第43話 戦の行方
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残酷描写有注意
「あら、一人で首輪を外せたの。偉いわねえ。でも外さないほうが良かったと思えるかもしれないのにね」
彼女は独り言ちる。まるでそれは僕に告げているようだったのだけれど、僕はあまりその言葉に興味を抱けなかった。昔の記憶と現在の認識をすり合わせるのに忙しかったからだ。
時間が経ち、僕は少しずつ落ち着いてきた。
思考に籠るのを止めて外界を見渡すと、彼女は敵の集団を見つけたようで、茂みに伏せている。敵は数十人と集まっている。息を切らしているものが多数見受けられた。
一方、アコンの民の戦士団は、手傷を負っている。銃弾によるものか。また、サンを削り取るガスによる範囲攻撃が彼らの進路を阻み、進退を難しくしているのがわかる。
そうだ……彼女が僕の身体を動かしているからなのか、僕の身体はサンの扱いとサンを察知する能力が格段に向上していることが把握できた。
民たちの発散するサンが白色に見える。はっきり輪郭が捉えられた。
一方でガスマスクの視認装置をつけているおかげで枯葉剤の粒子もピンク色の煙状に認識することができた。
枯葉剤……と呼ばれた薬品の煙が舞う戦場……戦士団のとある者の発散するサンの揺らめき……それらが結びついたかと思うと消失する……。
あれはもしかすると、煙がサンの揺らめきを片っ端から食いつぶしているように見える。
それがだんだんひどくなり、煙がサンの輪郭を犯していく。その戦士団の一人は、後退して魔の手から逃げようとするけれど、背後にはすでに煙に侵された仲間がいる。それを確認したその者は、意を決して、腕をばたつかせて、風圧を起こして煙を追い払おうとするが……、見る見るうちに、煙がその者を犯すのが見える。発散されていたはずのサンは栓を閉じた蛇口のように漏れ出ることすらなくなってしまった。
……煙が身体に届いた。そして脳に……。脳の松果腺といわれる部位に到達したのだろう。その者の顔つきが豹変した。遠目でもわかるほどの変貌。顔の皮膚がたるんできて、目は落ちくぼみ、髪は白髪交じりになる。立っているのもやっとなそいつは、ひざを折り、手を地につき、喀血して倒れた。
戦士団は、また一人やられたと騒ぎ、戻れ戻れ、逃げろ、と叫んでいる。けれど、逃げたところで、殺虫部隊は間隔をそのままに追っていく。
彼らはサンを放出するな、サンを出しても消耗するだけだから、擬態したまま逃げろ、と叫ぶ。そうして、彼らは能力による攻撃手段において、人と同じスタンダードまで引きずり降ろされてしまうのだった。サンによる遠距離攻撃は封じられた。
初期の数で敵は100、民の味方は200。サンの開花が封じられたことで、質の差はあまり無くなった。量では上回っているものの、しかし、敵には枯葉剤という大きな武器がある。対アコンの民では、その煙の噴出装置は、ただの人に対する火炎放射器にも勝る攻撃力を誇るだろう。そう思うと戦々恐々とするばかりだ。直接食らえば、先ほどの者のように干からび、最終的にはアリの話のように砕け散ってしまう……。
彼女は茂みの陰を伝いながら、追いすがる殺虫部隊のそばを離れずついていった。
―――――――――――――――――――――――――――――――
僕と彼女は飽きることなくその鬼ごっこを眺めている。
彼ら人間らはアコンの民を追いかけ、枯葉剤の煙をばら撒いて包囲網を作り、一網打尽にしようとする。対するアコンの民は煙に触れないよう、隊列を組みかえ、蛇のように逃げていく。戦闘を走り指揮を執るのはメルセスさんだった。おそらく隊の感情を把握しながら、適切な指示を飛ばしているからこそ無駄のない動きが可能なのだろうなと素人ながらに思う。
そうして彼らは木々の開けた土地に出ると、アコンの民は少しだけ人間らに牽制するようにサンを放出させ、弾丸や大地を変質させた津波などの遠距離攻撃を加える。しかしそれらは空中に舞う煙がごちそうをかっ食らうように浸食して消し飛ばしてしまった。らちが明かないと悟ると、また隊を整理して逃げ出す。
