第21話 長老院
2/7分はあと一話投稿します。
聖樹の内部空間に入る時、僕は何も考えず、何も特殊な工程を経ずに手をついて入り込むのが常だった。
長老院の空間に入る時、テスェドさんは、手にサンを結集していた。僕は彼の手に靄がうっすら立ち上るのがわかる程度で、詳しく何をしていたかはわからなかった。テスェドさんは僕にうっすらとわかる程度に優しく結集を披露してくれたのだろうか。だが、やり方まで鮮やかに教えることはセキュリティにかかわるから、僕がぼんやりとしか見えない程度に調節していたのだろう。
「第34期戦士団所属テスェド、巫女の継承者を連れてきた。証明したい」
そう彼が宣告したのち、少したってから、聖樹の側面が黒い穴となり、入口が開いた。
テスェドさんを先頭に、僕らは入っていった。
内部は、僕の寝泊まりする方の空間とほとんど変わらない。一階にいる人らは5人ほど。彼らは掃除していた。床を濡れた布で拭っている。僕たちの存在を見かけると、テスェドさんの顔を見て、良い顔をして会釈するものと、苦い顔をして顔を背けるもので二分されていた。といっても苦い顔をしていたものが多かったが。
彼はそんな視線をものともせず、エレベーターをつかみ、僕らに後について上昇するように言う。
そうして、高階層まで登った。途中で見かけた人々は、瞑想のようなことをしていた。みな地べたに座り込み、目を閉じていた。一階層に、二三人ずつ存在していた。
途中サンの気配を感じたことを、到着し合流したテスェドさんに尋ねる。すると、彼が言うには、長老院とは、有事の村の方針の判断と聖樹信仰を司ること以外ほとんど、活動をしておらず、仕事がないことが平和の象徴だということだった。しかも彼らは千年を超える長寿で、ほとんど食事を必要とせず、睡眠もとらなかった。もちろん疲労が溜まったら休むし、気分転換に食事をとることもあるが、900歳以下の民(千歳前後から老い始め、食欲と睡眠欲が薄まる)に比べれば十分の一も食べないようだった。
村にとって、権力と責任を持つ一方で、贅沢を物理的にできない生活を送っているのだった。人間の権力者は、私腹を肥やし、贅の限りを尽くすイメージを僕は持っているが、テスェドさんの意見としては、一般的なアコンの民が考える長老院の贅沢といえば、聖樹に一日中祈ることだという。
何とも信心深い話で、目下広い部屋を与えられていても、彼らは質素倹約を地で行く種族なのだなと思った。僕自身、広い部屋でお客様として優雅に過ごし、お腹が減ったら、ご飯を持ってきてもらって、引きこもり生活を満喫しており、精神的にはかなり贅沢で、自堕落な生活をしていた。村で権力をもっている長老院の正体を、どこか腹黒く贅沢三昧をしているのだろうという偏見があったのだが、生活面だけ聞くと、僕の方が、欲望を曝け出した贅沢を費やしているだろう。
そうして、僕たちがいる今の階層には、一人、身体の大きな老人が胡坐をかいて、壁面に向き合っていた。背中の広さを見ただけで、ジャコポと同等の身長があるような気がしていた。ジャコポは僕の二倍の背丈を持っていた。彼はそこまで筋肉質ではなかったが、この長老と言って差し支えない老人は、後ろから見て分かるほどの白いあごひげを蓄え、頭が薄く、後方からわずかに見える頬はシミで黒ずんでおり、首はたるんだ皮が糸を引くように重力に負けているのだが、彼の首から下は、老いに負けることのない筋肉があり、血管が浮かんでいて、頭だけ誰かと挿げ替えられているのでは、と不気味に思うアンバランスさがあった。
「テスェドよ。久方ぶりだな」
「なかなか顔を出せず申し訳ありません」
テスェドさんがまじめに敬語を使うのを、初めて見た。
