錬金術師、外に出る・1
目を覚ますと、知らない天井が目に入った。
いや、知ってるんだけど。
なんだか体の節々が痛む気がするが、昨日は大変寝付きが良かったようで夢も見ること無く爽快な朝を迎えた。
硬くなった筋肉をほぐすようにベッドの上で座ったまま両手を上に向けて伸びをすると、関節達が軽快な音を立てる。
日光を遮るために分厚く遮光性の高いブラウンのカーテンが端に寄せられて、薄暗い部屋に朝日が差し込み、内側の白いカーテンは開けられた窓から入る小さな風に揺られている。
隣の部屋からは、香ばしい良い匂いが…?
(あれ、昨日いつの間に寝たっけ…)
目の前に広がる非日常に首を傾げていると、扉が叩かれた。
「ヘル、起きましたか?」
そこでやっと思い出した。いつもならカーテンなんて開けない事を、そもそも日頃ベッドで寝てない事を。昨日、エルフを買ってしまった事を…。
恐らく、食べながら寝落ちたわたしをクロウが部屋まで運び、翌朝朝日と共にカーテンを開け放つところまでしてくれたのだろう。
ベッドの傍に綺麗に並べられた靴に足を通し、扉を開けると彼は目の前に居た。無とも取れるよく分からない表情をしてる彼から感情を読み取るのが難しい。元々人の感情を推し量るのが得意なわけでもないんだけど!
「おはよう、クロウ」
「……ああ、おはようございます。朝食もそろそろ出来るので、先に顔を洗ったらどうですか」
「はぁい」
やや遅れて帰ってきた朝の挨拶に首を傾げる。奴隷に対しての対応にしては甘すぎではコイツ、とか思われてるのだろうか。
浴室手前にある水場で木の桶に水を溜め、それから両手でパシャパシャと水で顔を洗う。
昨日は途中で起きる予定だったはずが、昼間から朝まで寝てしまった。今日も面倒だけど外に出なければならないし、体力回復できた分にはまぁいいか。
ここまで来たら滅多に行かない朝の市場に顔出して、新鮮な食材を買うのもアリかな。わたしなら保存食にするくらいの調理法しかないけど、彼が美味しく作ってくれるならば、そこにお金をかけても良いだろう。
荷物持ちはしてもらうとして、エルフの耳は目立つだろうから何か隠す物が必要か。あと、暫くしたら彼が好きな時に解放してあげるつもりという話もしておかなきゃならない。身ぐるみ剥がされただろうし、その辺の資金も援助して送り出してあげなきゃな。
あれこれ考えながら正面にある鏡をぼんやり見つめる。
洗って魔法でしっかり乾かしてもらった暗い色味の赤髪は、くせ毛特有の波を打ちながら胸の辺りまで綺麗に伸びている。いつもより血色の良い肌と、くすんだ灰色の瞳。
鮮やかな色彩を持つ者は魔力が多く、色が暗いほど魔力が少ないと言われている。自分も例には漏れず、暗い赤と濃い灰色だ。それに比べてエルフの彼は白銀と呼べるほどの白に鮮やかなグリーンだった。エルフ族は魔法に精通していると言われているのできっと種族的なものもあるのだろうが、彼が色彩通りだとしたら相当な魔力を秘めてるのだろう。
「顔も拭かずに何してるんですか」
突然の声と顔に当たる布の感触に肩が思いきり跳ねた。
「びっ…くりしたぁ…」
「何度も声掛けましたよ。ああもう、服が濡れちゃってるじゃないですか。着替えてきますか?」
「ご飯食べたら外出るし、その時に着替えるからいいや」
ちなみに朝食も美味しかった。正直このまま家政夫をして雇いたいほどである。
「それで、今日は色々買い物に行くんだけど…」
「荷物持ち、ですね」
「話が早くて助かるわぁ。けど、エルフって目立つしあんまり見られたくないでしょ?」
それでコレなんだけど。と言いながら黒いフード付きのローブを取り出した。