彼らが通り抜けたあとは、サンに強化された植物が萎れているのが見て取れる。野生の動物や聖草は枯葉剤を恐れて近づいてこないようだった。
アコンの民は逃げては、都合の良い場所に留まり迎撃をする、を繰り返していた。そう、ずっと繰り返していたらしい。僕らが彼らの様子を見始める前から。なぜそれがわかるかといえば、身体を乗っ取る彼女が、彼らの鬼ごっこの軌跡が、森の中のとある地点をぐるぐる回っているからだという。一周するのに歩いて30分かかるという。敵襲が来たという知らせからすでに3時間は経っていると彼女は言った。僕の中に潜んでいたらしいが、体内時計を利用したのだろうか。ひどく不安な計算だ。でも、大体あっているから問題ないという。その証に、さっきから話している一周のコースのとある一地点、始点終点になっている木の幹に、サンの輪が4本巻かれていた。一周すると一本巻きつけて、4本目。つまり彼女の推論よりも時間が短いことの状況証拠があることを示していた。しかし彼女曰く、敵が来てすぐにこの鬼ごっこが始まったわけではないだろうから、4週分にかかる二時間と他一時間の準備時間でちょうどいいだろう、との判断だった。それが正しいかどうかは置いておいて、この印は、戦士団が森の中で体力づくりのための隊列歩行やクロスカントリーの時に、周回数を記録する方法である。だからその練習場としてのコースがここである。
つまりここはアコンの民の庭であった。
彼らは一見圧されているように見えるが、何か秘策をもって今を耐え忍んでいるのだという。
なんで戦士団のことをこれほど知っているのか。
ねえ、もともと戦士団に属していた者なの?
「違うわ。私はどこにも属したことはない。成人の儀を待たずに死んで、聖樹の中で不思議と意識を保って生き永らえていただけの幽霊よ」
コクレウスも的を射ているのだから、年の功も馬鹿にできないわねえ。
そんなつぶやきを漏らして、彼女は僕との会話を打ち切ってしまった。僕は彼女の心境を感じ取りつつ、森の中の様子を眺め続ける。
彼女は何を思って、この戦いに臨んでいるのだろう。何を探しているのか。
僕は彼女に主導権をゆだねて、彼女とこのまま一生を共にするのだろうか。それは嫌だなと思う。今は戦争という非常時で、僕よりも戦闘慣れしている者が自身を操縦していることが、生き残るうえで非常に有利だと感じているから、ありがたいのだが、この正体不明な者が居座っている感覚は異様だ。自分が自分でなくなるような違和感を少しずつ思えてくる。単純に言えば、自分より自分のことを操作するのがうまいと、自分に対して彼女がのっとってくれた方がいいんじゃないのかな、という対人関係の卑屈さを感じる生来の感覚が呼び戻される。
本来、自分を扱うのは自分のみであるからこそ、自分が情けないことを、仕方ないと割り切っていられたのに、それが許されなくなった八方塞がりの感がある。
と、こういうことを思っている自分がいることを認め、そのうえで、自分に対して自嘲した。対人関係において、自分より他人が優れているから自分は立場を退く、という選択は、その立場を退かないことによる精神的なダメージと、退くことによる不利益を比べて、退く方が気楽だから、だといえるのだが、今回ばかりは、自分の主導権を一生彼女に譲る、というのは、頷けない話であると感じている。
自己人格を消して、肉体を他者の意識に明け渡すというのは、ある意味自殺であると思う。自分が自分であると決められるのは、思考がここにあると自分自身が思い込んでいるからだと思うけれど、もし思考できなくなればそれはこの世にいないも同じなのだろう。ドラマチックに言えば、魂が別人のものと入れ替わったとして、その人物は以前の魂の持ち主とは別ものだろう。まあここでは魂と意識の定義は無視するとして、とにかく僕の身体の操縦権を彼女に明け渡してしまえば、僕の身体は世界に存在するけれど、僕の意識はこの世に干渉できなくなる。そうして、もし今の『車の助手席』にいるような感覚のある状況から、さらに助手席からも下されてしまったら、僕は世界を見ることすらできなくなってしまうかもしれない。そうなれば完全に消える。意識がなくなる。眠りにつく。永眠ということだろう。
