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来訪、或いは一人ぼっちの少女

「……御免、待たせた」

 奴隷を買うや、手続きを父に頼んで街を駆ける。

 あまり帰ることは無い、王城外れ、城壁の外に突き出した隔離区画。


 ここ4ヶ月ほぼ寄り付かなかった其処に足を踏み入れる。って、自室に帰るだけなんだが。

 自室と言っても、ベッドはもうない。しっかり洗われて、メイドのものになっている……ってちょっとおかしくないか?幾ら寮生活とはいえ、寮から戻ってくることを考えられてない気がするんだが。


 まあ、おれだから何処でも寝られるし良いのだけれども、おれ以外の人のメイドやれるのかプリシラ……と不安にもなる。

 

 そんな区画。アナと出会い、座らせて話を聞いた、新年だからか青々と繁る(新年と聞くと日本人の感覚では冬といった感じだが、この世界での新年とは人の月の初め。七大天で焔嘗める道化の月だ。寧ろそこそこ温暖な時期である)大木の下に置かれた昼時をくつろいで過ごす為の椅子の上。

 そよ風の吹く夕焼けの中で、少女は魔法で明かりを灯し、一人本を読んでいた。

 

 題名は、聖女のティリス史。聖女と呼ばれた者達に(といっても本物の聖女は神話の時代にただ一人。残りは七天教が勝手に現代の聖女認定した)焦点を当てて書かれた歴史書……というか読み物だ。

 歴史本には分類されるとは思うが、聖女の三角関係恋愛について長々と章があったりと割とノリが軽いらしい。ちなみにおれは読んだことがない。


 おれの声に、その本から顔を上げ、椅子にちょこんと行儀良く座っていたぶかぶかの帽子の少女はおれへと目線を移す。

 何時ものように片眼が隠れた前髪が揺れ、その奥の瞳が見える。


 それが、何時もより元気がない気がして、プリシラに……声をかけようとして、居ないことに気が付く。

 そういえば、レオンと……後は老執事のオーリンもだが、確か新年の芝居を見に行っているのだった。


 仕方ないので……と思っていると、天からなにかが降ってくるので受け取る。

 金属製の筒だ。妙に熱い、水を入れる持ち運び用のソレは、恐らくは妹のアイリスが自分の部屋でメイドに頼んで用意してくれたものなのだろう。


 尻尾を振って去っていくさっきまで頭の上に居た三毛猫より一回り大きな猫のゴーレムにありがとうなと会釈し、おれは少女……アルヴィナの所へ向かう。

 冷めきったカップに茶を注ぎ、はい、と少女の方へと押し出す。

 

 「本当に、遅くなった」

 距離感がつかめない。アルヴィナは基本的に大人しくて、近くに居るべきなのか違うのか、どうしても判別が付かないのだ。

 「……大丈夫。本を読んでたら、少しだけ、落ち着いた」


 嘘だ、と見ただけで分かる。

 帽子がしっかりと被られていて、震えた声。

 何時もは帽子で見えないからと耳を立て、被っているというよりは被さっていると表現すべき帽子が、目線に鍔がかかるようにしっかりと目深に被られている。これは、耳をぺたんと倒しているからだろう。

 尻尾をきつく腰に巻き付け、耳を倒して生活するのは偏見を恐れる亜人。

 おれはアルヴィナにそんな生活をして欲しくなくて、けれども純粋な人ではないものへの偏見は、持つ者は割と多い。

 だからおれはアルヴィナにプレゼントした帽子はわざと耳を立ててもバレないように大きすぎて合わないくらいのサイズにしたし、それだからかアルヴィナも基本耳はそこそこ立てている。

 それを完全に伏せているのは、大丈夫とはとても言えないだろう。

 

 「そうか」

 それだけ言って、近くに立つ。


 どうしたんだ、とは聞かない。

 何かあった、そんなことはもう分かっているから。あとは、アルヴィナが何時話してくれるか、それだけなのだ。

 下手に話せと強要はしない。ただ向こうから話してくるのを待つ。話したくない事だってあるだろう。言う勇気がない事だってあるはずだ。

 だから、暫く待つ。

 

 やがて、少女は口を開いた。

 「……お兄ちゃんが」

 「お兄さんが居るのか」

 「……居た」

 「そう、か」

 おれはただその一言だけを搾り出した。

 居た。その言葉の意味が分からないという訳ではない。


 だけれども、だからこそ。その先の言葉に詰まってしまう。

 踏みこむのは容易い。だが、それで良いのか?

