第13話 夢現
第13話は2ページにまたがります。2/4分は第14話まで。
平日18時、土日祝12時投稿。
テスェドさんは、言いたいことだけ言うと、帰っていった。
なにか別のことも言っていた気がする。村に周知するとかどうとか。でも彼の言葉をもう僕の頭は吸収しなかった。水であふれたスポンジだ。こぼれそうな情報を手ですくい直し、落ち着いて考えようと焦っている。
嵐のような時間だった。
『だから、君を聖樹の巫女の後継者にしようって話さ』
彼の言葉が脳内に反芻してやまないので、僕は寝るに寝られなかった。
テスェドさんの少ししわがれた低音が、豊かにこだまする。
僕は、巫女という言葉のインパクトに負けて、思考がまとまらない。
いま、テスェドさんが帰っていき、一人になったことで、すこし考えを巡らせられる余地が出てきた。
まず、巫女っていうのは、何をする人のことを指すのか。
亡くなった先代は、能力を活かして村の病人を看病していたようだ。
では、僕は飲み物を取り出して、分け与えてあげるのだろうか。
『ルートビアの巫女』。
脳内に、不埒な二つ名が浮かぶ。これは、この村がルートビアの匂いを好む人が半数を超えなければ、おそらく『湿布臭い巫女』という陰口をたたかれてしまうのではないか。
ちょっとまってくれ。いまのとこ、テスェドさんもメルセスさんも、それほどルートビアを受け入れた風ではなかった。これに関しては、ジャコポただ一人が味方だ。こうなったら、僕のことはいい、ルートビアが善くない飲み物だと誤解されないように努力しなくては……。
……って、ちっがーーーーーーう。
話が違う。そもそも湿布がこの村に存在するかわからないし、僕はそんなことをしたいんじゃない。いや、ルートビアを世の中に広めたくはあるけど。あ、やっぱり大衆に知らると、どこか自分だけのものという優越感が減って寂しさが募るなあ。
って、ほんとにそういうことじゃあない。
僕が巫女をやるとして、何を村に寄与できることがある?
この世界に生まれ変わって、テスェドさんの言葉を信じるなら、生えてきて三日だぞ。
というか三日のよそ者に、村の最高権力の座を明け渡そうとするんじゃねえ。
僕が、外に行けないからって、この村でお世話になるしかないのがわかっていながら卑怯だぞ、テスェドのじじい!
つか、そういえば、アコンの村のそと、病気が蔓延しているんじゃなかったか? 巫女ですら死ぬ(老衰だけど)ほどの病だぞ。僕なんか村を出たら、唯一ファンタジックな飲み物を出す能力を封じられて、褐色の女の子が後に残るだけだ。身寄りも、身分証明もない女が、この世界でどう生きていけばいいってんだ。テスェドさんに早いとこ、この世界の治安とか、情勢とか聞いとかないと。もし治安が悪くて、世紀末みたいなアポカリプスワールドなら、女の子一人、自衛の手段もなく彷徨っていたら、悪い狼に襲われてひどいことになってしまいそうだ。
ああ、考えれば考えるほどに、この村から今すぐに出ていく選択肢が無いことに気が付く。
……。
ふと思ったんだけど、どうして先代巫女は、そんなにあっさりと病気にかかるような真似をしたんだろうか。
治癒の能力とやらに、絶対の自信を持っていたのか。ほかの人は彼女を止めなかったのだろうか。
謎だ。
そして、僕がこの世界に女として生まれてきたのは、先代巫女が無くなったことがトリガーなのか。
ところてんは、面白がって女にしてみた、などと抜かしたが、理由としては、こちらの世界の事情に沿わせた結果なのだろうか。
そもそも、巫女になるものが生まれ変わって、生えてくるものだとしたら、先代巫女も、生まれ変わってこの世界に来たことになる。
彼女は地球の生まれだったのだろうか。それとも、全く別世界の生命体だったのか。
真相は闇の中だ。いや、テスェドさんに彼女の素性を聞いてみるか。
もし生まれ変わった人間の、痕跡が今以上にわかれば、僕がなぜこの世界に生まれ変わったのか、とか、もしかしたら前世の世界に戻れるかも、とかおもっているけれど、あまり期待はしないでおこう。ハードルはあげ過ぎると、落ちたときに痛いし、見上げるのがつらくて、妥協してくぐることになるからね。
話は変わるけれどそもそも僕は本当に巫女の継承者なのか、ということが実はわからない。実際テスェドさんにからかわれているだけとも言えなくもない。生まれ変わったということを、テスェドさんは『生えてきた』と呼称した。そして、生えてくることが、巫女の継承条件だとも。
