結婚、或いは支援システム
像を結ぶや、少女は手にしていたノートを見せる。
即ち、大丈夫ですか?と。
風呂場なので、書けるものは何もない。そして、水鏡は残念ながら映像は送れても、言葉は送れない。
おれは大丈夫だよと口を動かしても、少女には伝わらない。読唇術とか使えれば良いのだが、あの子には無理だ。
そんなおれの横から、ひょいっと鮮やかな金髪の少女が水鏡に顔を覗かせる。
蒼い綺麗なアナの瞳が、真ん丸に見開かれた。
「おーじさま、どーしたの?」
「アステールちゃん、ちょっと話がしたいんだけど、声が伝わらない魔法を使ってるんだ。
どうにかならないかな」
此方が慌ててもしょうがない。少なくとも、アナに伝えられるようにする事を、おれは選ぶ。
「おー、たいへんだねー」
のんびりと狐の尻尾を揺らし、大変そうでもなく少女が呟く。
その間に、魔法で水面に映し出された鏡の先の少女はせっせとノートに文字を……
あ、急ぎすぎたのかペンが折れたな。
……此方も焦るべきかもしれないし、状況はなかなかにアレだが……
魔法が使えないおれはただ事態が動くことを待つしかない。
『皇子さま!?
誰にゃんですかそりぇ!?』
……綴りが間違ってる。しっかりしてくれアナ。
「ちょーっとまってねぇ」
と、少女が立ち上がる。
当然のように、濁り湯はそのなだらかな曲線を描く体を滑り落ち、アナほど白くない……いやむしろ濃いめの肌色の肌が晒される。
見るわけにはいかないので逆を向く……とアナからも目を逸らすことになるので、ちょっと待ってくれ!という意思を込めて、おれはじっと水面の先の銀髪の少女を見つめた。
『何があったんですか』
『怪我とかないですか』
『大丈夫ですか』
乱雑に書いては見せられる文章の羅列。
何時もは几帳面で綺麗な字をしている(ちなみにアルヴィナの字はボクが読めれば良いとかなり汚い)アナにしては珍しい乱れた字。
大丈夫ですかに対して頷く以外何も対応できなくて、それでも少女と身振り手振りで話をしていると……
「おまたせー」
ふわりとしたローブを纏って、狐の少女が戻ってくる。
その手には、ノート……ではなく、一冊の魔法書があって。
「はい、これで声がとおるよー?」
「……本当か」
「『お、皇子さま!?』」
と、水面近くに不意に現れた火の玉から、幼馴染の少女の声がした。
「アナ!聞こえるか!」
「『はい、聞こえます!良かった……』」
感極まった少女の瞳に涙が見える。
「ごめん、心配かけた」
「『アルヴィナちゃんが急に皇子さまが大変って言うから、本当に心配したんですよ……?』」
蒼い瞳の涙を拭って、短い銀の髪を揺らす。
そんな少女の発言に、おれは……
「良く分かったなアルヴィナ……」
と、違うところに注目していた。
「『そ、それもそうですよね……
アルヴィナちゃんも付いていってはいないのに、なんで分かったんでしょう……』」
「おー?
おーじさま、その右耳の、じかくなかったのー?」
「……右耳?」
「変なまほー、かかってるよねー?」
「え?」
思わず動く右手で、耳朶に触れる。
少し尖り気味のアルヴィナの八重歯。少女のそれに甘噛みされた際の傷とも言えない傷は、何故か今もうっすらと残っていて……
ああ、と納得する。聖夜に噛まれたときに付けられていたのか、と。
「追跡魔法でも掛けてたっぽいな」
おれはそう苦笑する。
「わるい人だねー」
「『皇子さま、大丈夫ですか?』」
「心配いらないよアナ。こんな魔法掛けるのはアルヴィナと……アイリスくらい。
でもアイリスはこういう形じゃなくて、服飾品で渡してくるよ」
聖夜のプレゼントに不満げな表情を見せた妹からこれと渡された猫っぽい顔の意匠のブローチを思い出して、そう呟く。
もしかしたら壊れるかもしれないからと置いてきたが、アイリスはどう思っていたのだろう。
「おーじさまは、ふしぎだねー?」
「『え?皇子さま、何も思わないんですか?』」
4つの眼が揺れる。
鮮やかな蒼の眼の少女と、翠と赤の左右で違う色の瞳を持つ少女に変なものを見る眼で見詰められ、おれはそうか?と首を傾げた。
「アルヴィナが不安がってるのは知ってたよ。一人を怖がってることも。
だからさ、魔法自体は良いんだ、別に」
「『……良いんですか?』」
「良いよ。それでアルヴィナの不安が晴れるなら幾らでも魔法なんて使ってくれて良い。
ただ、教えておいて欲しかった気持ちはあるよ。こうして、他人に言われたときに面倒だし」
実際、検査とかで見つかってたら騒ぎになるよな、と苦笑する。
「『というか皇子さま!そこの女の子誰ですか!?』」
と、漸く最初の衝撃が戻ってきたらしい。
「ステラはねー?ステラだよー?」
「『え……誰ですか!?』」
状況に付いていけず、銀の髪の少女は目を白黒させる。
「おーじさまの、お嫁さんー?」
「認めたつもりはないんだが!?」
間違えた。おれも付いていけず二人で目を白黒させた。
「『そう……ですか……』」
目線を伏せ、銀の少女の顔が見えなくなる。
