オリハルコン少女と黄金の焔(side:ヴィルジニー・アングリクス)
気が付くとおれは、再び真っ暗闇に立っていた。
恐らく此処は……生死の狭間ではなく、おれの精神世界。
いや、おれじゃないか。と、おれは虚空を見詰める。
燃える焔が、一頭の巨龍の姿を取った。
「……デュランダル」
おれの身は今も、焔で焼かれている。その熱さ、痛み、全てを感じることが出来る。
だから恐らくは、これは……おれへの問い。
そう思い、おれは無意識にその名を呼ぶ。
『……何者か』
何処かから響く声。雷鳴のように轟き、響いてくる場所は分からない。
「おれはゼノ。第七皇子ゼノ」
『我は既に契約を交わせし剣。何人も、それを変えることは出来ぬ』
響く声は、静かにそう言った。
いや、当然の事ではある。基本的に、第一世代神器の使い手はただ一人。
現代のデュランダルの使い手はおれの父シグルドであり、おれではない。ゲームでも、おれが持つことは出来ない。それは、どうにかして父を殺したとしてもだ。デュランダルは決して彼以外を認めない。
……だが。
「力を貸してくれ、デュランダル。
おれを認めなくとも構わない。おれは、認めるには不満があるような男かもしれない。けれど、けれども!」
身を焼く熱さに顔をしかめながら、おれは叫ぶ。
『……何故に』
「おれの為に!目の前の死に恐怖しながらも屈しない勇気に!
命を懸けておれを守ろうとした優しさに!
アステール・セーマ・ガラクシアースという少女に!報いるために!
そしてっ!」
心の限り、喉を焼く焔を払わず、寧ろ巻き込むように、ただ、叫ぶ。
「偽りの言葉、偽りの思い。そんな虚飾にまみれたあの剣に、負けないために!
今この時だけでいい!この身が燃えても……」
一瞬の迷い。
おれの瞳の奥に映るのは、あの日の焔。父が放ち、今もおれの顔に残る火傷痕となった焔。妹を、兄を、父を……おれ以外の全てを焔の中に巻き込んで奪い去った、真っ暗闇に灯るジェット燃料の焔。
すくむ足を、閉じようとする目を、震える手を自覚して。
それでも、と竜に手を伸ばす。
「構わない!どんな代価でも良い!
おれに!自分では何も出来ないこの身に!力を!約束を、果たす……その炎を!貸してくれぇぇっ!!」
燃える赤龍の瞳は静かに、おれを見下ろす。
『ならば応えよ!我が名は!』
刹那、脳裏に浮かぶ一つの言葉。帝国を切り開いた帝祖皇帝の名。
「『ゲルハルト・ローランド』!」
「良く言った!遠き時を……世界すらも隔てた我が子よ!」
精神世界に佇む赤龍が、デュランダルと一体となって今も帝国を見守る誰よりも民を守ろうとした原初の皇帝が吠える。
おれの目指す皇族の姿。民の最強の剣であり盾という、おれが在るべき理想像を産み出した彼の姿が、焔と化した龍の心臓部に一瞬だけ見えた気がして。
『心を、魂を燃やせ!
その黄金に輝く焔の精神が!我が剣の不滅不敗の刃となる!
我は不滅の剣!己は猛き轟火!未知の名を持つ我が子よ!誇りを抱け!
帝国の魂は!お前と共に在る!』
応えよ。
「『不滅不敗ッ!』」
「轟火の剣!?
だがそれが!どうしたぁぁぁぁぁっ!」
屋上で響く叫び。
「風っ!王っ!剣っ!
