第33話 引っ越し
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僕は、ミネさんが帰ってくるのを待つ間、立っているのが疲れたので、彼女が井戸端会議していた民家の陰に、腰を下ろしていた。彼女の巨体でわからなかったのだけれど、ここには薪山があった。薪の山の片隅に、薪を椅子代わりに腰を下ろす。
民たちの往来を眺めていると、何も戦争の兆候があることをうかがい知れない。彼らの怯えや不安というものが見えない。聖樹とのつながりの途絶えた瞬間の恐慌がウソだったかのように、楽観的ムードが戻っている。
僕は、テスェドさんのことを考える。医者とミネさんの口ぶりから、彼がこの村でトップクラスのサンの総量・技量を誇っていたということがわかる。長老院に選出されると噂されていたのは、肩書だけではなく、実質も伴っていたわけだ。まあ評価だけで実はテスェドさんは戦闘が不得手だった、という過大評価というオチもあるのかもしれないけれど、少なくとも、モンデリゴと双璧をなすかつての戦争の英雄、という側面もあるので、彼の実力は保証されたものだとして考えてみよう。
そうであるならば、彼を負傷させる隣国の殺虫隊というのはどれほどの実力があるというのだろう。かつてから隣国は巨大アリに悩まされてきたというならば、それ専門の部隊を用意していると想像するのは難くないし、それが殺虫隊だというのも妥当だろう。殺虫隊というのは対人というより、おそらく対巨大アリを専門に訓練を積んでいるのでは? あるいは軍隊の中で統率のとれたものたちに、殺虫剤という兵器を与えて、巨大アリ討伐に乗り出したのか。
ああ、ここまで考えても、素人の妄想の域を出ない。隣国の大きさも、軍事力も技術力も全然情報がない。僕はまだこの村を襲った敵襲が何人いたのかすら聞けていないのだった。
そもそもそういう世渡りの情報をテスェドさんから学びたくて、ここに滞在して次の門出の準備をしていたはずなのに。えらいことに巻き込まれてしまった。
この村でトップクラスの彼を倒すほどの兵隊に対し、この村では対応できる余力が残っているのだろうか。今朝襲ってきた敵は少数だけだったとミネさんらが話していた。
敵の死体や捕虜というのは、見当たらなかったけれど、おそらくどこかで管理されているのだろう。でも、そういう村の中枢はさておき、村全体として危機感が無いように見える。戦士団は強いから、とジャコポは言った。でも、医院では十人前後軽症で倒れていたし、それ以上に、病を発症するか、重症なものが別にいたのだ。村の戦士団は何人いるのだろう。確かテスェドさんの昔話、先の戦争の時点では200人ほどだったはずだ。現在人数がどれほど増えたかもわからないけれど、もし200人規模がそのままならば、医院で見たけが人を20人と概算したとしても、1割がすでに負傷したことになってしまう。そう考えると、かなりの痛手を負っているといえる。
村の楽観が、信用ならないからこそ、戦士団の強さに疑念を覚える僕だった。戦士団の人数がどれほどいるのか、その中でさらに、殺虫剤を持った兵隊に対抗できる実力を備えたものはどれほどいるのか……。
「あ、よかった。すぐに見つけられて」
声はミネさんのもので、彼女は大きな体を上下に揺らしながら、到着した。
「古い聖樹の下で、長老院のメンバーと合流出来て、今新しい聖樹に拠点を作り変えるところなのよ。あんたも寝床を貸してもらいに行った方がいいんじゃない」
「あ、寝泊まりするところ……」
「今まではテスェドの口利きで用意されていたけど、あの男がいない今、コクレウスに頼った方がいいと思うのよ」
「コクレウス? 誰です?」
「院長よ。長老院院長」
え、あの盲目の筋肉ムキムキの人か……。
「なに苦い顔してんのよ」
「いや、ちょっと圧が強い人だなあと思って」
「ふうん。まあ癖のある男だけど、親切な男だよ」
「親切ですか」
「ぐだぐだ言ってても仕方ないから、ついてくること」
「……はい」
僕はとぼとぼ彼女の後をついていった。視界には折れて半分ほどになったとはいえ、まだ大きさを誇る聖樹が、それに近づくにつれて自己主張を強めてきていた。
途中、聖樹の上半分が朽ち折れ、落ちた先に下敷きになった畑の管理小屋が存在した。民の住んでいない場所だったからよかったと思うものの、所有者はたまったものじゃないだろうな、と思う。
「聖樹の下敷きになった小屋の持ち主は、何か弁償みたいなことがあるんですか」