もちろん、この長老院にはテスェドさんよりも年老いた人しかいないのだろうが、おそらく、その誰よりも、テスェドさんは、この筋肉に包まれた老人に敬意を持っているのではないか、と僕は直観していた。それほどに、今の彼の言葉の響きには、今まで誰に対しても持っていた彼の子供に対して譲歩してあげているような優しさの音が薄れているのだった。それは、対等なものに対する認識が、彼の中にある証拠だろうと思った。
「いや、よい。それより前回の決闘で儂が負けてから、此度ようやくお主が特権を行使したかと思えば、そちらのお嬢ちゃんを長老院に取られぬためであったか」
長老院院長は首だけをこちらに向け、目を瞑ったまま、述べる。その顔の半分は大きな斑点がまだらに覆っていた。
「いえ、そこまでは考えておりませんでした。ただ団長の意見に反抗した時に漏らした約束が、偶然使える状況になっただけのことです」
テスェドさんは右片膝をつき、右腕を膝に乗せ、対面する。
「抜かせよ。狐が。それとな、団長はよせ。お主は儂を揶揄う時はいつも団長、団長じゃ。せめていま揶揄いたいなら院長と呼べ」
「それでは、院長。このものが次代の巫女であることを、証明する声明を、長老院から発していただきたいのです」
「ほう。わざわざ言うまでもないことを、言えというのか。見ればわかることだろう」
「ただ事実としてあることと、権威によって言語化された言説には、大きな差が生まれます。少なくとも、長老院の権威を信じる多くの民にとっては、その証明は、如何なるサンの結実よりも重く判断されることでしょう」
「ふむ。サンの結実より、とな。お主が結実について言うからには、そこまでそのものを巫女として定着させたいと申すか」
「はい」
一連の流れを、僕とユージェはテスェドさんの後ろに棒立ちで聞いていた。彼らの話を聞くまで、僕はこの目の前にいる長老が、かつてテスェドさんと共に戦った戦士団長と同一人物であることを忘れていた。
テスェドさんの話を通して見た戦士団長像は、目の前にいる筋肉の塊ともいえるような、一騎の戦力として牙を研ぎ澄ました存在、というわけではなく、司令官として全体を活かすような存在として威圧感は控えめなのだと思っていた。
それが、どうだ。この長老は、単騎で多くを凌駕するのではと思わせるような圧を身にまとっている。もしかすると、戦士団にいたころはもっと圧がすごかったのだろうか。
「巫女のお嬢ちゃん」
「は、はい、僕ですか」
そうだ、と長老はいう。目をつぶったままなのに、僕は彼に見つめられている錯覚に陥った。逃げられないと思った。
「そうだ。少し確認したいことがあるのだが、よいかな」
彼は口角をあげ、ニヤッと笑う。揺れる衣類の陰に拘束具のようなごつい腕輪を覗かせた。
「ええ、大丈夫です」
僕はとても拒否できる状況じゃないなと思っていた。
「お嬢ちゃんは、このテスェドによってこの村に入るのを許可してもらったんだね」
「そうです」
「名前は」
「糸田祐樹です」
「ふむ。以前にテスェドにした自己紹介では、聖草に助けてもらったのじゃな」
「そうみたいです。聖草という存在を知らなかったので、大きな動く植物だな、としか」
「生えてきてすぐに心を通わすとは。さすが巫女殿じゃ。それが本当ならば巫女としての資質に間違いはなさそうじゃの」
「はあ」
資質についてはわからない。
「少し話は変わるが、テスェドから二本目の聖樹について聞いたのかな」
「聞きました」
「ということは、かつての戦争のことも」
「はい」
「儂のこともかね」
「判断力に長け、信頼に足る人物だと。若いモンデリゴの方針をすぐに取り入れる柔軟性が戦争の被害を格段に抑える要因になっていたとか」
「随分と美化して語ったものだな、なあ」
テスェド、と彼は口角をあげたまま膝をつく彼にちらっと顔を向けた。
「事実は事実のまま話すべきでしょう」とテスェドさん。
「事実は事実、とな」
「……」
「巫女よ。その聞いた話と、事実の儂を見比べて、どう思う」
「え、ええと、どう、とはどのようなことですか」
