親孝行、或いはサクラ色の決心
「……ねぇ、獅童君」
そう、手を握られたのは今日は頼むと後のことをアイリスを通して頼勇に丸投げさせて貰って、黒髪の少年を休ませていた夜中の事であった。
窓から入る月光の下に照らされた紫色の瞳は潤み、こちらに何かを訴えているようにも見える。
「どうした?」
「……親孝行って、何したら良いんだろう」
言われ、おれは呆けた。
「なぁ桜理、それをおれに聞くのか?」
「聞くよ?」
ベッドに横になりながらきょとんとした顔を見せる桜理。やや青ざめていた頬には朱が差しており、大分体調……というか心境はマシになったのだろう。いやまあ、急に『お前の死すら凌辱するつもりの奴が動いている』って宣言されたらそれはもう、慣れてないと怖くて仕方ないだろう。
まあ、おれはどうでも良いと流せるが……
「聞いてどうするんだよ本当に。
おれなんて、親不孝しかしたことが無いぞ?」
そう、そうなんだよな。妹の代わりに生き残って、果たすべきものを果たせず死んで、忌むべき産まれで、忌むべき生存者で……
「出来たことがない孝行なんて、まだ君の方が余程知ってると思うんだ。
おれに聞く時点で相当疲れて思考が可笑しくなっている。ゆっくり寝てくれ」
「……いやいや、僕を助けようとしたり頑張ってたよね獅童君って?
獅童君が生き残った飛行機事故で家族が亡くなってたのは知ってるけど……せめて孝行しようとしてた、よね?」
こてん、と枕に預けられた頭を揺らして尋ねられる。彼が狙われる理由である桜色の一房の髪が額から溢れた。
……駄目だな。昔から出てきた反論が、ぱっと今は出てこない。
この身は……この先の言葉はおれの中に、受けて来た何でお前だけって今も耳の奥に響く悲痛な魂の叫びの中に、無数にある筈なのに。
何処までも信じてくる鈴のような声が、ただ見守る静かな湖面のような瞳が、約束を見守る満月のような闇が、迷いを質す紅玉の視線が……そして何もかも諦めているのにそれでも動かざるを得ない固く閉じられた翼が、影に、背に、おれに託された多数の何かが、それを塞いでいる。伸ばさざるを得ない手に重ねられた機械の、獣の、烏の……幾多のソレが、代わりの言葉を脳の奥底から引き上げてくる。
「……かも、な」
「うん、そうだよ」
「何をおれが諭されてるんだって話だが……
手すらおれなんてと思って伸ばせなきゃ、君に届かない。勿論、シュリにも」
「う、そこは僕だけで止めてくれた方が嬉しかったっていうか……
他の女の子の名前まで出すと女の子から嫌われるよ?獅童君の側に居る子なんてほぼ全員それでも良いって覚悟決まってるから分かんないと思うけど」
小さく頬を膨らませて、少年は告げた。
「……僕だって、そうだし。
って何でもない、聞こえてると思うけど今は何でもないから」
なんて、気にしてそうにしながら。
とはいえ、何を答えて良いのか分からなくて、熱い手を握ったまま話を待つ。
「それで、獅童君的には何かある?
