第34話 ☆
2/12分はここまで。
ああ……夢の続きか……。
……夢? なんのことを言っている……。これは、現実ではないのか……?
事実ではないのか……。本当にあったことだと思うんだけど……。
「――おい、おい」
「え……?」
「だから、寝るな。まだ居酒屋だぞ。夢を見るのは家に帰ってからにしろ」
気づけば、目の前に友人がいた。そうだ、居酒屋で出会った友人。僕は客だった。そんな間柄だったのに、気づけば飲み友達になっている。
「ったく。弱いのに飲むからねえ」
「そんな飲んでたっけ」
「ああ、急に一気飲みとかしだしてな。そんなに別れた彼女の話をするのがつらかったのか」
「わかれた……? 彼女?」
ああ、少しずつ記憶を取り戻してきた。そうだった、こいつと偶然マクドナルドで会って小腹を満たしながら駄弁っているうちに、飲みに行こうって話になったんだ。それから場所を居酒屋に移して、互いに大学の近況報告とか愚痴を言い合っているうちに、僕の別れ話になったんだっけか……。
「ああ、そうだよ、おまえ、ここに来て別れたのは嘘だとか抜かしたら、ここの支払いお前持ちだかんな」
「んにゃ、そうだったな。別れた別れた。ちょっと気の迷いで飲んだだけだ」
「んで、具体的な理由言わずに急にもくもくと飲みだしやがってよ。結局どういうわけだったんだよ。俺は気になって気になって仕方がねえんだが」
そういって、彼はもくもくと軟骨揚げを箸でつまんでは口に放り込んでいた。でかい口に、一粒ずつ揚げ物が消えていく。際限のない作業だった。
「んや、大した理由はなかったんだけど」
「ふーん。大した理由がなく別れたねえ。随分チャラい男になったってこって」
「チャラいって、子供かよ。別に付き合った別れたくらいいくらでもあるだろ」
「……いや」
「おまえ……その陽キャな見た目で、実は付き合ったことないとか」
こいつはダークブラウンに染めた髪をツーブロックにして、髪を右側に流し、スポーティな印象を出している。腰巻を付ければ、よくいそうな居酒屋店員に早変わりだ。本職だが。
「俺の話はいいだろ、彼女はいる。それだけの話だ。のろけたってしょうがない。それよか酒のつまみになるのは人の不幸に決まってるだろう」
早く言えよ、と目線で促してくる。
「はあ……。そうだなあ。なんというか、相手に興味がなくなったんだろうな。話を合わせるとか、時間を作るのに、気力がわかなくなって、適当になってたのを、さすがに彼女がしびれを切らして嫌になったんだろうね。フラれた」
「あーあ。かわいそうな彼女さんだわ。こいつほんと興味ない奴には冷たいのなんの、露骨だしな」
「いちおう付き合ってたからそれなりに配慮してたつもりなんだけど」
「それなりじゃダメなのよ。きっちし付き合ってあげなきゃ」
「さっきからなんなの、僕を揶揄う以上に、おまえ、なんかまじめ入ってない?」
「なにおう。こちとら人付き合いにはまじめ以外の何物も持ってねえよ。これくらいまじめじゃなきゃお前みたいないい加減な野郎とは付き合ってらんないわけよ」
「誰がいいかげんじゃ」
「いい加減に女捨てたやんけ」
「捨てた……になるのか……?」
「そこで飄々としてらんないのが、中途半端な野郎だよな、お前」
「まあ根は善人なんで」
「よく言うよ。自分がどうみられているか興味があるからだろ。そのうち、それも興味無くなったら、本当にくず男になるだろうな」
「女をちぎっては投げちぎっては投げ?」
「そもそもそこまでモテないだろ」
「確かに」
「納得すんのかよ」
僕たちは良いに任せて意味の分からない会話を繰り返していた。どうやら彼の中では、僕は無責任無関心な中途半端くず野郎になっているし、僕の中では、彼はチャラい外見に似合わずまじめで一途な男としてのラベルが張られていた。
僕と彼は知り合って数か月といったところだ。大親友というほどではなかったと思う。ただ、僕には彼以上に飲み友達というものがいなかったし、彼も彼で、大学の友人と異なるコミュニティにいる相手だからこそ気兼ねがないというだけで、僕である必要もない気がしていた。まあ、そんなことを言い出したら、友人関係など多くが代替可能なんだろうなとも思う。
