銀龍、或いは牢獄
おれは、牢獄で見守っていた水筒から顔を上げた。
「ごめんなサクラ。でももう良いぞ」
その言葉と共に、おれの横で……肩に髪が触れるような距離感で息を呑んでいた少女、サクラ・オーリリアはふぅと息継ぎをしてこくこくと眼前の水を飲んだのだった。
そう、此処は牢獄。エッケハルト等に言った通りにおれは彼に会いに来て、そうして此処で水鏡を覗いていたという訳だ。今回の水鏡はエッケハルトの持つお茶(紅茶というよりほうじ茶感が強い茶葉)の水面に魔法をかけてあり、あいつが魔法を維持できないくらいの量自棄になって一気飲みした事で繋がりが消えたという状況だ。
そして、今回の魔法は声が通るタイプの奴だったので、おれがまたまた持ち込んだ食料で昨日の深夜以来ほぼ2/3日ぶりの新しい食事にありつこうとした彼女は声を立てて向こうに漏らさぬようにおれの横で口を押さえてフリーズしてたという寸法。
「……やっぱり、そうだよな。おれはエッケハルトを信じすぎてたのかもしれない」
「言ってくれなきゃ、伝わらない?」
「そう。始水とかシュリとかさ、後はノア姫もかな。おれの周囲には勝手に分かってくれる人が多すぎて、口下手でも何とかなってた。
……友人って言っても、少しウザがられてるのもあってあいつと腹を割って話さなすぎた。それで巻き込んで本気を出すのを待ってたら、そりゃああ鬱憤貯まるよなって」
「獅童君は悪くないよ。必死に立ち向かってるんだから」
少女の右手がおれの左手の甲に重ねられる。黒髪の少女は櫛が無い牢で少し乱れた黒髪を揺らして微笑んだ。
「誰よりもいっぱいいっぱいなのは獅童君。歩み寄るのは、僕達がやらなきゃ」
「……サクラ。そう言ってくれるのは助かるよ。でも、獅童三千矢はそれに甘えたから、金星始水に甘え過ぎたから、君を助けられなかった。ユーゴの鬱屈した想いにも辿り着くことすら出来なかった」
「ユーゴって、彼?」
「ああ、同級生だったなら知ってるよな?君を虐めていたグループのリーダー、竜胆佑胡。それが、ユーゴだ」
少しだけ空を……っていうか天井を見上げる。当然星は見えない。見えるのは穴の隙間に隠れるのに失敗してるシュリの上着の袖の端くらいだ。
「え?でも僕を虐めてたグループって男女混合で、そのリーダーって」
「君の逆だろ?あり得ない話でもない。ってか、君やエッケハルト程の事情が無さげなのに乙女ゲーに無駄に詳しいってそういうことだろ」
それはそれとして、とおれは今日は暖めてきたスープ缶を空けながら告げる。
ちなみに、今日は堂々と入れた。拘束はしてるし逃げ出せば警報が鳴るが、割とザル警備だ。というかどんどんザル化してる。
ユーゴ的にも、桜理を捕えておくのに思うところがあるのだろう。お陰で偵察に来た時に正面から入れてる訳だが……うん、そのせいで多分燻製室じゃない方の通気孔の前で待ってたシュリが隠れてるんだろう。
「はい、サクラ。正直さ、変に魔法を使えばバレるし、暖かいものなんて久し振りだろ?」
「……うん。有り難うね、獅童君」
「と、シュリはどうだ?」
スープ缶を渡した後、本来はおれ用のものを指で蓋を力任せに剥がしながらおれは天井に向けて声をかけた。
ってか、桜理と二人きりで話すべきものは少ないし、シュリが居ても良いかって話だな。
「シュリ?」
こてんと首をかしげる桜理、出てこないで袖が少し引っ込む。
「知ってると思うが袖見えてるぞシュリ」
と告げれば、天井からひょいと飛び降りてくるのは邪毒の銀龍。そのスカートが捲れているのでとりあえず下を一瞬向いてスルー。
「……良いのかの?」
「大丈夫。恐らくだけど、かの笑顔はサクラと違って魂だけで姿を別の場所に出現させられるんだろう。けれど、逆に言えば魂も肉体も動けなければ下手に動けない。
