第2話 童貞を卒業したい、ってどこからくる感情なの。
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僕はかくして、地球での一生を終わらせたらしい。納得できるのはもっと後になってからだったけれど、ともかく地球のにんげんではなくなってしまったのだ。
そうして、目覚めると、困った事態になっていた。
「ああああああああああ」
僕はひどく慌てている。逃げている。何からって?
「うへええ、きもももおおおおおおおお」
変な体液をこぼして、ツタを振り回す、巨大な食肉植物だった。ハエ取り虫の挟む奴が無数に追いかけてくる。それにかみつかれないように走って逃げていた。
「植物なのに、移動すんなああああ! 根を張って生活してろよ!」
僕はところてんの間(僕命名、あのよくわからない白い空間)で気絶して、目を覚ましたらジャングルに落ちていた。ジャングルは熱帯雨林、って感じのツタがたくさん絡まっていて、高温で湿度が高く、もわっとした空気が肌を撫でる。また、赤茶けたあざやかな色の大きな葉を持った植物、太い幹がうねうねしているガジュマルみたいな木々が周囲一面に群生していた。ただただ暑いな。
ただただ歩きにくかった。低木の藪のような草が地面を覆い、落ち葉がそれをさらに隠している。地表は見えず、足がどこまで深く刺さるのか、試しながら歩いた。
周囲を確認しようとして動いたら、物音に反応したのか、動物が襲い掛かってきた。いきなりとびかかってきて、なんの生物かわからなかったけど、その生物を急に横からかっさらっていたのが、さっきの食肉植物だ。
かっさらった。
印象で僕の身長に達するくらい、つまり170㎝弱の体長がある生物を、空中でキャッチして、ハエトリグサのような挟みでくわえ込み、ツボのような消化器官に放り込んで丸呑みにした。その生物は食肉植物の壺のような身体の中で暴れているようだったが、植物はものともしていないようだった。じたばたは次第に弱まっていく。
あ、やばい、ってなった。
「丸呑みにされるのはいやだな……」
走った。とにかく。走った。偶然なのか、どうしてかわからなかったけれども、とびかかってきた生物を、浚っていく俊敏さを、こちらに発揮することなく、僕は一進一退の距離感をつかず離れず植物群と鬼ごっこを五分は続けた。
「はぁ、はあ……」
もやしだった。
体力がない。出来れば転がって、横になりたい、という欲求が僕の足を止める。太ももも上がらなくなってきており、ジャングルの荒れ地で足を取られそうになるのを何とかこらえているところだった。
「なぜ、急にこんなジャングルに……なんで走らされているんだろ」
膝が笑うという表現がリアルにあることを思い知った。もう歩くことも出来ないほどに、脚が疲労した。今の小走りを止めたら二度と立ち上がれないことを自然と知っていた。
それでも無理なものは無理で、僕は前から、手をついて倒れこんだ。
鋭い歯のついた部分にかみつかれ、丸呑みにされるのを想像する。足先からスパ、スパ、スパと人参の輪切りのように、人間の輪切りがまな板の上にあるイメージが浮かんだ。背筋が凍った。
何が何だかわからないまま、おそらく第二の人生が終わるのは嫌だった。というか本当にここは死後の世界か?証拠がない。夢だったのかな。でも夢でも痛いのはごめんだ。
「……喉かわいたな……」
死んでから(?)飲み物を飲んでない。
そういえば、ところてんの間でルートビアをイメージしたら、創り出せたな。あれ、飲む前にこっちに飛ばされてしまった。もしこの世界でも創り出せたらいいのに。
「え?」
地面についた手の横に茶色い缶が転がっていた。ええ、と。これってなんだ?念のためもう一つ想像してみよう。
うん、もう一個出たね。
「はあああああああ?」
創造された。二個も、三個も出てきた。
なぜだ……は!
