錬金術師、野良猫を買う・2
「ま、毎度あり…」
(顔とエルフの涙に釣られてしまった…!!)
この面食い馬鹿…!と脳内の自分を殴りつける。
自分の横に立つエルフをちらりと伺う。背は女性の中でも小さいほうなわたしより頭1つと半分高いくらい。座った状態だと外套で隠されて見えなかった部分が見える。少し痩せ細ってはいるが、スラリとした長い脚に引き締まった筋肉が薄い服の上からでも分かる。
とんでもない買い物をしてしまったのでは…と思ったが、もう既に遅い。数日もしたら健康になるだろうし、エルフの涙だけ貰って解放しよう。この後買う予定だった素材用の金全部使ったんだ、涙だけは何としても貰うぞ。
「ありがとうございます、お嬢さん」
「いや、うん…。とりあえずお嬢さんって呼ぶのやめてもらってもいいかな…」
「では、ご主人様?」
「もっとやめて」
そんなキラキラした目で見るんじゃない。
一先ず本来の予定は後回しにして、彼の衣食住を整える為に商業区2番街へ向かった。
2番街は庶民向けの服飾や雑貨、食べ物等々が売られている。そこで何着か着替えの服を選び、彼用の生活用品や今日の食糧を、今の手持ちの金でありったけ買い込んだ。
どうせ明日も買い出しになるだろうし、今日分があれば良いだろう。明日はギルドでお金を引き出して、素材を改めて買いに出ねば。
彼は買い物している間大人しくわたしの後を付いて歩き、逃げようとする素振りは欠片も無かった。
「狭いし綺麗じゃないけど勘弁ね」
セキュリティ面に不安しかない簡易な鍵を開けて、我がアトリエに足を踏み入れる。入り口から1番近い壁掛けのランプに魔力を通して部屋へ明かりを灯す。
1人なら魔力の節約でそのまま明かりも付けずにいるけど、さすがに気が引けた。久々の明かりに照らされた薄暗い部屋は作業場と生活空間の両方を兼ねていて、大きめのワンルームに台所付きだ。もう一つの部屋は一応ベッドルームなのだが、もう何年も使っていないので倉庫扱いである。彼にはそこで寝てもらおう。
「…あの、これ」
「ああ、片付けが苦手で基本的に散らかしっぱなしなんだ。大丈夫、君の部屋はちゃんと綺麗だから、うん」
掃除をすれば、だけど。
凄惨な部屋を目の当たりにした彼は奴隷商人の所に居た時より若干目が澱んでいるように見える。住めば都とは言ったもので、この汚さも心地良さになってたがやはり不味いだろうか。でもめんどくさいしなぁ。
「まぁいいや、とりあえず湯に浸かっておいでよ。それとこれを…うん、これでよし」
奴隷商人から買い取った時に手首に付けられていた拘束具は外してもらったが、首輪を付けたままだったので外しておく。こんな拘束をしたところで魔法に長けているエルフからしたら、ただの重いアクセサリー程度の存在だ。この首輪、錬金の材料にならないかな。
そもそも隷属の魔法を使って使役しているので、本当にただの見た目だけなんだけど。売られている間は奴隷商人と契約、売られる時に主人となる者へ契約の譲渡が行われる事により主従関係が引き継がれる。
主人と下僕の両方には手の甲に証が刻まれるらしいが、わたしの右手の甲には深い緑の蔦模様が刻まれていた。
隷属の魔法は禁術のひとつの筈なのだが、すっかりこんなところにまで浸透してしまっている。
(この国も腐敗したなぁ)
彼を浴室へ案内して、その間に倉庫と化したベッドルームを片付け…とりあえず押し込まれていた荷物を運び出す。そのおかげでメインルームがますます凄惨な状態になったのは言うまでもない。
簡素なベッドとサイドテーブル、大きめの本棚が一つ残された部屋は長身の彼には手狭な広さかもしれないがそこは我慢してもらおう。窓を開けて、積もった埃を叩き落として、クローゼットに収納されていたお陰で、かろうじで埃を被らずに済んだベッドシーツに取り替える。
ふふん、やろうと思えばこれくらいの掃除は出来るのだ。普段はめんどくさいからやらないだけで。
そこまで終わったところで、彼が戻ってきた。
「ここに居たのですね」
「ヒェッ…」
部屋に入ってきた彼の姿を見て、思わず小さく悲鳴が出た。
薄汚れていた灰被りの髪は、まだ少し残る水気に光が反射して朝日に照らされた雪のように輝いて、暖かい湯に浸かって上気した真白い肌はほんのり紅く色付いていて、色気がとにかくやばい。汚れた簡素な服から先ほど買ったダークグレーのスラックスは長い脚を覆っていて、そして上半身は…
「あの、服」
「はい」
「いやあの、さすがに身体で奉仕とかは要らないんですけど…」
「…は?誰がこんなちんちくりんを…」
「えっ?」
「なんでもないです」
今なんて?
