襲来、或いは父
「……で、己も貰って良いか」
不意に轟く言葉に、おれの横で小さくもう一個の薬草料理……草団子の揚げ物らしき何かを囓っていた桜理がびくりと背を震わせた。
「ひっ!?」
膨れ上がる気配と熱に怯えたような声が響くが……おれはその声も気配も良く良く知っているからはぁ、と溜め息を吐くだけだ。
「いきなり来ないでくれませんかね父さん?」
そう、父皇シグルドがその身一つだが融通の通しやすい転移の魔法で熱風と共に姿を現していた。
纏う空気は何時もの威圧的なもの……というか、存在そのものがそんな感じなんだよなこの人は。威圧しないことが出来ないというか、これでも割と友好的に接しようとしてる筈なのだ、怖いだけで。
「……あのね、言っておくけどアナタのためには作ってないわよ、代価を払いなさい泥棒皇帝」
だが、それに怯えぬエルフも居る。それにくつくつと愉快そうに笑いながら、父は頷くとほいと何かを投げた。
それは、一つの小瓶。
「酒で良いか?」
「あまり呑まないわよ、ワタシ」
「馬鹿息子の方が欲しかったか」
「自分でものにするわよ」
と、何だか告白めいている気もする言葉をぽつりとつぶやいた後、あ、と何かに気がついたように少女エルフは口をつぐんだ。
「言葉の綾よ。もしもこの灰かぶりを手に入れるのであればの話」
「ああ、そうだな。もしもの話だ。正直貴様乙女だろうからな、告白はされたのを良いわよと受け入れたい願望くらいあるのだろう?」
なんてやりとりがされてるが……もう告白じゃないのか?もしもってどういう状況での話なのかと。
まあ、これ以上は考えなくて良いか。おれは今も、呪われたおぞましい血を絶やすべき化け物に変わりはないのだから。そもそもノア姫の優しさにつけ込みすぎてはいけないのだ。
「まあ、それはそれとしてだ。貰っていって良いな?」
酒の瓶(中身は透けて見えているが林檎の酒だ。何と言うか、父は良く好んで飲んでいるが、おれは飲んだことはない。というか、酒自体まだ早い)を机に置いて、父はそう告げた。
「まあ、そもそも皇帝陛下相手にそう強情する気もないもの、別に持っていきなさいよ。
ただ、わざわざ来た理由が知りたかっただけ」
柔らかくあきれた顔で出迎えるエルフを、倍……は言いすぎにしても1.5倍は軽くある身長差から見下ろしながら、父は銀の髪をくしゃっとした。
「馬鹿と世間知らずだが、我が子の事を身に来てはならんのか?」
「見に来るじゃなくて、食べ物を要求してるじゃない」
「毒龍奴隷だったか?怪しすぎてな」
言われると何も返せない。というか、アルヴィナについて忘れたのはアイリスと共に行ってからだ。今日出会った時に盛られた毒ではないため、ラサ男爵、シュリ、その他にも候補は居るが……一番怪しいのはやはりシュリだろう。
「……ああ」
「冷静か、馬鹿息子」
静かな炎がおれを貫く。何処までも皇帝として、父は敵かもしれない相手を……そちらに与するかもしれないと疑うおれを凝視する。
「ああ、分かってるんだ。シュリが変だという事くらい。もしかしたら、敵かもしれないって事実も。
下門だって、最後はおれ達の友として生きたけれど、最初からそうだった訳じゃない。彼のようにまだ分かり合える存在とすら限らない」
開く片眼を閉じ、脳裏に思い出すのは口調よりも幼く無邪気で、まともな関わり方を知らない紫の龍少女。
「でも、おれはシュリを信じたいと想っている。ただ……もしもあの態度が、総て嘘ならば」
愛刀が静かに鞘の中で震えるのを感じる。おれと共に戦う友の遺志が、己を狂わせた敵を予感して雷を迸らせる。
「シュリが若しも、ゼロオメガ側ならば。おれは必ず止めてみせる。あの日死んだ友の想い、空に見守る願い星に懸けて」
そしておれは、頭一つはまだ高い父を見返した。
「だから、父さん。心配しないでくれ。
例え毒が思考を乱そうと、為すべき事は間違えない。シュリをどう想おうと、敵を庇ったりしない」
アルヴィナは庇ったことがある。下門もそうだ。でも、あれはおれなりに信じれる勝算があっての事。それが無ければ、シュリだろうが斬る。
おれは天に見守る星達を背負う……あれ?何と言う筈なんだっけ?
誰かに聞こうとして、その誰かが居ないことに気が付く。
「まあ、そこまで心配しておらんがな」
と、父の目は少しだけ柔らかくなり、おれの左手を見つめた。
其処に在るのは、アドラーの翼と、湖・月花迅雷。おれが託されてきた願いの象徴達。
「この阿呆、馬鹿正直に信じた果てに裏切られる事は少ないからな。その馬鹿が信じたいと言うならば、己は釘を刺すだけだ」
にやり、と狂暴な笑みを浮かべ、焔の赤眼が周囲を……いや、ノア姫と桜理を見据えた。
「だろう?泥棒エルフに転生者?」
「ええ。馬鹿で愚かで、自分すら心の底で信じてはいないからこそ、簡単に相手に寄り添える」
「欲しいものを言ってくれて、あんまり邪険には出来ないよね……」
と、見られた二人は苦笑するように答えた。
「だろう?絆せる相手を見分け、絆すのは得意なのだこの馬鹿はな」
……何だろう、誉められてるのか貶されてるのか……
「なのでな。この阿呆が釣った方を見に来つつ、本題は娘の様子の観察だ。
まあ、物を食べに来るならそこまで心配はしていないが……」
言いつつ、大男は手で掴んだサンドイッチを軽く一口で半分ほど頬張り、少し目尻を上げる。
「ああ、毒か」
「父さんにも苦いのか」
「ああ、感覚として毒とは思わんが、恐らくは毒なのだろう。毒耐性は己もお前も毒殺が馬鹿馬鹿しい程に高いが、だからこそ毒龍めが毒を盛ってきたという前提を入れねば単なる不味いものとして切り捨てかねん」
その言葉におれはそうだなと返す。実際、おれには不味くて苦いというあの奇跡の野菜について、おれは半ば見落としていたしな。毒じゃなく体にも異変は起こらないから口に合わないだけなんだ、と。
もっと早くに、気が付くべきだった。そうすれば頼勇にもいやあの野菜怪しすぎるぞと言えたのにな。
そう思うと、今日の連絡が待ち遠しい。アナはおれの居場所で水鏡を繋げられるが、おれ側にそんな反則技は無いから何も連絡を取る手段がないのが辛い。
「……まあ、それは良い。ノア・ミュルクヴィズよ。この馬鹿を暫く頼む。何時もの嫁が居ない今、支えてやれるのはお前だけだからな」
「アナは嫁じゃないんだが父さん!?」




