狂狐、或いは上辺の交渉
「アステール」
それでも、おれはその呼び方を止めない。何度言われようが変えるつもりは毛頭無い。
これはおれとアステールを繋ぐ絆だ。そんなものと言ってしまった事すらあるくらい細くて意味が薄いが、それでも本来の彼女がおれに願った言葉だ。それを捨てたら、おれと彼女の縁は切れる。ロダ兄がそれを見てたらガッカリしたぜワンちゃん、と非難するだろう。
「今更過ぎるんだよねぇ……」
左右で色が違う瞳がおれを見る。キラキラしたもののない空虚な瞳は今の彼女を端的に見せつけていて。それでも、おれは言葉を交わさずにはいられない。
伸ばしかけた手は握りこみ、奥歯はくいしばって、それでも言葉を探す。
「……それより忌み子さん?ステラのおーじさまをころそーとしてる相手に対して、どーして交渉?なんて言うのかなー?
殺さないでおいてあげるからステラに何かしろーなんて、それこーしょーじゃなくて……脅しだよ?」
その言葉に怯みはしない。いや、怯むわけにはいかない。
どれだけ言われようと、おれは……
というところで、不意に脳裏に閃くひとつの言い訳。
「いや、本当に交渉だよ、アステール」
「えー?ステラと交渉する何か、あなたにあるのー?」
こてん、と無邪気に小首を倒して聞いてくる少女。現状の状況とその愛らしさのギャップに頭が痛くなるが、それを振り払っておれは大真面目に頷いた。
「教えてくれるかなー?」
「そもそもだよアステール。おれ達は、君やユーゴと闘いに来た訳じゃない」
その言葉に桜理がえっ?と目を見開いているがそれはそれとして、おれは続ける。
「えー、嘘はいけないよー?」
「嘘なものか。君も知ってる……と良いけれど、別におれ達は君達、いや、正確に言えば円卓の救世主そのものと戦いたい訳じゃないんだ」
言いながら、おれは天を指差す。
「その事は、ユーゴや……そして誰よりもヴィルフリートが知っている筈だ。証言してくれるだろうよ、おれはリックと敵対するつもりがなかった、って」
「えー?それとこれと、何の関係があるのかなー?」
「ユーゴはさ、そして彼等円卓も。一応この世界で生きようとしている。その際に、ちょっと互いにやりたいことがぶつかりあって、結果的に戦うことになってるだけなんだ」
優しく笑って、おれは告げる。
「この世界で生きたい、第二の人生をやり直したい、今度は幸せになりたい。そういった想いを、おれは否定したくない。おれたちだって結局同じでしかないんだから。ユーゴとおれ達はさ、不倶戴天の敵じゃなくライバルに過ぎないんだ。リックもそうだった」
でも、と強く拳を握りながら天に掲げたリックポーズを止めて胸元に手を引き下ろし、おれは告げる。
「そうじゃない奴等が居る」
……そうだ。だから戦う。最悪ユーゴ達については、それこそユーゴ派としておれと戦い、今も付き従うあの女の子達と生きていくっていうならば、一部の土地を与えてそれっぽい爵位もあげて、それで満足して貰うって解決法を取れなくもないんだ。
それで彼等がこの世界でしっかり生きていくならば、それをおれは止めたくない。その為ならば父に談判くらいする。
でも、だ。そうした対話のしようがない神々をおれは知っている。自分にとってのみとはいえより良く生きるために動き、結果的に闘いになる相手ではなく、此方を滅ぼす事にのみ意味を見出だしている不倶戴天の敵を。
そう、それこそが!
「アージュ=ドゥーハ=アーカヌム。そしてティアーブラック。
この地を滅ぼす為に現れた二柱の神。おれにとって、いや、おれたちにとって本当に敵なのは彼女等と、それに喜んで従っている者達だけだ」
シュリ?あれはアーシュ=アルカヌムだろ。
その言葉に、狐耳の教皇の娘はほえー、と間の抜けた笑みを返してきた。
「ユーゴさまは違うのかなー?
円卓のーってステラ良く分からないけどー、そのティアーブラックが率いているんだよねー?」
それには頷く。
「うん、僕も入れと言われたよ」
と、桜理が補足してくれる。いや、そんなことしてたのかあの神様。積極的に動いているのは人懐っこいシュリだけかと思っていたから意外だ。案外出不精とかじゃないんだな。
「あ、変に感心してそうだけど違うよ獅童君。あのカミサマ自体じゃなくて、その使徒を名乗る人」
そう言われて納得する。あの真なる神を名乗る奴が見下してる人間をスカウトしに行くとか無理そうだもんな。
「へー、そーなの?