今明らかにわたしのことちんちくりんって言ったね?言ったよね??一瞬そのめちゃくちゃ整った顔を歪ませましたよね?
「何もないですよ、ね?」
「アッハイ、ソウデスネ」
拝啓お師匠様、美人の凄んだ顔はその辺のチンピラよりも怖い事を学びました。
「それで、あー…」
「はい…、申し訳ないのですがあて布か何か頂けると…」
もしかしてと思い、腰掛けていたベッドから立ち上がって彼の背後に回って背中を見ると、鞭で打たれた跡があった。傷跡からはじわじわと血が滲んでいて、多分湯に浸かった時に気が付いたのだろう。このまま白いシャツを羽織れば血がシャツに付着してしまう。
「エルフって魔法に耐性とかある?」
「…よく知ってますね、人間よりは幾らかあります」
少し驚いた顔をした彼はそう答えた。昔ちらっと聞いたことがあっただけだ。
「ちょっと待ってて」
彼をその場に残し、部屋を出て作業場の近くにある棚を漁る。この前作ったばかりだし確かここらへんにあったはずだ。
乱雑に置かれた物たちの中から、包帯と薄い空色をしたガラス瓶、それと独特の匂いが漂う四角い箱を取り出して部屋に戻る。
「塗りにくいからベッドに座ってもらってもいい?」
「分かりました…、それは一体?」
手に持っていた瓶と箱を見て彼は首を傾げる。
「わたしが作った傷薬と貼り薬。魔法を使ってないから、エルフの身体にもちゃんと効くと思う」
「あなたは薬師なのですか」
「違うよ、わたしは錬金術師…そういえば、まだお互い名乗ってすらいなかったね」
靴を脱いでベッドへ上がり、彼の背中が見える位置に座る。傷跡は真新しいものが多いのでほとんど跡は残らないだろう。
「わたしの名前はヘルシリカ、生まれはアキュリスで今年で18歳。錬金術師をしてて、好きなものは研究かな。嫌いなものはめんどくさいこと」
「ヘルシリカ様」
「お願いやめて。…ヘルとかシリカとかでいいよ」
「では、ヘルと」
「うん」
塗り薬が入ってた蓋を閉めて、貼り薬の入ってる蓋を開ける。この薬草が混じりあった奇っ怪な匂いは要改善だな。我ながらとても臭い…。
「私の名前はクロウリュス・ミスティエ・ハーティア。…長いのでクロウで良いですよ」
「もしかしなくてもそれ全部名前」
「はい、エルフの名前は長いので」
「よし分かった、クロウね!」
ごめん、覚えられる気がしない。クロウリュス…ミスト…なんだっけ、うん忘れた。
「見ての通りエルフ族で、北東にあるへブリッジの森から来ました。好きなものも嫌いなものも特にはないです」
「北東…、もしかして向こうの?」
「ええ、私の一族は空の民です」
空の民とは、「二世界併合」でこちら側とくっついたもう一つの世界に住んでいた者達を指す。由来としては、向こうの国では空暦○○年と暦を呼んでいたらしい。
逆にわたしのほうでは星暦で呼んでいたので星の民と呼ばれている。
星の民にもエルフ族は居るのだが、彼らは数が少なくほとんど存在場所も秘匿されているのだ。
「珍しいね、エルフがこんなところまで足を運んでるなんて。わたし、エルフは初めて見た」
「ええまぁ、普通は森から出てこないですからね。私の場合は姉にその、見聞を広めてこいと…」
「森から追い出されたと」
「お恥ずかしいことに…。あれには逆らえないのです。それでアキュリスまで来たのですが、途中で具合が悪くなってしまい、弱っていたところを捕まえられまして」
昔お師匠も言ってたな…、姉という生き物には逆らえないと。種族が違えど家族内のカースト上位はやはり女性なのだろう。具合が悪いうえに慣れない土地で奴隷狩りに遭うなんて、災難としか言えない。
貼り薬の上から包帯を巻き付けていく。これで動いても剥がれないだろう。
「よし、この傷なら数日くらいですぐ治ると思う。傷跡もそんなに残らないんじゃないかな」
「ありがとうございます」
「どういたしまして、じゃあわたしは徹夜明けで眠いので…寝る」
「…ヘル、2つ質問よろしいですか」
「なに?」
めんどくさいのでこのままベッドの上で寝ちゃおうかな、と体勢を崩したところでクロウが振り向いてわたしを真剣な顔で見つめる。
一気に気が抜けて疲れてきた。よく考えたらろくに飲まず食わずで3日徹夜作業をした後だった。そりゃ昼間から眠くもなるよね…腹の虫より眠気だ。
「隷属の魔法を掛けているのに、何も命令をしないのですか。私が寝てるあなたを襲う可能性とか…」