エクスぅっ!S・カリバァァァァァァァァァッ!」
落雷が落ちたような轟音。
吹き荒れる嵐がシュヴァリエ邸の屋上を襲う。
屋根が……その下の3階を含めて崩落し、構築していた石壁や天井が、細かな砂にまでバラバラにされて中庭に降り注ぐ。
その砂の雨を浴びながら、グラデーションブロンドの少女は、終わった……と思っていた。
「わたくしが、最初から……」
ぽつり、言葉が漏れる。
嫌だった。自分の意志が無意味なことが。自分の恋は、人生は、自分で決めたかった。
だから、あのうざったい忌み子を巻き込んだ。ヴィルジニーには出来ないことをやってのける癖に、その上でおれなんてと忌み子だからと自分を下げるあの火傷痕の皇子を。
バカにしてるのかと思う。当人にそんな気が無いのなんて分かっていた。忌み子として、魔法が使えないという欠点を重く受け止めているだけだと。
けれども自分なんてと困ったように笑われる度に、それに勝てない自分が蔑まれている気がして。
嫌がらせで、彼を望まない婚約を潰す役として引き込んだ。
ただ、変な噂を立てられて困る彼を見たかった、それだけの理由しか、ヴィルジニーには無かった。
けれども、彼は異次元の怪物に立ち向かい、そして……
「諦めていれば、良かった……」
「そんなことはない」
有り得ない声がした。
「「「「うげっ!」」」」
ヴィルジニー達を囲む兵士が、熱い風に撫でられて地面に倒れ伏す。
「……ゼノ、なのか……?」
呆然と、焔の赤髪の少年が呟く。
其処に、燃え盛る怪物が居た。
バチバチと弾ける油の音。体の各所からゆらりと立ち上る黒煙。肉体が直火で焼かれているのは明らか。
それを意にも介さず、大きな荷物を抱えた一つ上の少年が立っていた。
「枢機卿猊下。
アステールの事を、お願いします」
二本の尻尾……いや、1.5本の尻尾の狐娘。
眼を閉じた彼女を父に預け、化け物はヴィルジニーに向けて……火傷痕でひきつった、心を苛つかせる何時もの皇子の笑みを浮かべる。
その顔は、普段より少し野性味が強く。頭の上には角なのか耳なのか、明らかに髪ではない銀の突起があり、潰れた左目には、黄金の焔が燃える。
流れた血の痕から炎を吹き出し、尖った犬歯を見せ……
「皇子っ!」
「大丈夫だヴィルジニー。
全部、終わらせるから」
その右手に、著名な剛剣が現れる。
帝国の剣、轟火の剣、最強の神器、不滅の剣
幾多の名を持つ伝説の剣、デュランダルが。
「……ごめんな、クロエ嬢。君の自慢の兄を、自慢できないようにしてしまう」
「やっちゃえ!」
折角初等部に入れたのに兄ばっかと不満を時折溢していた友人に応援されて、少年は苦笑し。
「デュランダル。行くぞ」
全身が燃え、服はほぼ燃え尽き、炎の帯を翼のように残光として残し、その化け物は跳躍した。
「っおおおおおおおおおおっ!」
蒼い剣を携え、抉れた屋上から飛び降りながら、金髪の少年が叫ぶ。
「死ねやぁぁぁぁぁっ!」
空中で、蒼い光と赤い焔が激突した。
打ち合わされたのはほんの一瞬。
「効かねぇんだよぉぉぉぉっ!」
ユーゴの叫びと共に、蒼い光が輝きを増し。
赤金の剣が、そのまま横薙ぎに振りきられ、蒼剣の少年が吹き飛ばされた。
だが、蒼水晶が剣が纏う焔を防ぎ、吹き飛ばされた先にある壁への衝突からも少年を守る。
「……何で折れない」
「折れる訳がない。轟火の剣デュランダルは……不滅の神器だ」
「ちっ!そういや耐久無限だったなソイツ!」
クソがぁっ!と少年が悪態をつく。
「おい!やっちまえ!
人質とかもうどうでも良い!殺せ!」
業を煮やし、ユーゴは叫ぶ。
しかし……
「「あ、あの姿は……あの剣は!」」
兵は動かない。
その気持ちは、ヴィルジニーにも痛いほど分かる。新年のパレード、皇族のアレを見た者ならば、誰しもそうだろう。
「「こ、皇帝陛下……」」
そんな声が、武器を捨てた兵達の間から漏れる。
彼は耳なのか角なのかなんて生やさなかった。犬歯が延びたりもしていなかった。
だがしかし、片手に巨剣デュランダルを、幼い少年の背丈を越える轟剣を携え、燃え盛る炎を身に纏った銀髪は……
帝国最強の剣であるシグルドそのもの。時折おかしな事が起こり、魔神復活の予言がなされ、不安になりがちな帝国の民に、でも大丈夫という確信と安心を与える、帝国皇帝と瓜二つ。
あれに攻撃なんて、出来るはずがない。脳裏に焼き付いたパレードでのクライマックス、皇帝シグルドの姿が思い出され、手が震える。
