第8話 村を支える植物と、かつて支えた英雄
2/2日、もう2話分投稿します。
平日18時、土日祝12時投稿予定。
そのあと、僕は新しい衣類に腕を通し、着方がわからずに困惑していると、考えをまとめたのか、メルセスさんが上がってきて、身体を拭いた後、僕の困惑を知って、服を着せてくれた。
僕はメルセスさんがいなければ服を着られない人間になってしまうかも。
「慣れれば出来るわよ」
と言って、丁寧に教えてくれる。
万歳をした体制で、脇の下を一回転するように一枚の厚手の麻布を巻き、脇の下から少し吊り上げ、両肩で二か所、前後の布をついている留め金で止めた。腰巻を着けて下着の完成だ。その上から斜め掛けのストールのようなものを左肩からかけ、右の腰あたりで衣類の袖を結び、着流すような上着を羽織って完成だった。そうすると、ワンピースのようにすとんと落ちる衣類の上からは織物が優雅な印象をもたらしている。腰巻がアクセントになり寸胴体形を緩和し、裾が波打ち、自然なしわが出来た。全体としてたおやかな印象を与えていた。
「皆さんこれを着てますよね」
ここに来てから見る人は男女ともに、僅かな装飾に違いはあれど、このキトンのような服を着ていた。
「この村はからむしを育てていてね。それを縒り糸にし、布を織って、多くの物が作られているのさ。皆着ている」
からむしというのは繁殖力旺盛な葉っぱで、それから獲れる繊維を加工することでラミーという生地を作ることが出来るのだそうだ。
「あれ、でもメルセスさんと僕のは裾丈が違いますね。テスェドさんもたしか違ったような」
「ああ、戦いを仕事とする民は、激しい動きを要求されるから短く統一されているんだよ。あと子供たちも踏んずけて転ばないように、膝丈になっている」
「戦いを仕事に?」
「ああ、村に獣や盗賊が襲ってきたとき、そいつらと戦う集団が村にはあるんだ。それを戦士団っていう。私も一応そこに属しているから、こういう服装なんだ」
僕はもっと質問しようと思ったけれど、彼女は自分の中で説明しきったと思ったのか、異なる補足をして話題がそれていった。
「衣類以外だと聖樹の中のカーテンや間仕切りの布としても使われているよ」
確かに。ゆったりとした布がカーテンのように使われていた。僕の布団を覆っている麻布もそのからむしから造られたものなのだろう。
「からむしは繁殖力が強くて、短い期間に何度も収穫できるんだ。胸の高さまであるぎざぎざした葉を持つ草が生い茂ったときは、思わず胸が悪くなるほど密集するんだけど、その時期は、天敵の芋虫や赤い蝶、カミキリムシが大発生して、よく戦士団は駆除に駆り出されるんだよ……」
そういったメルセスさんは、苦労の多い経験談とは裏腹に純粋な笑みを浮かべていた。彼女はそのからむしやラミーと一緒にどんな想い出を抱いているのだろう。僕は彼女の横顔を見て、なんとなくうらやましさを覚えた。彼女の故郷はここにあり、僕が懐かしむべき場所は遠くに行ってしまったかと思うと、少し寂しさを覚えた。しかし嬉しそうに話す彼女の前でやせ我慢をして無表情のままでいた。
多分彼女には筒抜けなのだろう。ぼくの少しばかりの郷愁と嫉妬。しかし彼女は触れてほしくないと思ったときほど、感情を知っているそぶりなどみじんも見せなかった。彼女は人間関係において自分の能力との付き合い方を知っているのだろう。
たとえば僕が他人の心情を僅かにでも知れる能力があったら、プライバシーなど知らないかのように土足で上がりこんでしまうと思う。そうして何度も他人を傷つけ、僕は人の感情を知るのが怖くなるのではないか。
彼女は僕の感情を知って、それでもなお無言で受け止めて深入りしない。僕は彼女の気持ちを慮ることしかできないが、もしかすると、彼女の村自慢をしたことに対し、僕が嫉妬や寂しさを覚えてしまったこと自体、それが自然と彼女に筒抜けであるという前提を考えれば、僕は彼女の言動を責めていることにはならないか。彼女は僕が寂しさを募らせていると知って、自分の言動を反省するのではないか。そんな風に僕は人の感情にお節介をだす気分になる。
こういうことはよくある。癖だ。
もちろん僕は彼女の心情なんて知らない。出会って一日目でしかない。なぜ一緒に水浴びをしたのかすらわかっていないが、それは彼女の人付き合いの良さ故だろう。
僕は彼女にほだされている。正直彼女のノリは苦手だ。ぐんぐんこちらに距離を詰めてくる。僕はあまり人と仲良くなれないタイプだ。何というか、仲良くなろうとしても壁を作ってしまうのだ。でも彼女はそれを気にせず僕に語り掛ける。それを煩わしいと思う場合もあるだろうし、でもそれがうれしいと思うことも、これからあるだろう。だから、僕はそれだけ彼女にほだされていて、それを嫌と思っていないのだろう。
「なあ、あんたの名前聞いてなかった」
その声に僕は現実に戻される。
「僕は糸田祐樹。交通事故で死んだと思ったら、急にこのジャングルにいて、動物に襲われたところを大きな植物に助けてもらった。そうしてこの村まで送ってもらったんだ」
僕にできる最大の自己紹介だ。
「死んだ、ねえ。そんなこともテスェドが言ってたっけか」
どうやらテスェドさんは僕について周囲に多少説明しているらしい。まあそりゃそうか。よそ者を入れるのに、身分の詮索は不可欠だ。
「死んだってどんなふうに?」
「特別なことじゃないですよ。気を抜いていたら後ろから車に轢かれたんです」
