外伝・第七皇子と聖夜の鈴(Ⅱ)
「良し、寝てるな」
「すやすや」
横でさも当然のように擬音を口に出している黒髪の少女……多分聖女ではないがゲームでの聖女と同じ名前と外見を持つリリーナ・アルヴィナに楽しそうだなーと笑いかけつつ、おれはベッドを覗き込む。
枕元に靴下……は、無い。そんな文化はない。
ベッドの上で、暖かな布団を被って警戒心一つ無い寝息を立てる銀髪の少女。
小柄な体、そのほっそりした指には、いくつかの細かな傷が見て取れる。
メイドさんとして雇われたからには頑張るです!と慣れない料理をした結果付いた傷だ。本人が反省になります!と魔法で治さず置いている。
流石に今では大きなミスは無くなったが、指をざっくり斬った時には焦ったな……なんて思いつつ、布団からはみ出ている手指を握り、優しく布団の中へ返す。
そうして、枕元に置くのは……
「……本?」
「そう。西方の料理本。あとは、お堅いお堅い歴史の本だな」
ぽん、と枕元に置いたハードカバーの本の束を叩いて、おれは言う。
師匠がくれた日在る国の料理という本(因に西方の言葉で書かれているので、おれは内容を知らない)に、知りたそうにしていたので用意した神話の本。そして、言葉合わせの水鏡と呼ばれる水の翻訳魔法(本を水に映すと鏡映しのように反転した文字ではなく、使用者の母語で書かれた文字が見えるという魔法だ。当然だがおれには使えない)の魔法書と、あとは足りなくなってきたらしいノートの新しい奴。
おまけとして新しいペンも付けておいた。
この世界は魔法が発達している分、お堅い本はそんなに高くない。これだけ用意しても安いものだ。
まあ、イラスト入りだと、魔法印刷が紙さえ用意しておけば全自動な代わりに多少ブレる関係で高い(この国の文字は表音文字なので多少形が崩れても読めるが、イラストは線がズレるとぐちゃぐちゃだ。おかげで、子供向けの絵本はバカ高いしイラスト付き萌え解説本なんて、貴族しか手が出ないレベルの高級品)のだが。
「んっ……」
僅かに漏れる息。
起こしてしまったか、とその唇を見るが、寝息であったのか、すぅすぅという規則的な音が漏れるのみ。
原作には出てこない女の子。何処かで死んでしまうのかもしれない、原作では○○だから、と言えない……おれが守ると言った、守るべき相手。
「頑張れよ」
かるくその頭に触れて、髪をかき混ぜる。
そうしておれは、外へと向かった。
「……動いてない」
「で、アルヴィナはついてくる、と」
電気が消え、エレベーターのような装置が止まった吹き抜けのシャフト。それを下に見下ろしながら、何故か横に居る少女がぽつんと呟く。
「頷かないでくれないか?
こうして、昇降装置も止まっているわけだし」
「問題ない」
「問題ないのか」
「生きた昇降装置が、此処に居る」
ひょい、と。少女の手が、俺の首に回された。
ちょっぴり体温の低い、柔らかな腕。
近くにある髪から漂う、ふわっとした花の香り。おれの顔を見上げる金の瞳の、蠱惑的な光。
それを受けて、おれは……
「行きたいなら仕方ないか」
諦めて、ひょいとその小柄な体を抱えあげた。
「はい、到着」
1フロア飛ばし……では、おれは良くてもアルヴィナが辛いだろうとフロアを飛ばさずに階から階へ吹き抜けのシャフトを飛び降りて、1階へ。
途中で妹の部屋には寄らない。ゴーレムに意識を移している間は半分眠っているようなものだったりするせいか、アイリスは良く夜遅くまで起きているのだ。
今日も少し前に、夜中の散歩をこそこそしている猫のゴーレムを見たし、まだ起きているだろう。
それが分かっているから、遅くまで起きてる悪い子にはプレゼントなしだとばかりにこれ見よがしに外に出るのだ。
むくれて眠ってしまった後、帰ってきてプレゼントを枕元に置く……のは侵入者避けにひっかかってバレるので、部屋のドアに掛けておくのだ。だから、実はまだプレゼントを受け取りにいってすらいない。聖夜の夜中に取りに行きますと予め言ってはあるが……起きているだろうか。
「何だ。お前も外の異様な気配に混じりに行くのか」