僕の身体を使って、この後彼女が生き続ける。
僕の中の価値観としては、それが嫌だ、僕はもっとこの世界を見てみたいという気持ちが8割、一方一度死んだし、彼女に明け渡してしまってもいいかな、めんどくさいし、彼女のほうが生きる上で能力が高そうだ、という思いが2割、といったところだ。
この8割の嫌というところに、彼女が主導権を握ることに僕が頷けない訳がある。
なぜ嫌なのだろうか。
それは、彼女を信用していないということだ。
そもそも彼女が僕の身体を必要としているのかわからないし、僕の身体をもらっても迷惑かもしれない。まあ、彼女の都合はこの際無視して。彼女が僕の身体を完全に乗っ取った結果、好き勝手やられるのは、僕の外見において、恥ずかしいということだ。いやまあ、今の外見が僕の外見として自覚できているかと言われれば、少し愛着が薄いのだけれど。
まあ、ともかく僕は、僕の身体で彼女が何か好き勝手やって、それについて僕が許せないようなプライドに障ることをやられたら、嫌なのだということだ。だからどこか否定したくなる。
では、彼女に直接、僕の身体を奪ってどうしたいのか聞いてみればいいだろうか。
ねえ、僕の身体を使ってどうしたいのさ。
「……」
反応はない。彼女は彼女で何か物思いにふけっているのかもしれない。
「ん……? ああ、別にあなたの意識を押しのけてまで身体を乗っ取りたいわけではないわよ。あなたが聖樹の下で、行動を決めてほしいと願ったから、私が出てきたわけだし、今も、私が出ている方が都合がいいと思っているでしょう。だから私が出ている。身体の主がその気になれば私はつまはじきにされてしまう存在なのよ。その程度の存在」
へえ。意外だった。彼女は本心はどうであれ、僕に対し絶対的なイニシアティブを握ろうとしているわけではなさそうだった。
じゃあ、何を求めて、僕の代わりに戦場に出ているのさ。
「求めているのは、解放されること。と言っても、わからないかもしれないけれどね」
全然わからないよ。
「私は、意識だけの存在だけれど、意識に沿った肉体を手に入れたい。そしてこの村から出て行く。もちろん、あなたの意見を無視してこの身体を乗っ取るつもりもないわ」
そうなの。てっきり、僕のことを追い出して、身体を独り占めして自由になろうとしているのかなと思ったけど。
「あなたが私に譲ってくれるならそうしてもいいけれどね。そういうのは望んでいないでしょう」
まあね。僕を男に戻してくれる……男の身体を用意してくれるなら、この身体は譲ってもいいかもしれないけどね。
「へえ。それじゃあ覚えておくわ」
彼女は目を瞑って考えていたと思う。冗談を真に受けたようだった。僕は自分自身を傍目から見れないように、彼女の意識がどういう振る舞いをしているか視覚的に見ることは出来ないので、想像だ。
追っていた僕たちは、ある広場的な開けた森の一角で、殺虫部隊が崩れるのを確認した。
先ほどから説明していた通り、殺虫部隊が追い、アコンの戦士団が逃げて、二時間以上の鬼ごっこを続けていた。たまに遠距離攻撃をして牽制していたが、それは殺虫剤による守りに落とされていた。そうした攻防をしていたわけで、一見追っている殺虫部隊が優勢に見えたのだけれど、ここに来て、それは上辺の均衡であることが露呈したのだった。
結局のところ、体力の限界。
人間が、ガスマスクをかぶり、重さが十キロあるかないかの薬剤の散布装置を背負って、二時間以上のクロスカントリー。枯れ葉やぬかるんだ土地、大樹の根が張り巡らされた地形など、足を取られかねない場所は多くあり、それを回避するために余計な体力を消耗したはずだ。
