る……お嬢ちゃんは、その一つ一つの時には、その原因に対してろくな回答は得ることも、得ようと意識することもできない……」
「はい」
「でも、細かい原因を飽きるほど重ねた結果、お嬢ちゃんの頭は、それらに共通する問題を、思考に自然と落とし込む。それが、今回の質問であり、お嬢ちゃんが今儂に聞こうとした気持ちの現れた出所だ」
「……じゃあ! ……ずっと誰かに対して、恨みを持ち続けている人は、過去の原因となった恨みを買う事件という原因が集まり、それが、その人の思考と感情に現れて突き動かしていると?」
「さてな、原因があるからと言って、そういう民らが、全員同じ行動をするはずもなし」
――だから、聖樹が教えてくれる、というのじゃ。
「……結局聖樹という、暗幕をかぶせて、わからないことを誤魔化しただけでは?」
「そうともいう。でも、聖樹は生まれてすぐにわしらに問いかけている……先生がいただろう、先生はいったいわしらに何を教えてくれた?」
「子供の意志を尊重する、とかですか」
「先生は、幼い時の、村の様子も知らない蕾の時代の儂らに、何をしたいかを問う。問い続けていた。それは、少なからず先生は、あの時にすでに、なんらかの原因を得た民は原因に対してどのような行動をとるか定まっている、と判断していたからと言えはしないかの」
「……」
もし、蕾の時分から、その性格を見られていたとしたら。外界の影響がない分、子供たちは、子供たち同士の会話において、その経験を積もらせていく。その積もり方によって、子供たちは、どのように行動し考えるか、子供の考え方の基礎を形成していく。先生は、それを、質問によって把握していたとしたら……。子供たちの管理か……。
「じゃから……。子供のころから、とある原因に対してとある反応をする、というその人独自の対応というのは、ある程度定まっている。もちろん、村に出れば、影響は広がり、もっと予想だにしていなかった行動をとれるようになる……。でも村にいる者は全員先生の『教育』をうけているからの」
「じゃあ、聖樹の監視が追い切れない隣の国に行けば……」
「それは正解じゃな。もし聖樹が大きなファクターであることを撤回したければ、聖樹から離れればいい」
「でも、それは、難しい」
「ああそうじゃ。アコンの民や、ビレアの森にいる生物は、そこから離れる選択を取ることはないだろう」
「そうですか……」
少しの間沈黙が下りた。考えを整理しようとしてもなかなかまとまらない。一つの疑問を苦し紛れに投げる。
「でもこんな、聖樹信仰のトップを張る人が、聖樹批判みたいなことをしていいんですか?」
「勘違いしておるよ。お嬢ちゃんは、今の会話で、聖樹の怖い部分を見ただろう。でも。さっきわしは言っただろう。『恐れ多い無限のような存在』と」
「?」
「聖樹というのは、儂らには断片としてしか知りえない、『広大な無限の』存在じゃ」
僕はいまいち理解ができない。
怪訝な顔をしている僕の反応をどのようにしてかくみ取ったおじいさんは、口調を優しく改める。
「くみ取れなくて当然じゃな。儂らの頭程度では一言で説明しえないから、『無限』という言葉で途方もなさを形容しているのだから。聖樹の一つの特徴を考えれば、そこから連鎖的に、際限なく想像が広がる……聖樹の正体はそういった連想でくみ取れないほどの広がりを持っている……その広がりこそが無限。簡単に言えばの、悪い側面もあれば、いい側面もあるということじゃ。聖樹には、儂らを逐一観察するような恐ろしさがあるというが、裏を返せば、それだけわしらを見守ってくださり、その上で儂らのためにサンという力を与えてくれる存在じゃということ」
人間でいうところの母なる存在というべきか、とこぼす。
「はあ」
僕は思わず、かつて指導された振る舞いをしてしまう。
「であれば、つまりお主の求めるモノも同じなのではないかということじゃ。いい面も悪い面もある。はたまた、お主の求めるモノの正体は、全く関係ないふざけた特徴の側面をも備えていて、案外そちらが本質かもしれない。
……お主は単純化して考えようとし過ぎるようじゃ。何かを恨むことも、何かを求めることも……。そこには共通のものがあると思っている。確かにそうじゃ。同じ民の行動だからの、同じ行動の規則があるかもしれない。もしかしたら、本当にあるかもしれない。しかしじゃ。それをあえて断定せず、お主の連想の範囲でくみ取れないほどの、見えざる入り組んだモノとして、諦めて受けいれるのも吉ではないかの」
「そう、かもしれないですね」
そう、だろうか。わからない。わからないから、受けいれる。それも、アリなのかもしれない。
おじいさんは、僕が追及するそぶりを見せないからか、役目を終えて満足したように瞑想に戻ってしまった。僕は寝床に転がって考える。
僕を引き付ける、正体……。
無限に広大な存在……。
