リリーナ・アルヴィナと聖夜乃鈴(side:アルヴィナ・ブランシュ)
「んで、どうだった~アルヴィナ?」
聖夜を終え、皇子に心配されながらも一度家に帰ると門の少し前で別れ。久し振りに、家に帰る。明かりの無い家。
仮初めの姿で封印から出てきた……とはいえ、大きく力を抑えられたボク達の隠れ家である、アルヴィナ男爵邸という事になっている貴族の中ではみすぼらしいお屋敷。
門をくぐったその瞬間、呑気な声が聞こえてきた。
帽子が落ちないように耳を立て、少し上を見上げる。其処に、やっぱり彼はふよふよと浮いていた。
新たなる魔神王、あの変な少年の言っていたボクの兄、テネーブル・ブランシュが。
「……どう?」
「そそ、さっすがにバレかねないしアルヴィナに行って貰った訳だけどさ、真性異言居た?」
背中に生えた剣の姿をした蒼い片翼をはためかせ、青年姿の魔神王はボクの前にひょいと降り立つ。
そして、帽子を脱がせ、ボクの頭を撫でる。
……正直、止めて欲しい。帽子を返して欲しい。折角新しいのを貰ったのに。
そんな不満を他所に、ボクの兄は、話を続ける。
「一人、居た」
「おっ、誰?」
「エッケハルト・アルトマン」
……本当はもう一人知っている。とても分かりやすい彼の他にもう一人。
普段はそれっぽさを全く見せなくて。けれども、眠っている間に触れた彼の心の奥底で、確かに転生者としての記憶を持っていた、明鏡止水の瞳。
獅童三千矢。ボクの魔法で夢を覗かなければ、気が付くことは無かった真性異言の一人。
けれども、何でか知らないけれど、とても真性異言が分かりやすい兄は、彼を妙に嫌っている。アリーナの破壊者だと。クソ野郎だと。
ならばきっと。彼を護れるのはボクだけ。魔神としての力は本格的には発揮できない封印されたボク達でも、世界を支配する時に敵となる相手を予め排除しておけるように仮初めの体でヒトの世界に侵入している以上、彼が真性異言だと兄に告げた時兄は間違いなく謎の恨みから彼を最優先で殺す。きっと殺す。間違いなく殺す。
あの蒼炎の剣翼で。
だから、言わない。
ボクを含む誰にも、あの瞳は曇らせない。いつか、あの深い輝きのままボクだけを映させるその日まで、彼にはあの目で居て欲しい。
……彼を、真性異言を持ちながらもそれを感じさせない珍しい人を。見惚れたあの明鏡止水の皇族の瞳を、当然のようにボクにも……誰にでも向けるあのヒトを。
歪んだ魂の兄に殺させる訳にはいかない。
「……アルヴィナ?」
心配そうに、縦に裂けた瞳孔でボクを見てくる魔神王。
「大丈夫。ちょっと疲れただけ」
「本当に御免な~アルヴィナ。本当はあのクソチートとかが居る危険な場所に可愛いアルヴィナを行かせるとかヤなんだけどさ。
残念ながら、兄ちゃんじゃ外に出たらバレるしなぁ」
くしゃっと、大きな掌が髪を撫でる。
ボクとは異なり、既に成長を遂げた青年の姿。心に決めた相手を見付けたとき、年齢如何に関わらず大人の姿になる。それが魔神族で、だからもう大人な筈なのに。
きゅっ、と。首に巻いたマフラーの端を握る。
デリカシーが無い。あの皇子も強く頭を撫でてくる事はあるけれども、彼は何時も一歩引いている。嫌な時は、触れてなんてこない。そして、昔の兄もまたそうだった。
……そう。昔の兄。ボクの記憶にある、魔神王テネーブルは、こんな軽い性格じゃなかったし、背中に剣の形の蒼い翼なんて無かった。
仮初めの体で人の世界に潜む。その行動を起こす寸前、真性異言に目覚めて、兄は変わった。
……というか、こう言うべきだと思う。兄は七大天か何者か知らないけれど、神によって死んだ。そして、兄の死体を、兄を殺した神が送り込んだ真性異言、日本という世界から来た変な珍獣が操っている。
少し見ているだけで分かる。死霊術を使え、魂が見れるから、ボクの眼は誤魔化せない。魂を見た時の違和感があまりにも酷い。
吐き気がする。
昔の兄はそんな事無かった。
あのアナスタシアという少女等も見ていて違和感を感じない。明鏡止水の瞳の皇子は、少しだけ心がざわめくけれど。それはあの瞳が普通の人間のする目とは思えないせい。肉体と魂の齟齬はほぼ見えない。