「感覚的な話で構わん。儂も抽象的な質問故な。お主の感ずるところをそのまま申せ。失礼など考えるな。いざ失礼なことがあってもこのテスェドが責任を取る」
その後半の言葉に、テスェドさんは顔をあげる。二人の意志が交錯したのち、長老は冗談じゃ、この男に喧嘩を売って、二度負けるほど儂は敗北を好まんからな、と肩をすくめていた。
「なんでもいいぞ。失礼などと気にするな。恐縮が伝わってくる。素直な子じゃ。このものが孫にしなかったら儂が孫として引き取っても良かったのう」
「いつからそれほど冗談がお好きになられたのですか」と混ぜ返すのはテスェドさん。
「おお、怖い怖い。儂はお主ほど達観してはおらんのでな。だからこうやって茶化しておらんと、お主に対する敗北で口惜しさが止まらんのじゃ」
それに対してテスェドさんは、狸親父め……、とこぼすのを僕は耳にする。長老は片眉をあげて見せるだけだった。
場の雰囲気は、次第に僕を指し示すようだった。僕は感想を言わねばならない。
「す、……すごい筋肉の圧だなあと。戦争の話の時から身体が大きいとは聞いていたんですけど、筋肉もその頃からムキムキだったんですか」
「筋肉? ふむ。近年自分の体を見ていない故な。かつての身体は思い出せるが。それほど儂は昔より筋肉質になったかの、テスェドよ」
「格段に。戦争のころは、縦に長く、それほど太くはないという印象でしたよ」
「ふむ、では、長老院に入ってからか」
「えっと、自身の身体を見ていないとは?」とは僕の第二の質問。
「ああ、儂は目をつぶしたのじゃ。自分でな。これについても聞きたかったのなら、遠慮するでないぞ」
「では、どうしてご自分で目をつぶされたんですか」
「先代の巫女に、聖樹の声を聴いてもらったのだ。儂がどうすれば時代の者らに引けを取らない実力を保持していられるかとな」
「え、と若者たちが成長するのはいいことなのでは?」
「ああ、このテスェドも、今や戦士団長となったメルセスも、かつてのモンデリゴも、とてつもない力を秘めていると思い、かつて恐怖を覚えたのだ」
「恐怖ですか?」
「ああ、自分の立場が追いやられるような、ものがな」
彼はもうそれ以上は聞くな、という圧をそのセリフの最後に込めたような気がした。僕は質問を変えることにした。
「盲目になったことで、何か力が増大したという自覚はおありなんですか」
「ああ。儂の力は地獄耳と言ってな、どんなに小さな物音でも聞き取ってしまうのだが、先ほどお主らが儂の力が風を媒介にしているというのも、聞き取っているからな」
といった長老は、テスェドさんをじろり、とくぎを刺したのだった。
「……」
テスェドさんは一瞬身をこわばらせた。その後息を吐いて、
「はあ、能力をまだ強化する余地があるのですか」
「お主に質問を許した覚えはないよ」
「手厳しいですね」
院長は、身体を左右に揺らしながら応対する。どこ吹く風だというような様子だった。
「あの、筋肉はどうして増えたんですか」
「ふむ。どうしてだろうな」
「以前戦った時よりも、逞しくなっていますよ」
「では、この長老院で聖樹に祈りをささげたおかげであろうな」
「祈りを捧げるだけで筋肉がつくんですか」と質問するのは僕。
「さてな。儂はもうかれこれ百数十年はこの一室で動かず、祈りを捧げ続けている。ずっと胡坐をかき、血が止まり、足が腐り始めようと祈りを止めることは許されない。時に足を地につけず祈り、腕一本で立ち祈り、サンを身体に結集させ続け、密度に身体が耐えられる限界を見つめ祈り続ける。目をつぶしたことは、外界の光を遮断するため。余計な刺激をシャットアウトし、祈りに向き合うため。視界が消えたことで時間があいまいになり、儂は祈りの中で自身と向き合ってきた。そうしてきたが……まさか祈りを捧げることは肉体を鍛えることにもなっていようとは」
「はあ……」
