通気孔、或いは燻製
通気孔を通り、何処かへと向かう。いや、桜理にはああ格好をつけたが、おれアナと合流するためにはまず正面大聖堂までたどり着かなきゃいけないんだよな。目隠しこそされていたが魔法の有無は関知していたし、だからこそあの場からどの方向にどれくらいって道順は暗記できたんだが……それはそれとして、地図が頭にあるわけではない。
だから今何処かなんて実は全く分かっていないのだ。
というか……とおれは恐らく此方か?という気配の方向を首を回して確認する。
何か狭苦しい通気孔の中で余計な身動ぎしたせいで頭を掃除が行き届いていない証拠のゴミの塊にぶつけたがまあ気にすることはない。
ノア姫なら灰かぶりとは呼んだけどゴミかぶりは止めてくれないかしら?とか言いつつ拭くもの用意してくれるだろうが……そもそも服自体が廃油で出来てるのかってレベルだしゴミの帽子の方がまだマシだな。
いつの間にか……いや間違いなくあのキスの瞬間からおれの中に発現した毒の塊、それが心臓の中で脈動している。それは一つの事実をおれに教えてくれる。
即ち……シュリが近くにまで来ている。
うん、何しに来たんだろうな。あくまでもおれはシュリの味方、その為に勇猛果敢の呪毒を受けたのだからこの鼓動は他ならぬシュリが来てることを示す筈だ。決して他のアージュ、つまり敵であるラウドラやシャンタでは無い。ってかラウドラ接近時にはこんな鼓動は無かった。
だからまあ、結局のところシュリが来てるからといって目的によってはそこまで警戒するものでもないのだが……
いや、それはそれでどうなんだと脳内で総ツッコミを受けた気がしておれは頭を振った。
『頭を冷やしましょう兄さん。【愛恋】がまだ人の心を理解しながら弄び狂わせる搦め手を唯一使う分危険度が高いんですが、何を「何だシュリか」してるんですか。
あと、ゴミかぶりは灰かぶりと違って単純に異名として使ってもダサいですよ兄さん』
ほら、神様までそう言ってる。
そうだよな、おれはあの子を信じてるからつい何だシュリかと思ってしまうが、本来単に暴れるだけの【憤怒】と比べて、謀略とかまだ使うシュリの方が余程怖い筈なんだ。イアンを狂わせ内心の想いに忠実になるよう暴走させたのだって結局シュリなんだしな。あそこのラウドラは単に回収しに来ただけで、種は蒔いていない。
……いや、そう考えるともう一回怒らないと駄目か?シュリはシュリで完全に反省しておれ達の味方してるって訳でもなく毒は蒔いてるわけだし。
『ええ、潰しましょう兄さん』
……この世界の神様が過激すぎる、こんなんだと多分ある程度思考を読めるだろうシュリから愛想つかされて本気で敵に回られる気がするんだが……
まあ良いや。心毒でユーゴのハーレム願望とか暴走させてアナ達まで丸ごと力ずくでモノにする!とかにさせないと助かるんだが、奥底には怯えと優しさがまだ残ってる気がするシュリを信じよう。
というか、本当に何で来たんだろうな?
想いながら少しずつ動く。いや、シュリっておれからしたら敵には思えないが一応あれでも混合されし神秘の切り札の本尊の一柱で、始水が警告してくれた神話超越の誓約の一体だ。流石にアガートラームに抑え込まれて……なんて事は無いとは思いたいが、本気で大丈夫だろうか。
アルトアイネスが見せたような時間操作系機構に対してはそんな強くなさそうなんだよな、シュリ。半壊したアガートラームが過去に飛んだ結果始まるのがゲーム世界って聞いたから、あいつにも同じ機構はある筈だ。下手なことをしてユーゴに足元掬われてないと良いが。
特にあの子は本来の?龍形態も醜いより痛々しいが先に来る傷だらけの姿で物理的な戦闘力って高くないだろうしな。
うん、必要なら呼んでくれよと多分おれの思考を覗いている少女におれは内心で呼び掛ける。見られてなかったら始水が呆れるだけの大恥だが……まあ、見てると信じよう。
冷ややかな視線の幼馴染を余所に歩みを進める。
通気孔だけあって薄暗いというかほぼ光はないが、だからといって何も分からない訳ではない。何処かに繋がってる筈なので光が見えたら終わりが近いという所とかな。
ついでに言えば、クモの巣とか張ってなくて汚れがあるということは逆にこの通気孔は今も使われている事を教えてくれている。そんな場所には変な罠もまず無いだろう。それこそ毒ガスとか発生させる罠を用意していたら自分達にも被害が及ぶわけだしな。
そんなこんなで狭苦しい人が通ることを想定していない通路を這い進めば……
「っ!」
通路の向こうからもわっと寄ってくる煙を確認して息を抑える。そのまま突っ込むか?と少しだけ悩んで突貫。
物理的な毒には強いのがおれだ。特に精神性なら【鮮血の気迫】でほぼ無力化出来る。だから強気に突っ込んで行けば、少し先に終点が見えた。床がなく微かな光と大量の煙が湧き出てくる穴、これは通気孔の終わりだろう。
だが……煙と光が逆に出ていけなくさせている。何たってそんなもの出ていった先に今正に誰か居ますって証拠だものな。
っていうか、この煙なかなか喉に張り付いて気持ちが悪い。そうは思うがこの距離では咳なんてしたら存在がバレるので我慢。普段なら袖なんかを口元に当てて少しでも濾過を狙うんだが、このべったべたの油まみれ囚人服ではそれも気持ち悪い。
そう思いながら更に近付いて……いこうかと思ったが熱気が漏れてきたのでその場に留まる。ちりちりと服が燃えだしそうになっているからな、このまま近付きすぎたら火だるまだ。
というか、熱まで出てるってことは出口は調理部屋で燻製でも燻している最中なのだろうか?
