夜空、或いは不可視
「……ふぅ」
背に感じる少し硬い毛並みの感触。丸まったアウィルに背を預け、おれは寮の屋上から空を見上げた。万が一の事態に戦いやすいよう、しっかりと整備された屋上には、随所に魔法書や矢が纏め置かれている。本来は必要ないものだ、此処にそれだけの資材を予め置かなければならない現状が如何に警戒されているか良く分かる。
が、どれだけ役に立つものかはまた別だが。鋼の巨神……或いは本気を見たことはないが三首六眼の龍神相手にはこんなもの欠片の傷すら通らないだろう。逃げたほうがマシだ。
という点ではなぁ……と、天を仰げばほぼ暮れた夜に近い色の空にある程度溶け込むように悠々と舞う龍の姿が眼に映る。翼をはためかせ、気楽に飛ぶあいつは……おれが贈ったものだ。ゲーム的にはバランスの為か駄目な竜騎聖女……なんだが、異なる世界から持ち込まれる諸々相手には何とも心許ない。魔神族しか敵が居ないなら本気で逃げに徹した龍を落とせるのはナラシンハにウォルテール、カラドリウスに魔神王テネーブルと要警戒対象の幹部と王くらいなんだが……
なんて、愚痴っていてもしょうがないなと思った所で、自分の前脚に顔を埋めていた天狼がピン、と耳を立てた。
「アウィル?」
「……相変わらずな顔。最近どれくらい寝てるのよアナタ」
と、扉を開ける音と共に響く声。ってか開ける前からもう愚痴が溢れているんだが……そんなに悪いだろうか。
「ノア先生」
「ノア姫で良いわよ今は。全く、この国の皇族全体的に頭可笑しくないかしら?これでもワタシ、部外者かつエルフ種なのだけど」
呆れたような、けれども柔らかな声音と共に此方に歩いてくるのは……うん、似合わない。
なんて無礼な感想も出てしまうが、妙に着飾ったドレスのエルフの媛であった。服の随所にレースが配置され、更に宝石があしらわれた白ドレス。何重にか重ねられたレースから高いことは良く分かる、王都でも有名なブランド物だ。だからこそ、メイド服すら飾りすぎねと言うほどに飾り気の少ないものを好むエルフとはミスマッチで……
「何なんだその服」
「アナタの父親に言ってくれる?これ着て連れ回すって本当に、家族か何かの扱いなのかしらね」
……正直、父さんのその言葉に逆らえる立場なのに従ってる時点で、嫌まではいかないのだろう。
「年長者として意見を聞いてきた友人に二度と会えなくなって、父さん自身内心ではその空白を何かで誤魔化したいんだと思う」
「それは分かるわよ。だから、此処までワタシを連れてきたアナタに言うだけで済ませてるの。後、質問から逃げない事。
言わなきゃ教員としての権限振りかざして保健室に放り込んであげるわ」
「一刻近くは寝てるよ」
「仮眠か何かかしら?焦り過ぎ」
言いつつ、少女姿の年長者ははい、と何かを渡してくる。それは蓋の出来るカップに入れられた、綺麗に切り揃えられ何かをまぶされた野菜スティックの束であった。
「道が見えず焦ることはあるわ。ワタシにもね。
そういう時はね、一度本当に目の前に正解の道がなきゃ可笑しいのか立ち返ることよ。ハナっから間違えた方向に進んだ先に道が無いなんて当たり前だもの。
その昔、ワタシが無い道を押し通そうとした際にはアナタが馬鹿馬鹿しく道を作った。でもね、何時でもそうじゃない。せめて食べるものは食べ、時には寝なさい。
正しく進むためにも、あの娘達を泣かせないためにも。良い?」
「勿論」
と、少女の紅玉のような瞳を見返して頷く。でもまあ、だからって休めるかはまた別……いや、じとっとした眼に変わったしちゃんと休むか。いざという時に倒れてるのも馬鹿らしいしな。
が、ふと気が付く。
アウィルが耳をぐりぐりと動かして何かを探っているままだ。てっきりノア姫のほとんど聞こえないくらいの足音に反応したのかと思っていたが違うのか?
「アウィル?」
『ルルゥ!』
「……ああ、今のアナタには見えないのね。ちょっと意外だけれども」
と、納得したようなノア姫の視線はおれ……から少し離れた虚空に向いていた。
「何か居るのか?」
「……いえ、二人で見てたのかと思っていたのだけれど、本当に見えていないようね。声も……かしら?」
言われ、おれは首を傾げる。何も見えない、アルビオンパーツにも反応がない。アウィルは何かを感じていて、ノア姫には姿が見えていて……?
「聖域の魔法か?」
「流石にならば言っているわよ」
と、肩を竦めるエルフの媛。長い特徴的な耳が、微かに困ったように垂れる。
「『分かってもらえないなんて初のことで悲しいねぇ……』だ、そうよ」
その余り似せる気のない言い方で、それでも語尾の伸ばし方だけで良く分かった。
「……アステール?」