「くるま?」
「聞いたことありません。のりもの。すごい速さで動ける鉄の箱です」
この世界に車はあるのだろうか。テスェドさんによれば人間の国はあるらしい。
昔タイムスリップ物のドラマで女子高生が江戸時代に行って拙い知識を使って頑張る、みたいななのを見た。その中で、戦国武将に携帯をみせ驚かせて、保存してあった動画で飛行機が空を飛んでいるのを見せ、「空飛ぶ鉄の箱」と表現しているのを思い出した。
「ああ、あれ。くるまっていうのか良く知らないけど、たまに村を抜け出す若い奴らが乗ったとか見たとかはしゃいでいるのを聞いたことあるな」
「へえ、村って抜け出していいんですか。なんか入ってくるのも僕は偶然許可された感じですし。出てくのもそれなりに大変だとか」
「あーないない。ただあんまり人間と交流しすぎると、村の秘密とか、サンの情報流失とか怖がっている長老らがいるから、そういうの気にして体裁のために外出は控えろって風潮があるだけだよ」
どの社会にも権力者はいるし、多かれ少なかれそいつらはルールを握り、まわりのひとはそれに振り回されてしまうものなのだろう。
「へえ、めんどくさいな」
「そう面倒なのよ」
お互い肩をすくめて笑いあった。
「そういえば、あんたの話は死ぬ前は男だったことと、飲み物を出す能力しか聞いてなかったね。あんたの身の上話もいつか聞かせてよ」
「ええ、ぜひ」
僕たちはそうして、聖樹の前で別れた。彼女は僕を聖樹まで送ってくれた。彼女の寝床は僕の止まっているこの大きな聖樹ではなく、裏側にある若い大木の内の一本らしいかった。帰ってきたらもう真っ暗で、僕は途中石に躓いたり、背の高い雑草に突っ込んだりした。彼女はなぜか視界の悪い中でも迷わず聖樹の方向に帰っていった。なぜだろう。感情がわかる能力以外に、暗視ができる力を持っている? ああ、やめよう。先ほども彼女のことを考えて、無意識に責めるようなことを嫌ったばかりではないか。
別に彼女に負の感情を向けるつもりはないけれど、僕はあまり彼女の心を逆撫でさせたくはないのだ。締め上げられて、なめまわされたくないしね。
「戻りました」
僕は玄関で待っていたらしい無口の男に挨拶した。僕をメルセスさんに引き合わせてくれた男。メルセスさんは別の木の住居に戻ることを把握していて、僕がきちんと変えることを見届けに来たらしい。別れ際にメルセスさんから、彼が玄関にいると思うから帰宅報告しときなさいということだった。
「ようやく汚ねえかっこうからましになったじゃねえか」
「メルセスさんのおかげで」
「半分は俺のおかげだろう。俺があいつを呼んだんだぞ」
「なんでそんなにえらそうなんですか」
「事実だからだ」
「……。仲介していただきありがとうございます」
メルセスさんは彼のことを悪い人じゃないといった。確かに悪い人ではないんだろうけど、すごく卑屈な目つきと、姿勢の悪さがどうにも近づきがたい感情を僕に持たせた。
「ふん。わかったならいい。早くいけ、テスェドが気にしているだろう」
「わかりました。お休みなさい」
早く会話を切り上げたいと思った。なぜかテスェドさんとメルセスさんに比べてしまう自分がいる。初対面でまだ数回しか話していないというのに、人任せな態度やその割にじろじろと人を見定める視線に嫌気がさしていた。
足早に男の脇を抜け、僕はツタに捕まり、上階に上がった。
寝床にたどり着くと、僕は右越しの結び目をほどき、上着として羽織っていたストールのようなものをたたんで枕もとに片付けた。ワンピースのような役割をした衣類一枚で横になる。
僕は腰巻に挟んでいたところてんからの手紙を開いた。くしゃくしゃになっていた。
なんとなく、文面を読みたくない気分だった。
いや、まあ、いらいらするんだよね。ふざけた野郎だって。
なんで僕が転生させられたとか、頼んでもいない変化をつけられたとか。いや、まあ記憶を持ったまま、たとえ身体が別人になろうとも生きかえっただけで幸運なのかもしれない。ただの不注意で死んだわけだ。普通は前後の状況もわからず死んで、もう考えることすら不可能だったかもしれない。死後の世界がどうなっているかはわからないけど、身体がなくなれば基本的に、感覚を得ることができないから考えることもできないんだと、僕は前世で考えていたわけだ。でも、なぜいま僕は身体が変わってまで前世の記憶が引き継がれているのか謎だった。
僕の経験は、前世の身体に蓄積されたものだし、その感覚も前世身体特有のものだったはずだ。僕はそれなのに、僕のままだ。もしかすると、本当のこの体の持ち主が何らかのショックで記憶をなくし、僕という地球で死んだ男が転生したと思いこんでいるだけかもしれない。だって、生まれてすぐに20歳の自覚(この村では100歳前後か?)がある。それは不思議なことの一つだった。しかし、それを考えるよりも僕は、自分が持つルートビアを生み出す能力と、サンの扱い方に焦点を当てなければと思う。それが糸田祐樹としてのアイデンティティが、女体化をつうじて崩壊していくのを防げる気がするから。
ずっと、ぐるぐる頭で考えていても、無駄な気がする。ここにところてんの紙もあるわけだし、この世界にも紙やペンというものはあるだろうか。今度おじいさんにお願いしたら、もらえないだろうか。
僕はくしゃくしゃの紙を折りたたんで、腰巻にしっかりと挟んだ。