「これは…幻惑蜴の…」
驚きながらローブを手に取るクロウ。
幻惑蜴とは、小さめのドラゴンのような見た目をしたトカゲで、魔力を利用して対象からの認識を阻害し、油断させたところで死角から奇襲してくるという厄介トカゲなのだ。
ドラゴンより小さめとはいえ魔物。女性一人分の大きさはあるし、街道での奇襲被害も少なくないので冒険ギルドではポピュラーな討伐対象である。
「そう、その幻惑蜴の皮を使って錬金した物なんだけど、身に付けた人を他人が認識しずらくなる効果が偶然出来てね。完全に姿を消すと不自然だし、さっき話した人誰だっけ?くらいになるから、ちょうど良いかと思って」
「なるほど…、これが錬金術というわけか」
「皮の質感もただの布と変わらないでしょ?これは幻惑蜴の皮、布、あと細かい材料をいくつか使ってるんだけど。錬金術はそれぞれから欲しい特性だけを引き継いで別の形へと創り変える技術なの。だから材質は普通の布地だけど、幻惑蜴の特性だけ引き継いだ物になるのね」
そして何よりも、その過程に魔力を一切必要としないのが錬金術の本質だ。魔法を操れる人間からすれば認識阻害の魔法を掛ければ良いだろうが、そもそも認識阻害の魔法を会得せねばならないし、魔法の維持が必要になる。魔石に認識阻害の魔法を封じ込めてローブの装飾に組み込むなども出来るが、魔石の元になる石自体がそう頻繁に手に入る物では無いので難しい。
対して錬金術で創られた物は一度その特性を付けてしまえばズタズタに破れでもしない限り、効果が消えることは無い。なんてお得な技術なのだろう。
とは言っても、魔力を使わず誰でも出来る技術という訳でもないのが錬金術。そして魔法が一般的な世の中では、忘れ去られた過去の存在だったりするのだ。わたしはまだ、同業者は師匠くらいしか知らない。
「こんな物が世に出回ったら不味いだろう…」
「ね、世界中の王族が暗殺され放題になりかねないもん。さすがにこれは商品に出してないよ」
錬金術によほど驚いてるようで、口調がおかしくなってるというよりは素が出てる彼を面白げに眺める。
「ちなみに、子どもに見せかけるタイプとか相手の好みの異性に見せるタイプとかもあるけど使ってみたい?」
「それ絶対世に出さないで下さいよ…。あと絶対使いたくないです、断固拒否します」
「とりあえず先に商業ギルドの方へ行くね」
「商業ギルド、ですか?」
まだ朝特有の新鮮な空気を吸いながら、商業ギルドのある商業区2番街を目指し、並んで歩く。
わたしは昨日と同じ白いブラウスに茶色の膝丈スカート、クロウは昨日買った濃い灰色のスラックスと黒いワイシャツという、美貌も相まって正直カタギの人間…エルフに見えないのは黙っておく。
その上から真っ黒な認識阻害ローブをフードまで深く被った状態で羽織っている。顔が見えればただのイケメンで全て解決するが、今は良くて怪しい魔法使いだろう。これはこれで若干人目を引いてる気がするが、そこはもう認識阻害ローブに活躍してもらうしかない。
「まずギルド自体が国直営の存在じゃないのね、ギルドは自治体みたいなもので独立した組織なの。それが世界各国に支部があって、連合ギルドの総本部はこの国の北、フローラシアに。商業ギルドはその中でも大きく3つある部門の1つ。他にも技術ギルドや冒険者ギルドがあって、目的ごとに利用する場所が違う感じね」
ずっとエルフの森で生きてきた彼は人間達の世界を知らないらしく、街にあるものをこうやって教えながら目的地を目指す。
「錬金術師なら技術ギルドに分野されるのではないんです?」
「新しい物を開発した場合はそっちになるね。今回は注文を貰ってた物を納品しに行くだけだから商業ギルドなの」