うん、自分が出来てなくたって良いから、孝行するなら……っていうの」
言われ、軽く脳裏を攫ってみる。が、何とも言えないな。
「良く聞くのは孫の顔を見せてやる……なんだが、これは無いな」
そもそもだ、現世のサクラは女性だが、そもそもの人格が男らしくって話だしな。そういう話……特に子供についてはトラウマ抱えてるだろう。
なんて、余計な事言ったと反省する。
だけれども。その筈なのに。
握った手が弱々しく握り返される。月光に照らされた顔が、儚く消えてしまいそうな微笑みが、やけに妖しく見えてくる。
「孫の顔……うん、そうだね。
生きた証、繋ぐもの……」
「サクラ?」
「でも、ほぼ1年だよね……」
「どうした、サクラ?」
「う、ううん。何でもない。流石に勇気ないし……」
握った手が離れていって。思わずその手を握り返す。
「獅童、君……?それじゃ、勘違いされる……よ?」
起き上がり、おれを見つめるアメジストのような瞳に妙に気恥ずかしくなっておれは目線を逸らした。
隻眼だから、誤魔化しやすくて助かった。
「……勘違いって何だよ、桜理」
少女らしさを出そうとしていたから変えていた呼び方を戻す。これ以上あの呼び方は危険な気がしてならなかった。
「……あはは、此処で縋ったら地雷系って呼ばれちゃうよ、僕」
「地雷系ってなんだ。それに、縋ったのはおれの方だろう。
手を伸ばすことを辞めたら、消えてしまう気がした」
同じ感想を抱いたことがある。あれは……そう、何処か全てを諦めて空虚に信じておるよと微笑むシュリの気配だ。
「僕に縋っても何も無いし、獅童君は僕が縋る相手だし……」
「あるだろ、桜理」
「……AGX15、ALT-INES。僕が使い、死ぬ事を求められている鋼の皇帝、最強のAGX」
「違う。そうじゃない。使わなくて良い。
下門みたいに、或いは竜胆のように真に扱えるようになればって少し思ったことはあった」
苦々しく告げる。
「それも今日までだ。桜理、絶対に使おうなんて思うな、あんなもの存在ごと忘れてしまえ。
好き勝手扱って、殆どを零れ落ちさせて。それでも辿り着いた竜胆みたいな状況になんてなれない。君がどれだけ正しく使えたとしても、必ずあいつらは君を殺しに来る。
竜胆が見逃されてるのは一人で逃げ回ってる時期が長いから捕捉しにくいのと……消しても、それで目的が達成されるわけじゃないから。でも君は違う」
縋るように、目線を下げて言葉を絞り出す。奥歯を噛まなければ、自分の舌を噛みに行きそうになる。
「親孝行、したいんだろう。
幸せに生きろ、あんな悍ましい神に狙われる最強の力なんて捨ててしまえ。今度ほんの少しでも何かを使えば、きっと奴等は動く。サクラ・オーリリアを殺すことが己達の勝利条件になった、と」
消える訳がないのに、そこに居るのに、どうしても不安で、言葉が溢れる。
「……おれの前から、もう、消えないでくれ」
あの日、きっとおれはそう誓ったから。
譫言のように、そう呟く。
「ミュルクヴィズ先生じゃないんだし、消える方法なんて無いよ」
困ったように、少女は眉を下げる。
「……獅童君、急にそんな事言って、どうかしたの?」
「おれの願いなんてきっと昔からこれしか無かったから、つい」
……ああ、覚えている。おれに言った記憶なんて無いというか実際今のおれは言ってないからあったら可笑しいんだが、確かにこの魂に刻んである。
『君を独りにしないから、おれを一人にしないでくれ』
あの日あの時、今のおれが始水と出逢ったあの場所で。大好きな者達が産まれ死んでいくこの世界を、だからこそ護るために一人きりで門番していたかの神に、おれはそう願い、誓った。
だから……だろう。その願いが、弱さが、止めきれない。
「……うん。僕は大丈夫だよ。
夢はあるし、叶えたい。ほら、今の僕と会ったのだって、目が悪くなったお母さんの為だったんだよ?だから信じて」
「……だな。
じゃあ、他の親孝行について考えるか。ちゃんと孝行してると言ってきそうなのは竪神やノア姫なんだが、あれは単純に親子揃って立派ってだけだからな」
「参考にならないね」
やや笑顔を戻してくれた少女の横顔を見ながら、おれは嫌なものから目を背けるように語り続けた。
漸く和らいだ……畏れを抱かせる血色の隻眼を前に、内心で僕は人心地ついた。
うん、ズルいよね、獅童君は。 あんな事言って、ずっとあんな眼で見てきておいて。自分は誰よりも真っ先に消えてしまいそうな状況を、何よりも善しとして走り続ける。
だから、うん。ゴメンね、獅童君。私は嘘つきなんだ。
本当に、親不孝でごめんなさい。せめて、出来る孝行はするから。遺せるものは、遺すから。
お母さんにとっての孫……は相手が獅童君でもさすがにちょっと怖いけど。
アルトアイネス、待っていて。きっと君に獅童君を、リリーナさんを……世界を救ってもらうから。
僕を通して君を破壊の神にさせない為に。何よりも僕にとって救いだった私を、僕の中のサクラ・オーリリアを殺すまで。