 そんな思いから、震える手に暖かな茶の入ったカップを持たせ、その上からおれの手で包み込む。

 

 「……辛いな、アルヴィナ」

 「……うん」

 「家に居なくて良いのか?」

 「家は落ち着かない」

 「そっか。じゃあ仕方ないな」

 冷たい手をきゅっと握り、おれは少女の側で、言葉を交わす。

 

 「……お兄ちゃんは、帰ってこなかった」

 「そっか。でも、男爵家とはいえ何か大事があったら耳には入ると思うけど」

 言って、しまったと思う。傷心の少女に、下手に聞くべきじゃない。


 「……うん。

 表向きは、何もない」

 沈んだ声で、黒髪の少女は答える。

 「ボクのお兄ちゃん、影みたいなものだから」

 「そっか、それは……苦しいよな」


 影。影武者。

 皇族にはほぼ居ないが、貴族には割とそういうものも居るのだ。いざというときの影、身代わりとしての影、何らかの傷を隠すための影。影が奏ずるとは阿呆か貴様、と父がキレ気味に皇帝への苦言などを影任せにした貴族を吹き飛ばしている場面も見たことがある辺り、割と一般的だ。

 何なら、この国で英雄貴族と呼ばれている騎士団長の一人シュヴァリエ卿だが、彼が成し遂げたという偉業はあれ影がやったものですねとは第二皇子の談だ。何でも影に相討ちに持ち込ませて自分一人帰ってきたのでしょう、と。

 

 「影かぁ、それは(かえり)みられないよな。

 それでもアルヴィナには、大事な人だったんだな」

 「……うん」


 影は大体の場合奴隷だ。何か起こったとしてもそれはそれ知らぬ存ぜぬが通ってしまう。

 奴隷に対してそれなりの扱いで遇する必要はあるが、だからといって危険な目に遭わせてはならないという法はない。そんなものがあれば、奴隷と共に襲われたときに主君が奴隷の為に死地に赴く必要が出てきてしまう。あくまでも、奴隷に保障されているのは、所有者による身分だけだ。

 

 故に、こんなことが起こる。

 「……アルヴィナ、他の家族は?」

 「誰も気にしてない。

 ボクも、兄も、無事だから」

 「本当の兄より、居なくなってしまったお兄ちゃんと仲良かったんだな。

 ……辛いよな」


 「……わかって、くれるの?」

 前髪が揺れる。

 何時もは距離感が掴みにくい少女の、珍しく潤む満月のような瞳が此方を見上げる。

 それを見て、おれは……

 「分からないよ」

 そう、ゆっくりと首を振った。

 

 「……なん、で」

 どうして、と揺らぐ瞳の光。


 分かるよ、と安心させたいと思う。けれど、嘘なんてつけなくて。

 「おれは、大事な人を喪ったことなんて無いから。

 いや、例えアイリスが死んでも、父さんが死んでも。アルヴィナやアナを喪っても。

 おれにはアルヴィナの気持ちなんて分からない。ただ、推測できるだけ」


 目線を外し、静かになった少女。

 その肩が震えているのを感じて、後ろに回り、ゆっくりと後ろからその肩を、体を抱き締める。

 

 「誰だって、他の人の辛さなんて分からない。どれだけ似た苦しみを感じても、分かってやれない。その人の辛さは本人にしか分からない。

 でも、アルヴィナがおれに助けてって思って来たなら。おれはアルヴィナが前を向けるまで、ずっと此処に居るから。

 アルヴィナが望む限り、何でもする」

 震えるその体は、何処か冷たくて。

 

 

 「……なら、ボクのために死んでくれる?」

 不意に耳を打つ、そんな声。

 「アルヴィナが、本当にそれを望むなら。おれが死んで、おれを殺して。それでアルヴィナが、明日を向けるなら」


 不可思議な質問だな、なんて思いつつ。それでも離さず、コートでくるむように椅子の後ろから抱き締め続ける。

 不思議と震える腕を抑え込むように。

 「……でも、そうじゃないなら」

 「うん、冗談」

 くすり、と少女は笑う。

 

 そんな冗談が言えて、少しは元気が出たのかと思い、腕の力を緩め……

 ようとして、トントンとそのままで良いと二の腕を叩かれ、改めて力を入れ直す。

 「アルヴィナが願うなら死ぬってのは、此方も半分冗談だよ」

 「はんぶん」

 「半分だ。

 大事な友達のために命を懸けるのは普通だろ?」

 「……お兄ちゃんっぽい」

 体重を預けてくる柔らかな少女の体を、おれは暫く抱き締め続けた。

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