でも、兄は違う。一度だけ見掛けたピンクい髪の変な女の子や、エッケハルトという少年もまた。……あの二人より、兄の方が酷い
吐き気がするくらい、魂と肉体が合っていない。変な何かが付いたおかしな魂が、本来の魂の上から上書きしているようなもの。
……だから、嫌だ。
「……帽子」
「ん?どうしたんだアルヴィナ。疲れたなら……」
「ボクの帽子、返して」
「折角その耳可愛いのに。兄ちゃんの前でまで、人のふりなんてしなくて良いんだぞ?」
言いつつ、珍獣はそれでもぶかぶかの帽子をボクの頭に乗せ返す。
その帽子を、皇子から貰ったそれを目深に被り直して。
「……変なものを見た」
話を変えるように、そう呟く。
「変なものだぁ?アルヴィナ、何を見たんだ」
「不思議な神器」
「不思議な神器?それは、ひょっとして真性異言か?あのクソボケが月花迅雷以外に何か持ってたのか、それともエッケハルト?」
「どっちでもない。
変な、少年。刹月花と呼んでて、ボクの事を知っていた。
……アルヴィナ・ブランシュって」
すっ、と裂けた瞳孔が細められる。
「ぶっ殺すぞヒューマン」
軽口のような声音ではなく、昔の兄に近い声で、珍獣はそう呟く。
「……問題ない。皇子が護ってくれた」
「よしゼノ殺そう」
……相変わらず、珍獣は皇子に厳しい。
「……なんで?」
「何でも何も、あいつクソボケチート野郎だから。生かしておく利点とか無いだろ」
「見てて面白い」
「端から見てる場合だけだぞ~アルヴィナ。
実際はあの事故量産野郎なんて見ただけで殺意が沸くレベルだ。しかも、ハイスコア狙いしてるとしょっちゅう見掛けるし」
「それは聞いた」
「だからぶっ殺しておくべきだって。アナちゃんの為にも」
そう、と返す。
……あの少女、妙に人気があるけど何なんだろう、と首を捻る以外、ボクには出来ない。
そして、止める気も無い。
ボクは、あの明鏡止水のまま、彼がボクを、ボクだけを瞳に映すようになってくれればそれで良いから。あの子は、どうでも良い。
……でも。あの女の子を護ろうとして皇子はきっと傷だらけになる。なら、少しくらい、ボクも手伝う。
「……そういうの、あり得る?」
「刹月花かぁ……モブに転生してる真性異言のパターンは考えてなかったなぁ……
主人公か攻略対象かってくらいならと思ってたが、修正が必要か……」
相変わらずだけど、ゼノグラシア語は良く分からない。チートとか、モブとか。
「……結局?」
「世界の行く末を本来左右しない誰かが真性異言ってのは有り得るよ」
「刹月花は?」
「ああ、転生の際にいくつかの特典から一つ選べたんだ。一つは神器、この世界に元々存在する本来の神器とは別に、自分専用で同じ神器が持てる。
多分その刹月花はその特典で得たものだと思うぞアルヴィナ。兄ちゃんも同じだしもっと強いから安心するんだぞアルヴィナ」
ぐりぐりと、帽子の上から頭を撫でて、兄は呟く。
「お兄ちゃんのは?」
「こいつさ」
蒼い炎を纏い、剣の翼が軽く振られる。
「……?」
「王権ファムファタール」
「……有り得ない」
首を傾げる
王剣ファムファタール。ボクでも知るその剣は魔神王の剣。見たことはあるし、触れたこともある。
兄が次代に正式に決まってはいるけれども、まだお父さんの首に突き刺さったまま封印されているあの剣と、眼前の翼の剣は全く似ていない。似ているとしたら、鐔部分くらい。
「王剣じゃないぞ~アルヴィナ。
正確には王権ファムファタール・アルカンシェル。此処とは別の世界の王剣ファムファタールさ。
だからアルヴィナ。兄ちゃんは絶対に負けない。最強の王剣を二つ持ってる魔神王が負ける筈がないってな」
自慢気に翼をはためかせる兄を見上げながら、ボクは……
早く寮に帰ろう、と思っていた。
「他は?」
でも、聞いておきたくて、話を続ける。
「他かぁ。固有スキルを別のものに変えたり、職業を本来の資質から増やしたり、レベル上限突破したりがあったかな……」
「……全員、神器じゃないの?」
「んまあ、神器貰う……いや多分異世界の王圏だの王鍵だのか、AGXって機動兵器が最強の特典なのは確かだけどさ。