「そんなことより、でかい植物は?」
僕は思い切って振り向いて、捕食者の存在を確認した。
そいつは僕が出したアルミ缶にかじりつき、中身を浴びて遊んでいた。いや、身体を冷やすことに面白がっているようだった。ちなみに、僕が出す飲み物は、冷え冷えで、この蒸し暑いジャングルの中では、温度差に耐えられずずっと触っていられないほどだ。
カシュ! カシュ! と、プルタブで開けたのと同じような、いや、何か鋭い物で缶を貫いた音がする。二回聞こえたということは、僕が三個落とした内、二個は消費したということだ。
「あと、一つ……?」
目のない植物がこちらを向いた気がした。
だせ、だせ、もう一回缶を出せ。
「出ない」
何かが、足りない。おなかが減って、動くことができないような、欠乏感を覚えた。
この感覚は何なのだろう。本来あるはずではないものが、体内にあって、それが無くなった困惑。それでも、困っている暇はない。
「……」
言葉が出なかった。地面を重い物が引き摺る音がする。植物が、僕の視界を埋め始める。今まで植物のほうに尻を向けて首だけを向けていたが、植物のツタが、僕の身体をつかんで、仰向けに転がした。
「うわっ」
背中から落ち、地面の石が背中に食い込むのが痛い。
多肉植物はルートビアと、鋭い歯を眼前まで近づけてきた……。なんだ、人間のルートビア和えでも味わうつもりか。
カシュ!
僕の頭に液体がかかる。僕は思わず目を瞑り、身を固くした。近くに生えていた木の根っこを思い切りつかんだ。
人生が終わった。いや、こんな回想せず、公園で車にひかれて死んだはずだった。それだけで終わりだ。ところてんの間で夢だと思いこまされ、こんな意味の分からないジャングルで恐怖に震えることになったのは、理解の外だ。本来は、よくわからないむしゃくしゃを抱えたまま、公園で左右不注意に飛び出して、一人で死んでいった。それだけでいいんだ。
緊張で喉が渇き、つばを飲み込む動作ですら出来ない。張り付いた喉の皮膚の感覚が、ひりひりする。唇をなめると、かけられた薬品風味の味がした。
「ああ、ようやく飲めた……」
ほんのちょっとだけ得られた満足感は僕の力みを緩めていた。仰向けで首だけ挙げていた体制を時、頭を地につけて、死んだように寝転がった。あきらめてみた。
そうして、すこし気を楽にして、死を受け入れようとして、僕は待ってみるのだが、生物を丸呑みにしたときのような、素早い攻撃をしてくるわけでもなく、そいつは、ツタで僕の身体を優しく絡めて来るだけだった。
何か、温かい感じがする。僕は、失った何かを取り戻していた。欠乏を満たして、幸福感がある。この何かは、確実に僕の中に今まで存在しなかったはずのものなのに、これを得体のものとして、忌避する感覚はなく、むしろ今回の幸福感から、生きていくうえで必須のものであると、どこか本能的な直観を得ていた。
目を開けると、無数の多肉植物の口が、ユラユラと見下してきていた。
そこで分かった。僕に温かみを与えていたのは、この植物だ。この植物は僕の身を案じている。どうしてかはわからない。けれど、先ほどまで感じていた恐怖心は身を潜め、この植物から感じていた敵愾心も、実は僕への物ではなかったことに気づいた。こいつは僕を守るために、周囲の敵に威嚇し圧をかけていた。その証拠に、先ほど僕に襲い掛かってきた大きな生物を一瞬で平らげた実力を、僕に向けていない。
「なんでだろう」
理由はわからない。しかし僕は、親しみをこの植物に覚えていた。先ほどまで殺されると思って、ビビっていたのに、おかしな話かもしれない。もしかしたら、ストックホルム症候群かなにかか。でもそんな御託はどうでもよかった。
「ありがとう」
僕は思わず手を伸ばして、たくさんある植物の一つ、口の顎らしき部分を撫でた。
でもやっぱきもいな。よくみるとよっぽど。それでも今は気にならなかった。
「……?」
そこで何か、違和感を覚えた。この植物は青みがかった緑色をして、ところどころまだら模様のあるおどろおどろしさを備えた生物だと、落ち着いてみて分かった。それに対して、僕の腕はこんなに色黒だっただろうか……。