「それでさ、お前も、世の多くの草食系と同じくもう彼女なんて面倒だとか言い出すわけ」
彼はなんだか古臭い言葉でたずねてきた。
「草食系なんて最近めっきり聞かなくなったな」
「俺も言ってて変な気分になったわ。いやそんなことはいい。俺の大学のツレも何人かはそのタイプなんだわ。俺にはあんまし理解できねえんだ。だからそのタイプならちょっくら感想聞かせてくれや。いつも世話してる駄賃だと思ってさ」
「そんな世話されてないんだけど」
「お前が悪酔いしたら、ダメージ来るのいつも俺なんだよ」
「記憶にございません」
「泥酔してるからな。それだけひどいんだよ」
わかれ。と彼は手をしっしと振る。僕の反論などお呼びでないかのようだ。
「はいはい。じゃあモテ男のために、非モテ大学生の感覚をアドバイスしてあげましょう」
「うぇ~い、ひゅーひゅー」
「つっこめよ」
「どこを?!」
「非モテってところだよ!ついでにお前がモテ男」
「いや事実じゃねえか、珍しく現実を認識してんなアって逆に褒めたいくらいだよ」
「なにおう。ってそっか確かにフラれてたわ僕」
「……おまえ、ショックで頭おかしくなったか」
「知らね」
彼女にフラれたときに、何を考えていただろう。一番大きかったのは、やっと解放される、ということだったかもしれない。寂しさよりもわずらわしさからの解放。追って、僕がしていたことの空回りへの自己嘲笑が多かった気がする。
僕が憧れていた恋愛像というものと、現実のものは大きく違い、フィクション由来の華々しさやタイミングの良さ、都合のよさ、お手軽さというものは何一つない。それが本来であり、それこそがいいところなのだろうと今では考えるが、やはり理想と現実のギャップに、ばかばかしくなっていた自分がいる。
そして何より、恋愛をしてみようという欲求に、相手への感情が全く不足していた点だ。僕は、相手に対して、仲の良い相手だ、話の通じる人だ、という感情があるけれども、この人に対して、慣れない恋愛への興奮が冷めたときにまで、自己の能力を割いて献身するような情をもてなかったことに、僕が萎えていた原因がある。
本来、その情こそが、恋愛というフィクションへのあこがれより先に来るべきだったのだろう。もしくは、フィクションへのあこがれが現実に直面する中で置き換わるものとしてあるべきだったのだろう。現実に萎えていく中で、僕は恋愛へのモチベーション保つためには、フィクションへのあこがれという沈みゆく足場から、飛び移るべき安定した小島として、彼女への情というものが存在しているはずだったのだ。僕はそれに飛び移らなかった。そうして、現状維持のまま、付き合う付き合わない以前の状況にまで感情の動きが戻ってしまい、相手へのわずらわしさがすべてを上回ってしまった。僕は恋愛をしているきらびやかな理想から、それが無理だ、という泥まみれの現実に落っこちて沈むことを結果として選んだ。
自分で考えていて、薄情だと思う。なぜなら、僕はあえて付き合ってからの一年の、どこへ行って、どう遊んで、笑い合って、共有した時間を考慮せず、僕の感情を整理しているからだ。
その排除したところこそ、飛び移る小島、つまり情が発生するであろう余地があるものだと通常は考える。
しかしながら僕は恋愛をするうえで、理想となる男側の振る舞いを意識して、ロールプレイングしていた。もちろん、それが完璧だったとか、相手をエスコートする天才的な紳士ぶりを発揮した、みたいなことは全然ない。およそ童貞みたいに挙動不審に陥り、初心な動転ぶりを見せつけ、失態を相手のフォローでなんとか笑い合っていたというのが現実だ。それはほとんど僕の能力の限界であり、僕自身の本来の姿といって差し支えないのかもしれない。
けれど、僕の中で、ロールプレイングしている感覚はぬぐえないのだ。
今思うと、別に恋愛に限った話ではない。
すべて。おそらく第二次性徴あたりの年代から、何か他人と交流する時に、僕は何かのモデルを想像し、それに沿ってふるまってきた。僕は自分の意見を見せるのが苦手だ。自分が聞いた他人の話を、あたかも自分が考えました、かのように話ことで逃げてきた。いや訂正しよう、それが苦手ではなく、考える能力がない、意見を持つ能力が無いのだ。意見を言えるだけの興味を持てるテーマがあまりないというべきか。