「ふむ…、個人では無くギルドを通す事で、不利な取引を避けたりという感じですか」
「そうそう、そんな感じ。連合ギルドに所属しておけば自然と依頼も斡旋されるから安定した生活が保証されるし、連合と提携してる宿とかお店で割引きして貰えるから、クロウもこの先旅を続けるなら登録しとくといいよ」
なんて話してるうちにギルドに着いた。中はまだ朝早くなので閑散としており、居るのは職員だけのようだ。
「あら、ヘルシリカさん!こんな早い時間に珍しい」
「アリサさん」
手早く済ませてしまおうとカウンターへ向かうと、早速職員の一人であるアリサさんに声を掛けられる。目線はわたしじゃなくてクロウの方へ向いてるけど。
「横にいる方は?もしかして、ヘルシリカさんの…?!」
「そんなわけないでしょう、師匠の知り合いですよ。暫くうちで預かってるんです」
「あぁ、シュトレン様の…」
変な期待の目をしていたので、すかさず訂正を入れておく。そんな残念そうな顔をするんじゃない。一体何を期待してたんだ。
貴族が奴隷を使役しているといっても、一般的にその行為は人権を蔑ろにしていると、陰で非難されている。なのでわたしも彼との関係を伏せ、師匠の知り合いで通すことにした。
「それで、この前依頼受けた物が出来たので納品と、あとお金も引き出せます?」
鞄から目的の物を取り出してカウンターへ置く。
「トトル工房からの依頼品ですね。夜光ランプ10個…はい、受け取りました。あとは引き出しですね、いくら出しますか?」
「金貨50、銀貨100で」
「かしこまりました。依頼品の精算もしますので、少しお時間頂きます。待ち合い席の方でお待ちください」
「はぁい」
カウンターから離れて、傍にある待ち合い席へクロウと並んで座る。アリスさんとのやり取り中黙って傍に立っていた彼は、そこでやっと口を開いた。
「さっきの夜光ランプとは、何に使うんです?」
「あれは多分暗い場所での作業用かな。トトル工房は建築メインの工房なんだけど、力仕事に身体強化の魔法を使いながらだから、夜間や暗い場所での作業中に灯り魔法まで維持するのはしんどい人も居るみたいで」
「人間にはそれくらいも難しいのですね」
「エルフに比べたら今の人間の持つ魔力量なんて、みそっかす程度かもしれないね。まぁ、魔法の無い生活も慣れてしまえばそんなに苦じゃないよ」
「あなたの場合は、めんどくさがって生活を疎かにしてるでしょう…」
その後もあれは何これは何と、目に入るもの気になるものを片っ端から聞いてくるクロウの相手をしてるうちに精算と引き出しが終わったようだ。引き出したお金を受け取り、商業ギルドを後にする。
ところ変わって、現在わたしは一人で裏4番街の素材店へ訪れている。というのも、彼をまた裏街に連れてくのはやめた方が良いかと考えていたら、なんと既に自宅までの道を覚えたというので、食料調達を引き受けてくれたのだ。
そんなわけでクロウ3番街へ食料の買い出しへ、わたしは裏4番街へと別れたのである。どこまで離れているとダメなのかは分からないらしいが隷属の魔法の効果で、一定の距離まで離れると使役している側は奴隷の位置を自動で魔力感知するらしい。
別にそのまま逃げてくれても構わないのだけど、ちゃんと手順を踏んで契約を解かねば使役している側に反動が来るという。魔法に関してはわたしも詳しくないので、確実に詳しいであろう彼に一任した。
こんな小娘の奴隷にされてるなんてたまったもんじゃないだろうし、解除方法を分かってて自分で解けるなら使役している側の事なんて考えずに、契約破棄してしまえばいいのに。まだ知り合って1日程だが、あまりわたしに警戒をしてない彼のチョロさとお人好し具合をひしひしと感じた。