そう感じて聞き耳を立てると……
っ!更に勢いが増したか!
狭苦しい通気孔の中では咄嗟に飛び下がるなんて出来ずに熱波を受ける。煙は毒性を含むのか目が痛いし服には火がつきそうだ。これは……料理には思えないが。
「……もう良いよ、ゆーりと言ったかの?」
「はい?ユーリはユーゴ様に言われた通り通気孔を通って逃げ出したにっくき忌み子を焼こうとしてるだけです」
っ!と漏れてきた会話に奥歯を噛む。
片方の声はシュリ、もう片方は聞き覚えの無い女の子の声だが……と脳裏を探っていくと答えにたどり着いた。
ああ、ユーゴがシュヴァリエ家に居た時に雇っていたメイドの子か。確かユーリという名前だった。ヴィルジニー婚約騒動の後で捕縛されていた筈だけれども、主犯でも何でもないからずっとは拘束しておけず解放後またユーゴを追ったのか。ってことは、彼女は心の底からユーゴを慕ってたんだな。
そんな子も居るなら、この世界でこの子と共に生きるって思ってくれたなら、おれ達は戦う必要も無かったんじゃないのか、ユーゴ?と言いたいがまあ、それが出来るような人間をアヴァロン・ユートピアは己の尖兵に選ばないか。
ってそんな場合か!おれの脱獄が既にバレているって事だ。何時バレた?桜理は無事か?アナは?
飛び出すか?いやでもユーリを殺せばもうユーゴの凶行を止められないしと悩むおれに、のんびりした老獪な声が聞こえてくる。いや、そう演じてるだけで可愛らしい声音なんだが。
「じゃから、無意味じゃよ?さっきこの通気孔を抜けて、逆から地上に出てしまったようじゃからの。
儂に外の空気という心が伝わってきた」
……シュリが脱獄を伝えたのか。やはり心を読んで……
の割にはおれが此処に居ることは把握した筈なのにわざと嘘を告げる辺りが不可解だ。何故そんなことをする?
「でも……」
「敵などあの皇子くらい。呑気な皇女もあの聖女も何も敵とはならぬ、捨て置けば良し。それにの、このまま毒煙を撒けば地下牢に届いてしまうんじゃよ?」
「それがどうしたの!」
「更なる力、星の名を抱く狐の魂を焼かぬ道を探っておる以上、切り札となるものを持つあの黒髪は無事に生かしておく方がそのユーゴ様的にも余程都合が良かろ?
殺してしもうては手にしかけた力を捨てさせてしまいかねんよ」
……あ、これシュリ割と本気でおれ達の味方寄りだな?と咳き込むのを抑えながら理解する。桜理の心配をした瞬間に桜理の安全を語るなんて思考読まれてるのはほぼ確実だ。その上ですっとぼけているのだから、本格的にユーゴに与する気はないと分かる。
ただ何でおれが脱獄したとか早々に明かしたのかだが……大まかには真実を教えていたら嘘を混じらせてもバレにくいとかそんな意図か?
「故に、もう無用じゃよそれは。寧ろ害じゃ、止めた方が賢明。
で、一つ聞きたいがの、少し見てみたい大聖堂はこの部屋を出て左の階段から行けたかの?」
うん、おれがとりあえず目指す場所への案内まで置いていく辺り間違いない。おれが聞いてること知っててさりげなく味方する為にやってるわこれ。
そんなことを思いながら、おれは下の気配が消えるまで煙で煤けた通気孔で小さな呼吸を繰り返したのだった。