ルー姐はあの部屋の外に待機していて、ディオ団長はサルースさんの警護でその当人は寝ている。少なくとも警戒すべき人間の大半は動けないからね。ユーゴやアナ達があいつを釘付けにしている間は、君も好きにしていいんだよシュリ」
そう言ってスープを差し出すが……
「お前さんの優しさ以外は何時もの味じゃの」
何処か寂しげに告げる銀龍。やはりというか、良く考えたらシュリって料理の味分からないわ。
「というか獅童君!?前回はまだ理解が追い付いたけど今回は何者なの!?シュリって、前に言ってた敵の首魁のシュリンガーラ!?」
「ああ、混合されし神秘の切り札の【愛恋】だ。っていっても、おれはシュリを信じてるけどな、他の奴等と違って」
「獅童君、僕やアーニャ様くらいに獅童君の事を信じきってるなら良いけど、当然のように敵の親玉と親しくするって普通怪しまれるよ……」
まあ、僕からして同じようなものだよねと何処かしゅんとした桜理に元気出せよと何を言って良いか分からずに鶏肉の缶詰を差し出しながら、おれは頬を掻いた。
ってか、割とこれエッケハルト的にはNGと言われても仕方ないな。
「……儂、居て良いのかの?」
「グリームニルの居ぬ間に少しでも気を休めてくれ、シュリ」
「うんまあ、彼の話とか聞くと多分首魁の一柱の割には浮いてそうってのは分かるんだけど……」
バツが悪そうに頬を掻く桜理。
「何で分かるの?というか、どうしてあの水鏡に居ないみんなの名前を出したの?」
「ああ、それか?シュリもさすがに教えてくれないけれど、あいつの本体ってその辺りの誰かの可能性が割とあったからさ。少なくとも、ユーゴ達があいつを止めてくれてる最中には動けるのは本体だけだから。このタイミングで彼等は来れない、万が一あいつが現れたら彼等じゃないって証明になるんで、つい」
「教えておいてよ獅童君!?心配でならないから……」
「悪い、サクラ。少しずつ気を付けていけるようにする」
「そうなってくれると気が楽だよ……」
そんなおれ達のやり取りを、貰った鶏肉缶をやはり微妙な顔で食みながら、シュリはぼんやりと見ていた。
「……儂、お邪魔かの?」
「いや、居たいから来てくれたなら居てくれないか?」
「あ、僕にも一個貰えるかな?鶏肉と違って前に持ってきて貰った熊の肉は味のクセが強くて……」
「では、交換かの?」
言いながら、ひょいと缶を取り換える2人の少女。おれが安全と言ったからか、桜理側の手元にもあまり躊躇いはない。シュリ?それこそ人間の致死量の数億倍ほどの量の毒を盛っても気にしないだろうし元から多分何一つ警戒する必要がない。
「……味同じじゃの……」
「あ、これ美味しいね獅童君」
そして交換したのを互いに一口食んでの感想はやはりというか真逆。
「そうか。じゃあ次もこの缶貰ってくるなサクラ」
「うん、ありがと」
と、まずは好評の方を片付けておれは不評なシュリを見る。が、分かってた反応なんだよなこれ……
「やっぱり、不味いか?」
「お前さんのお陰で味というものを知ってから、余計不味いの」
その言葉には乾いた笑いを返すしかない。この場には何も対処の術がないから。
「君を救えたその時には、ノア姫に頼んでちゃんともう一度」
と、ぽんと手を置かれた。振り替えれば、サクラ色の前髪一房を揺らして少女が首を横に振っている。
「獅童君、そこで他の女の子の名前を出したら駄目だと思うよ?」
「……悪い。何とか君が食事を楽しめるように腕を磨くよ」
「いや、儂としてはお前さんが儂のために何か働きかけてくれるだけで十二分故に、嫉妬とか変なことはせぬがの?」
こてんと首を傾げた龍神様はついでにおれを見上げて、ぽろっと溢す。
「……明後日の朝にはお前さんの望みの薄さの毒は作れるがの。他に儂にやって欲しい事はあるのかの?」
「……あんまり頼りたくはないよ、シュリ。おれは君に手を伸ばしたいのだから。
でも、敢えて言うなら……この先ずっと、君に執着しているグリームニルを側に置く事で留めておいてくれないか?」