無理だと、勝てないと。だからこそ、彼が居る限り魔神でも何でもきっと大丈夫だという威圧感と説得力を持つ皇帝の姿。それを小型化したような今の第七皇子に、勝てる気なんて起きない。
……冷静に考えれば、魔法は効くはずだ。忌み子なのは変わらないのだから。
けれども、そんな理屈を捩じ伏せるような威圧感に、魔法を唱える手がすくむのは避けられない。
「無能どもがぁぁぁぁっ!」
叫び、最早仲間の居ない少年は何故か空中で静止している銀髪の少年へと突貫する。
ヴィルジニーには分からない。どうやって空中で止まっているのだろう。魔法が使えたら、魔法だと分かるのだけれども。
二度、打ち合わされる刃。
両手で握られた蒼き細身の剣も、幅広の両手剣も、両方とも少年の体には不釣り合いに大きく。
やはり、押し切るのは赤金の剣。今度は振り下ろす剣によって、金髪の少年は大地へと……イデアの花の花壇の上へと叩きつけられる。
その五体着地も水晶に保護され、地面に降りてくる燃える少年を睨んで、ユーゴは吠える。
「何だよお前!?何なんだよお前ぇっ!」
「何度も名乗ったはずだ。
おれはゼノ。民を守る剣、第七皇子ゼノだ!」
その声に怯んだように、少年は後退る。
「ならばぁっ!」
そして、金髪の少年は胸の前に蒼水晶の剣を掲げた。
その刀身がほどけ、蒼い風が渦を巻き始める。
「てめぇは無事でも、他はどうかな?」
「……」
無造作に近づき、横薙ぎに振るわれる剣
しかし、今も燃える少年の剣は、蒼い水晶の壁に阻まれ届かない。
「無駄無駄無駄っ!結局どんだけ強くても、シルフィード・フィールドは!精霊晶壁は破れないっ!
ならば……最後に勝負に勝つのは!このユーゴなんだよぉぉぉっ!」
金髪の少年は勝ち誇った笑みで、激しく渦を巻く剣を大上段に振り上げる。
「ヴィルジニーちゃん」
恐らく、放たれるのは砂の雨を降らせたあの一撃。
それを感じて、思わずヴィルジニーは眼を閉じた。
赤髪の少年が、そんなヴィルジニーを庇うように前に出る。
けれども。それで防げるようなものではきっとない。即座に、盾になった少年エッケハルトごと、ヴィルジニーの体はバラバラの粉になるだろう。
恐怖に耐えるように、身を守るように体を抱いて縮め……
しかし、風が吹き荒れることは無かった。
「奥義」
ドゴン!という鈍い音とともに、銀の少年はその右手の剣を障壁に叩き付ける。
その身に纏う焔が剣を通して障壁に移り……少年を虚空に障壁ごと縫い止める。
「うぐっ!がぁぁぁぁぁぁっ!」
二度、吹き出す焔。
全身を焼く焔が、銀の少年の身を焦がす。強く剣の柄を握りこんだ拳の皮膚がドロドロに溶け、ぷらぷらと揺れる左手が肉を焼きすぎて炭にしたような異臭を放つ煙を吹き、流れる血すらも焔となって。
「似絶星灰刃」
その焔が黄金に染まる。少年の左目と同じ、金の焔。
下から大きく振り上げられた黄金の焔そのものと化した剣が、振り下ろした嵐と激突した。
「止められるか、よぉぉぉっ!」
嵐と龍焔の接点に生じる蒼い水晶壁。
今まで全てを受け止め、無力化してきたそれが……
「だから、効かねぇっていっ……」
ひび割れる。
「え?」
呆けた声が、空に空しく響く。
「激!龍!衝っ!」
そうして、黄金の焔が蒼い晶壁を砕き……蒼剣を焔に包み込んだ。
「うがぁぁぁぁぁおおぉぁあぁぁっ!」
言葉にならない悲鳴。
ユーゴは火に包まれた剣を手放し、必死に両手に燃え移った黄金の火を消そうと花壇を転げ回る
その間にも、黄金の火柱は天を焦がして吹き上がり……
火が消えたとき、蒼剣の刀身は何処にも無かった。
「あ……」
ピキリ、と黄金色の剣の柄にヒビが入る。
そして、残された柄も砕け散り、花壇にばら撒かれた。
「……終わりだ」
表情の抜け落ちた少年に向けて向けてデュランダルを突き付け、金焔の皇子は言おうとして……
「ユーゴ・シュヴ……」
ふっ、と炎が消える。
デロデロになって溶接された指の間から、轟火の剣の柄が抜け落ち、ぐらりとその体が傾ぐ。
「ゼノ!」
「第七皇子!」
まるで水をかけられた脆い紙細工のように。全身各所が黒くなった人型はくしゃりと崩れていって。
「……全く、無理をする」
ひょいとその体を抱えあげるように、銀の髪の男が姿を現した。
「だが、良く己が来るまで持たせた、馬鹿息子」