彼らはアコンの民と付かず離れず走行していた。それは、わざと距離を保っていた部分も最初はあったのだろうが、途中から余裕がなくなったのだろう。そこからは反対にアコンの民側がギリギリ追いつけない距離感にコントロールしていたのかもしれなかった。
一方で戦士団は、サンによる開花を封じられたと言えど、体内にサンを結集させ、筋肉を補強することで負荷の軽減がなされ、筋疲労が溜まりにくくなっている。筋肉の持久力が格段に高いことを生かして普段からトレーニングを積んでいるために、人間の基準で考えるならば、心肺機能は限界を超えて鍛えられていたのだった。サンの運用は人間よりも高い水準での活動能力を可能にする。そう彼女が解説してくれた。
これにより、山の中でも数時間の持久走は余力を残したまま可能であった。
こうして、僕らは、殺虫部隊が返り討ちになる場面を目の当たりにする。
疲弊した部隊は、複数人で噴出させていた枯葉剤の網目に穴が開き、大漁の獲物はそこから零れていく。いきのいいトビウオのようなサンの弾丸が、殺虫部隊の右肩のあたりをはね飛ばした。その衝撃に動揺は走り、網目は緩み、攻撃の手は苛烈になっていく。
戦士団は、今までお預けされた犬のように、獲物に食らいつく。サンの弾丸を撃ち、サンによって形作った植物のツタを伸ばして、敵を絡めとる。サンを靄のように広げ、煙へのセンサーとして活用し、殺虫剤を避けて行動する。近距離戦闘にも持ち込みたいのだろうが、さすがに部隊の方が最低限の煙幕の防御を張り、近づくことは出来なかった。
抵抗として部隊の数名が筒状の銃剣が弾丸を飛ばすも、サンの鎧の前に致命傷に至らず、皮膚に赤い痕を残すだけにとどまっている。
こうして、少しずつ両者は牽制し合いながら距離を縮める。殺虫部隊の方も死力を尽くしているためか、泥仕合と相成ってくる。
血気がはやり過ぎたのか、一部のアコンの民が煙に触れすぎて朽ち果てさせられたが、敵の部隊は、捨て身で急接近してきたまた別の民によって、二三人が殴り飛ばされ、再起不能に陥った。
このような出来事が数回起き、敵の部隊は半数に数を減らし、アコンの民は二割ほどの被害で済んでいた。
アコンの民も、もう飛び出すことはしないのか、一定の距離を離れて、牽制している。殺虫部隊は、ようやく落ち着けて、煙を十分に巻くことができ、敵の攻撃の手を緩めることに成功して、交代に休息をとりつつあるが、打てる手はなさそうに見えた。
殺虫部隊は、もう籠城戦だ。機動力を失ったゆえの苦肉の策。戦闘不能になった者たちのバッグの薬の貯蔵を周囲にばら撒き続ける。そうすることで、決してアコンの民が侵入することのできない城壁が完成する。
もちろん、薄い煙程度ならば、サンの弾丸やサンを岩や植物、他何らかの物体に具現化させたものを発射した、その勢いと衝撃が通じてしまう。だからこそ、その煙は太くしなくてはならない。だから殺虫部隊は頻繁に枯葉剤を散布し続けなくてはならず、気は抜けなかった。
そこでアコンの民は遅ればせながら、気づく。別にサンを消費する必要はない。石ころを投げればいい。誰かが石ころを投げ始めてからは、多くの者たちが石を拾って投げ始めた。走っている時から気づけよ、とは思うが、追いかけながら地面の物体を拾うという行為は手間がかかり、頭に浮かばなかったのだろう。
敵の司令塔にあたる人物の判断は、苛烈だった。
迅速な判断だった。
石が飛び、礫は手痛い被害を生んだ。それを最小限にしたのはその司令塔の一声。
――寝ている奴を盾にしろ。死ぬ気で走れ。敵に突っ込め。枯葉剤を浴びせかけろ。
喉を枯らし、絶叫するような命令は、聞く者の腹の底に響くようで、覗いていた僕の精神すら揺らすほどだった。
疲れ果て、気を抜きかけていた兵隊が、石のあられに驚き、気を引き締め直し、そしてリーダーの怒号に、活力を得た。
あとは阿吽の呼吸で、アコンの民側、最前列で煙幕を張っていた者らが、散布装置を手放し、その装置を背負っている寝転んだ仲間を担ぎ上げて、盾にする。数時間走り続けて悲鳴を上げる全身の筋肉を奮い立たせて、窮鼠は猫を噛むのだ。