つまりー、ステラ達が敵なんじゃなくて、本当は彼等さえ倒せれば良いって言うのかなー?」
強くおれは頷く。
「散々敵対してきて今更だよ。でも、だ。どれだけ好き勝手してても、この世界の住人でハーレム計画立ててても!」
それ自体個人的にはどうかと思うので語気強く、拳を軽く横に薙いで続ける。
「考え方が逆なんだ。ハーレムを築いて好きに生きるって事は、少なくともこの世界で生きようとしてくれている。分かり合える余地があるんだよ。
でも、だ。かつての魔神族やあの神々にそれは無い。だからおれは皆を、この世界を護るために彼女等を討つ」
「忌み子さんの意図は分かったけどー?」
冷たい視線がおれを見る。尻尾が怒りからか膨らんで見える。
「それと、実は今回ユーゴさまと闘いに来た訳じゃないって繋がらないよねー?
どーして、此処に来たのかなー?」
が、その一見痛い質問にも怯まない。表情一つ変える気は無いしその必要もない。
だってその質問くらい分かっていた。だから答えも当然、シュリがくれた!
「誤解だよ、アステール。おれは君に対して相当な借金がある。ユーゴを通してそれを返しに来たんだよ」
「え?そうなの?」
いや驚くな桜理。完全に当初の予定にはなかった話だ。
「オーウェンは知らないよな、たまたま聖都が見たくて着いてきたんだもの」
これも嘘。細かい嘘を重ね過ぎれば見破られるだろう。が、アステールの中におれの味方をしたい無意識がまだあるならば、筋を通せば交渉しきれると信じて無理を押し通す。
「借金?覚えてないなー?」
「あるよ」
と、おれはまだ持ってきていたくしゃくしゃの遺書の一節だけを切り取って見せる。全体見せたらアステールの遺書だから内容を読まれて全部の策が破綻するので、破り取った借金をこう返して欲しかった、の一節だけだ。
が、それをふんふんと鼻を紙に近づけて読んだ少女は頷く。
「ステラの字だねぇ……借金を返してって、確かに書いてるねぇ……」
「だからおれは来た。変なすれ違いはあったけれど、君に借金を返すために」
「借金を返すなら、何をするのかなー?」
「混合されし神秘の切り札、【笑顔】。おれ達にとって不倶戴天の敵の一人が、聖都に現れている。それを知ったから、おれは来たんだ。
ユーゴを騙し、決定的な亀裂を産み出そうとする彼を止めるために」
うんうん、とそれに頷く狐耳。それで通るんだ……とばかりに目をしばたかせる黒髪少女。
「えー、理屈は通るけど、ほんとーに居るの?」
「マーグ・メレク・グリームニル。何者かに扮していて、今はまだ正体が掴めないが……」
恐らくって人は居るけれど、確証無しに言葉にしたくなくてそう告げる。下手に刺激されたらたまったものじゃないしな。
ディオ団長に任せてきたサルースとか、あいつなら大丈夫と信じてるエッケハルトとか、ルー姐に任せきってしまってるアナとか……彼に動かれると色々とバラけて動いているのが仇になって誰か傷付きかねないのだから、正体不明の方がマシ。
「え!?嘘、僕をスカウトしに来たあの仮面の人!?」
いや大分昔から動いてんだな笑顔!?
「あー、あのいやーな仮面の人ねー。
ステラも気を付けた方がいーよ?って思ってたんだよねぇ……でも、ユーゴ様は、AGX-03ごときでAGX-ANC14Bには勝てないからってー」
ひょこひょことおれから軽い足取りで離れながら、アステールは何かを暫く考え……
「仕方ないなー、ステラはユーゴさまのために、黙っておこーかな?
でも、一つだけー。裏切らないでね?ということで」
一瞬狐娘の言葉が途切れる。
「偽ゼノ皇子の処刑、騎士に首を斬らせるけれど、貴方がやってねー?
多分だけどー、騎士の中に入り込めてるんだよねー?」
っ!バレてるか。奥歯を噛み締めつつ、何も抵抗するわけにはいかずに大人しくおれは頷きを返した。
「おー、おっけー。
……ステラの信じていた夢のおーじさまは、誰かのために必死になれる人。少しだけユーゴさまの為に燃えちゃった記憶があるのは知ってるけどー。
ステラの夢見たおーじさまなら、頷く筈がない。あの偽物を助けるために、死力を尽くすと思うんだー。
じゃあ、あれは夢でしかなかったんだよねー。それならー、貴方がユーゴさまに勝てる筈がないよねー忌み子さん。
ステラ、これで安心。明日はよろしくねー、そして、ユーゴさまの為に、ちゃーんとあの変な仮面の人、追い詰めてねー?」
それだけ言って、何処か寂しげに少女の魂は壁を突き抜けて再び消え去った。
だが……言葉の槌に頭を殴られたような衝撃で、おれはそれをぼんやりと追うことしか出来なかった。
なお、忘れないで欲しいのですが、今のアステールってユーゴに命握られて記憶も改竄されてる状況です。一番内心吐いてるのアステール本人です。あんまり嫌わないでおいてあげてください。
今章でちゃんと元のアステール戻ってきますので……