だから、昔から、テレビのバラエティやワイドショーで流れる流行の話題について、マジョリティが話している方に、ノリと雰囲気を合わせて賛同し、それの根拠など一切知りもしないし、興味もないのだけれど、意見が一緒だ、という風に友人と会話を合わせておけば、波風が立たなかった。そういう意味で、僕は興味のないものは長いものに巻かれてきたのだった。判断をしなかった。
そうして、僕は他人と話をする時に、頭を使わなくなったし、会話というのは、共同体の中で主流になっているノリに合わせて、つまはじきにされないように立ち振る舞うことだけに意識が向く。つまり、会話をそれなりに持たせ、意見は伝統的な勧善懲悪的に見栄えの良い方を選び、細かいところに突っ込んだら負けなのだった。
もしかしたら、こういうのは誰しも多かれ少なかれ感じているのかもしれない。だから何をいまさら、と言われても仕方ない。でも、僕は求められるものに成りきることに慣れ過ぎた。誰かに演じていない素を見せることは考えられない。
だからというのもおかしな話か、僕はこれまで生きてきた環境に、自分の無責任さの要因を責任転嫁しようとしている。僕が悪いのではない、僕をそう演じさせた環境がわるいのだと。無責任さを責任転嫁するという言葉自体あほらしいのだが、無責任なことを自覚する僕自身が、あほである責任を負わねばならないために、無責任にそう言い放つのだ。
「結局、恋愛に飽きたというか、恋愛が想像していたのと違ったというのがあると思う。それで、面倒くさくなった。だからわざわざ、うまみの少ない恋愛関係を構築する苦労と、自分の時間を割く労力が負担に思えてやらないんだと思うよ」
飽きたという感情。それもある。いいながら何か別の価値観も思い浮かんでいる。しかしこちらは説明しがたい。酔いが回って、舌が回らず、僕はアンニュイな思いと、ふわふわとした頭でうっすらと考える。
――実は、恋愛がそもそも面白くない人種もいるかもしれないってこと。
恋愛が素晴らしいという風潮にカリカチュアライズされて、惑っていた僕たちは、現実の実体に触れることで、ふわふわと甘くきらびやかな幻影の骨格を探り当て、それがやせ細った鳥ガラのような事実であって、うまみが見込めない、見るからにつまらないものだったというような感想を抱く。僕たちにとってこれは元来美味くないジャンルの趣味なのだ……。ビールをうまいうまいといって飲む大人に憧れて、飲んだけれど結局苦みしかなくて、おいしくなかったような。え、酔いが回って何を言っているかわからないって? それはすまんな。というか、酔っぱらってるのにビールがまずいことを比喩されてもわかりにくいって? いやだって僕が飲んでいるのはただのチューハイだし。ビールなんか飲めないよ。あれは大人ぶった野郎どもとビールバラの大人に与えておけばいいのだ。
「ふうん。それが、今の自分の気持でもあるわけ?」
「そんなとこ」
☆
そんなとこ……。といった僕の声は音割れするように、何か雑音と共に、耳朶を打つ。
僕は浮遊感を覚えた。この感覚は夢が覚める時の感じだ。
そう思った瞬間に、目が覚めるのを自覚した。
目の前、つまりは天井には、新居になってわずかに法則の変わった染みの群れが見えた。昨日までの古い聖樹と、染みの大きさなどが異なる。具体的に言うと、シミが薄い、木がまだ若いからだろうか。
僕は見ていた夢の内容をうっすらと反芻する。僕自身、なぜあそこまで無関心だったのかわからない。僕は恋愛がしたいと思っているはずだ。少女の身体で転生してしまい、それを覆そうと思うのは、男として恋愛がしたいと思ったからだ。僕がこの森をジャングルだと思っていたころにそう思っていた。
しかし、夢の中では、恋愛に飽きた青年として、夢破れたというありさまだった。悲観的ではなかったけれど、どこか諦観が混じったような。
一つ思ったことがある。僕は酒を飲んだことが無い。
「わからない。はあ、二度寝しよ」