駆け出した。人を担いだまま。礫は飛んでくる。
対する戦士団は容赦しない。
担いだ仲間に石が当たり、鈍い音、骨が折れたであろう感触、そういったものを聞きながらタックルしているんだろうな、と推測する。冷酷になるしか生きる道は無いのだろうな、と思い、戦場から目をそむけたくなるのだった。
それに慌てたのはアコンの民だ。もう勝ち筋が見えて、ダメ押しとばかりに投石した結果、敵の起死回生の一手を誘発させる結果になるとは。
石を投げても、前線の担いだ背中や、前線を走る兵隊自身が肉の壁となり、後続が敵への肉薄につなげてしまう。また、サンの攻撃は煙に無力化される。
隊列を組んで蛇のように逃げ出すには、敵の動きが機敏すぎて、小回りが利かなかったのだ。もう逃げることは出来ない。
戦士団は、殺虫剤の煙に溺れることになった。
平等に、サンを蝕み、身体を朽ちさせていく。
だが、悪あがきするには体力がなさ過ぎた。捨て身で接近して、吹っ切れたのは、人間だけではない。戦士団も、死を前にして、向かってきた人間らを近接戦闘で、前にいる者たちから、殴り、貫手でつきさし、蹴り崩してく。
どれくらい経っただろう、肉弾戦になり、身体の性能で押し負ける人間たちと、毒ガスの中で身体が壊れていくアコンの民。彼らは同等に崩れ落ちていく。片方は体力が尽きて、膝をつき、片方はサンが枯渇して、干からびかけている。どちらも動くことがままならないほどだった。
最後の一人になるまで彼らは殴り合い、叩き合い、叫びあっていた。
何を叫んでいるかは聞き取れなかった。
人間の方から聞こえてきたのは世界への恨み言や後悔。アコンの民は聖樹を讃える句句がほとんどだった。
僕はその戦いの情景による衝撃で硬直してしまい、気づかぬうちに力んで肩などが震えているようだった。彼女がいま主導権を握っているとはいえ、本来の主人格である僕の動揺は表層にまで達し、彼女の操作に介入していたようだった。
助けに入ることなどできようもなかった。ビビっていた。逃げ出したくとも逃げられない、網膜にそれを焼き付けなければいけないというおかしな使命感に駆られて、僕は目を皿にしてその様を見届けることしかできなかったのだ。
「なぜこうも泥臭くなってしまったのか。アコンの民は神出鬼没を強みに、隠れて敵を攻撃することをモットーとしていたのではないか」
彼女は唐突に言葉を紡ぎ出す。しかしその言葉には聞き覚えがあり、つまりはそれは僕が疑問に思っていることをそのまま言語として産み落とすものだった。まるで僕の思考を盗み見ているかのような精度である。
「彼らは、おそらく最初から泥臭いことになることを避けるために、庭のようなビレアの森で、障害物を巧みに利用し、サンによる遠距離攻撃を中心に、敵に位置を気取られぬように、攻撃と移動を繰り返しながら、惑わせて攻撃していくつもりだっただろう」
彼女は視線を今も戦場に向けたまま、誰にともなく語る。
「それを機能させなかったのは、敵の殺虫部隊の兵器の強みだ。煙幕という範囲攻撃。特定の種にとっての劇薬。これが、物陰に隠れる虫という虫を殺す。隠れていた害虫どもはいてもたってもいられず、表にわさわさ飛び出し、個体によっては死骸を晒す」
淡々として口調は、自分の考えを整理しているかのようである。
「その劇薬は、アコンの民の隠密性を無に帰す。仕方なく、隠れるのやめた。頭のメルセスは考える。そして手足に伝えた。サンによる能力は、身体能力の他、情報伝達能力にも役立った。メルセスの感情を把握する能力は、部下の管理に最適だった。また視覚に入らない部下の位置も感情の色が彼女の視界に現れ、物陰の部下の位置を示してくれた。この能力の上に、さらに、部下の一人に、風を操る開花をする者がいたことが情報伝達を円滑にしたのだった。風といえば院長コクレウスの十八番であったが、彼の地獄耳という周囲の音を風に乗せて引き寄せる能力を参考に、反対に声に指向性を持たせる設定することを可能とした。これにより、彼女はその部下を傍におき、声を360度、部下の風に乗せてあらゆる位置へラジコンのヘリコプターを操作するように届けるのだった」