なぜだか、今のセリフだけ、異様にアホなことを言っている気がしたのは、錯覚じゃないと思う。思わず首をかしげていた。
「わかりました……筋肉の秘密」
「儂も気づきを得るとは思わなかった。今日はとても良い日だ。巫女よ、お主は聖樹の声を多くの民に伝えるよき巫女となることだろう」
彼はがははと笑い、とても楽しそうだった。
「それでは、長老院の方針として、巫女の継承を認めてくださるということでよろしいですね」とテスェドさんは確認する。
「ああ、構わんよ」
「では……」
これにて、失礼します、とテスェドさんが言おうとした時、
「して、そちらのお嬢さんは何の用があったのかな」
そういった長老が向いた先には、ユージェがいた。
「ひぇ」
ユージェの気管支が空を切る音を奏でた。悲鳴ともいう。
「え、ええ、と……」
ユージェはものすごく目が泳いでいた。彼女は十中八九飲まれている。あの筋肉と威圧、そしてよくわからない信心深さに。
僕は話の水を向けられて、会話のペースを合わせてもらったから飲まれずに、波に乗れていたが、彼女は彼女のペースを崩されたままだ。長老の大波が押し寄せてきた。彼女はもう逃れられないのではないか。
「もう一度問うよ。何が目的かな。別に興味本位、という理由でもいいんだけどね」
絶対だめだ。図星だし、その図星を漏らしたらどういう目に合うかわかったもんじゃないだろう、ユージェの背中が汗で染みていた。
彼女は口をパクパクさせて、言葉を発せずにいる。
僕は彼女のそばに一歩近づき、小声で指示してみる。
「なんかごまかせって」
「む、むりむり……圧がすごすぎでしょ」
「弟にからかう体でやれって」
「ふざけんじゃないわよ、弟はあんなゴリマッチョじゃないって。そんないうなら、あんたが一発芸でもして場を和ませなさい」
ユージェが必死に息を吐き出して小声で反論するものだから、耳元がこそばゆくて仕方なかった。
「むりむり。ユージェ、むずかしくないぞ。やるかやらないか、だろ。単純なことだ」
「じゃあお前が助けろ、単純に困ってんだよ」
「作戦会議は終わったかな」
と唐突に遮られた。
もう時間はなさそうだった。ユージェは微動だにしないし、僕はもう手助けできることはなかった。
ユージェはどうにか知恵を絞る。パニックになった頭をなんとか落ち着かせて、最善手を絞り出す。
「実は……」
声が震えていた。
「そう、そう……、聖樹に奉納する遊びを、巫女が教えてくれたんです。でも彼女は聖樹への祈り方を知らないので、あたしが代わって院長様に報告に上がったというわけです」
「ふむ、その遊びとはなんじゃ」
「水切りです」
以前聖樹に労働や商品、作物などを捧げるといったが、遊び、などのアイデアも捧げる対象らしい。そして、遊びというようなクリエイティブなものは捧げられると村の共有の財産となり、発案したものに大きな褒美がもたらされるとか。
「ふむ。そういえば、今朝そんな会話がどこからか聞こえてきた気がするな。そうか、その声はお主と巫女の会話であったか」
「おそらくそうだと思います」
院長の地獄耳は鋭かった。ただ、意識して聞かないものは忘れるのだろう。遊びと奉納というアイデアも、今ユージェが言わなかったら、村に収められることもなかったろう。
「ふむ。そうか、ではこの娘は借りていくぞ、テスェド。発案者の巫女には、後でこの娘を通して褒美を送ろう。祈りには多少時間がかかるものだ。巫女を連れて先に帰るがよい」
「は、かしこまりました」
そういって立ち上がったテスェドさんは、僕を連れてエレベーターから降りる。
ユージェ、君の勇気は忘れないぞ。と僕は胸の中で称えながら、筋肉に連行される彼女から目をそらした。
がんばれ。
遊びを神にささげるってネタ、何かの作品で見たんですけど、何でしたっけ? 小説家になろうの作品だったと思います。その作品では、遊びのお返しに金貨をもらっていたような。




