第32話 楽観と現実
2/11分はこれまで。
無性に気になることがある。
やはり、というべきか、テスェドさんに面会できないことが非常に心残りなのだ。
僕は、このアコンの村で一人だけ、前世の記憶を持ち、前世の常識に縛られ、この村に溶け込めずに疎外感を持つ者である。
そんな僕を、この村に受け入れてくれたのは彼だ。そして村の考え方に対する疑念を一番共有できる可能性がある。もちろん、それが幻想で、かれも結局は村の一員で、僕だけが独りぼっちという現状を突き崩せないのならば、仕方がないと思う。けれど、彼が僕のことを少なからず理解してくれる、少なからずほかの民らよりはわかってくれるはずだ、という希望があるのである。
そして彼以外に理解者がいるならばジャコポだ。彼が語っていた若者は聖樹信仰に懐疑的だという言葉を思い出していた。彼ももしかすると、村の若者として聖樹信仰をよく思っていないことから、僕の味方になってくれるかもしれないと考えている。
またミネさんと医者がごまかした、病が移るか移らないかの境目について、ジャコポと話をすることでヒントが得られないか聞いてみたい。もちろん、医者という一線を張っているものが知る情報を、運び屋の彼が知る可能性も少ないのだろうが、そもそもなぜ、ぐーたらなミネさんが医者と話を合わせられるのかもわからない。そういえば、長老院から僕(巫女)の指導役も任される程度に顔が広い人ではあることはわかっている。しかし、彼女のことも正直よくわからない。本人に聞いてみればいいのだろうが、ごまかされてもかなわない。
だからとりあえず、情報の整理のためにも、ジャコポと話をしてみたい。
そうおもったのだが、ミネさんは僕が単独行動をすることを許してはくれなかった。まだ僕がテスェドさんのところに行くことを疑っているようだ。ジャコポに会うことは別に構わないというが、彼女もまたついてくるというのだ。なんともやりにくい話である。やりにくいというのは、本人の前で本人にかかわることの噂話をすることについてなのだが……。
ともかく僕はミネさんを引き連れて、村の中で仕事をするジャコポの下へ向かった。
だが、なんとも滑稽な話なのだが、そもそも僕は彼がどこで仕事をしているか知らなかった。だから、ミネさんに聞いてみると、どうやら居場所の手掛かりがあるらしい。というわけで、彼女に場所を教えてもらうことにした。結局頼りになっているので、やりにくいとか、文句を垂れる以前の話だった。
彼は井戸の水を汲んで、各民家の桶にためる仕事をしていた。何往復もしている。なにやら、最初は数人に頼まれたらしいのだが、やっているうちに頼む人が増え過ぎて、エンドレスになっているらしい。断ればいいものを、善良な男である。
僕らが話しかけると、「終わるまで待っていてくれ。すまん」といって、仕事をまじめにこなしていた。彼は大男だ。見上げるまでの背に、両端に水の入った桶の括り付けた木の棒を担いでいる。せっせと目的の家まで運んでいくのだった。
なんとなく、手持無沙汰だったので、僕はそれに協力することにした。とはいえ、彼ほどの量をもてるわけでもないので、彼の使う桶の半分のサイズのものを、ひとつだけ、井戸から水を汲み、目的の家まで運ぶ。彼が汲み終わってすぐに組み始めたのに、何往復かする間に、ジャコポに追い抜かれる。
どれほど早く彼は仕事をこなしているのだろう。抜かれてからもぐんぐん差は広がり、一歩の差が大きいことを痛感させられた。僕は気づけば汗まみれになっていた。
結局僕は彼が一度に運ぶ水量の4分の一しか運ぶことができず、運んだ回数もおそらく半分程度であっただろう。それでも、彼は行列をさばききると律義に僕に頭を下げて礼を述べるのだった。
後ろを見れば、ミネさんは民家の木陰で座り込んで、知り合いにもらったであろう木の実のようなものをぼりぼり食べながら井戸端会議に花を咲かせていた。
「悪いな、手伝わせて」
「いや、全然。それより聞いておきたいことがあるんだ」
と僕はミネさんの方をチラ見する。彼女が話を切り上げないうちに、こっそり聞きたいことを聞いておこうと思った。
「いきなり聞くけど、いい?」
「あ、ああ、そんなかしこまるほどのことか」
「うん、まあ……。ジャコポは、前に聖樹信仰は若者にはあまり盛んじゃない、っていってたじゃん、それはどこまで本当なの?」
「どこまでってのは?」