僕はギョッとした。ここまで聞いて、彼女を凝視した。
メトロノームがあるような隣国だ……ラジコンもヘリコプターもあるのだろうか。
「どう思う?」
その口ぶりだけで悟った。彼女がこの世界に来る前の場所を。
「ふふ……。まあそんなのどうでもいいじゃない。それに千年以上生きていると、ほとんどおぼろげだわ。
話をもどすわ。メルセス率いる戦士団はこうして意思疎通が円滑で迅速であった。彼女の意志は伝達され、その返答は彼女が感情を読み取ってイエスノーをくみ取り、大まかに判断される。団員に負担があれば、彼女がその負担を平均化できるように采配を取っていた。こうして、敵の煙幕に隠れ家を追い出されようと、蛇のような身のこなしで、網目からの逃走を可能にした」
彼女は歌うように諳んじる。
「あなたも見た通り、アコンの民は、表舞台におびき出されはしたけれど、ただで逃げ惑うわけではなかった。敵を引き付け、敵が獲物を殺すことに集中させ、躍起になり、視界を狭め、彼自身の余力を削っていった。殺虫部隊は、一度暗がりから飛び出させた虫を、再び見失うのは精神的に勘弁願いたかったのだろう、捕まえるまで追いかけてやるんだと、休むことなく食らいついて来たのだった。そうして、アコンの民の術中にはまり、動くことができない状況に却って追い込まれてしまう」
僕は見てきた情景を、彼女の説明によって思い返す。思考は整理され、彼女の筋書きがすっと染みこみ、これまでの敵と民の行動に意味を見出した。
「気がゆるんだのだろう。いや、これまで朽ち果ててしまった同士への思いが、残虐性に転じたのが災いしたのだろうか。石を投げる。その行為はひどく幼稚で単純であって、それ故に、やられた側にとってはひどい屈辱を覚えるものだった。まるで貧民が、持てる者たちへ、貧しくとも自らの地を守ることを意志を表明するように、弱者が最後まで抵抗を止めることをしないのだという高潔さをにじませる振る舞いであるかのように……そのことが、敵の殺虫部隊を悪逆非道の者らだと、暗に指し示しているかのように、殺虫部隊の者たちは感じ取った」
なぜ、敵の気持ちを慮れるんだろう? 殺虫部隊を派遣してきた隣国の文化を知っていなければわからないだろうに……。
「私は別に隣国へ行ったことが無いわけじゃあないもの。そして隣の国で生活をする者の意識の中に、今こうしているようにお邪魔したことがあるわ。そこで意識と記憶を学び取っていたわけ」
話は変わるけど……今も僕から学び取っているわけ?
「ふふふ……」
彼女は答えることはなかった。
「ともかく、敵は自らの侵攻を、戦争の意味を正当化して望んできているわけよ。皆行為をする時に、それが誰かにとっての悪であることを自覚する人は少ないし、見て見ぬふりをしたいのだろうと思う。自らの行為に誇りを持ちたいものなのよ……だからこそ、彼らは、悪者扱いされたことに腹を立てたし、その行為と絶対的なピンチの場面が、彼らの四肢に活力を与え、萎えた手足を動かし、泥仕合に持ち込ませたってわけ……」
そこまで彼女が解説を入れ終えたところで、目の前の戦いに終幕が訪れた。
もうよほど立っている者もおらず、両軍ともに疲弊しきっていた。
後半、うまく罠にはめて消耗を抑えたはずの戦士団だったが、敵に接近され、煙を浴びせかけられ、大きく数を減らした。全員がここにいるわけではないのだろうけれど、メルセス戦士団長を含む主力に大きな被害を被ったことになるわけだった。
僕が圧倒されて、彼らの惨状に釘付けになっていると、身体は急に立ち上がり、その場を後にする。彼女は何も言わない。僕が問いかけてもうんともすんとも言わない様子に、うんざりしたけれど、彼女の視線の先を追い、つまり視界がどこにピントを合わせているかをしっかり理解するに努め、どこに向かっているかを把握しようとする。