しかし、僕がこの村に入ってテスェドさんと出会ったとき、他に影のように多くのアコンの村人が控えていて、ヤジを飛ばしてきたけれど、僕が生まれ変わり、テスェドさんが生えてきたと理解した時、同様の考えに至り、僕を保護しようとしたものはテスェドさんのほか一人もいなかったのはなぜだ。また、メルセスさんに生まれ変わり、元男だと白状した時も、彼女は特に巫女について漏らすことはなかった。テスェドさんに口止めされていたのかもしれない。病気のことや、ここでの生活の重要性を理解させたうえで、断れない交渉を持ちかけるために、メルセスさんには、巫女について漏らさないように緘口令が敷かれていると考えても良い。
しかしながら、メルセスさんはあまり腹芸が得意じゃなさそうな人柄なんだよな。彼女は思ったことを口に出し、行動に移すタイプだ。もちろん、相手の感情を読めるからこそ、配慮して言葉にしない観察眼はぴかいちだと思う。でも彼女はテスェドさんに何らかの因縁を抱いている。彼女と彼の間にはややこしい線が見える。いや、見えるというか感じるというか。
だからこそ、彼女が唯々諾々と彼の命令にそこまで従うかわからない。今朝の僕の修行の時もやり渋っていた。僕は、彼女が僕の修行に最後まで付き合わず、途中で帰っていったのも、テスェドさんへの反抗なのではないかと勘繰っている。
もちろん、これらが僕の勘違いで、メルセスさんとテスェドさんが仲良しで、僕をはめて、巫女の責任を押し付けようとして来ているかもしれないが、前提として僕の感覚さえも疑ってしまったら、もう何も信じられなくなってしまう。
だから僕は、メルセスさんが巫女の継承権について知らなかったということを仮定しようと思う。
この町で、長老院に行ける程度に年を食った者でないと、継承権の条件については知らないんじゃなかろうか。
それに、先代は異例の長寿だったという。三千年だ。彼女の時代は、それほどに長い。だからこそ、もうこの村には継承者が生まれてくるところを経験したものはいないのだ。
千年程度を生きるテスェドさんがそれを知っていて、現実、僕にその条件をあてはめて判断したことの方が異常であり、慧眼なのかもしれない。
僕には長老院に属したり、関係したりする人間を知らないから。だから、テスェドさんが知っている知識が、この村の上位の階級にまで浸透した知識なのか、推し量ることが難しい。
彼だけが知っている知識ではないだろう。けれど、知っている人数は少ない。そして、千年も生きていない若い者たちにおいては誰も知らない巫女の継承条件。
はたして、僕は僕が本当に巫女となったことを証明できるのだろうか。
仮に、僕が巫女を受けるとしても、村でそれを認めない人が過半数なら、通らないんじゃないかな。
よそ者がお姫様のように村に居座ることをよしとしないだろう、普通は。
まあ、僕が巫女だということを他人にわざわざ認めさせる必要もないか。
それはテスェドさんの仕事だろう。
僕が欲しているのは、この村でお世話になることと、それなりに世間について教えてもらうことだ。
準備ができたら、隣の国に行くのがいいだろう。もし隣の国に入るのに身分証明が必要ならば、身分の証明する方法もテスェドさんに聞いておこう。
……やはり、どうしてもテスェドさんに教えてもらうことが必要になる。いわば、僕は彼に弱みを握られている。生命線は彼が握っているのだ。これはまずいと思った。しかし、それでいて何をできるかといえば、何もできず、僕は彼の庇護下に置かれるほかなかった。
テスェドさんは、どうしてか僕に巫女を受けてほしいという口ぶりだった。そして、僕はテスェドさんにお世話になるほか、今後隣の国に行くことも、一人で旅をすることも、おぼつかないと思っている。
ああ、これはギブアンドテイクで、彼の要望をそれなりに受け入れなければいけないのかもしれない。
一つ、懸念は、巫女としてこの村に縛られてしまうのではないかという点だ。
巫女として何らかの業務があるのは仕方ない。僕だったただ飯ぐらいとしてずっとここにいるのも忍びないから。
でも、この先の人生を、数千年この村にはりつけにされるのは、困る。心情的にも、性別的な問題も。
このまま巫女として、社会的な女性としてこの世界に括り付けられるとしたら、僕は本当に男に戻る方法を失ってしまう。
それは、だめだ。
僕がこの世界で最もやるべきことは、サンの習熟でも、世間を知ることでも、隣の国について知ることでも、病気について知ることでもない。
僕が僕として、男という一点を守り通すことだ。
男であることを忘れてはならない。
ひどくちっぽけなプライドだけれど、それを無くしたのなら、僕は結局、巫女として三千年を生きても、病気に死んでも、変わらず絶望だ。
男であることを取り戻すために、サンの習熟を追求し、男にもどるチャンスを広げるために病気を回避する方法を知る。そしてこの世界で男に戻る方法を探して生き抜くために、世間を知り、隣の国について知る。
そういう論理だ。心に留めておけ。