「聖樹のために死ぬことは、みんな受け入れられるのか、ってこと」
「うむ……」
彼はすこし驚いたように目を開き、しかし間をおいて目をつぶりながらうんうん、考え出した。
そこでふと、僕は自分が問うたことを振り返って疑問に思う。「聖樹のために、死ぬこと……」
先ほど聖樹が死の危機に瀕している、ということで、僕は避難をしてきた。だから今日からの寝床が無く不安なわけなのだが、本来、僕以外の民らは、寝床がないから不安、という以上の脅威を感じてもおかしくないのではないだろうか。
なのに、このジャコポを始め、村の人々はなぜだか、のんびりと安穏たる生活を続けている。ついに、僕が巫女として聖樹の声を聴いた、殺虫剤をもった者たちが隣国から攻めてきて、戦争になるかもしれないのにだ。
それを、ジャコポをはじめ、ミネさんも今町の角で井戸端会議を繰り広げている。そこには悲惨な要素は見当たらない。
住んでいた住居が大いに揺れだすこと。これは普通なら経験しないような事柄であり、気が動転していたこと、そしてテスェドさんの危機を聞いて、冷静でいられなくなったことが僕を、いままでそんな当たり前のことから、気をそらさせた。また、ミネさんと医者と話をして、彼らが聖樹のために人が実験にされるのは仕方ない、民たちは差別なく聖樹の前に身を捧げられる可能性があるようなことを聞き、どんな危機でも冷静なものたちだ、という印象を誤って持った。しかし今回は、当の聖樹の危機なのだ。もっと騒いでよいはずなのに、なぜここまで崩れそうな聖樹の心配を誰もしないのだ。聖樹信仰の宗教ではなかったのか。
そこでジャコポが口を開いた。
「そうだね。死ねといわれたら死ぬだろう。聖樹を信仰するかどうかは別として、それが生活の基盤を助けることだからね。互いに助け合うのが大事だろう。今まで必要に駆られて命をさしだしてきた人々がいて、聖樹が生き永らえ、私たちの代が利益を得ているなら、次は私たちの代の番でもあるとはみんなの常識なんじゃないのかな」
ああ……。ジャコポでもそうか。
「その考え方は、聖樹信仰とは別なんだね。聖樹が素晴らしいとか、長老院が言っている、聖樹の秘密を守るために、隣国へは行ってはいけない、みたいな」
「うん。なんでも聖樹のために行動を縛られるのは、よくないでしょ。そういう意味で、聖樹信仰に若者が反発するのは前に話した通りだよ」
「でも、命は差し出せる」
「そうだね。唯一それがこの村に根付く義務なのかもしれないね。この村の生活をしていいという権利を得て、その代わり、聖樹にいざという時自らが捧げられる義務」
彼は事も無げに言う。
「じゃ、じゃあ、今の老いた聖樹が倒れそうな状況でなんで皆心配するとか、怖がったりしないんだ」
「うーん。これくらい、聖樹なら大丈夫でしょう」
「大丈夫?」
「うん。回復するよ。だめでも若い聖樹がある」
え。いま、彼はひどく矛盾することを、いったのではないだろうか。聖樹にいざという時捧げる義務を、みな持つといいながら、いざという時が来たら、まだ大丈夫という。
僕は混乱した。
「聖樹への攻撃自体は、戦士団やその時出くわした奥の民らが力を合わせて撃退したんでしょう、それなら一旦危機は免れたってことだよね」
「でも、襲撃が一度限りとは限らないわけだよ。それに、アコンの民を害するほどの殺虫剤が現れたんだよ? もっと危険だと思ったり、戦いに備えた方がいい、ってなったりしないの」
「うーん。そんなに心配かな」
なんだろうか、このかみ合わなさは。
ジャコポは僕が心配性すぎるという風に苦笑しながら、「まあまあ落ち着けよ」という風に僕の肩を叩いた。
なぜだろう。別に僕は聖樹を信仰しているわけではない。サンについても、ないならないでいいと思っている。むしろアコンの民の方がサンをうしなうことを恐れているはずだった。ユージェと仕事をしていた時に出くわした、サンの供給権をはく奪されて喚いていた女のことを思い出す。
聖樹がなくなったら、サンが供給されなくなるんだぞ、たとえもう一本の聖樹があるとはいえ、残機がなくなるという言い方であっているかわからないけれど、もう二度目はないのだから心配くらいするのが普通なのではなかろうか。
「ジャコポは、もし、サンが一切与えられなくなったら、どうする?」
くどいかもしれないけど、最後に彼に聞いておく。
「そうだね……すごく大変なんだろうなとは思うけど、サンがなくなったら、僕にできることといえば音を消せなくなるくらいだしなあ」