警戒するまでもないと思われてるのなら、それはそれで悲しいけど。
街の一番奥、蜘蛛の巣と蔦に絡まれた古い外壁の建物までたどり着く。相変わらず不気味な雰囲気だなぁ、なんて思いながら、触っただけで軋む音を立てる傷んだ木の扉を開けて、趣味の悪い骸骨の壁掛けランプに灯された店内へ足を踏み入れる。
店の中は黒と紫のよく分からない模様が描かれた壁紙と、真っ黒な木の床に骸骨ランプ、そしてカウンターの向こうに座るワカメのような髪をした目つきの悪い全身真っ黒男。
「お前、なんか臭うな」
「いきなり女性に臭いとは失礼では?」
目が合って開口一番酷すぎる。人の顔を見るなり表情を歪ませるし、暴言から産まれた魔物と言われてもわりと信じてしまいそうな口の悪いこの男こそがこの店の主、ローグである。
「何拾ったんだよ」
「エルフ」
「ああ、はいはいエルフね、森の引きこもり集団な……いやなんで引きこもってねぇんだよ、何お前さらっと拾ってんだよ…」
「いやぁ、なんか家事炊事から手伝いまでしてくれるって言うからつい…」
「エルフが人間の手伝い…?!エルフって言ったらアレだぞ?人間見下して、年中森に引きこもってるだけのプライドの高ぇエリート集団」
「偏見が酷い」
アンタ一体エルフに何されたんだ…。
その後もブツブツしつこいので、強制的に話を切り替えさせた。
「銀水魚の鱗を一瓶と七色鳥の羽を一袋、あとローズ水晶ってまだ在庫ある?」
「あー…ローズ水晶は今切らしてるわ、他二つはあるぞ」
「ならいいや、今度入荷したら教えてよ」
「はいはい、金貨4枚と銀貨10枚な」
「相変わらずそれでもこの値段か…」
これでも安い方なんだけど、魔物の材料はどうしても値が張る。金貨500枚で家が一軒、金貨10枚で宝石が一粒、銀貨10枚で食事一回、銅貨5枚で出店の串焼き一本分くらいの価値だ。
その分錬金術で稼いではいるので問題は無いのだけど、出ていく金額的に頭が痛い。
「で、そのエルフなんの石持ってた?」
「石?」
「あ?知らねーのか、エルフは産まれる時に生命石っていう自分の魔力から生み出した専用の魔石持って出てくるんだよ。アイツらはそれを杖軸にして付けてるんだ」
「へぇー、エルフの特徴なんて魔法に長けてるくらいしか知らなかった。…そういや杖使って魔法使ってるとこ見たことないな」
個人の魔力の質に合った宝石、金属、木材などを杖軸という。魔力媒介として使うもの、一般的には杖へ組み込むことによって安定した魔法の発動や威力の増強が出来る。杖軸が合わないと魔法が上手く発動しなかったり、暴発を起こしてしまう。
魔力媒介にする物は昔は杖主流だったらしいが、最近は指輪やブレスレット、首飾りや剣だったりと様々なので大体は本人に聞いてみないと分からない。
「いざという時、魔法を封じれるように一応魔力媒介がなんなのか聞いておけよ、お前ロクに魔法使えねぇんだから一発で死ぬぞ」
「いやまぁさすがに殺されはしないと思うけど…、アッハイ、聞いておきます」
ギン、と鋭く睨みつけられたので大人しく従っておく。一応彼なりの心配なのだろう、全く優しさの欠けらも感じないけど。
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人物紹介
・アリス
23歳、女性
商業ギルドの美人受付嬢。ヘルシリカが見習い錬金術師だった頃からの知り合い。
・ローグ
年齢不詳、男性
商業区裏3番街で小さな店を構えており、趣味と口の悪い店主としてわりと有名。