ダメな奴には選択肢狭まるって神様が言ってたし、良くわかんね。それに、異世界のって言っても真面目にピンキリだから外れ引くとこの世界の神器のうち轟火の剣辺り手にした方が強いし困りもん。
んで、そのモブ少年は何か漏らしてたか?」
ボクに目線を合わせず、兄は呑気にそう聞く。
「屍天皇」
「なんだそりゃ。聞いたこともない妄言だな」
すっとんきょうな声が、屋敷に響いた。
「ひとつ、良い?」
眼前のかつて兄であった珍獣に問いかける。
「おっ、何だアルヴィナ?兄ちゃんに何でも聞いてくれ」
「どうして、リリーナ?」
「ん?リリーナがどうかしたのか?」
「リリーナ・アルヴィナ。どうしてボクがそう名乗る必要が?」
それは、ずっと思っていた疑問。偽名を使うのは良い。
ブランシュという名前が、魔神の名前として残っていないとは限らないから。名乗った瞬間に警戒されるかもしれない。だけどボクがボクの事だと認識できない変な偽名でも困る。
……実際、魔神王四天王として、テネーブル・ブランシュの名は残っていたから。本名だと即座に皇子にバレたと思う。
だから、リリーナ・"アルヴィナ"と、姓をアルヴィナにしたのは分かる。でも、リリーナというのが分からない。
あの皇子も、時折リリーナという桃色の髪の少女に絡まれていて、少しだけ困ったような眼をしながらも相手をしているのを見た。
たまたまなら別に良い。でも、わざわざボクの考えた偽名ではなく、リリーナと名前を指定してきたのか、そこに意味がある気がして。
だって、ボクの案の中で、似た感じで一番面白味がないイリーナでも良かったのに。わざわざ少し違うリリーナにしてくれと言うなんて、考えてみれば可笑しい。
「あーそれな」
「気になる。他に、リリーナという名前を見たから」
「おっ、どっち?ミュルクヴィズ?」
「ミュルクヴィズ?」
何だろう、と記憶を辿り、一人の名前に辿り着く。
ミュルクヴィズ……確か、昔々、神話の時代、ボクがまだ産まれていなかった頃、魔神族を世界の狭間に閉じ込めた伝説の英雄に、確かそんな名前のエルフが居たはず。
積乱の弓ガーンデーヴァを持つエルフ、その名前が……ティグル・ミュルクヴィズ。
孤高の勇者ティグルとして、エルフながら人間の神話にも出てくるはず。お前達の為じゃない相手が邪魔だっただけだ馴れ合う気はない、と言いつつ何だかんだ助けてくれる、ぶっきらぼうで孤高気取りで、それでも心優しいエルフの青年として、読んだその神話には描かれていた。
真性異言によって書かれたものだと、女の子だったら『つんでれもえ』という謎の評価だったけど、そこは良く分からない。ツン?デレ?燃え?火属性に何か関係があるの?。
「あー、違うのか。
じゃあ、淫乱ピン……桃色の髪の方?」
「そっち。どっちかは知らないけど」
「やっぱ主人公その子かぁ……」
「?」
主人公という単語は分かる。ボクだって本を読む。
そして、真性異言がこの先の未来をある程度知っているらしいことも知っている。つまり、主人公というからにはこの先の未来で、あのピンクい髪の少女が何らかの重要な役割を果たすと彼等の脳内にはあるのだろう。
「……殺す?」
「いや。魔神王ルートがあるからそいつを狙う。
殺すんじゃなく、堕とす」
そこは好きにすれば良いと思う。ボクも、目的は似たようなものだし。
「それで?ボクと何か、関係があるの?」
「大有りだアルヴィナ」
うんうんと、青年珍獣は頷く。
「賢ーいアルヴィナなら、何か気がつくんじゃないか?」
また頭を撫でて一言。
……止めて欲しい。帽子がずれるから。
「同じ、リリーナ?」
「そう、その通り!リリーナって名前なら、真性異言がそのピンクの子と間違えて近付いてこないかということを」
「嘘」
一言。
それだけで、言葉は途切れる。
「それなら、どっちとは聞かない」
「うんうん、そこに気が付くとはやっぱりアルヴィナは賢いなぁ~うりうり」
なおも続く過激なスキンシップに、帽子を外し、腕の中に抱く。
この帽子を、あんまり汚したくないから。汚されたくないから。
「この先、魔神族が世界の狭間から解放されて起きる戦乱には、人間側に5人の主人公が居る。
そのうち同時に登場しうるのは基本2人だけなんだけどな。
