オリハルコン少女の溜め息(side:ヴィルジニー・アングリクス)
「そん、な……」
絶望したように、オリハルコングラデーションの少女は、眼前に聳える巨大な施設を見上げる。
簡単だと思っていた。皇子といっても忌み子。国を越えてその名を轟かす皇族の恥さらしゼノ。
その名の伝播は、彼を良く思わない、そして彼が擁立するという第三皇女アイリスを蹴落としたい他の皇子皇女による恣意的なものが含まれているのかもしれない。
いや、少女に向けて留学の旨を伝えに来た第二皇子の直属だという男が面白おかしく如何に彼が滑稽で無能か面白おかしく話していた辺り、確実に恣意的なものだったのだろう。犬一匹助けられないクソ皇子、妹に婚約者を救われた間抜け皇子と。
だが、それでも。だとしても、本当に彼は忌み子なのだから、確かに皇子の面汚しなのだと思っていた。
そんな彼ですら攻略できるもの、出来るか?などとバカにされていると思った。
なのに。現実はどうだろう。
彼がことも無げに飛び越えた最初の穴を過半数が越えられなかった。彼がさっくりと処理したゴーレムに3人が潰され、逃げようと滝に飛び込んで4人が磨り潰された。
そうして、たった三人だけ何とか洞窟の中に入り込み、そして成す術なく大トカゲによって食い殺され全滅した。
「……ああ、クリア者無しか。
一つ言っておこう、それが当然だ。この施設は本来入学者の為のオリエンテーション用ではない、卒業試験だ」
実際に挑ませておいて、忌むべき子の師だという同じく禁忌の血を持つ男は面を外すことなくそう告げる。
負けて当然だと。
その言葉に、周囲の子供たちの沈んだ表情に輝きが戻る。
それで良いんだと、素直に喜ぶ。
けれども、留学生であるヴィルジニーだけは、そうは思えなかった。
何故ならば、彼は……最弱の皇子は突破して見せたのだから。それも、魔法一つなく。
魔法。七大天より与えられた奇跡の力。人が人である由縁、他の生命よりも上位たるべき神からの祝福。故に、人はこの地上の支配者であるのだと、七大天を奉る教会はそう説いている。
そうされてきた全ての力を、彼は一切振るわなかった。ただその足で穴を駆け抜け、無造作に刀で滝を斬り払い、奇跡なく全てを踏破した。
そんな奇跡を与えられた存在達が奇跡をもってすら、挫けたその道を。奇跡を持たぬ忌むべき子が、ただの物理のごり押しで。
「……そもそもだ。どれだけ弱いと言っても、おれは皇子だぞ?
最強無敵、民の剣であり盾。皆を守るもの。それがおれだ。
だからさ、気にすることなんて無いんだ」
電撃で軽く焼け痕を残す腕を見せながら、どうにもズレたフォローを、くすんだ銀髪の少年が付け加える。
そんなところを気にしている人が居るとでも思っていますの?と叫びたい。皇子だから何なのだ、忌むべき子であることは変わらないはず。
けれど、今言ったところで完全に負け犬の遠吠え。
(これが、これが……帝国の誇る皇族)
きっ!とせめてもの抵抗として、威信をかけてその優秀さを見せつけなければならなかった留学生の少女は、それを開幕叩き潰した少年を睨み付けた。
「……ええと、ヴィルジニーさん、何か?」
頭の上には、本来は直接通うべきだけれども特例として使われている第三皇女の猫ゴーレム。今までのあれこれを意にも介せぬように、くすんだ銀髪の上で呑気に欠伸なんてしている。そしてそのまま、弱き者共には興味の欠片もないとばかり、兄の頭の上で丸くなる。
歯牙にもかけられていない。この兄妹に、帝国の後継者達に、故郷では彼等と同じく長を継ぐ者として畏れられ敬われるべき自分がだ。
それが、どうしても許せない。
「……なーご」
一つ伸びをして、子猫が此方を見る。
その眼は……
「っ!な、何でもありませんわよ」
ぞっとするほどに、冷たかった。
無機質な人形を動かしているのだ。感情が見えなくて当然。
そのはずだ。冷たいなんて、当たり前のこと。
それなのに。
揺れる視界に、自分が思わず後退りしていた事に気が付く。
「っと、疲れてしまったのかな、大丈夫?」
「要りませんわ!」
眼前に伸ばされた手。揺れる体を慮ってか差し出された、皇子の手とも子供の手ともとてもじゃないが思えない、幾多の筋と節と豆に彩られた下民のような手を、思わず掌で弾く。
「忌み子が、そんな手で触れないで下さる?」
……なんて事を言ってしまったのだろう。
思わず言った一言に、ヴィルジニーは自分で愕然とする。
これが国内なら良い。忌み子など普通は産まれることなく死に、魔法を持たぬ忌むべきヒト(人ではない。人に似た下賤な生物、"ヒト"だ)とは、人権も何もない獣人だけ。枢機卿の娘であるヴィルジニーに触れることは、それだけでどうされても言い訳の効かない罪である。
だが……思わず同じ行動を取ってしまった相手は、そうではない。人権は獣人と同じく無いが、皇子としての権限を持つ。一応、目上という事になるのだろうか。
そんな相手に、この態度はない。気が立っていたからといって、やり過ぎている。
「……やっぱり、忌み子が軽々しく触れるものじゃなかったよな」
……だというのに。眼前の皇子とはとても思えぬ皇子は。魔法で努力の痕一つ残さぬ完璧を繕うのが当然の人種だというのに、それすら出来ぬ落ちこぼれは。そもそも、左目の辺りに火傷痕を赤黒く残す、貴族にあるまじき一つ上の少年は。
全部おれが悪いとばかりに火傷痕にひきつった笑いを浮かべる。
其処に、侮蔑も何もない。仕方ないよなと、それが本当の思いであるかのように、ただ、笑う。
……ふざけている。
「ええ。気を付けてくださる、皇子サマ?」
バカにされている。
ヴィルジニーよりも、余程恐ろしい力を持っていて。やはり枢機卿の娘だ、オルハリコングラデーションの誇りだ、と、国では散々にちやほやと持ち上げられたヴィルジニーを飄々と越える力を持ちながらも、そんな態度を取る皇子は、此処に居る全員をバカにしているようにしか見えなくて。
そんな不思議な皇子を、ヴィルジニーはずっと睨み続けた。相手が、恐らくは外交問題だ何だを言ってこないことを良いことに。
そんな二人を、頭の仔猫は冷ややかに、場を凍らせた男と同じく、七大天の意匠を体に持つ月にも形容される少女は興味深げに、じっと眺めていた。