けれど、僕は結局のところ森に迷うばかりで、彼女の行き先を窺い知ることは出来なかった。
僕はなるようになるとあきらめる。
彼女から主導権を取り返さないところに、主体性のなさを自覚するけれど、そもそも、僕自身は何も意図を持たないために、この場でハンドルを渡されても困ってしまうから、心の底から彼女から何かを取り返したいと思っていないことに原因があることは薄々感じてはいるのだった。
そうして、僕が言い訳めいた自己分析を済ませていると、彼女は敵の別部隊が野営しているところまで、やってきていた。この周囲には十分に殺虫剤の煙がたかれており、戦士団も近づこうにも近づけない地点だったに違いない。
「今から、敵の指揮者のいるところに向かうわ。戦闘の報告という体で行くからビビらないでね」
そう言い、彼女は知人に挨拶するかのような気軽さで、敵の陣地に入っていく。
そこは三角屋根で長方形テントが2つの種類に分けられて構えられていた。すべて白い蚊帳のようなものが掛けられている。ひとつは食料、兵器、防護服の備蓄が管理されていた。片手で数えられる程度あった。外側から蚊帳を透かして中が見えた。また、もう1種類のテント群は、それぞれ人間が入るものとして用意されていた。10張ほどある。その側面は厚手の垂れ幕で覆われて内容がわからないようになっていたけれど、出入りの際に少しだけ見えた。門番がいるのはお偉いさんのものだ。勲章のようなワッペンが幾つも付いた堅苦しい服を着ている。また別のところに物々しい雰囲気をした医療従事者用のテントが見受けられた。
彼女は「緊急の報告です!」とやや低めの声を張って、慌てるように駆け込んだ。お偉いさんのテントに出入りする者たちのしぐさを真似して、敬礼のようなポーズをとる素振りをするが、結局番をする兵に留められる。番もまたガスマスクと防護服を着ていた。蚊帳の中はそれらを脱いでいることから、蚊帳は殺虫剤から身を守る構造になっているみたいだ。殺虫剤は人間にも何かしら害になる成分があるのだろうか。
「おい、すっげーちびだな。こんな奴いたっけか。まあいい、おいお前、所属と名前を言ってみろ」
僕はなぜかこの男にイライラしていると自覚する。おそらくこのテントに入ったらもっと苛立ちが募りそうだという予感がした。
「第一陣ジョージ・マッカートニー中尉指揮下、アレキサンダー・ホープでございます。少佐からの伝令を届けに参りました!」
第一陣がさっきメルセスたちが戦っていた部隊、第零陣が三週間前に現れた先遣部隊のことよ、と彼女が胸中でつぶやいた。
そういえば、尋問してた時、少佐とか、中尉とかよくわからない名前が出て来ていたような。名前は尋問されていた4人の内の誰かの名前らしかった。
「ふうん、有名な詩人とおんなじ名前なんだな。両親は読書家か?」
「はい、父が抒情詩や英雄詩に傾倒していたおかげで、幼少のころから『ベーオウルフ』などの古典に始まり、ガウェインの恋愛詩、チョーサーといった、私の名の由来となった人物が完成させた詩体系の、源流ともなる作品なども読みました」
「ふむ勉強家なんだな。良し、通れ」
彼女は、これらの知識も隣国の誰かの意識にもぐりこんだ時に学び取ったのだろう。敵も、ジャングルの中の敵が、自国の文化の話に合わせられるとは思っていないのだろう。だからこそ、そこまで追及されずに侵入することができた。ただ、まあ軍隊にこれほど小柄なものはそういないだろうし、彼女の声づくりが巧みだったということもある。うまく少年のような声を作っている。
蚊帳を潜って入った中は、簡易の木箱に数人が腰かけており、一人は一番偉そうな服装を来た男、となりには彼よりは身分が低いが部隊の中では上級の者が座っていた。彼らの後ろには従者のような立ち振る舞いをした男が控えており、彼らから少し離れた位置に最後の一人はガスマスクと防護服を付けた男が座っていた。最後の一人は僕らと同じで入ってきたばかり、あるいはここを出て行くつもりなのだろうか。