「そんな訳ないでしょう?」
「まあな」
と、浮いた話の一つもない師匠(何でも、西方に許嫁が居るそうだ。許嫁以外の女など手を出す気が起きん、らしい)に預けておいたプレゼントを受け取る。
今から配るのは、孤児院の皆の為のものだ。孤児院に置いておいた日には、子供達が探し回って先に見つけてしまうからな。そうなってはプレゼントとして失格だろう。だから、こうして手出し出来ない場所に置いておいたという訳だ。
「……あれ、師匠」
プレゼントを点検する中、変なものを見掛ける。
というか、預けておいた袋を開けた時点で思いっきり見えていた。見てないフリをしていただけだ。
明らかに用意しておいた筈のない大振りなケース。というか、受け取った時点でこんなに大きかったっけとなったのは、中身が増えていたからなのだろう。
「……これは?」
「今日は何の日だ?」
「ボクとのでーとの日?」
「何だ、そうだったのか。では、こんなものでは無い方が善かったか」
くつくつと笑い、おれをからかう師匠に、どうでしょう……と返しつつ、その大きすぎるケースを開ける。
ピン、と張られた(本来は張っていては可笑しいのだが、そこは多分見映えの問題なのだろう)弦。しなやかな曲線美を描く弧。
「弓……ですか」
「そうだ、弓だ」
手に取り、弦を引いてみる。
「お、重っ」
子供向けのその弓であれば軽く力を込めれば引けるとたかを括っていた。だが、異様な重さに目をしばたかせる。
「刀ばかりでは、遠くの相手に何も出来ん。斬撃を飛ばしても限界はある。そろそろ、お前も刀以外の武器に手出ししても良い頃だ」
「……有り難う御座います」
一礼し、でも今は邪魔なので弓をそそくさと直す。
「もう授業はないだろう。明日からな」
「今日からでは?」
「……ああ、日付変わっていたな。今日からだ」
「はい!」
頷いて、でも今は……と弓を置いて、残りの袋を背に担ぐ。
そんなおれを、アルヴィナは面白いものでも見るような目で眺めていた。
「……皆寝てるな」
そうして、孤児院。子供達は神様を見たいとばかりに集まり、そろそろ買い換えないとな……と思っていた、遊びの最中に割れてしまった魔物の羽窓のある大部屋で、固まって寝息を立てていた。
恐らく、布団にくるまったら寝てしまう!と、意地を張ったのだろう。布団を持ってきていない子供達が、皆硬い床の上で、少し寝苦しそうにしている。
「ったく、風邪引くぞ」
消えた暖炉を見て、流石に……と思う。
が、火をつける魔法なんておれには使えない。
「……アルヴィナ、ちょっと待っててくれ」
種火ももう無い暖炉脇の薪を一本取って、おれは外に出、皇族特権だと何時も持っている刀を握る。
白い息。ブレる意識を、一つに束ね、
……よし、行ける!
息を整え、ぽいっと前方にその薪を投げ……
「花炎斬!」
擦る一線。刃が痛むからあまり多用するなよ、と前置きして師から習った小手先の技の一つを放つ。
打ち合わせ、擦る抜刀術。ある種火打ち石の要領だ。熱を持たせ、抜き放つ刃に火花を散らし、着火する抜刀。振った刃の当てる先が燃えやすければ火を点けられるが、魔法でもなんでもないあくまでも物理現象。
ゲームでのスキル的には、火属性弱点の敵に対して追加ダメージとかそのレベルでしかない。故に児戯。そのくせ、擦って熱を持たせつつ打ち合って火花を散らさせると刀身を酷使する。完全にお遊びだ。真面目に技として使うものではない。
おれとてそんなことは知っている。ただ、魔法が使えない以上、暖炉に火を灯すにはこんな戯れの型でも何でも使って火を起こさなければいけなかったというだけだ。
薪の端を一閃、
「ほいっと」
火が点き、燃えながら地面に落ちようとする薪を軽く蹴り上げ、左手でキャッチ。
そのまま鞘に刀を戻して腰に下げ、扉を開けて孤児院へ戻る。
万が一失敗したら困るし、第一五月蝿いからなという理由で外に出ていただけなので、そのまま火の点いた薪を、暖炉にくべる。
魔法があれば一発なんだがな、と苦笑して。
「……ごめん」
「いや、アルヴィナは火属性持ってないんだろ?なら仕方ないよ」