「結集による身体強化とか」
「さあ、うまい人ほど使ってないから、無くなっても、そんなに影響ないんじゃないかな」
「そっか」
僕は喚く女の姿を考えていた。あの女は何を思い、何に焦っていたのか。まだまだサンに余裕がありながら、これからなくなる未来を憂いて騒いでいたのか、もう枯渇寸前でサンがなくなる恐怖を実感していたのか、そのどちらであったのだろうか。
井戸端会議が終わったミネさんが僕らのところに来た。
「さあ、私のお邪魔がないうちに親密な話は終わったかね、若いお二人さん」
「別にそんなんじゃないですってミネさん」
ジャコポは鷹揚に躱す。苦笑して顔の前で手を左右に振っていた。まるで慣れたあしらい方だったと思う。
「なんてたって、意気消沈したユキが相談したいことがある、っていきなりお前の所在を聞いて来たんだからね、これはなにかあると……」
躱されても響かんとばかりに、とてもおばさん臭い雰囲気でジャコポを揶揄ってい続けるミネさん。
姿形でいえば僕は女子でジャコポはいい歳の男なんだろうけど、このおばさん、僕の中身が男だって知っているだろうに。というか、恋愛って概念が無くてもこういう野次馬ってあるんだな。まあ、人の秘密は気になるものだ。
「はいはい、ミネさんいい加減にしてください。僕が聞きたかったのは、テスェドさんが面会謝絶だっていうところを、どうにかならないかって相談ですよ」
「ああ、別の男の話を出しちゃいかんね」
「だから違う話題だって言ってんだろ」
彼女は懲りずにマイペースに肩をすくめていた。
「テスェドさんがどうされたって」
ジャコポは話について聞いていないかのように言った。
「襲撃の被害について、まだ聞いてない?」
「ああ」
「軽症の人のことは民にも触れられているだろうけど、重症とか発症して隔離された人のことはまだ広まってなくても当然さね」
僕の問いかけにうなずいたジャコポをミネさんがフォローする。
「……まさか、あのテスェドさんが重症……」
ジャコポは聖樹についてひどく楽観的だったことがウソだったように、真剣な表情になった。
人的被害の時はわかりやすい反応なんだな、と僕は現実味のない感情を抱いていた。
「だから、僕はジャコポに隔離されている場所を教えてほしいんだ。まえに、村のはずれに隔離されているって言ってたじゃないか」
「ダメよ。近づくなって言ってるでしょ」
釘をさすのはミネさん。
対して、ジャコポは苦笑してこういった。
「まあ、教えようにもテスェドさんが同じ場所にいるかわからないけれど……わるいけど、僕は場所までは知らないんだよ」
「そっか、荷物を運ぶ仕事で手紙とか渡せないのかな。ジャコポは隔離された場所に荷物を届ける、みたいな仕事は請け負ってないの?」
「残念ながら」
彼は首を横に振った。
「ミネさんは何か手紙とか渡せる仕事してないの」
「ないわね。まだあの医者に頼んだ方が可能性がある。というか、この村に手紙ってものはあんまりないと思うよ。人間は文字を使うんだろうけど、ここじゃあ流行ってないからねえ」
「流行ってないって……」
若者に対するEmailとちがうんだぞ。普通の手紙だ。文字だ。文明だ。
まあ同じ文明を共有していないから、村として人間とは異なる社会を気づいているんだろうけどな、このアコンの村は。
結局僕は、ジャコポに対して、テスェドさんへの橋渡し役を仰ぐことは出来なかった。彼の聖樹に対する考え方には疑問が残るところとなったが、これはここの若者といえる民ら全員に共通するところなのだろうか。
ユージェもまあ若者枠だとはおもうけれど、なんだかあいつはミネさんと一緒にいるところを見ていると、ミネさんに近いような気がしてくるんだよな。あ、別に年齢の話ではなく村の立ち位置的な面で。ミネさんは医者とつながりがあったり、気づけばテスェドさんを呼び捨てにしていたりする。だから、どこか権力者とコネがある気がするんだ。そういうのと同じ匂いを僕はユージェに感じていた。少なからず、何でも屋という仕事には長老院だとかと絡む仕事もあるのかもしれないな、と想像していた。
そのとき、ひどく大きな音が鳴った。高い音で、金属的ではないものの、何かが裂け、砕ける音。それはよくよく聞いてみると木が折れる音が無数に積み重なった音だった。
「聖樹が折れる……」