果たしてそのようなものがいるのだろうか。聖樹は本当に無限という言葉で片付けてしまえるものなのだろうか。僕には確かめようもない。ただ、この空間が存在し、サンが送られてくるパスが、確かに聖樹とのつながりを感じさせる物らであることは確かなのである。けれど、つながりという感触の先にある、聖樹の本体とはいかなるものなのだろう。
見れば、わかる。そうだ。多くの悩みは実際、事実を見て考えればわかるというモノだ。聖樹の実物は、大きくて、村の中央に生えている木。でも僕が最初に見た中央の木は倒れてしまった。そして、二回りくらい小さくなった若木に、今僕は住まわせてもらっている。聖樹の本質は植物である。それはよくわかる。何かしらの生き物だ。くみ取れないほどの秘密を抱えているとはいえ、呼吸し光合成しているであろう植物……生物の一種だ。超常の存在ではない、ただ少し人間離れした能力が可能であるという異世界ならではの常識外れさがあるだけだ。
感情を募らせるモノも、見ればわかるようなものであったらよかったのに。少なくとも輪郭をつかめる物体ならばもっと想像がつきやすかった。
逆に言えば、見えないのなら、そのようなものは無いのかもしれない。僕たちは、何かをあると思いこんで生きているけれど、本当はなかったとしたら。すると、僕が今考えている、感情を湧き立たせて、憑かれたようにさせる正体は、どこを探してもないことになってしまう。無いのであれば、一体僕たちは、取り憑かれた様に何かに熱中したり、何かを考え続けなければいけなくなる、そのことは、何のために起こるんだろう。
取り憑かせているモノがいなければ、僕たちは何をきっかけに取り憑かれた状態になりうるのだろうか。
……、そういう僕はこの考えにとり憑かれ始めているのかもしれない。院長の言ったヒントはそこだ。大きな言葉でそれを括ってしまって、諦めて受け入れろ、というアドバイスの他に、僕の僕が考える思考の形式に、着目してみろと言っていたではないか。
僕は、それを確かめずに入られない。単純に知識欲であり、好奇心というものがあり、それ以外に、過去の経験が、僕に、「あそこでうまくいっていれば、僕はもっとすごい人生を送れた」という妄言を投げかけてくる。そのうまくいくためにその疑問を解明しようとしている。僕がこの疑問に費やす熱量の源は、それらである。果たしてそこに僕をとり憑かせる原因はあるか。それとも、僕が把握しきれていない要因に、訳があるか。そして、それを把握できないのは一体どういうことなのか。
考えれば考えるほどわからない。なぜなら、僕は自分が考え付かないことを、どうしてなのか考えようとしているのだから。
考え付かないのだから、それは考えようもないのは当然であるはずなのに、僕は、それについて考えなければいけないと考えてしまっているのだ。
一体どうしてだろう。
そこには、ひとつ回答案が浮かんでくる。
僕が、その考え付かない何かを、本来考え付いているものだと、想定してしまっているということだ。
本来。今の自分が本来ではないと考え、それを意識すること。
つまり僕は、僕に理想を抱いている。僕が想定する感情への憑かれている、というのも、理想へ憑かれていることに還元できるかもしれない。本来の自分にはないものを、あるはずだと錯覚する能力。
ああ、僕のナルシシズムは、案外、理想を追い求めることを欲するような、ドラマチックな性質なのだろうか。
そういうドラマチックな自分に酔っている? さて、それはわからない。
元々僕のナルシシズムは、僕の利益にならないことは、すべて排し、できるだけ自分の利になることを選択する、という意味で言った性質のことだった。
でも、僕は何かに取り憑かれるように、この疑問を追い求めている。もし追求しないと決定づければ、精神的には、不満足による不利益になってしまうけれど、身体的には、思考を無駄に消耗しないという、不利益を回避する結果になるかもしれない。
僕個人の現状に関しては、本当は今、戦争の行く末と、この戦争のさなかに、自身に身の振り方、つまりなるべく被害にあわないような立ち振る舞いを考えていくべきだし、戦争において、敵に塩を送ったエロデと共犯関係にある、自分の精神をケアすることも必要だ。
でも、そういった現実のことをなげうってでも、僕は僕が、誰かを愛し続けられるか、人は誰かに許しを乞い続けたり、想いを募らせ続けたりすることは出来るのか、という理想主義的な(本来なるように成れとしか言えないような、皮算用で非生産的な)ことを、追究し続けてしまっている。
これこそが、対人ではないけれど、疑問に対して恋焦がれている状況だ。僕は、僕自身に不利益を被らせている。理想への憑かれは、現実への疲れを引き起こすだろう。ナルシスト失格だ。
では、院長の言った通り、この自分の利益を追求することに反する現状をどう考えるか、僕は今の自分の精神状況を分析すればいい。
考えようと思う。
でも全然、今すぐにはわかりそうもない。