謝る小さな友人にも笑い返して。
起きる気配の無い子供達を一人一人見て、プレゼントを置いていく。
ってか、雑魚寝状態で難しいな……。ベッド……はそこそこ高級品なので孤児院の子供達は基本布団を敷いて寝ているが、部屋も分かれているし枕元に置きやすいと思っていたんだが……雑魚寝だとうっかり蹴られたり、他人のと間違えたりがありそうで面倒だ。
そんなこんなで四苦八苦しながらも、大きな魔物を狩る人になりたい!というケヴィンには大振りなナイフ(魔法で切れ味を落としたもの。ゲーム的に言えば、金属製で普通のナイフと同等の重さなのに攻撃力がマイナスになっていて、素手で殴るよりも痛くないし全く斬れない)。
兄と二人兄が盗んできた食料で食いつないでいたスラム街から拾ってきたエーリカには、周囲の魔力をチャージして1日1回5分だけ対になる貝。殻と音声のやり取りが出来る巻き貝(もう片方は、騎士学校の先生にエーリカの兄の枕元に置いておいてくださいと、皇子からの頼みということを強調しつつ託してきた)。
といった感じに選んだそれぞれのプレゼントを置いていく。
去年は子供達に贈るプレゼントを考えていなくて、僕達悪い子なの?神様に見捨てられたの?と大騒ぎされたからな。
今年はちょっと気合いも入ろうというものだ。まあ、その分一週間後に控えた新年の為の準備も合わさって、ついでにエーリカの兄を騎士学校に叩き込む入学金を払った……のと、盗んだ果物の代金も立て替えたのと(これくらい盗まれてたんだけど!?とふっかけられた。人を金持ちの坊っちゃんだと思って足元見やがってと少しだけ思ったが、まあ忌み子で皇子だから間違ってないかと思い、素直に支払った)で、金は本気で足りなくなってるが、まあそれはそれだ。
「ふぅ」
朝まで消えないくらいに薪を組んで暖炉に放り込み、夜は冷えるが風邪引かないだろうと確認して孤児院を出る。
窓から見送るおれが買い上げる前からの初老の管理者に軽く会釈を返して、おれは結局見てるだけだった友人を連れ、夜中の街を歩く。
「アルヴィナ、何か食べて帰るか?」
此処は貧民の多い区画だが、それでも街は活気づいている。聖夜だけあって、子供は寝るし大人は遊ぶのだ。今日は特別遅くまで、色んな店がやっている。
といっても、アイリスに贈ろうと思っているのはぬいぐるみ用と、子供用のマントだ。無い知恵を振り絞って贈った猫のぬいぐるみを、妹は一年以上ずっとベッドの枕元に置いて大事にしている。
ならばとは思うが、あまり沢山買ってもそれはそれで違う気がするので、ぬいぐるみ用の装飾品だ。マントにしたのは、万が一アイリスが公の場に出たときに皇族らしい威圧感出せるかなーという浅はかな考えである。マントなら身に付けてても可笑しくないしな。
そんななので、マントを依頼した相手の店は早々と本来は閉まっているはずだ。無理言って起きていて貰った訳なんだが、なかなかに悪いことをした。
けれども、出来は予想以上で。ホクホクしながら、カップルの多い街を、寮のある塔に戻るために歩く。
「っても、子供二人だと危険だよな」
片手にマントの袋、もう片手をはぐれないようにアルヴィナの手を取って、ひょいひょいと足取り軽く進んでいく。
「でもまあ、屋台ならそんな問題ないだろ。何か食べるか?」
「でも、両手が塞がってる」
空いた方の手で、少女はおれのもう片手を指差す。
ああ、自分だけってのが気になっていたのか。
「じゃあ、おれの分もアルヴィナに持って貰って、食べさせて貰うか。
って、冗談だ」
一つ前々から準備していた聖夜が上手く行って浮かれたのか、何時もよりも軽く口が出る。
自分でも現金だなとおれ自身を笑いつつ、でも小腹は空いたしと、カップル狙いで並ぶ屋台を見回して……
「アル……ヴィナ?」
ぽつりと呟く、幼いその声を耳にし。
「アルヴィナ!」
財布出すわ、と自分から離していたその手を握りなおし、胸元に引き寄せる。
少し冷たいその感触を腕の中に守るように抱き締めながら、おれは……
ついさっきまで彼女が居た地面につけられた、深い斬撃痕を呆然と眺めていた。