状態を起こして、両手を眺めてみる。手の甲側は強く光沢ののった褐色肌で、掌側は、少しピンクみがかった褐色肌。身に着けている衣類は、藁半紙を強くしたような、茶色い布切れを巻きつけているだけだった。
「なんだ……?」
植物の青みと対照的だから、茶色が目立つ、なんてことではない。これは完全に僕の元の肌の色合いから変化している。ジャングルは高い木々は葉を茂らせ、陽の光を遮っているため、日焼けの線もないし、そも短時間で日焼けが定着することもあり得ない。
「僕の肌が色黒になった」
それしかなかった。それが現実として、ここにある。まるで僕が砂浜で一日海水浴したように肌が小麦色だ。日焼けしたにもほどがある。いや、メラニンが溜まり過ぎている。いまから日焼け止めを……ってここにドラッグストアがあるはずもない。
とにかく、肌の色がこのジャングルで目覚める前と異なっていた。
「ふむ。まあ、それはいいか。全身、どれくらい色が変わっているんだろうかねえ」
暴れ狂う植物と鬼ごっこしたせいか、命の危険でもない限り、動じなくなっているのかもしれない。普通ならもっとわめき散らしそうな物なのだけれど、僕自身不思議と冷静に、身体の様子を確認するべく、立ち上がった。
「あれ、そういえば疲労が回復しているな」
先ほどまでリアル鬼ごっこを繰り広げていて脚がパンパンだったのと、そしてルートビアを生み出す謎の能力を使い過ぎて、謎のガス欠状態になっていたのに、今ではそれらが消えて、元気になっていた。
不思議がっていると、ツタが頭を撫でた。
「もしかして、お前か?」
そう、多肉植物の群体に問うと、それらは首を縦に振る様にゆさゆさ揺れた。
「そっか……」
なんだか、満たされた気持ちになった。自分の味方をしてくれるものがいるということに安心した。公園で悩んでいるころ、そして死んでから、意味不明なことが多く、知らず知らず我慢があったのかもしれなかった。
「……おっと、感傷に浸っている場合じゃなかった。自分のことを把握しなきゃな」
そうして、僕はぼろ布を脱いで、身体を確認し始めた。そもそもなんで服がボロ布なんだ?交通事故が起きた(?)時は、黒のパーカーに、青ジーンズを履いていたはず。まあ、生まれ変わって服だけ残っているのもおかしいか。
そんな些細なことを気にして、身体の異常には気づきもしない。自分の呑気さに笑えばいいのか、あきれればいいのか。
なにかがおかしいが、違和感はない。それだけだった。
身体を見回して三分後。
僕は絶望した。いや、困惑のさなかで、あまり際立った感情がわかなかった。どうしよう、というこれからの身の振り方を考えることから目を背けたかった。
普段あるものが無く、普段ないものがある。そして、それが僕の人生の視点を180度変えてしまいかねない要因なのだ。決定的に異なるそのことに対して、僕は対処のすべを知らなかった。
「無くなってる……」
絶対にあった物が。物というか器官。一部だ。突起物。垂れ下がっていたはず。なぜ、僕はこんなことになっているのか。あるはずの棒は無く、其処には見通しのいい丘しか存在せず、僕は思わず顔をそむけていた。
なぜ……。
「なぜ……」
ツタが頭を撫でる。励ましてくれるのか。
ま、まあ、僕自身男であることに、こだわりなんてなかったし? 悲しくないし?
「……童貞を卒業したかった……」
いや、別に竿がないから、何もできないとかないけど。棒が無くたって、生きていけるさ。世の中には性別的に男がいなくても成立する恋愛はいくらでもあるし。僕も心意気では男だ。甲斐性だってある。あるんだよ、あるはずだ、ちょっとくらいの甲斐性が!
「……」
ぜってえあきらめねえ……、僕は女の子が好きだ。男とセックスはできん。なぜかってそういうものだと思ってきたから。この際棒の有無なんて関係ないだろう。あるのは心意気一つ。僕は男だ。
「……よし」
物理的に童貞を卒業できないのは残念だが、心の中で卒業できるように、頑張ろうではないか。
「死ぬ前と何も変わってないし、むしろ前より走り続けられるいい身体だ」
いや、いい身体って、エロい意味じゃなくてな。そこは勘違いしないでもらいたい。自分で自分に欲情することなどない。多分。
女性になっても、彼女はつくれる、……多分。
「百合さいこー」
ちょっと声が裏返った。