「弁償? 弁償って聖樹にかい? そんなわけない、って笑っちゃうとこどだけど、まあサンが気持ち多めにその人のところに回されるくらいじゃないかな」
笑いながら言う。
「新しい方の聖樹が調整するんですか」
「いや、長老院の判断よ。聖樹はそんな民たちの些末な事情なんていちいち解釈しないわ」
「そうなんですか」
「そう。それで、多く回されたサンを元手に、他の民に、立て直しの手伝いをしてもらう、っていうのが妥当なとこじゃない」
「サンの受け渡しですか」
「そうそう。この村で仕事の依頼をして報酬を払う時は、後で聖樹に祈ってサンを供給してもらう方法と、自分の持っているサンの授受で賄う方法と、物々交換、の三種類あるからね」
「自分の持っているサンで報酬を払っていいっていうのは初めて聞きました」
「まあ主流ではないよ。自前のサンを使うのはいざという時の枯渇が怖いからあまり選択したがらないみたいだし、よほど総量に自信のある人しかできないだろうね。でもまあ、サンの扱いが苦手なものに対して、熟練者が総量の一部を分ける、という場合はあるわね」
「それは?」
「腕輪については知っているだろう? サンの技量によって込める量が変わってくるというやつ。だから、熟練者に頼めば、苦手な人は自分でやるより多く腕輪に貯蓄できるからね。そういう場合は、上級者は総量を多く持っているものが多いし、サンの扱いが苦手なものは、上級者に比べてサンの総量がはるかに少ないから、支払いに利用してもそれほどの痛手にならないわけ」
「そうなんですね」
僕らは倒れた聖樹の残骸を潜る様に抜けて、根元まで到達した。
そこには、上半身は言うまでもなく、下半身の幹の姿がまがまがしく、見ていて辛くなるような聖樹の骸があった。
表面は無数に抉られ、ぐずぐずだった。僕が今朝、内部空間から飛び出て、一目見たときに、気味の悪く醜悪さが煮詰まったようだ、と思ったのだが、再び戻ってきてみると、それは誤りだと思い知った。
それは、煮詰まった限界の向こう側、醜悪なんて表現に収まらないほどに、胸を悪くするような惨劇の跡だった。
僕はここを去りたいと、強く思った。初めて、巫女であることが心底嫌になった。
これは理屈ではなく直観であり、僕はなぜそう思っているのか、自覚はあれど、納得は出来なかった。
でも、そこには、純粋無垢な不快感のみがわだかまっていたのだった。
「連れてきたわよ」
ミネさんが大きな声を発する。
「ご苦労」
野太い声が返された。声の主は、触れるのも汚らわしいような残骸の上から飛び降りてきた。着地は棒立ちで地面を杭のように打った。屈伸運動を一切せずの動作が、本来ならば運動音痴の着地失敗を連想して、笑ってしまうか心配になるだろうが、この筋肉だるまの場合は、運動音痴に笑うというより、飽きれた身体強度に笑ってしまった。
「足首までめり込んだ。ちょっと地盤が緩くなってるんじゃないかね」
そういって、両足をゆっくり地面から引っこ抜く。
「聖樹が倒れたといっても地盤にまで影響はないわよ」
ミネさんは呆れたように返す。
「それはどうでもいいかねえ。お、巫女さんや。お久しぶりじゃのう」
「あ、はい。どうも」
「世間話する関係性でもなし。嬢ちゃんに提案があるのよ。単刀直入に言えば、嬢ちゃんの居住を若い聖樹のところに移そうと思うのだが、ちょっと手間取っていてね。今までは二本の聖樹の容量にかまけて、無駄に広く部屋を用意できたが、これからは少し節約する必要があるみたいでの。ちょっと嬢ちゃんの部屋、長老院と隣接してもよろしいかの」
「は、はあ。いいですよ」
本当はこの目を瞑ったおじいちゃんと毎朝毎晩顔を合わせるのも嫌だけど、まあ、この戦いが落ち着いたら旅立つつもりだし。まあいっか、という気になるよう自分を誤魔化す。
「じゃあ、一件落着。儂は新たらしい聖樹に帰って祈りでも捧げるかの」
「おい、じじい、この子の案内くらいしろよ」
あ、ミネさんが村のトップ?に暴言はいている。本当に、この人はどういう立ち位置なんだろう。そも、長老院院長は馬鹿にされてもいいキャラなのか。いや、テスェドさんとの対峙のとき、負けることとか馬鹿にされることとか嫌ってた節があるしなあ。
「うーむ。君、案内必要か?」
「え、まあ寝床の位置くらい知っておきたいですかね。新しい聖樹の中に入る方法も知らないですし」
「はあ、そうかそうか。それならば教えて差し上げよう」
心底面倒くさそうな表情でのたまった。嫌々なのが伝わってくる。嫌われているんだろうか。一応巫女なんだけれど。こういう言い方も本意ではないけれども!