で、その5人が……。まず、アルヴィナが会ったっていうピンク髪、リリーナ・アグノエル。
次に、人間に惚れて人側に付く裏切りの魔神、リリーナ・アルヴィナ。
三番目に、咎落ちしても人間と共に戦いたいと思ったエルフの王女、リリーナ・ミュルクヴィズ。
四番目が異世界から召喚される炎の勇者アルヴィスこと、有馬翡翠。
そして最後に、リリーナではないもう一人の選ばれし者、アナスタシア・アルカンシエル」
「……アばっかり」
「始まりの音だからな」
少しずらした反応に、青年は苦笑して。また、ボクの頭を……今度は伏せた耳を重点的に撫でる。
止めて欲しい。耳は、あまり人に触らせたくないし見せたくない。
だから、この帽子が嬉しかった。その気持ちを汲んで欲しいけれども、今の兄はそういった気遣いが無くなっている。
前のテネーブル様は寡黙で一途で取っ付きにくくてと言う者達も多いけど、ボクにとっては昔の方が良かった。
「アルヴィナ、気が付いたか?」
「……ボク?」
「そう。昔の忌まわしい神話のように聖女足り得るのが四人、勇者が一人居る。
その可能性の中に、アルヴィナが居るんだ」
「……でも、ボクは」
「分かってるよアルヴィナ。これはあくまでも可能性の話だ。今居る可愛いアルヴィナは、そんな事しないよなー」
勝手にボクの体を抱き締める珍獣。
……本当に裏切ってやろうか、なんて。そんな事も思ってしまう。
魔神は結局魔神で、人の側に付くなんてとても馬鹿馬鹿しい話だけど。それでも。
アルヴィナを信じるよと言った彼の手を、取ってしまいたくなる。
……でも、駄目。それは、駄目。それでは彼は、ボクの為にボクを守る事をしてくれないから。
あの日、本当の事を言っても彼はきっと受け入れてくれた。護ってくれた。でも、それは……皆を救える者として。その皆の中にボクも居るのかもしれないけど、あくまでもそれは国民皆のため。
皆の為に、ボクを守る。それは、嫌だから。ボク以外を見て、ボク以外の為に傷付いて、そんな彼ならいらない。あの明鏡止水の眼を、ボクだけに向けさせたい。
だから、分からない。少しだけ死霊術で覗いてみたあの少年の記憶。確かにカッコ良く成長していて、けれども明鏡止水の瞳を喪った屍天皇なんて姿の彼を手に入れて、あの世界のボクは満足だったんだろうか。
今より外見のカッコ良さは倍。瞳の見惚れる綺麗さは1/10以下。釣り合いが取れてないと思う。
ボクなら、あの彼よりはまともに成長した彼の方が良い。勿論、明鏡止水の瞳でボクだけを見てくれるなら、屍天皇は理想だと思うけれど。
強い想いは屍になっても遺志として残る。意思は消えても、遺志によって勝手に動くことがある。それが死霊術の大前提。
そんなのあの世界のボクも知らない訳無いのに。あんな、誰かの為にボクに殺されることを良しとしたからだろう濁った眼でボクを見る彼を、何で永遠になんかしたんだろう。ボクにはちょっと、理解できない。
「アルヴィナがそんな事するはずないもんな。惚れるような相手も居ないし」
そんなボクの思いとは別の事を考えてると思ったのだろう。
珍獣は、変なフォローを入れる。
……失礼だと思う。自分にはこれと思った相手がいて成長した姿になってるからって。
ボクも……と、思うけれど、いっそ成長しなくて良い、と思い直す。成長した外見でなくても、彼に可愛いと言われたこの姿で良い。
「でさ、同時に存在しえるのは勇者アルヴィスと、アナちゃんorリリーナ・アグノエルの合計二人だけ。それ以外の場合はたった一人。
なんで、アルヴィナが聖女になる事はないんだけどさ、一応それっぽく名乗れば釣れないかなって」
……その言葉に、間違いに気が付く。
そんな筈はない、と。
アナスタシア・アルカンシエル。今はそんな名前ではないけれど、皇子を皇子さま皇子さまと馬鹿馬鹿しいくらい慕うあの銀の髪の少女は、兄……もう亜似で良い。亜似の言葉によれば聖女だ。
とすれば、魔神のボクを勘定に入れなくても既に二人、聖女が居る。
とすればきっと、エルフの聖女も居るのだろう。
そう思うけれど、兄は兎も角、亜似に教える気にはなれず。
「わかった。ありがとう」
きゅっと、帽子を握り締めた。