「第一陣ジョージ・マッカートニー中尉指揮下、アレキサンダー・ホープでございます。少佐からの伝令を届けに参りました!」
番に伝えたことを繰り返して、彼らに挨拶をする。それに対し二番目に偉そうな男が顎をしゃくって、こちらに話すようと伝えてきた。
「申せ」
「は。第一陣は、アンリコラブル200体ほどの集団と衝突した結果、壊滅。敵にも継戦が難しい程度の損害を与えましたが、アンリコラブルの指揮官は仕留め切られず。第二陣の派遣を希望いたします、というのが中尉最後の訴えです」
一番偉い男次のように反応した。
「ふ……そうか。枯葉剤があるとはいえ、おとぎ話の、『記憶できないもの』の異名は伊達ではなかったというわけか。貴様の話に説得力が出てくるな、ウィルモラよ」
水を向けられたのはガスマスク姿の男だ。
「は。枯葉剤の供給を増やすべきです、それを扱う人員も……」
「そうさな。だが、此度の進軍には、それなりの都合があってな。一般兵にまで聞かせる話ではないからな。議論は後にしてほしいものだ」
「中佐はいつもそうやって逃げる。うまいものですな」
「何のことかわからんな」
負け戦を伝えているにもかかわらず、彼らの間には弛緩した雰囲気が流れていた。100名ほどの命など取るに足らぬというような口調だった。
「さて、伝令ご苦労であった、下がってくれたまえ」
「中佐、ひとつ私個人として進言がございます」
「おい貴様、中佐は下がれと言っておるのだぞ」
「まあまあ、少佐、忙しい時間でもあるまい、彼の言葉を聞いてから、亡き中尉の伝言を参考に次の一手を考えようではないか」
「そ、そうですか。ほら、言ってみろ」
少佐と呼ばれた男、二番目に偉そうな男が彼女に促した。改めてみるとこの男、バーコード頭だった。中佐がふさふさのブロンドなのに比べ、彼の頭は黒黒とした毛髪が申し訳なさそうに生えていた。それが却って肌の白さとの対比を際立たせる。つまり、バーコード少佐だ。バーコード少佐は偉そうだった。中佐の腰ぎんちゃく然とした態度には、少しおかしみすら感じる。
「ふむ」
彼女はじっと、ウィルモラと呼ばれたマスクの者を見つめていた。少し経って、
「私は今すぐにでも第二陣に、枯葉剤を配備し、敵本拠地に信仰すべきだと愚考いたします」
「ほう、なぜ?」
「第一陣と戦闘した敵アンリコラブルの部隊は、どういう方法か、急激に身体の傷害を回復する能力を扱っておりました。このまま待っていて、敵が態勢を整えれば、第一陣が与えたダメージがわずかなものになってしまう可能性があります」
「だが、敵は見たこともない能力を使っておる。回復能力に限らず、本拠地には、こちらの部隊を一網打尽にする何かがあるかもしれないではないか。うかつには手を出せないぞ」
「それが敵に思うつぼです。我々が勝てるのは、物量に任せた枯葉剤による煙幕の包囲網でしかありません。戦力の適宜投入など、個人としての戦闘能力の高い敵にとって、いいカモでしかありません」
「だが、敵の殺傷能力が高いのでは、直接ぶつかっては危ういな……長期戦で体力を削るしか……」
と狼狽しつつフォローしようとするバーコード。
「殺傷能力ではありません、戦闘能力です、間違ってはなりません。私がここで戦闘能力といったのは、持久力も人間とは比べ物にならない、という意味も含んでいるからです。第一陣が、少佐同様に考えたのか、敵を追いかけまわして枯葉剤で一網打尽にしようとしたところ、反対に敵との体力勝負に負けてしまい、疲弊した第一群の隊列のほころびから、詰みの手を打たれかけてしまいました。第一陣の二の前になってはならないのです」
「く……」
「わかった……。第二陣をよぶ。ウィルモラよ、貴様の方針を採用しよう。君も、注進痛み入る。下がり給え」
「は」
彼女はその場を去った。覆面で分かりにくかったのだが、ウィルモラと呼ばれた男がこちらを見つめているような気がした。