「『分かってました……わたしなんて……皇子さまなんだから、許嫁くらい居るって……』」
鈴のような声も元気なく、聞き取りにくい声で少女は呟いて。
「『でも……って。
でも……一緒にお風呂なくらいに仲が良くて……』」
「誤解だ、アナ。
おれが血を被ったから、風呂に放り込まれただけだ」
服を着て風呂に入るのは変態だろ、とおれは濡れて貼り付いた服の袖を振ってみせる。
「『……
あれ?』」
かばっと、少女が顔を上げる。
「『皇子さま、その子……わたしたちのお家に来た女の子と……』」
「ニコレットは無関係だよ」
「おーじさま、もう他にお嫁さんいるのー?」
「いや、知らなかったのかよ!?」
思わずツッコミを入れかける。
結婚しようなんて変なことを言ってくる辺り、ニコレットと話を付けてたのかと。
「ステラのおーじさまが、急に現れたからー
これはもう運命だよねぇ……」
「違うと思う」
「『きっと違います』」
総ツッコミが、狐耳の少女を襲った。
「『皇子さま、結婚って、複数出来るんですか?』」
「アナ。おれの父さんの妻は……二人亡くなってるから四人か、今。
あとは……おれの曾祖母は、三人の幼馴染と結婚してたらしいし、そこは本人の度量と天次第」
「七大天様にほーこくしてー、認めてもらえるかだよねぇ……
おーじさま、おーじさまは何処が良いー?」
「何処も何もない。おれは誰とも、結婚しないよ」
アステールの言葉を否定して、おれはそこだけは何とかしないとな……と考える。
結婚、或いは婚約とはそれだけの存在だ。
絆を、愛を七大天に誓い、天からの祝福を得る事で証とする。妾と妻の違いはその儀式を行ったか否かであり、儀式をもって法的に夫婦とされる。
余談だが、時折七大天の祝福を得られない夫婦がおり、その場合は法的には夫婦として扱われない。それが何の影響を出すかというと……
浮気だ何だの話になった時、どれだけ対外的に夫婦と思われてても、儀式をして天に認められてなければ姦通罪は適応されない。謂わば拘束力のない口約束扱いされるわけだな。
……大体の場合、そうした儀式を行わないということは、どちらかに天から愛の祝福を受けられない何らかの後ろめたい事情があるということなのでこうなる。
つまり、面倒だから法に訴えるなら結婚してから言え、という話。
ゲーム的に話をすると、親しい相手が近くに居るとレベルに応じてステータス補正がかかる絆支援システムに関連する力となる。
絆支援レベルはゲーム開始時点で兄妹等で縁があると初期からレベルがあったりするが基本は無しから始まり、C、B、Aと高くなっていく。そして、レベルが上がる毎に二人の間のミニストーリーが見れるという感じ。Aで親友とかそのレベルの扱いだ。因みに、設定上は人々を見守る神々がレベルを認定しているらしい。
そして、その先にある互いに命を張るようなランクの絆を表すのがA+、或いはS。
SとはSanctityの頭文字で、神々に祝福されたという意味を表す特例記号。内部的にはA+もSも同じ最大効果量であり、神々に認められた結婚相手だけが支援S表記になる。
神々に認められていれば良いので、まあ行けるだろうと思われていれば複数と結婚する誓いを立てても七大天の祝福は得られる(=複数人と支援Sにもなれる)し、止めとけとなるなら一途同士でも結婚は認められない(=男女間でどれだけ仲が良くても支援A+表記)。ゲーム内では支援レベルを10回までしか上げられないが、あれはゲームバランスの都合。この世界では……その制限は無さそうだ。
……一組だけ女同士で支援Sが居るんだがあれは例外だ、天は同性愛を禁じてはいないとして置いておこう。
そして……ゲームでのおれの支援表記は、実は最大値に行ける相手でも全員A+なのだ。
そして最大値に行くのは三人とも女の子。このハーレム野郎が!……まあおれなんだが。
ゲームでのゼノはもう一人の聖女編の攻略対象な訳だが、その乙女ゲー主人公相手にすら支援Sが無い。ルートに入ると絆支援レベルが強制的に最大値に行くが、それでも最後まで表記は主人公カップル唯一のA+。仮にも主人公とヒーローなのにだ。
まあ、ゼノルートは救済ルートなので、他のルートと違って絆支援Aという前提が無くてもルートに入れ、支援を付けてなくてもイベント無しに突然A+になる特例なんで他とは違うのかもしれないが。
その関係で誰かのルートに入るまで支援レベルが6回しか上げられず、特定の二人と支援Aが前提のルートに入る場合等他に何も支援を付けられなかったりかなり面倒で、その辺りはゲーム時も評判良くなかったな。
閑話休題。
結婚しようとする年齢まで生きてた忌み子が居ないし、ニコレットとは結婚する気が最初から互いになかったが故に口約束しかしてないから世間には知られていないようだが……
おれは結婚しないし出来ない。
「って、そんな話をしている時間じゃないな。
アナ、一つ頼まれてくれないか」
「『はい!皇子さまの為なら頑張ります!』」
「……探し物を見つけた。アイリスに、それだけ父に伝言するように頼んでくれ」