三人の中の誰が言ったか。あるいは近くにいた名も知らない民が言ったセリフかわからなかったけれど、僕はその声をきっかけに、古い聖樹がある方向を振り向いた。
そこには、今まで静かに揺れて、崩れることを耐えていた聖樹の、墜ちる姿があった。そして地に堕ちた後は、残りは大樹の中腹あたりから裂け折れた姿があるばかりだった。もともと天を貫かんばかりの大樹の、高層部に広く存在していた枝葉が、そこにはなく、空をあきらめたかのように悲し気な、細くとがった樹木の縦に裂けて折れた残骸が、あるだけだったのだ。
木の根元周囲にいた民らに危害はなかっただろうか。
木から視線を外して後ろを見ると、僕は唖然としてしまった。
ミネさんやジャコポ含め、数人の様子がおかしいのだ。
「サンが……サンが……枯渇する……」
彼らが呻くことばに僕は耳を疑った。
先ほどあれだけ大丈夫だといっていたジャコポが、楽観的に日常を謳歌していた民らに、焦燥の色が見えた。
僕は彼らの様子を見てから、少しだけ自分自身にも何かが無くて寂しいような気がした。この寂しさは、欠落感ともいえる言葉にできないどうしようもない感覚であった。しかしそれは一瞬ですぐに霧散した。
気を取り直すように顔をぶるぶると左右に振る。
聖樹が折れたことと、民たちの急変、そして先ほどの欠落感というのは、つながっていると思える。これは、聖樹とのパスが途切れたのかもしれない。
と思ったところで、今度は温かみのある、豊かな感覚が身を包んだ。満足感。
その温もりを身体にかみしめた後、僕が民らを再確認すると、彼らは恐慌を抑え、普通の様子に戻ったようだった。
パスが途切れて、再接続された……?
感覚的には、そうとしか思えない流れだった。
僕はまだサンの扱いに長けているわけではないけれど、おそらく聖樹とのつながりが、老いた聖樹が折れたことで、断絶し、そしてつなぎ直されたということが分かった。
つなぎ直されたということならば、これは折れた聖樹ではなく、若い方の聖樹とのつながりなのではないかと、肌で感じ取っている自分がいた。
民たちは、自分たちの身体の一時的な不調に首をかしげているようだったけれど、再接続後は、問題なく立ち上がり歩き出した。
「墜ちた聖樹の上半身の下敷きになった者がいないか見てくるわ」
ミネさんは頭を叩きながら起き上がると、見回りに出てしまう。先ほどの急変については一切気にする素振りを見せない。どういうことだろうか。
僕に対してここで待っていなさい、というと、どこにそんな瞬発力があるのかわからない身のこなしをして、彼女は聖樹の下へ走っていった。
「大丈夫か」
僕はジャコポに近寄り、様子を聞いた。
「なんだか、一瞬だけひどく心細い思いをしたよ」
「聖樹が折れたときかな」
「多分ね。さっきはあれほど聖樹のことを心配していないって言ったけど、取り乱して恥ずかしい限りだよ」
「まあ、急なことだったし。もともと聖樹が崩れそうではあったけど、そうなってみると、唐突だよな……」
「ああ。今まであったものがなくなってしまうというのは、うまく言えないけど、衝撃だ」
「今回は若い聖樹があるから、よかったけど、次はもう聖樹が枯れたりなんかしたらまずいだろうね。対策とか準備とかした方がいいかもなあ」
「準備? なんのこと。今回折れてしまった聖樹は悲しいことだけれど、次の聖樹は心強いだろう」
「……? 敵襲が来るかもしれないじゃないか。僕が巫女として敵襲の予兆を受けたんだけど。初仕事だったんだよ」
「まあ、戦士団が強いから何となるでしょ」
やはり、何かずれている。
もちろん、一人の民に戦争に供えろと言っても厳しいけれど、気持ちの上では不安になるとか、備えたい、というそぶりが出て来てもおかしくないんじゃないだろうか。
これは、アコンの民の性質なのだろうか。聖樹信仰ということへの反感がジャコポら若者を、聖樹への危惧から目をそらさせているとか?
でも、単なる反感だけでは、今のような実体験による不快感から目をそらすほどにはならないような気がする……。今まで反感をもって聖樹に過保護にならないようにしていたのを、今の経験を経て、不快感や心細い思いをしないように少しは目にかけておこう、という風になりそうなものだけれど。
「ああ、ごめん、届け物を頼まれているんだ。少ししか話せなくて残念だよ」
「いや、まあ忙しいなら仕方ない。また今度ね」
「ああ、またな」
彼は小走りに去っていった。