彼は、ついてきなさいと僕に言い、ゆったりとしたペースで若い方の聖樹に向かいだした。
僕は、生理的に無理になっていた古い方の聖樹の残骸から離れることができて安心していた。ともに歩いている二人に隠れてほっと胸をなでおろす。
前方を歩く院長とミネさんは何やら世間話をしている。テスェドさんと彼が話していた時のような探り合いもなく、和気あいあいとしている気がした。ミネさんはあの圧によく身構えないなあと思う。
僕は無言だった。ぼーっと村の中を見ている。家々が集まるところに近づくにつれて、人々の数が増えていくのがわかる。やはりというか、敵が攻めてきたこととか、聖樹が倒れたことに特にこだわっているようなそぶりを見せるものはいなかった。
僕は院長とミネさんについて、新しい聖樹のところまで何もトラブルなくたどり着いた。院長が聖樹に手をついて何やら唱えると、聖樹の側面にうつろな穴が開き、院長以外も入れるようになった。僕とミネさんは付いてはいる。
内部空間は、古い方の聖樹とあまり変わりがない見た目だった。この空間の下に養育施設があるということ、別の空間に民が税として収めた物品を保管する部屋があること、そして僕専用といっていい別空間が用意できなかったこと。そのあたりが古い方の聖樹と異なる点であり、それ以外はほぼ一緒と考えてよかった。あ、天辺には肉類などが干されている共同の保管庫があるのだろうか。
すでに引っ越しを終えていた長老院のメンバーらは一階から5階の部屋に散らばって瞑想を始めていた。部屋にはほとんど物がなかった。彼らの私物はあまり多くないのだろう。信仰心のみを持ち合わせている。さて、古い聖樹への感慨等をインタビューしてみたいと思う。院長に聞けばいいんだろうけど、僕はあのおじいさんのことを得意じゃないんだよね。おじいさんが嫌いというか、声が大きくて、断定的で、悪だくみしていそうな腹の黒い感じのする人間のことをどうも今まで避けてきたのだ。僕の避けてきた人物像に彼は当てはまる。
6階。この内部空間で民が居住している中で一番上に院長が陣取っていた。まだこの上にも階層は続いているようだった。勝手に彼が言う所では、高い場所が好きらしい。それならばもっと上の階層に行かないのかなと思ったら、内心を悟ったように、階層数は聖樹の容量を食うことでいくらでも増やせるらしい。節約だから行かないのだと。
「一番上ってあるんですか」
「最上階か」
「そうです」
「ああ、あるよ。それは古い聖樹と同じ作りだったかな」
となれば、風通しの良い倉庫であり、聖樹の外側に通じる小さな穴が開いた部屋もあるのだろう。
「それが何かしたかね」
「いえ、古い聖樹の方では最上階から外に出られたので、こっちでも出られるかなあって」
「ふむ。そうだな。出られるやもしれぬが。やめておいた方がいい」
「え、なぜですか」
「古い聖樹の方は天辺付近も枝葉がそれなりの太さを持ちながら密集していて、民一人が安定して乗れる規模があったけれども、こっちのほうは、まだ若木。上の方は育ち盛りの細い青葉で、それなりの身のこなしが無ければ、真っ逆さまじゃ」
「う……」
「おぬしが戦士団の中堅くらい動けるというなら、構わんがの。戦士団ならあの高さから落ちても大怪我で済むじゃろ」
ということは、死ぬことは間違いなかった。僕はわざわざ死にに行きたいとは思わない。
「そうですね、じゃあ聖樹の中から景色を見渡すだけにしておきます」
「そうするがいい。お主の部屋はここで、儂と同室じゃ。長老院の中で儂意外に面識ないからな」
やっぱり同室なのね……。すこしだけ別部屋を期待したけれど、そう甘くはなかった。
その事実から逃げるかのように、上に行くことにした。ミネさんは止めないので自由に動いて問題ないと思っている。院長は6階の階層を自分好みに模様替えし始めた。どういう部屋割りになるのだろう。