「それ言う時点でしないってことじゃん。…一応「わたしに悪意を持って触れないこと」「わたしに害のある魔法を掛けないこと」…これでいい?」
「そんな適当な…。まぁ、あなたがそれで良いなら」
「うん、いいよ。それでもうひとつの質問は?」
先程よりも真剣な顔つきになったクロウがじっと目を合わせてくる。
「ヘル、あなた最後に湯に浸かったはいつですか」
「…」
「寝る前に、今すぐ、身を綺麗にしてきなさい」
「いやでも、お湯張るのめんど…」
「お湯なら私がいくらでも入れてやるので洗う」
「眠い…」
「その服ひっぺがして湯にぶち込みますよ?」
「ちゃんと入らせていただきます」
敵を見るような目付きをする彼を目の前にして、さすがに3日間洗ってないとは言えなかった。
エルフは潔癖気味なのかもしれない。
クローゼットから着替えを取り出し、バスルームの扉を開けると、先に行って貰ったクロウと鉢合わせた。
「お湯の準備出来たので、もう入っていいですよ」
「え、もう出来たの?やば、さすがエルフ族」
「人間でもこれくらいは出来るでしょう?」
「いやー…、普通の人間はね。わたしは魔力量少ないから、これくらいの事でもすぐ疲れちゃうの」
そう言うとクロウはバツの悪そうな顔をしてしまった。いやそんな気にしなくても。生活に不便なだけで別に生きることに困ったりは無いしな…。
「すみません、…軽率でした」
「え?!いや全然いいよ、むしろ助かったのはこっちだし。お湯の準備してくれてありがとう」
「…はい」
では、ちゃんと100秒湯に浸かるんですよ。と母親みたいなセリフを言い残して部屋を出ようとしたクロウを引き止める。
「1時間経っても出てこなかったら、引き上げておいて」
「は?!」
「じゃあよろしく」
髪と身体を洗い、湯に浸かって暫く…誰かに呼ばれた気がして意識を浮上させる。
「ヘル!まさか湯に浸かったまま寝落ちしてませんよね?!」
そのまさかなんだけど。だって寝不足で暖かい湯に入ったらそんなの寝るしかないじゃないか。だから先に寝ようとしたのに…。
「あー…今出ます、起きました」
どっこいしょ、と勢い良く水面を揺らしてバスタブから立ち上がると、脱衣所の扉が勢い良く閉まる音が聞こえた。
部屋着にしてるグレーの地味なワンピースを着て、中々乾かない髪を適当にタオルで水気を取りながら脱衣所を出ると、そこは知らない部屋だった。
いや知ってるんだけど。
「…これは」
「あまりに酷かったので勝手に片付けました」
どこから取り出したのか、エプロンを身に付けたママ…じゃなかった、クロウが炊事場から顔を出す。
「あの状態を一瞬で…?!」
「魔法でひょいっと」
「ひょいっと…」
改めて部屋を見渡す。床に散らばっていた大量の本や紙、道具などは数箇所に纏められて積み上がっている。すごい、床ってこんな木目だったんだ…。
散らかったままの作業机の上は最後に見た状態のままだったので、触れないでおいてくれたのだろう。
「ありがとう神様、金貨500枚の価値はあった…」
「掃除魔法一つで高過ぎません?それよりも、髪乾いてないじゃないですか」
いつの間にわたしの傍まで来たクロウの手がわたしの髪にかざされると、ふわりと暖かい風が髪を包んでいく。少しして風が止むとこの通り、完璧に乾かされた髪が出来上がる。
「魔法って便利過ぎでは…?」
「大袈裟ですよ、ほら席について」
今度は促されるまま、本と紙に埋もれていたダイニングテーブルの傍に連れてかれた。
そこには小さく刻まれた野菜が浮かぶクリームスープと、少し焼き目のついたバゲットとカットされたミルクベリーが並んでいた。
「ママ…?」
「誰がママだ。…あ、いえ、ママじゃありません」
徹夜明けと聞いたのでお腹に優しいメニューにしました、そう言ってスプーンを手渡された。
ミルクとチーズ、香ばしいパンの香りにお腹が刺激され、ぐるぐると空腹を訴えてくる。熱々のクリームスープを掬い、少し冷ましてから口に運ぶ。
「…もう500枚払う?」
「…お口に合ったという意味だけ受け取ります」
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人物紹介
・ヘルシリカ
18歳、女
赤髪、灰瞳
世界中でも数少ない錬金術師であるが、根っからの研究者気質で生活力と出世欲が皆無。没頭すると衣食住全てを忘れるため、不健康の塊。
めんどくさがり屋だけど情に厚い。